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第四部 春霞(はるがすみ)
第5話
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4月も半ばがすぎて、ようやく花粉症がおさまりはじめてきた頃、わたしは学校帰りに、山汐凛を見かけた。
去年、夏休みが終わった後、山汐凛はすでに転校してしまっていたから、最後に彼女を見たのは一学期の終わりで、7月の20日くらいだったと思う。
9ヶ月ぶりだった。
いつか会うことがあったら、わたしの高校生活を台無しにしてくれたお返しに思いっきり罵倒してやる。
夏休みが明けたばかりの頃、わたしはそんなことを思っていた。
けれど、時間が経ちすぎてしまっていた。
久しぶりに目にした山汐凛を見て、わたしは怒りが込み上げるどころか、懐かしいな、と思ってしまった。
彼女はとても小柄な女の子で、はじめて見る私服姿はとても女の子女の子していてかわいらしく、まるで天使か妖精が、汚い人間の世界に迷いこんでしまったように見えた。
こんなに小さくてかわいい女の子が、いくら昼間とはいえ、決して治安がいいとは言えないこの街をひとりで歩いていたら、誘拐されてしまったり、いたずらされてしまうんじゃないかと不安になるくらいだった。
警戒しなければいけない相手だということはわかっていた。
彼女はレイプ事件の被害者でもあったけれど、加藤麻衣に売春を強要し、男子バスケ部員たちをクスリ漬けにしたことは、青西高校の誰もが知っていることだった。
それだけではなく、わたしはおにーちゃんがもう何ヵ月も、彼女や、加藤麻衣がたまに彼女のことを呼んでいた美嘉やメイといった名前が書かれた、四台の携帯電話からコピーしたプログラムについて調べていることを知っていた。
おにーちゃんが解離性同一性障害という病気についての本ばかりを読み漁っていることも知っていた。
そこから、導きだされるものが何なのか、確証は何もなかったけれど、何となく気づいていた。
それにわたしは彼女と会話らしい会話を一度もしたことがなかった。
山汐凛は、いつも加藤麻衣といっしょにいたから。
ふたりは中学時代は違う学校だったはずで、高校に入学してから知りあったばかりのはずなのに、あっという間に仲良くなっていた。
ふたりが仲良くなったきっかけをわたしは知らないけれど、内弁慶で人見知りをしてしまう性格のわたしには、いまだに高校で友達と呼べる女の子はいなかった。
人見知りでも、あざとく生きる術(すべ)だけは持っていたから、男の子ウケは自慢じゃないけど結構良かった。
だけど、どうせみんなわたしを、大人しくて何でも言うことを聞く女の子だと勘違いしているに違いなかった。
わたしなら、アダルトビデオみたいな自分本意のセックスがすぐにできると思っているに違いなかった。
そういう男の子たちと一定の距離を保ちつつ、囲われて生きていくことが、わたしの処世術だった。
だからわたしには、友達と呼べる女の子は、幼馴染みの佳代くらいしかいなかった。
佳代の家はお金持ちだったから、城戸女学園というお嬢様学校に入学してしまって、高校に入学してからは月に一度会うかどうかになってしまっていた。
山汐凛と加藤麻衣は、誰から見ても本当に仲がよく、誰もそこに入り込む余地がない、そんな気がしていた。
わたしは一学期の間ずっと、そんなふたりを羨ましいと思っていた。
ふたりと友達になりたいと思っていたことを思い出してしまった。
そんな風に見えていたふたりが、ひとりは売春を強要し、もうひとりがそれに素直に従っていたことが、今更ながらわたしにはとても不思議に思えた。
だから、
「山汐さん、だよね?」
わたしは思いきって、彼女に声をかけてみることにした。
突然わたしに声をかけられて、山汐凛は、すごくびっくりしたようだった。
わたしは自転車から降りると、
「わたしのこと、覚えてる?
青西高校で同じクラスだった、雨野みかなっていうんだけど」
と言った。
彼女は、小首をかしげて、ぽかんとした表情でわたしを見ていた。
そのしぐさは、彼女が本当にあんな事件を引き起こしたのか、わからなくなってしまうほど、純粋で無垢なものに見えた。
「やっぱり、覚えてないよね……」
そう言ったわたしに、
「お姉ちゃんのお友達?」
山汐凛は言った。
彼女は、間違いなくわたしが知る、山汐凛だった。
最後に彼女を見たのは9ヶ月も前のことだったけれど、わたしは彼女の顔を鮮明に覚えていた。
彼女と加藤麻衣のような、友達という関係に憧れていた。
ふたりと友達になりたいと思っていた。
けれど、それが叶わないどころか、夏休みの間に彼女がしたことのせいで、学校はめちゃくちゃになった。
わたしたちの学年は、200人以上生徒がいたけれど、夏休み明けに70人以上が市内や県内の別の高校に転校していた。
冬休み明けには、さらに50人以上が転校し、春休みが明けると、さらに30人以上が転校していて、2年に進学したのは60人ほどしかいなかった。
入学したときは7クラスもあったのに、2つにまで減ってしまっていた。
3年生は、そこまで大きく人数の変動はなかったけれど、それでも1/3程度は減ってしまっていた。
新一年生も、60人ほどしかいなかった。
彼女のことを、顔を、声を、わたしが忘れるなんてことはなかった。
私服姿ははじめて見るし、髪型も変わっていたけれど、顔も背もわたしが知る山汐凛とまったく同じだった。
けれど、彼女は「山汐芽衣」と名乗った。
一卵性双生児の妹でもいたのだろうか、とわたしは思った。
だけど、それにしては言動がやけに幼く見えた。
年の離れた妹がいたのだろうか?
けれど、いくら姉妹でも、ここまで似ることがあるだろうか。
苗字こそ違うけれど、芽衣(メイ)という名前には見覚えも聞き覚えもあった。
加藤麻衣がたまに彼女のことをそう呼んでいた。
あの人から預かっておにーちゃんに渡した四台の携帯電話のうちのひとつに、その名前があった。
わたしの中で、この数ヶ月の間ずっとおにーちゃんがひとつの病気に関する本ばかりを読み漁り、四台の携帯電話からコピーしたプログラムと、本で得た知識を使ってパソコンで何かを作っていることから、なんとなく導きだしていた山汐凛に関する秘密に、わたしはそのときようやく確証を得た。
山汐凛は解離性同一性障害、つまりは多重人格障害を患っていて、今の彼女は山汐凛ではない別の人格の、山汐芽衣という女の子なのだ。
芽衣は、年は11で、小学5年生だけれど、家庭の事情で小学校には行っていないのだと言った。
山汐凛は彼女の姉で、山汐紡という兄がいるのだと言った。
「お姉ちゃんとお兄ちゃんがどこかに行っちゃったの。
だから、芽衣は朝からずっと探してるの」
芽衣は泣きそうな声で言った。
去年、夏休みが終わった後、山汐凛はすでに転校してしまっていたから、最後に彼女を見たのは一学期の終わりで、7月の20日くらいだったと思う。
9ヶ月ぶりだった。
いつか会うことがあったら、わたしの高校生活を台無しにしてくれたお返しに思いっきり罵倒してやる。
夏休みが明けたばかりの頃、わたしはそんなことを思っていた。
けれど、時間が経ちすぎてしまっていた。
久しぶりに目にした山汐凛を見て、わたしは怒りが込み上げるどころか、懐かしいな、と思ってしまった。
彼女はとても小柄な女の子で、はじめて見る私服姿はとても女の子女の子していてかわいらしく、まるで天使か妖精が、汚い人間の世界に迷いこんでしまったように見えた。
こんなに小さくてかわいい女の子が、いくら昼間とはいえ、決して治安がいいとは言えないこの街をひとりで歩いていたら、誘拐されてしまったり、いたずらされてしまうんじゃないかと不安になるくらいだった。
警戒しなければいけない相手だということはわかっていた。
彼女はレイプ事件の被害者でもあったけれど、加藤麻衣に売春を強要し、男子バスケ部員たちをクスリ漬けにしたことは、青西高校の誰もが知っていることだった。
それだけではなく、わたしはおにーちゃんがもう何ヵ月も、彼女や、加藤麻衣がたまに彼女のことを呼んでいた美嘉やメイといった名前が書かれた、四台の携帯電話からコピーしたプログラムについて調べていることを知っていた。
おにーちゃんが解離性同一性障害という病気についての本ばかりを読み漁っていることも知っていた。
そこから、導きだされるものが何なのか、確証は何もなかったけれど、何となく気づいていた。
それにわたしは彼女と会話らしい会話を一度もしたことがなかった。
山汐凛は、いつも加藤麻衣といっしょにいたから。
ふたりは中学時代は違う学校だったはずで、高校に入学してから知りあったばかりのはずなのに、あっという間に仲良くなっていた。
ふたりが仲良くなったきっかけをわたしは知らないけれど、内弁慶で人見知りをしてしまう性格のわたしには、いまだに高校で友達と呼べる女の子はいなかった。
人見知りでも、あざとく生きる術(すべ)だけは持っていたから、男の子ウケは自慢じゃないけど結構良かった。
だけど、どうせみんなわたしを、大人しくて何でも言うことを聞く女の子だと勘違いしているに違いなかった。
わたしなら、アダルトビデオみたいな自分本意のセックスがすぐにできると思っているに違いなかった。
そういう男の子たちと一定の距離を保ちつつ、囲われて生きていくことが、わたしの処世術だった。
だからわたしには、友達と呼べる女の子は、幼馴染みの佳代くらいしかいなかった。
佳代の家はお金持ちだったから、城戸女学園というお嬢様学校に入学してしまって、高校に入学してからは月に一度会うかどうかになってしまっていた。
山汐凛と加藤麻衣は、誰から見ても本当に仲がよく、誰もそこに入り込む余地がない、そんな気がしていた。
わたしは一学期の間ずっと、そんなふたりを羨ましいと思っていた。
ふたりと友達になりたいと思っていたことを思い出してしまった。
そんな風に見えていたふたりが、ひとりは売春を強要し、もうひとりがそれに素直に従っていたことが、今更ながらわたしにはとても不思議に思えた。
だから、
「山汐さん、だよね?」
わたしは思いきって、彼女に声をかけてみることにした。
突然わたしに声をかけられて、山汐凛は、すごくびっくりしたようだった。
わたしは自転車から降りると、
「わたしのこと、覚えてる?
青西高校で同じクラスだった、雨野みかなっていうんだけど」
と言った。
彼女は、小首をかしげて、ぽかんとした表情でわたしを見ていた。
そのしぐさは、彼女が本当にあんな事件を引き起こしたのか、わからなくなってしまうほど、純粋で無垢なものに見えた。
「やっぱり、覚えてないよね……」
そう言ったわたしに、
「お姉ちゃんのお友達?」
山汐凛は言った。
彼女は、間違いなくわたしが知る、山汐凛だった。
最後に彼女を見たのは9ヶ月も前のことだったけれど、わたしは彼女の顔を鮮明に覚えていた。
彼女と加藤麻衣のような、友達という関係に憧れていた。
ふたりと友達になりたいと思っていた。
けれど、それが叶わないどころか、夏休みの間に彼女がしたことのせいで、学校はめちゃくちゃになった。
わたしたちの学年は、200人以上生徒がいたけれど、夏休み明けに70人以上が市内や県内の別の高校に転校していた。
冬休み明けには、さらに50人以上が転校し、春休みが明けると、さらに30人以上が転校していて、2年に進学したのは60人ほどしかいなかった。
入学したときは7クラスもあったのに、2つにまで減ってしまっていた。
3年生は、そこまで大きく人数の変動はなかったけれど、それでも1/3程度は減ってしまっていた。
新一年生も、60人ほどしかいなかった。
彼女のことを、顔を、声を、わたしが忘れるなんてことはなかった。
私服姿ははじめて見るし、髪型も変わっていたけれど、顔も背もわたしが知る山汐凛とまったく同じだった。
けれど、彼女は「山汐芽衣」と名乗った。
一卵性双生児の妹でもいたのだろうか、とわたしは思った。
だけど、それにしては言動がやけに幼く見えた。
年の離れた妹がいたのだろうか?
けれど、いくら姉妹でも、ここまで似ることがあるだろうか。
苗字こそ違うけれど、芽衣(メイ)という名前には見覚えも聞き覚えもあった。
加藤麻衣がたまに彼女のことをそう呼んでいた。
あの人から預かっておにーちゃんに渡した四台の携帯電話のうちのひとつに、その名前があった。
わたしの中で、この数ヶ月の間ずっとおにーちゃんがひとつの病気に関する本ばかりを読み漁り、四台の携帯電話からコピーしたプログラムと、本で得た知識を使ってパソコンで何かを作っていることから、なんとなく導きだしていた山汐凛に関する秘密に、わたしはそのときようやく確証を得た。
山汐凛は解離性同一性障害、つまりは多重人格障害を患っていて、今の彼女は山汐凛ではない別の人格の、山汐芽衣という女の子なのだ。
芽衣は、年は11で、小学5年生だけれど、家庭の事情で小学校には行っていないのだと言った。
山汐凛は彼女の姉で、山汐紡という兄がいるのだと言った。
「お姉ちゃんとお兄ちゃんがどこかに行っちゃったの。
だから、芽衣は朝からずっと探してるの」
芽衣は泣きそうな声で言った。
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