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第三部 冬晴(ふゆばれ)
第14話
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夢を見た。
まるで映画のような夢だった。
その夢にわたしは出ていなくて、それを観ている観客だった。
映画のような、じゃなくて、映画のような何かを、映画館の一番良い席で、まるで貸し切ったかのように、わたしがひとりだけで観ている夢だった。
映画のような何かには夏目メイ? 山汐凛? が、テナント募集中の雑居ビルの中にいて、
「久しぶりだね、凛」
彼女に声をかけた少女がいた。
顔はモザイクじゃなくて、ボールペンで乱雑に塗りつぶされたように隠されていたけれど、わたしにはその少女が加藤麻衣だと何故だかわかった。
加藤学の妹の方の、女優さんじゃなくて、夏雲の主人公のモデルになった加藤麻衣。
「……凛じゃないか。メイだね。
こんな風に向かい合って話すのは、最後に会ったとき以来だから……何ヵ月ぶりかな?」
とても優しい声だった。
加藤麻衣が、本当に山汐凛を、夏目メイや他の別人格ごと、友達として大切に思っているのがわかる、そんな優しい優しい声だった。
「さぁ? 今さらわたしに、何か用?
わたしはあんたにもう何の用もないんだけど。
鬼頭結衣の仇討ちとか、そういうのはやめてよ。疲れるから」
けれど、夏目メイはその優しさを拒絶した。
最後には加藤麻衣の優しさや好意をヒールで踏みにじるような、嘲笑が含まれていた。
「その体を凛に返してもらいにきただけ」
それでも、加藤麻衣の優しい声は変わらない。
「丁重にお断りするわ。
わたしまだ消えたくないもの。
早く帰ってもらえる?
凛が目を覚ますと面倒だから」
夏目メイの拒絶も変わらない。
けれど、加藤麻衣は言った。
「凛にその体を返してくれるなら、アタシの体をあげるって言ったら?」
その言葉に、夏目メイは困惑した。
「どういう意味?」
「言葉通りの意味よ。
メイなら、凛の頭の中からわたしの中に引っ越してくることくらいできそうじゃない?」
加藤麻衣の声色が変わっていた。
まるで夏目メイを挑発するかのように。
「できるわけないでしょ」
夏目メイの拒絶は変わらない。
けれど、徐々に心の奥底から、煮えたぎるように熱い、どすぐろい何かが噴き出してきそうになっているのが、わたしにはわかった。
「なんだ、できないんだ?
じゃあ、メイって思ってたより大したことないんだね。
所詮は凛の別人格。
その体と、まわりにいる人間の心を操ることができるだけ。
いつ凛の心が救われて自分が用済みになるかを恐れているだけの、女王様気取りの小さな小さな女の子」
加藤麻衣の挑発は、
「死にたいの? わたしはいつでもあんたくらい殺せるんだよ?」
夏目メイの中の、煮えたぎるようにどすぐろい何かを噴き出させはじめた。
「あんたこそ、アタシの慈悲の心で生かされているだけだということに、いつになったら気づくの?」
「どういう意味?」
「言葉通りの意味。アタシは凛の心をいつでも救える。だから、あんたをいつでも消せる。
あんたはもう袋の鼠だよ。
トムとジェリーみたいに仲良く喧嘩してあげてたけど、もういいわ。
残念ね。わたしが最後にあんたにかけてあげた慈悲だったのに。
あんたがその体から出て来られないって言うのなら、わたしの体に引っ越すこともできないなら、あんたはもう終わり」
「わたしにできないことなんてない」
「じゃあ、やってみせてよ。
狐憑きって呼ばれてた頃みたいに。
わたしに憑依してみせてよ」
煮えたぎるように熱くて、どすぐろい何かは、夏目メイそのものだった。
それが、山汐凛の身体から噴き出して、まっすぐに加藤麻衣に向かっていく。
わたしは、止めなくちゃ、と思った。
席を立ち、映画館のスクリーンに向かって走り出した。
そして、わたしは、映画のような物語の中の登場人物のひとりになった。
そこで、わたしの目は覚めた。
目を覚ますと、そこは加藤学の車の助手席だった。
目の前には、心配そうにわたしの顔を覗き込む学の顔があった。
「だいぶうなされていたけれど、怖い夢を見てた?」
彼はわたしを心配して、ハザードランプをつけて、車を路肩に停めていた。
わたしは体中にびっしょりと汗をかいてしまっていた。
「加藤麻衣が……」
「麻衣ちゃんの夢を見たのか」
「加藤麻衣が、夏目メイを挑発して、夏目メイの身体から煮えたぎるような、どすぐろい何かが噴き出して……
たぶん、それは、夏目メイの人格なの……
わたしは加藤麻衣をかばわなきゃいけないと思って……」
怖かった。
わたしがしようとしていることは、わたしが思っているより、ずっとずっと怖いことなのだと、わたしはようやくわかった。
目の前でアリスが夏目メイに撃たれ、兄が自殺ではなく、夏目メイに殺されたと夏目メイ本人から聞かされて、わたしはあのときから、おかしくなってしまっていた。
自分が自分じゃなくなるということを、その意味を、わたしはちゃんと考えていなかった。
わたしが横浜に来たのは、本当にわたしの意志だったのかさえ、もはやわからなくなっていた。
夏目メイは、最初から、アリスやわたしが彼女に出会う前から、わたしたちのことを知っていたのではないか。
わたしたちに死ぬことよりもつらい思いをさせるために、アリスからシュウの命を、わたしから兄の命を奪ったのではないか。
そんな気すらしていた。
怖くて涙が止まらなかった。
そんなわたしを学は抱き締めてくれた。
「羽衣ちゃん、ぼくはね、君を失うことが今は一番怖いよ」
「ごめんなさい、ごめんなさい、わたしが間違ってた。学さんの気持ち、わたし、何にも考えてなかった」
学は、いいよ、と言って、わたしを宝物のように大切に抱きしめてくれた。
「わかってくれたなら、いいんだ」
そして、
「今日はもう、このあたりのホテルに泊まろう」
そう言って、車を出した。
ホテルの駐車場に着くと、
「夏目メイのことは、もう、ぼくにまかせてほしい」
彼はそう言って、車から先に降りた。
「今、すべてを終わらせるから。羽衣ちゃんはそこで見てて」
夏目メイや山汐凛の人格が入った四台の携帯電話を、学は車のタイヤの前にひとつずつ置いた。
そして、車に戻ると、勢いよくアクセルを踏み、四台の携帯電話をタイヤで踏み潰した。
さらに、バックしてもう一度。
それを何度も何度も繰り返した。
そして、粉々になった携帯電話を、コンビニのレジ袋に回収すると、どこかに電話をかけた。
「お前との取り引きには応じない。
携帯電話は今、すべて破壊した」
加藤学はそれだけ言って、電話を切った。
「今の電話、夏目メイ?」
わたしは聞いた。
学は黙ってうなづいた。
「どうして、携帯電話を全部壊したのに、夏目メイが……」
「あの四台の携帯電話はフェイクだったってことだよ。
やっぱり夏目メイは自分の携帯電話は肌身離さず持っていたんだ」
わたしが聞きたいことは、そんな答えじゃなかった。
「どうして、その番号を学さんが知ってるの?」
もうわかっていた。
「それは……」
この人もわたしの味方じゃない。
「ぼくが、夏目メイだから」
加藤学は、そう言った。
その声は夏目メイの声だった。
まるで映画のような夢だった。
その夢にわたしは出ていなくて、それを観ている観客だった。
映画のような、じゃなくて、映画のような何かを、映画館の一番良い席で、まるで貸し切ったかのように、わたしがひとりだけで観ている夢だった。
映画のような何かには夏目メイ? 山汐凛? が、テナント募集中の雑居ビルの中にいて、
「久しぶりだね、凛」
彼女に声をかけた少女がいた。
顔はモザイクじゃなくて、ボールペンで乱雑に塗りつぶされたように隠されていたけれど、わたしにはその少女が加藤麻衣だと何故だかわかった。
加藤学の妹の方の、女優さんじゃなくて、夏雲の主人公のモデルになった加藤麻衣。
「……凛じゃないか。メイだね。
こんな風に向かい合って話すのは、最後に会ったとき以来だから……何ヵ月ぶりかな?」
とても優しい声だった。
加藤麻衣が、本当に山汐凛を、夏目メイや他の別人格ごと、友達として大切に思っているのがわかる、そんな優しい優しい声だった。
「さぁ? 今さらわたしに、何か用?
わたしはあんたにもう何の用もないんだけど。
鬼頭結衣の仇討ちとか、そういうのはやめてよ。疲れるから」
けれど、夏目メイはその優しさを拒絶した。
最後には加藤麻衣の優しさや好意をヒールで踏みにじるような、嘲笑が含まれていた。
「その体を凛に返してもらいにきただけ」
それでも、加藤麻衣の優しい声は変わらない。
「丁重にお断りするわ。
わたしまだ消えたくないもの。
早く帰ってもらえる?
凛が目を覚ますと面倒だから」
夏目メイの拒絶も変わらない。
けれど、加藤麻衣は言った。
「凛にその体を返してくれるなら、アタシの体をあげるって言ったら?」
その言葉に、夏目メイは困惑した。
「どういう意味?」
「言葉通りの意味よ。
メイなら、凛の頭の中からわたしの中に引っ越してくることくらいできそうじゃない?」
加藤麻衣の声色が変わっていた。
まるで夏目メイを挑発するかのように。
「できるわけないでしょ」
夏目メイの拒絶は変わらない。
けれど、徐々に心の奥底から、煮えたぎるように熱い、どすぐろい何かが噴き出してきそうになっているのが、わたしにはわかった。
「なんだ、できないんだ?
じゃあ、メイって思ってたより大したことないんだね。
所詮は凛の別人格。
その体と、まわりにいる人間の心を操ることができるだけ。
いつ凛の心が救われて自分が用済みになるかを恐れているだけの、女王様気取りの小さな小さな女の子」
加藤麻衣の挑発は、
「死にたいの? わたしはいつでもあんたくらい殺せるんだよ?」
夏目メイの中の、煮えたぎるようにどすぐろい何かを噴き出させはじめた。
「あんたこそ、アタシの慈悲の心で生かされているだけだということに、いつになったら気づくの?」
「どういう意味?」
「言葉通りの意味。アタシは凛の心をいつでも救える。だから、あんたをいつでも消せる。
あんたはもう袋の鼠だよ。
トムとジェリーみたいに仲良く喧嘩してあげてたけど、もういいわ。
残念ね。わたしが最後にあんたにかけてあげた慈悲だったのに。
あんたがその体から出て来られないって言うのなら、わたしの体に引っ越すこともできないなら、あんたはもう終わり」
「わたしにできないことなんてない」
「じゃあ、やってみせてよ。
狐憑きって呼ばれてた頃みたいに。
わたしに憑依してみせてよ」
煮えたぎるように熱くて、どすぐろい何かは、夏目メイそのものだった。
それが、山汐凛の身体から噴き出して、まっすぐに加藤麻衣に向かっていく。
わたしは、止めなくちゃ、と思った。
席を立ち、映画館のスクリーンに向かって走り出した。
そして、わたしは、映画のような物語の中の登場人物のひとりになった。
そこで、わたしの目は覚めた。
目を覚ますと、そこは加藤学の車の助手席だった。
目の前には、心配そうにわたしの顔を覗き込む学の顔があった。
「だいぶうなされていたけれど、怖い夢を見てた?」
彼はわたしを心配して、ハザードランプをつけて、車を路肩に停めていた。
わたしは体中にびっしょりと汗をかいてしまっていた。
「加藤麻衣が……」
「麻衣ちゃんの夢を見たのか」
「加藤麻衣が、夏目メイを挑発して、夏目メイの身体から煮えたぎるような、どすぐろい何かが噴き出して……
たぶん、それは、夏目メイの人格なの……
わたしは加藤麻衣をかばわなきゃいけないと思って……」
怖かった。
わたしがしようとしていることは、わたしが思っているより、ずっとずっと怖いことなのだと、わたしはようやくわかった。
目の前でアリスが夏目メイに撃たれ、兄が自殺ではなく、夏目メイに殺されたと夏目メイ本人から聞かされて、わたしはあのときから、おかしくなってしまっていた。
自分が自分じゃなくなるということを、その意味を、わたしはちゃんと考えていなかった。
わたしが横浜に来たのは、本当にわたしの意志だったのかさえ、もはやわからなくなっていた。
夏目メイは、最初から、アリスやわたしが彼女に出会う前から、わたしたちのことを知っていたのではないか。
わたしたちに死ぬことよりもつらい思いをさせるために、アリスからシュウの命を、わたしから兄の命を奪ったのではないか。
そんな気すらしていた。
怖くて涙が止まらなかった。
そんなわたしを学は抱き締めてくれた。
「羽衣ちゃん、ぼくはね、君を失うことが今は一番怖いよ」
「ごめんなさい、ごめんなさい、わたしが間違ってた。学さんの気持ち、わたし、何にも考えてなかった」
学は、いいよ、と言って、わたしを宝物のように大切に抱きしめてくれた。
「わかってくれたなら、いいんだ」
そして、
「今日はもう、このあたりのホテルに泊まろう」
そう言って、車を出した。
ホテルの駐車場に着くと、
「夏目メイのことは、もう、ぼくにまかせてほしい」
彼はそう言って、車から先に降りた。
「今、すべてを終わらせるから。羽衣ちゃんはそこで見てて」
夏目メイや山汐凛の人格が入った四台の携帯電話を、学は車のタイヤの前にひとつずつ置いた。
そして、車に戻ると、勢いよくアクセルを踏み、四台の携帯電話をタイヤで踏み潰した。
さらに、バックしてもう一度。
それを何度も何度も繰り返した。
そして、粉々になった携帯電話を、コンビニのレジ袋に回収すると、どこかに電話をかけた。
「お前との取り引きには応じない。
携帯電話は今、すべて破壊した」
加藤学はそれだけ言って、電話を切った。
「今の電話、夏目メイ?」
わたしは聞いた。
学は黙ってうなづいた。
「どうして、携帯電話を全部壊したのに、夏目メイが……」
「あの四台の携帯電話はフェイクだったってことだよ。
やっぱり夏目メイは自分の携帯電話は肌身離さず持っていたんだ」
わたしが聞きたいことは、そんな答えじゃなかった。
「どうして、その番号を学さんが知ってるの?」
もうわかっていた。
「それは……」
この人もわたしの味方じゃない。
「ぼくが、夏目メイだから」
加藤学は、そう言った。
その声は夏目メイの声だった。
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