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スピンオフ 二代目花房ルリヲ「イモウトパラレル」

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 午後の講義を終えたぼくは部室まで妹を迎えに行き、妹はアニヤハインドマーチのエコバッグに何冊もの文芸誌を入れて、アパートへ帰った。 

 エコバッグは部長からの誕生日プレゼントだった。

 女性のファッションには疎いぼくだけれど、アニヤハインドマーチのエコバッグくらいは知っていた。

 数量限定で販売されて、ネットオークションで高値で売買されている、といった程度の知識は、女子部員たちの会話で聞いたことがあった。

 わたしのお古で悪いんだけど、と部長は言ったけれど、新品のようにきれいだった。

「わたし、もうひとつ色違いの持ってるから、麻衣ちゃんとお揃いだね」

 と部長は言った。 


 お誕生日会を終えた後、妹はぼくの講義が終わるのを待つ間、ずっとぼくの小説を読んでくれていたらしい。 

「びっくりしちゃった。お兄ちゃんの小説、ドリーワンだけじゃなくって、全部麻衣が出てくるんだね」 

 歩きながら、妹はぼくに小説の感想を教えてくれた。 


 ぼくの小説はすべて、生まれてこなかった妹を物語の中だけでも存在させてあげたいという思いから書かれている。

 だから、加藤麻衣という名の少女が、常に物語のヒロインとして、あるいは物語の片隅に存在する。 

 はじめて書いた妹の物語は、誘拐された女子中学生の妹が、誘拐犯に言われるがままネットアイドルとしてホームページを立ち上げる、という小説だった。

 ぼくはその物語に、海外で行方不明者のポスターに書かれる「ミッシング」という言葉をタイトルとして選んだ。

 以来妹はぼくの小説の中で、誘拐され続ける運命にある、あるいは誘拐されることを夢見る少女として存在する。 


「麻衣だけじゃなくて、いろんな登場人物が、お兄ちゃんのいろんな小説に出てきて、全部が繋がってるような気もするし、全然関係ないお話もあるし、どの作品とどの作品が繋がってるのかよくわからなくて、麻衣、頭こんがらがっちゃった」 


 ぼくの小説には大きく三つの時間軸が存在し、また手塚治虫が彼の漫画で確立したスターシステムという、キャラクターを俳優や女優だと捉えて様々な作品に異なる役柄として登場させるという手法をとっている。 


 そのひとつとして妹が誘拐される世界はある。 

 妹が誘拐される物語であったミッシングにおいて言及されることはなかったが、その世界では1981年にモノクローン法という、少子化対策のため、あるいは軍事目的のため、新生児がクローンを伴って産まれることが義務づけられた法律が可決し、翌年試行されている。

 クローンはモノクローンと呼ばれ、人権と脳が剥奪され、最下級の身分と人工脳が与えられる。 


 妹は誘拐されてしまった後で、神戸の高校に入学し、小島雪や鈴木芹菓といった友人に出会うことになる。

 ミッシングのその後の妹が描かれた続編である「モノクローン」は、妹の友人である小島雪が夏休みの宿題で自分のクローンである夜子(やこ)という名の姉の観察日記をつける、という物語だ。 

 ぼくはこのモノクローンという作品や作中で示した階級制度のある日本がお気に入りで、クローンとオリジナルの関係を真逆にした「てのひらキャンディ」という小説や、小島雪が夜子ならぬヒルコという名の一卵性双生児の姉をもち、姉妹が隔離病棟で人体実験の被験者として存在する「シンクロニシティ」 といったモノクローンとはパラレルワールドにあたる作品を書いた。 

 シンクロニシティはモノクローンで示した階級社会をベースに書かれたものだが、続編である「ジェリービーンズ」という作品で、そんな階級社会やモノクローンなど存在せず、モノクローン法は否決され、代わりに犯罪を犯した者が逮捕や懲役に課されないかわりに生涯差別の対象者とするジェリービーンズ法が1981年に可決され翌年施行されていたことが明らかになる。

 この世界がぼくの小説の第二の時間軸世界にあたり、その世界において妹は誘拐されることを夢見る少女として存在する。 


 そして第三の時間軸世界として、限りなくこの世界に近い、妹が存在しない世界の物語がある。 


 名古屋市内で次々と少女の首のない死体が発見される「少女ギロチン」や、その事件の容疑者として最初に捜査線上にその名があがり、しかしすぐに容疑が晴れた要雅雪という中学校教師が引き起こした女子中学生誘拐事件「悲しき雨音」がある。

 これらの作品において、妹は世界のどこにも存在せず、しかし妹を誘拐しなければならないという使命を生まれ落ちたときから背負う男の悲劇が物語られている。 


 少女ギロチンはぼくにとってドリーワンと並ぶ最高傑作であり、ぼくは後半部分を大幅に書き換えた「少女ギロチン・パラドックス」なる作品も書いた。本筋の少女ギロチンや悲しき雨音とはパラレルワールドにあたる作品である。 


 そして、あちら側ではぼくの手で映画化までされた「ドリーワン」はそれらの3つの世界の出来事がすべて夢の世界の出来事としてあり、さらに言えばぼくが今まさに執筆中のこの私小説にとってドリーワンを含めたすべての作品が、薄っぺらな紙の上や、ウェブ上の文字列の出来事でしかない。 


「難しいんだね」 

 と、妹は言った。 


 まったくだとぼくは思った。 

 自分が書いた小説だというのに、我ながら頭が痛くなる。 





 アパートの部屋へと帰ったぼくは、妹がぼくの小説を興味深そうに読んでいる横で、部の文芸誌に寄稿する小説を書いた。ぼくはその小説に"sexteen nine"と名付けた。 

 部に所属していながら小説を書かない輩が多いため、来月の学祭で配布する文芸誌に、部員全員に短編小説を寄稿するよう部長からお達しが出ていた。

 短編小説なら活字離れした学生たちも読み易いだろうとか、遅筆な部長でも短編なら自分が決めた〆切までに書けるだろうという理由もあるのだろう。

 部長はその短編小説集に「ジャムフィールド」というタイトルをつけ、ぼくに星新一みたいなショートショート期待してるわよと言った。部長はどうもぼくを過大評 価している節がある。 

 そろそろ書き始めないと〆切に間に合いそうもなかったから、ぼくは妹と晩御飯を食べるときもパソコンの前で頭を捻らせていた。妹は妹で、ぼくの小説を読みながら食事をとっていた。 


 一通り小説を書き終え、校正までを終えたぼくは、冷蔵庫からカシスオレンジの缶を取り出した。

 カクテルパートナーのカシスオレンジはぼくのお気に入りだ。

 ぼくは未成年でまだ19歳だけれど、煙草は吸わないしギャンブルもしないし風俗にも行かないがお酒は飲む。

 そのお酒も創作に煮詰まったときか、 小説を書き終えた後にしか飲まない。

 昨今の大学生に比べればはるかに健全と言えるだろう。

 創作に煮詰まったときに飲むお酒はあまりおいしくはないけれど、しらふのぼくでは思い付かなかった発想が生まれることが多く、ぼくの小説のうちの何本かはそんな風にしてプロットが書かれたものがある。

 小説を書き終わったあとに飲むお酒はまた格別なのだ。 


 ちょうどぼくの小説を一通り読み終えた妹は興味深そうにお酒を飲むぼくを見ていた。

 そんな妹にぼくは元来お酒が飲める気質ではなくカシスオレン ジしか飲めないこと、居酒屋によって酔わないカシスオレンジと酔うカシスオレンジがあることなどを話した。

 カクテルパートナーのカシスオレンジは酔う方のカシスオレンジだ。 


 話しているうちにぼくはふと、妹にお酒を飲ませてみたいと考えた。 


 ぼくの小説の中の妹は、酒癖があまりよろしくない。

 確かドリーワンの続編として書いた短編にそんなことを書いた覚えがある。

 妹にお酒を飲ませたのは、今年の初夏に秋葉原で無差別殺人を引き起こした男がモデルの人物だったが、これ以上にないというくらいひどい目にあわせられていた。

 目の前にいる実物の妹はどうなのか、ふと気になってしまったのだ。 


 ぼくは妹に「飲む?」と、飲みかけのカシスオレンジを差し出した。 


 妹は「いいの?」と嬉しそうに目を輝かせて、ぼくが差し出した缶を奪うように取ると、緊張した面持ちで缶に唇をつけた。ぼくも同じ面持ちで妹を見ていた。 


「麻衣、お酒飲むのってはじめて」 


 一口飲むと、うししと笑って、間接キスしちゃったね、と嬉しそうに笑った。

 一口だけで妹の顔は真っ赤になった。 


 どうやらぼくたちの家系はお酒にあまり強くないらしい。 


 小説の中の妹は酒癖が悪かったが、現実の妹は笑い上戸だった。

 聞きもしないのに、好きな男のタイプについて語りだし、

「ロバートの秋山の顔には ちみつを塗って食べたい」

 だとか、

「加瀬亮に対する想いが日々つのり、おさえられなくなってきている」

 だとか話しては、けたけたと笑いころげた。 

「麻衣にぇ、ろうしても加瀬亮とメールひたくて、でも携帯のアドレスが、ひっく、わかななくて、加瀬亮ならきっとソフトバンクの携帯で、アドレスに加瀬亮ってローマ字で入れてりゅはずだから、メール送ったこよもありゅんだよ。
 届かなくて返ってきちゃったけど。
 ひょっとして、ウィルコムだっのか なぁ。あひゃひゃひゃひゃ」 


 ろれつがすでにまわらなくなりピノコのようなしゃべり方をする妹の中の加瀬亮のイメージがいまいちよくわからなかった。 


 それから妹の話は、

「V6の岡田准一の噛んだガムがネットオークションにかけられたらいくらまでなら落札できるか」

 だとか、

「木更津キャッツアイの五人に輪姦(まわ)されるならどの順番がいいか」

 だとか、兄の頭の痛くなるような話を始めたので、ぼくはカシスオレンジを一気に飲み干した。 


「学校で、いつもそんな話してるのか」 

 と尋ねると、 

「うん、そうだよー」 

 と返事がかえってきた。 


 妹が通っているのは有名私立の女子校だ。ぼくが通っていた共学の高校と女子校は違うと噂には聞いていたけれど、はじめてぼくは女子校は怖いなと思った。 


「でもやっぱり麻衣は、ロバートの秋山の顔にはちみつを塗って食べたいな」 


 何がやっぱりなのかさっぱりわからない。 


 かと思えば妹は、 


「お兄ちゃん、麻衣お風呂入る」 


 と言って、またぼくの目の前で服を脱ごうとするのだ。 


 酔っていたせいだろう。 


 妹が服を脱ぐのをぼくはぼんやりと眺めて見ていた。 



 母の好きだった七色の花弁をもつ花が見えた。 

 妹の背中にそのタトゥーのようなものがあるように見えた。 

 奇妙なのは七枚の花弁のうち三枚の色がないことだった。 

 妹がこちら側にやってきて丸二日が過ぎていた。今日は3日目だ。 

 まさかな、とぼくは思った。


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