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スピンオフ 二代目花房ルリヲ「イモウトパラレル」

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 我らが文芸部の部室は六畳半ほどの、アパートのぼくの部屋とそう変わらない広さで、南側に窓がひとつある。

 東と西の壁には大きな本棚があり、創部何十年になるのかは知らないが、少なくとも学生運動が盛んだった1960年代からの部費で作った文芸誌が並んでいる。

 窓の前には大きなテーブルがあって、テレビがあり、何故かプレイステーション2とセガサターンがある。入り口付近、ぼくたちの足元には、また誰か部室で一晩明かしたのか、寝袋がふたつ転がっていた。 


 空気の読めない男子部員たちの空気の読めない自己紹介はまだ続いていた。 

「エントリーNo.3 花柳宗也です」

 何にエントリーしているんだ、この馬鹿な後輩は。 

「ぼくの趣味はコスプレですね。V系バンドのコスとかよくしてます。
 それからメイド服とかも何着か持ってて、自分でメイド服着たりすることもあります。
 あ、その写メ見ます? 部長とかにも見せたんですけど、結構ぼくのメイド服姿かわいいって評判なんですよ」 

 そう言って花柳は、携帯電話を取り出すと、メイド服姿の自分の写メを妹に見せようとしたので、ぼくはその携帯を蹴りあげた。 

「あ~ぼくのメイド服姿がー」 

 そこは普通、ぼくの携帯が、だろう。 

 なんとコメントしていいやら何も思いつかなかったけれど、解説役を買って出てしまった以上、解説しないわけにはいかない。 

「えっと、V系っていうのは所謂ビジュアル系のことで、それからメイド服とかは大体2~3万でコスパっていうコスプレ衣装専門店なんかで買えたりするの。あと通販とかでも」 

 ぼくのオススメはキャンディフルーツという通販のサイトで、そこだとメイド服からナイトウェアまで結構手ごろな値段で買えて、それも結構きわどいのが多くて、ぼくも彼女ができたら何着か買って着せたいなーなんて思ってるんだけど。とは、さすがに妹には言わなかった。 

「男でもときどき花柳みたいにメイド服着たりしてる人がいて、ときどき大須でひとりそういう人見かけたりするよ」 

 妹は唖然とした表情で花柳を、ぼくを見ていた。 


「エントリーNo.4!」 

 自己紹介はまだまだ続く。 

「神田透です! 趣味はアニメとテレビゲームと、あと最近はメイドカフェとかコスプレカフェめぐりにハマっています。
 今度の水曜にもコスプレカフェに行くんですけど、あと4000円でポイントカードがMAXになるので、今度行ったらポイントがMAXになりそうです。
 貯まったら店員さんたちと記念撮影ができるのでしてもらおうと思っています。
 ゆうべはここに花柳と泊まりこんで、さっき部長たちが来る前までは、ふたりで戦国武将になりきって数百人くらい人を斬ってました」 

「それって戦国無双だっけ?」 

 ぼくが尋ねる。 

「あ、いや、戦国バサラのほうです。
 カプコンだから無双みたいにリアル路線じゃなくてアニメっぽい感じで、女の子が特にかわいいんですよ」 

 神田はヌヘへといやな笑顔を浮かべ、ぼくは慌てて妹がその顔を見ないように目を手で覆った。 


 部長たちはいつのまにか両手で耳を塞いでしまっていた。 


 そういえば、夏に漫研の女子部員たちと合コンしたときもこんな感じで全員撃沈したんだよなぁ、そう思いながら、ぼくはきっと遠い目をしていたと思う。 


「加藤くん、何でそんな死んだ人を懐かしむような顔をしてるの?」 

 部長に言われてしまった。 

 そんな顔をしていたらしい。 


「佐野教授の民俗学の講義、今日も出るんでしょ?」 

 ぼくはうなづいて壁の時計を見た。いつの間にか十時半になっていた。 


「麻衣」 

 ぼくは妹の名前をそのときはじめて呼んだ気がする。 

「お兄ちゃんちょっとこれから講義だから、お姉さんたちに遊んでもらってなね」 

 男どもの存在を無視してぼくは言った。 


「ねぇ、麻衣ちゃん何して遊ぶ?」 

「トランプとかオセロとか、人生ゲームもあるよ」 

「お嬢さん、ぼくと人を斬らないかい?」 

「神田は黙ってろ」 


 うーんとね、妹は少し考えた後で、 

「お兄ちゃんが書いた小説が読みたい」 

 と言った。 


 ぼくの妹は、とてもかわいい。 





 ぼくの通う大学には、在籍する学部の講義以外に、申請さえ受理されれば他学部の講義を受講できる制度がある。 

 法学部や心理学部のぼくと部長が、文学部の講義である民俗学を選択できたのは、その制度を利用しているからだ。 

 ぼくは父の小説の影響から都市伝説に興味を持ち、この講義を選択したのだけれど、どうやら部長も同じ動機らしかった。 

「花房ルリヲ、また小説書き始めたんだってね」 

 そう、とぼくはあまり興味なさそうに答える。よく知ってるな、と感心した。 

 彼女はぼくの父親の小説の熱心な読者だった。 

「ミクシィニュース見てないんだ? そういえばもう丸二日ログインしてないよね」 

 ミクシィは部員たち全員が登録していて、全員がマイミクシィだ。

 文芸部のコミュニティまである。

 ぼくも以前は熱心に日記を書いたりコミュニティのトピックに書き込みなんかをしていたけれど、最近はニュースや天気予報をチェックするくらいしか利用していなかった。特にこの二日間はそんな暇などなかった。 


 ニュースの仕掛人はおそらく要さんだろうけれど、それにしてもミクシィのニュースになるくらいには、父の再起にはまだ話題性があるということにぼくは少し安堵した。


「考えられない執筆のペースだそうよ。復帰一作目は六時間で書き上げたんですって」

 それは知ってる。父さんは要さんに六時間待つように伝えてくれとぼくに言ったから。 

「休まず次々新作が書かれて、編集者が読むのが追い付かないそうよ」 

 過労で倒れたりしなきゃいいけど、とぼくは思った。 


 父の小説は、来月から毎月一冊ずつ発刊されるそうだ。

 やっぱり才能ある人はすごいわね、と部長は言った。

 部内で小説をコンスタンスに書いているのは、ぼくと部長くらいなのだけれど、部長はおもしろい小説を書くのだけれどとにかく筆が遅い人だった。

 ぼくも筆は遅い方だけれど、それでも一年に何本かは小説を書き上げる。

 部長は一年がかりで一本書き上げることができるかできないかというくらい遅筆なのだ。

 だからぼくたちが入部してから三度文芸誌を作っ たけれど、部長の小説が乗っているのは一冊だけだ。 


「小説家、ならないの? 部長、才能あるのに」 

 ぼくは彼女の書く小説がとても好きだった。

 彼女が使う繊細な言葉たちは、脆く儚げな彼女自身だという気さえした。 

「なれないわよ、きっと。でも加藤くんはなりなさいよ。才能、あるんだから」 

 ぼくたちは、民族学の講義だけいつも隣同士に座る。 


 チャイムが鳴ってしばらくすると、どう見てもAV監督にしか見えない、サングラスをかけた教授がやってくる。 

 佐野友陽教授は、民俗学の権威である、あの柳田國男翁の孫弟子にあたるらしい。 


「さて、今日は皆さんに、神隠しについてお話し致しましょう」 


 神隠し。 

 神隠し(かみかくし)とは、人間がある日忽然と消えうせる現象である。 

 古来、神域である山や森で、人が行方不明になったり、街や里からなんの前触れも無く、失踪することを指した。現代でも、唐突な失踪を現す際に用いられる場合がある。


「柳田國男の説によれば、神隠しに遭いやすい気質、なるものがあり、彼はその気質を秘めていた、ということですが、皆さんの中に、神隠しに遇ったことがある人はいませんか?」 


 冗談で手を上げる学生が、後ろの方のぼくたちの席からはよく見えた。 


「もちろん、この中にいるはずがありません。
 今日お話するのは、なぜこの中に神隠しに遭ったことがある者がいないのか、についてです。
 皆さんは、花房ルリヲという作家をご存じでしょうか」 

 どきりとした。まさか教授の口から父の名が出るとは思いもよらなかったからだ。 


「15年ほど前に都市伝説を題材にしたミステリー小説で一世を風靡した小説家です。
 最近、また作家としての活動を再開したということですが、彼の15年前に筆を折るきっかけとなった最後の小説が実に興味深いのです」 


 部長も驚いたらしく、小声で「花房ルリヲだって」と嬉しそうに言った。 


「花房ルリヲは、当時の人気女優内倉綾音と結婚し、一児の男子をもうけます」 

 ぼくのことだ。 

「しかし、二児の出産の際に内倉綾音は母子ともに死亡してしまうのです。
 その後まもなく花房ルリヲは一冊の小説を発表します。
 それは、死んだ妻が、妻が死なずにすんだ世界から、彼のもとにやってくる、というものでした。
 文壇では、女優内倉綾音の死が作家花房ルリヲを殺したと酷評され、以来15年彼は筆を絶つことになりました。
 この小説、現在絶版になっておりまして、書店では手に入りません。
 だから私、昨日この大学の図書館に借りに行きました。
 そうしたらなんとさっき学生が借りて行ったばかりだと言うではありませんか」 

 これまた、ぼくのことだ。なんだか嫌な予感がした。 

「幸い、その本を借りた学生が誰かということも、この講義を受講している学生であるということもわかっていますので」 

 冷や汗が背中をつつつと流れ落ちていくのがわかった。 

「加藤くん、どうしたの。顔、青いわよ。まさか教授が今話してるのあなたのことじゃないわよね」 

 ぼくのことです。 


「加藤学くん」 

 教授がぼくの名前を呼んだ。

 まさか花房ルリヲに続いて、ぼくの名前が呼ばれることになるとは思いもよらなかった。 


「加藤学くん。どこですか。立ってもらってもいいですか」 


 ぼくはしぶしぶ、重い腰をあげる。 


「あぁ、よかった。お休みだったらどうしようかと思いましたよ。
 今、持っていますよね。ちょっとこちらまでその本、持ってきてはもらえませんか。
 なに、講義が終わればお返ししますから」 

 ぼくは言われるがまま、鞄から父の最後の小説を取り出して、教授のもとへ向かった。 

 クスクスと学生たちの笑い声が聞こえ、ぼくは恥ずかしさでいっぱいになる。 

 ぼくはいそいそと教授のもとを後にした。 

「ありがとう。これでやっと講義を進めることができます」 

 席に戻ると、部長まで笑っていた。 


「文壇では酷評されたこの小説は、私ども民俗学者にとっては非常に興味深いある学説が示された貴重な一冊であったのです。
 死んだ妻が、妻が死ななかった世界から彼のもとに訪れる。
 この小説は、さきほどお話しした通りの内容ですが、死んだ妻をA、彼のもとを訪れた妻をA′としましょう。
 A′は一体どのようにして、自分が死んだ世界へ迷いこんだのか。
 今日の講義が何についての講義であるのか覚えてらっしゃれば、もう大半の皆さんはご想像がついてらっしゃるかと思いますが」 

 教授はコホンと咳払いをし、 

「神隠しです」 

 と告げた。


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