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スピンオフ 二代目花房ルリヲ「イモウトパラレル」

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 父は長年使われることのなかった書斎へと篭った。 

 筆を絶っても、私の頭の中では次々と物語が生まれてくる。この15年、それらを私が書くことはなかったけれど。六時間待ってくれたら小説を一本渡すと要さんに伝えておいてくれ。 

 父にぼくにそう言った後で、今夜は要さんにも泊まってもらいなさい、と言い、それから、 


「ありがとう」 


 と、妹に言った。

 母さんと君があちら側が存在する、君がいまこちら側にいる、私の最後の小説はけっして私の個人的な妄想などではなかった、それだけで私はまた物語をつむぐことができそうだよ、とうれしそうに笑った。 


「学には父親としてみっともない姿を見せ続けてしまったな、すまない」 

 ぼくは、いいよと笑い返した。 

 これから父が父親らしいところを見せてくれる。

 花房ルリヲとしてまた小説を書いてくれる。

 それがぼくには嬉しかった。 



 要さんを待つ間、ぼくと妹は客室に要さんのための布団と枕を用意した。 


「麻衣はどうする?」 

「お兄ちゃんの部屋のベッドでいい」 

「じゃあ、ぼくの分の布団を床に敷かなきゃいけないな」 

「いっしょに寝ればいいじゃない。兄妹なんだから」 


 それもそうか、とぼくは一瞬思ったけれど、それではぼくは一睡も出来なさそうだとすぐに気付き、床に布団を敷いた。 

 小一時間ほどでやってきた要さんにぼくは父が今書斎で小説を書き始めていること、麻衣がぼくの妹であること、母が死なず妹が生まれてくることが 出来た世界「あちら側」が存在するということ、妹はあちら側からこちら側に迷い込んでしまったこと、要さんの鞄に忍ばせた父の小説は妹といっしょにあちら側からもたらされたものだということを話した。 


 要さんは信じられないという顔をしていたが、かけっぱなしになっていたDVDに目をやると、 

「このDVDは?」 

 と、ぼくに尋ねた。 


「それもあちら側からこちら側にもたらされたものです。あちら側の『ぼく』はドリーワンで作家としてデビューして、あの小説を映画化することで監督としてデビューもしています」 


 要さんは食いいるように画面を見つめながら、確かに先生の奥さんだ、と画面に映る主人公の母親を見て言った。 

 そして妹からいろんな話を興味深そうに聞いた後で、 


「会社に先生の活動再開を連絡しなくちゃ」 

 と言って席を立った。帰るのが明日になることも妻に伝えなくちゃいけない、先生は六時間で一本書き上げると言ったんだよね。これからどれくらいのペースで書いてくれるんだろう。キャンペーンとかも考えなきゃいけないな。ああもう忙しくなりそうだなぁ。 

 言葉とは裏腹に要さんは嬉しそうだった。 

 要さんは15年も父を待ってくれていたのだ。無理もないなとぼくは思った。 


 要さんが席を立った後で、 

「麻衣、あの人苦手」 

 と、妹は言った。 


 そういえば、妹は要さんにはじめて会ったとき、ぼくの背中に隠れるようにしていた。

 要さんを知らないのだろうか、と思ったけれど、そんなことが あるだろうか。

 あの人ははじめから父の小説の一番のファンでいてくれている。

 そんな人が父の担当を外れるなんてことがあるだろうか。 


 ぼくはあちら側の要さんが今どうしているのか、妹に尋ねてみることにした。 


 要さんは今から5年ほど前に父の意向から父の担当から外されたらしい。

 その後は、マンガ編集部へと回され、勝手の違うその部署でも彼の編集者としての手腕はしっかりとふるわれて、若手のマンガ家を何人か億万長者に仕立てあげたのだという。

 その後は会社を退社し、マンガ原作者として、評論家として成功し、今では大学で教鞭をふるうほどにまで成功しているそうだ。 

 それは喜ばしいことだと、あちら側の要さんの成功をぼくは心から祝福した。


 しかし父の意向で父が担当から外されたというのがどうにもひっかかった。 


「麻衣ね、小学5年のとき、あの人にいたずらされたの」 

 妹は言いづらそうに目を伏せてそう言った。 

 ぼくは耳を疑った。 





 裏切られた気がした。 

 ぼくは妹を要さんから遠ざけたい一心で居間に戻った彼と入れ替わるように家を出た。 

「あれ、もう帰るのかい」 

 要さんは不思議そうにぼくを見つめ、ぼくはたぶん不審そうに彼を見ていたのだろう。 

「なんか悪いことしちゃったかな」 

 ばつが悪そうに言った。 


 ぼくには要さんが妹にいたずらをするような人には思えなかった。

 けれど、震えながらいたずらされたことを告白した妹が嘘をついているようにも思えなかった。 


 あの小説のこと、映画のこと、妹のことをもっと要さんにも聞いてもらうつもりだった。

 要さんなら親身になってくれる気がしていた。

 小説を書かなくなった父の代わりの、ぼくの親代わりのような人だった。 


 だけどもう信用できない。 


 妹を要さんに会わせるのはこれっきりにしよう。


 ずっとぼくがそばについていてやろう。たったひとりの妹なのだから。 

 ぼくたちは停留所でバスを待ち、しばらくしてやってきたバスに乗り込んだ。 


「お父さんに帰るって一言言った方がよかったかな」 

「父さんは書き始めたら、誰の言葉も耳に入らないくらいになるって聞いたことがあるから」 


 要さんから聞いた話だ。 


 そんな父が原稿を仕上げるのを待つ間に、要さんは妹にいたずらをしたのだろうか。

 母は何をしていたのだろう。買い物にでも出かけていたのだろうか。 

 バスが動き始めると、すぐにぼくたちの家は見えなくなった。 

 妹は、見慣れないMP3プレイヤーを鞄から取り出すと、北欧のデザインなの、アソノミカっていうのよ、と言って首にかけて、

「お兄ちゃんも聴く?」

 イヤホンを妹の左耳とぼくの右耳にねじこんだ。 


 流れてきたのは、聴き覚えのある歌詞だった。 



   コスモの電波 受信して るみ子ははだしで 街を歩いた 
   コスモの命令 絶対だから るみ子ははだしで アキバ歩いた 

   無線機買って 電話を盗聴 偽造テレカで 公衆電話 
   携帯盗んで 売りに行く 

   アキバ アキバ アキハバラ 
   アキバ アキバ アキハバラ 

   コスモの電波 受信して るみ子とるみ男は 愛し合った 
   コスモの命令 絶対だから るみ男はるみ子の 首をしめる 

   苦しいるみ子 なすすべもなく スタンガンは おうちにわすれ 
   るみ男の両手が ぐいぐいしまる 

   コスモ コスモ コスコスモ 
   コスモ コスモ コスコスモ 

   コスモの電波 受信して るみ男はひとり ネットカフェ 
   コスモの命令 絶対だから るみ男はひとり ハッキング 

   コンビナートにヒコーキ墜落 全部 わたしがやりました
   コスモの意思には 逆らえぬ コスモの意思には 逆らえぬ 

   アキバ アキバ アキハバラ 
   アキバ アキバ アキハバラ 
   コスモ コスモ コスコスモ 
   コスモ コスモ コスコスモ 

   コスモの電波 受信して るみ男は極刑 もういない 




「変な歌でしょ。電波系カップルるみ子るみ男っていうの」 


 ぼくはその歌を知っていた。 

 ぼくが作詞し、度々ぼくの小説に登場する架空のインディーズバンド、バストトップとアンダーの楽曲だ。
 歌っているのは「ぼく」だった。 

 小説だけの表現にとどまらず様々な表現がしたくて、いつかバンドを組みたいと思っていた。

 時折小説を書きながら作詞をすることがあったけれど、それがあちら側ではバンドが組まれその歌詞たちに曲がついていた。 

 そういえば、ドリーワンではきぐるみピエロという曲がかかっていた。

 あれもぼくが書いた詞だ。 


「インディーズでは有名なんだよ。新進気鋭の作家がボーカルと作詞をやってるバンドなんてそうそうないもの」 

 妹は大嫌いな兄の話だというのに自慢げだった。 


「お兄ちゃんが作詞とボーカルを担当して」 

「作曲とギターは、シンゴマン?」 

 妹は目をぱちくりさせて、 

「どうして知ってるの?」 

 と訊いた。 

 ベースがナカムラ、ドラムと編曲はロリコ。

 ギターのシンゴマンは楽譜が読めないくせに次々と天才的な楽曲を書き上げ、それにロリコがベースやドラム、ピアノを入れて編曲する。 

 ぼくが少女ギロチンという小説で設定したバンドメンバーだ。


 あちら側の「ぼく」は自分が書いた小説の通りにバンドメンバーを集め、名前と役割を与えているのだ。

 やりたい放題だなとぼくは思った。

 才能に恵まれた者にはどんなことも許されるのだ。 


 予想外だったのは、 

「ロリコっていうのは麻衣だよ」 

 妹もバンドメンバーだったことだった。

 なぜか自慢げだったのはそういうことかとぼくは納得した。 


「なんだ、仲が悪いって言ってたけど、うまくやってるんじゃないか」 

「表面上はね」 

 あちら側の「ぼく」は妹のことを馬鹿にしていて、都合のいいときに利用するだけ、妹が昨日ぼくに教えてくれた。 

 妹を映画に出したのも、バンドメンバーに加えたのも、都合よく妹を利用しているだけ。


 本当にそうだろうか。 


「麻衣ね、お兄ちゃんのこと大嫌いだけど、お兄ちゃんが作るものは好きなんだ」 

 妹は本当は「ぼく」と仲良くしたいのかもしれない、とぼくはそのときそう思った。


「お兄ちゃんが麻衣のお兄ちゃんだったらよかったのに」 

 福祉バスが駅につく。


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