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スピンオフ 二代目花房ルリヲ「イモウトパラレル」
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弥富市にある実家まで片道四時間。
ぼくの下宿先のアパートからはまず大学前でバスに乗り、藤が丘の駅で地下鉄東山線に乗る。
数年前の万博に訪れた人達がリニモと名付けられたリニアモーターカーに乗ったあの駅だ。
名古屋駅で近鉄に乗り換え、急行に乗れば、ふたつ目の駅が弥富駅だけれど、ぼくと妹は鈍行の電車に乗った。
近鉄の赤い電車を見て、妹は懐かしいね、と言った。ぼくは昨日乗ったばかりだ。
「弥富には映画館がなかったから小さい頃はふたりでよく名古屋まで映画を見に来たよね。
お兄ちゃんは怪獣映画が大好きで」
「ゴジラよりもガメラが好きだった」
「そうそう!」
平成ガメラ三部作は傑作だった。
ぼくには妹といっしょに映画を観た記憶などあるわけがなかったけれど、会話はちゃんと成立していた。
「高校生になっても怪獣映画見てたよね」
「釈由美子のゴジラ対メカゴジラは傑作だよ。それから」
「大怪獣東京に現るでしょ。吉本興業が作った怪獣が出てこない怪獣映画」
ぼくたちはひとしきり怪獣映画の話題に花を咲かせた後で、ぼくは妹に、この世界が妹が産まれなかった世界であること、妹が何らかの理由によって こちら側に迷いこんでしまったことを話した。
妹は口をぽかんと開けて、半信半疑といった様子、というよりはまるっきりぼくの話を信じていない様子だった。
だからぼくは大学前でバスに乗る前に図書館に寄って借りた本を、妹に差し出した。
花房ルリヲ著「アヤネ、パラレル」。
こちら側の父の、作家生命を絶った最後の小説は、大学の図書館にあった。
「何これ。お父さんの本、麻衣は全部読んでるはずなのに、この本のこと知らない」
妹はそう言いながら表紙をめくった。
ぼくはその本が、父が最愛の妻内倉綾音と産まれてくるはずの娘を同時に失ってまもなく書いた小説だと説明した。
妹が生まれることが出来た世界では書かれなかった小説だ。
「芹菓も雪も麻衣のこと知らなかった。
お兄ちゃんも最初麻衣が誰だかわからなかった。
学校にも麻衣の籍はなかった」
そっか、なんだ、そういうこと、だから麻衣、誰からも忘れられちゃってたんだ、ううん、だから誰も麻衣のこと知らなかったんだ。妹はパラパラと本をめくり、
「麻衣はお兄ちゃんの話信じるしかないんだよね」
と言った。
「死んじゃったお母さんが、死ななかった世界からお父さんを訪ねてくる、こちら側のお父さんが書いた小説とそっくり同じに麻衣が今ここにいるんだね」
自分がこの世界に存在しないということを知るのは一体どんな気分だろう。
ぼくは少し残酷だったかもしれない。
「ごめんね」
と、ぼくは言って、妹の頭を撫でた。
弥富駅から市営の福祉バスに乗って、終点で降りる。それからしばらく歩くとぼくの家だ。
百坪ほどの、広いけれど安い土地に、ぼくが生まれた頃は小さな家があり、父と母の車を停めるだけの割には不必要に大きい車庫があった。
もうすぐ妹が生まれるとわかった父は、その車庫を壊し家を増築した。
やっぱり不必要に大きかったらしい。
もともとあった家は青い屋根瓦をしていて、増築された方はなぜかオレンジの屋根をしていた。
不恰好な家だった。
結局妹は生まれてくることができず、母は死に、残された父とぼくは十余年広すぎる家をもてあましていた。
今では父がひとりその家をもてあましている。
客が来るのは一ヶ月に一度きり。
要さんだけだ。
要さんというのは、昔から父の担当をしている編集者だ。
どの出版社からも見限られた父に、今でも仕事を持ってきてくれる唯一の人だった。
父は断り続けてきたけれど。
それでも彼は諦めず月に一度必ず東京にある出版社からわざわざ父を訪ねてやってくる。
学くん、たぶんぼくは君のお父さんの小説の一番のファンなんだ、先生の小説が読みたいから何度でも足を運ぶつもりだよ。最後に会ったとき彼はそう言っていた。
ぼくも同じ気持ちです、とぼくは彼に返事をしたのを覚えている。
ぼくが父と同じ小説家の道を志そうとしたのは、父だけでなく彼という編集者の存在も大きいと思う。
要さんは、父の代わりにぼくにいろいろなことを教えてくれた。
例えば、出版社の一般的な対応についてだ。
通常、新人賞の応募作品は、下読みと言って編集者がまず読むということ。
しかし、ほとんどの作品は最初の10ページくらいしか読まれないということ。
そこまででおもしろくなければ、それで終わり。
最後まで読んでもらえる作品はごくわずかであるということ。
そして、最後まで読まれた作品の中で、おもしろかったのものだけが、選考委員に回されるということ。
つまりは、最初の10ページで、その小説が何を狙っているかということを、プロの編集者にすべて伝えなくてはいけないのだ。
もちろん、素人の読者にはわからない書き方で、だ。
小説家ではなく、編集者の視点から語られる小説の話は、時に残酷だけれど興味深いものばかりだった。
父がまだ小説家志望の一学生であった頃、要さんは新人賞に応募されてきた父の小説の、最初の10ページに心を奪われ、最後まで読みきったそうだ。
選考委員が父の小説に賞を与えなかったとしても、父の小説をどんな手を使っても出版するつもりだったと彼はぼくに教えてくれた。
選考会の頃はね、いつも辞表を持ち歩いていたんだよ、と彼は笑った。
先生となら、作家と編集者がまだ誰もたどり着いたことがないような場所へ行ける、ぼくはそう思っていたから ね、賞が与えられなければ会社をやめて先生といっしょにいろんな出版社をまわるつもりだった、結局先生は大賞をとって、その後はぼくが先生の担当になれる ようにいろんな方面に根回ししたんだよ、嬉しそうに彼は教えてくれた。
いつかもし、ぼくが、あちら側の「ぼく」のように作家になることができたなら、要さんのような編集者についてほしい、ぼくは父を訪ねてくる彼を見る度にそう思う。
「それじゃ先生、また来ます」
ぼくたちが家に着いたとき、要さんはちょうど帰るところだった。
父はもう家に引きこもってしまったのに、深々と頭を下げ続ける要さんに、
「こんにちは、要さん。おひさしぶりです」
ぼくは声をかけた。
「やや、学くん。ひさしぶりだね。大きくなって」
「いや、背は伸びてないです。高一からずっと。163センチのままです」
「そういう意味じゃないよ、もう」
父と同じ年のはずなのに、要さんは随分若く見える。
妹は、要さんを知らないのか、管理人さんに会ったときのようにぼくの背中に隠れて、小さくこんにちはと言った。
「彼女かい? そうか、学くんもとうとう親御さんに女の子を紹介するようになったのか。
うんうん、やっぱり大きくなったなぁ。
それにしても、彼女さん、亡くなったお母さんにそっくりだね。
やっぱり男の子は母親に似た女の子を好きになってしまうものだよね。
うんうん、ぼくもね、恥ずかしい話3回離婚してるんだけど、あれ4回だったかな、妻はみんなぼくの母に似ていてねぇ……」
要さんはいい人だけれど、話し相手にしゃべる隙を与えてくれないのが玉に瑕だ。
「そうそう、学くんが送ってくれた大学の文芸部の雑誌読んだよ」
少し前、ぼくはあちら側では映画にまでなっている小説が載った文芸誌を要さんに郵送していた。ぼくは小説を書く度に要さんに送る。
「どうでした?」
要さんの評価は、誰よりも正しいからだ。
「ちょっと厳しいこと言うけど、いいかい?」
ぼくは黙って頷いた。
「ぼくは学くんの他の作品もいくつか読ませてもらってるけど、他の作品に比べると、ちょっとパワーが落ちている感じだね。
商業出版のレベルには、 残念ながら達していないね。言葉が、何を目的にしているのか、伝わらないものが多かったように感じるよ。
小説は詩じゃないから。
すべての言葉がストーリーを展開する上で、明確な意味を持って読者に伝わらなくちゃいけないんだ。
読者が理解しやすいことが重要なんだね。
作者の自己満足ではなく、どんな読者にでも、理解できるという言葉が、小説では大切なんだよ」
書き手であるぼくとしては、あの小説は今のぼくのすべてを出し切ったという自負があった。
今書いている、あるいは書き終えた一番新しい作品が最高傑作、小説を書く者なら誰もがそう信じて小説を書く。
ぼくもまたそうだ。
以前書いた小説たちより劣っている、というのはあまり聞きたい話ではなかったけれど、要さんが言うならそうなのだろう。
「さらに言えば、難解な表現は、それだけで価値を下げてしまいかねない。
例えば、ドリーが自分の指を挟みで切り落とすシーンがあったろう?
あの 意味がぼくにはまったく理解できなかったよ。あれは何を意図したものなんだい?
もしも、あのシーンがもしなかったとしたら、あの小説の価値が下がるのかい?
そういうシーンがあの小説にはあまりに多かった気がするよ」
要さんがぼくに厳しい言葉を並べるのは、ぼくの才能を多少なりとも評価してくれているからだ。
いつか文壇にデビューする日を心待ちにしてくれているからだ。
だからどんなに厳しい言葉を並べられても、ぼくはそれを真摯に受け止めることができる。
次の小説に生かすことができる。はじめて書いた小説を酷評されたときは、さすがに首を吊ろうかと考えたけれど。
小説を書くことはやめない。
ぼくは口下手で思っていることをうまく口では表現できないから。
小説の中でだけ、ぼくは饒舌に物語ることができるから。
こうしている今も、ぼくの頭は次々と物語を生み出している。
ときどき、それを小説にすることが追いつかないくらいに。
だけど、作家の道はまだまだ遠そうだ。
「次はどんな小説を書くんだい?」
「全寮制の高校を舞台に、誘拐された」
ぼくはちらりと妹を見て、
「誘拐された加藤麻衣が、事件後にM県の山奧にあるその学校に転入して、寮生活を送るというものです」
と、続けた。妹は、唇に指をあてて、わたし? と小さくぼくに訊ねる。
ぼくの小説には、必ずと言っていいほど、加藤麻衣という名の少女が登場する。
誘拐された少女として、あるいは誘拐されるはずだったのにされなかった少女として。
生まれてくることができなかった妹を、小説の中だけでも存在させたい、そんな思いからぼくは小説を書き始めた。
はじめて書いた小説は、ミッシングといって、誘拐された女子中学生加藤麻衣が、誘拐犯に言われるままインターネットにホームページを立ち上げて ネットアイドルを始める、というものだった。
ぼくは日記形式で小説のような文章を書き、それにネットで知り合った女の子の写真を添えて、その小説を本当に ネットアイドルサイトとして発表した。それなりにアクセスカウンタは回った。
その後は、モノクローンと呼ばれるクローン人間の観察日記を高校生の少女が夏休みの自由研究で書くとか、隔離病棟で人体実験の被験者として育てられた姉妹の往復書簡であるとか、その頃のぼくはなぜだか今ではもうすっかり廃れてしまったネットアイドルというものの新しい形を模索していた時期がある。
それらの小説の中心に、あるいは片隅にいつも加藤麻衣はいた。
「実はその学校には、全国各地から誘拐されたこどもばかりが──」
ぼくがこれまでに書いた小説たちを、いつか妹に見せてあげようとぼくは思った。
「その続きは、また書きあがったら読ませてよ。あ、そろそろバスの時間かな」
腕時計で時間を確認する要さんの隣で、ぼくは妹に耳打ちした。
妹は鞄から一冊の小説を取り出すと、それを気づかれないように要さんの鞄に入れた。
妹といっしょにこちら側に持ち込まれた、あちら側の父の小説の最新作だ。
父を見放さないでいてくれること、それからぼくに期待をしてくれていること、その感謝のつもりだった。
バス停へ向かう要さんをぼくたちは見送った。
ぼくの下宿先のアパートからはまず大学前でバスに乗り、藤が丘の駅で地下鉄東山線に乗る。
数年前の万博に訪れた人達がリニモと名付けられたリニアモーターカーに乗ったあの駅だ。
名古屋駅で近鉄に乗り換え、急行に乗れば、ふたつ目の駅が弥富駅だけれど、ぼくと妹は鈍行の電車に乗った。
近鉄の赤い電車を見て、妹は懐かしいね、と言った。ぼくは昨日乗ったばかりだ。
「弥富には映画館がなかったから小さい頃はふたりでよく名古屋まで映画を見に来たよね。
お兄ちゃんは怪獣映画が大好きで」
「ゴジラよりもガメラが好きだった」
「そうそう!」
平成ガメラ三部作は傑作だった。
ぼくには妹といっしょに映画を観た記憶などあるわけがなかったけれど、会話はちゃんと成立していた。
「高校生になっても怪獣映画見てたよね」
「釈由美子のゴジラ対メカゴジラは傑作だよ。それから」
「大怪獣東京に現るでしょ。吉本興業が作った怪獣が出てこない怪獣映画」
ぼくたちはひとしきり怪獣映画の話題に花を咲かせた後で、ぼくは妹に、この世界が妹が産まれなかった世界であること、妹が何らかの理由によって こちら側に迷いこんでしまったことを話した。
妹は口をぽかんと開けて、半信半疑といった様子、というよりはまるっきりぼくの話を信じていない様子だった。
だからぼくは大学前でバスに乗る前に図書館に寄って借りた本を、妹に差し出した。
花房ルリヲ著「アヤネ、パラレル」。
こちら側の父の、作家生命を絶った最後の小説は、大学の図書館にあった。
「何これ。お父さんの本、麻衣は全部読んでるはずなのに、この本のこと知らない」
妹はそう言いながら表紙をめくった。
ぼくはその本が、父が最愛の妻内倉綾音と産まれてくるはずの娘を同時に失ってまもなく書いた小説だと説明した。
妹が生まれることが出来た世界では書かれなかった小説だ。
「芹菓も雪も麻衣のこと知らなかった。
お兄ちゃんも最初麻衣が誰だかわからなかった。
学校にも麻衣の籍はなかった」
そっか、なんだ、そういうこと、だから麻衣、誰からも忘れられちゃってたんだ、ううん、だから誰も麻衣のこと知らなかったんだ。妹はパラパラと本をめくり、
「麻衣はお兄ちゃんの話信じるしかないんだよね」
と言った。
「死んじゃったお母さんが、死ななかった世界からお父さんを訪ねてくる、こちら側のお父さんが書いた小説とそっくり同じに麻衣が今ここにいるんだね」
自分がこの世界に存在しないということを知るのは一体どんな気分だろう。
ぼくは少し残酷だったかもしれない。
「ごめんね」
と、ぼくは言って、妹の頭を撫でた。
弥富駅から市営の福祉バスに乗って、終点で降りる。それからしばらく歩くとぼくの家だ。
百坪ほどの、広いけれど安い土地に、ぼくが生まれた頃は小さな家があり、父と母の車を停めるだけの割には不必要に大きい車庫があった。
もうすぐ妹が生まれるとわかった父は、その車庫を壊し家を増築した。
やっぱり不必要に大きかったらしい。
もともとあった家は青い屋根瓦をしていて、増築された方はなぜかオレンジの屋根をしていた。
不恰好な家だった。
結局妹は生まれてくることができず、母は死に、残された父とぼくは十余年広すぎる家をもてあましていた。
今では父がひとりその家をもてあましている。
客が来るのは一ヶ月に一度きり。
要さんだけだ。
要さんというのは、昔から父の担当をしている編集者だ。
どの出版社からも見限られた父に、今でも仕事を持ってきてくれる唯一の人だった。
父は断り続けてきたけれど。
それでも彼は諦めず月に一度必ず東京にある出版社からわざわざ父を訪ねてやってくる。
学くん、たぶんぼくは君のお父さんの小説の一番のファンなんだ、先生の小説が読みたいから何度でも足を運ぶつもりだよ。最後に会ったとき彼はそう言っていた。
ぼくも同じ気持ちです、とぼくは彼に返事をしたのを覚えている。
ぼくが父と同じ小説家の道を志そうとしたのは、父だけでなく彼という編集者の存在も大きいと思う。
要さんは、父の代わりにぼくにいろいろなことを教えてくれた。
例えば、出版社の一般的な対応についてだ。
通常、新人賞の応募作品は、下読みと言って編集者がまず読むということ。
しかし、ほとんどの作品は最初の10ページくらいしか読まれないということ。
そこまででおもしろくなければ、それで終わり。
最後まで読んでもらえる作品はごくわずかであるということ。
そして、最後まで読まれた作品の中で、おもしろかったのものだけが、選考委員に回されるということ。
つまりは、最初の10ページで、その小説が何を狙っているかということを、プロの編集者にすべて伝えなくてはいけないのだ。
もちろん、素人の読者にはわからない書き方で、だ。
小説家ではなく、編集者の視点から語られる小説の話は、時に残酷だけれど興味深いものばかりだった。
父がまだ小説家志望の一学生であった頃、要さんは新人賞に応募されてきた父の小説の、最初の10ページに心を奪われ、最後まで読みきったそうだ。
選考委員が父の小説に賞を与えなかったとしても、父の小説をどんな手を使っても出版するつもりだったと彼はぼくに教えてくれた。
選考会の頃はね、いつも辞表を持ち歩いていたんだよ、と彼は笑った。
先生となら、作家と編集者がまだ誰もたどり着いたことがないような場所へ行ける、ぼくはそう思っていたから ね、賞が与えられなければ会社をやめて先生といっしょにいろんな出版社をまわるつもりだった、結局先生は大賞をとって、その後はぼくが先生の担当になれる ようにいろんな方面に根回ししたんだよ、嬉しそうに彼は教えてくれた。
いつかもし、ぼくが、あちら側の「ぼく」のように作家になることができたなら、要さんのような編集者についてほしい、ぼくは父を訪ねてくる彼を見る度にそう思う。
「それじゃ先生、また来ます」
ぼくたちが家に着いたとき、要さんはちょうど帰るところだった。
父はもう家に引きこもってしまったのに、深々と頭を下げ続ける要さんに、
「こんにちは、要さん。おひさしぶりです」
ぼくは声をかけた。
「やや、学くん。ひさしぶりだね。大きくなって」
「いや、背は伸びてないです。高一からずっと。163センチのままです」
「そういう意味じゃないよ、もう」
父と同じ年のはずなのに、要さんは随分若く見える。
妹は、要さんを知らないのか、管理人さんに会ったときのようにぼくの背中に隠れて、小さくこんにちはと言った。
「彼女かい? そうか、学くんもとうとう親御さんに女の子を紹介するようになったのか。
うんうん、やっぱり大きくなったなぁ。
それにしても、彼女さん、亡くなったお母さんにそっくりだね。
やっぱり男の子は母親に似た女の子を好きになってしまうものだよね。
うんうん、ぼくもね、恥ずかしい話3回離婚してるんだけど、あれ4回だったかな、妻はみんなぼくの母に似ていてねぇ……」
要さんはいい人だけれど、話し相手にしゃべる隙を与えてくれないのが玉に瑕だ。
「そうそう、学くんが送ってくれた大学の文芸部の雑誌読んだよ」
少し前、ぼくはあちら側では映画にまでなっている小説が載った文芸誌を要さんに郵送していた。ぼくは小説を書く度に要さんに送る。
「どうでした?」
要さんの評価は、誰よりも正しいからだ。
「ちょっと厳しいこと言うけど、いいかい?」
ぼくは黙って頷いた。
「ぼくは学くんの他の作品もいくつか読ませてもらってるけど、他の作品に比べると、ちょっとパワーが落ちている感じだね。
商業出版のレベルには、 残念ながら達していないね。言葉が、何を目的にしているのか、伝わらないものが多かったように感じるよ。
小説は詩じゃないから。
すべての言葉がストーリーを展開する上で、明確な意味を持って読者に伝わらなくちゃいけないんだ。
読者が理解しやすいことが重要なんだね。
作者の自己満足ではなく、どんな読者にでも、理解できるという言葉が、小説では大切なんだよ」
書き手であるぼくとしては、あの小説は今のぼくのすべてを出し切ったという自負があった。
今書いている、あるいは書き終えた一番新しい作品が最高傑作、小説を書く者なら誰もがそう信じて小説を書く。
ぼくもまたそうだ。
以前書いた小説たちより劣っている、というのはあまり聞きたい話ではなかったけれど、要さんが言うならそうなのだろう。
「さらに言えば、難解な表現は、それだけで価値を下げてしまいかねない。
例えば、ドリーが自分の指を挟みで切り落とすシーンがあったろう?
あの 意味がぼくにはまったく理解できなかったよ。あれは何を意図したものなんだい?
もしも、あのシーンがもしなかったとしたら、あの小説の価値が下がるのかい?
そういうシーンがあの小説にはあまりに多かった気がするよ」
要さんがぼくに厳しい言葉を並べるのは、ぼくの才能を多少なりとも評価してくれているからだ。
いつか文壇にデビューする日を心待ちにしてくれているからだ。
だからどんなに厳しい言葉を並べられても、ぼくはそれを真摯に受け止めることができる。
次の小説に生かすことができる。はじめて書いた小説を酷評されたときは、さすがに首を吊ろうかと考えたけれど。
小説を書くことはやめない。
ぼくは口下手で思っていることをうまく口では表現できないから。
小説の中でだけ、ぼくは饒舌に物語ることができるから。
こうしている今も、ぼくの頭は次々と物語を生み出している。
ときどき、それを小説にすることが追いつかないくらいに。
だけど、作家の道はまだまだ遠そうだ。
「次はどんな小説を書くんだい?」
「全寮制の高校を舞台に、誘拐された」
ぼくはちらりと妹を見て、
「誘拐された加藤麻衣が、事件後にM県の山奧にあるその学校に転入して、寮生活を送るというものです」
と、続けた。妹は、唇に指をあてて、わたし? と小さくぼくに訊ねる。
ぼくの小説には、必ずと言っていいほど、加藤麻衣という名の少女が登場する。
誘拐された少女として、あるいは誘拐されるはずだったのにされなかった少女として。
生まれてくることができなかった妹を、小説の中だけでも存在させたい、そんな思いからぼくは小説を書き始めた。
はじめて書いた小説は、ミッシングといって、誘拐された女子中学生加藤麻衣が、誘拐犯に言われるままインターネットにホームページを立ち上げて ネットアイドルを始める、というものだった。
ぼくは日記形式で小説のような文章を書き、それにネットで知り合った女の子の写真を添えて、その小説を本当に ネットアイドルサイトとして発表した。それなりにアクセスカウンタは回った。
その後は、モノクローンと呼ばれるクローン人間の観察日記を高校生の少女が夏休みの自由研究で書くとか、隔離病棟で人体実験の被験者として育てられた姉妹の往復書簡であるとか、その頃のぼくはなぜだか今ではもうすっかり廃れてしまったネットアイドルというものの新しい形を模索していた時期がある。
それらの小説の中心に、あるいは片隅にいつも加藤麻衣はいた。
「実はその学校には、全国各地から誘拐されたこどもばかりが──」
ぼくがこれまでに書いた小説たちを、いつか妹に見せてあげようとぼくは思った。
「その続きは、また書きあがったら読ませてよ。あ、そろそろバスの時間かな」
腕時計で時間を確認する要さんの隣で、ぼくは妹に耳打ちした。
妹は鞄から一冊の小説を取り出すと、それを気づかれないように要さんの鞄に入れた。
妹といっしょにこちら側に持ち込まれた、あちら側の父の小説の最新作だ。
父を見放さないでいてくれること、それからぼくに期待をしてくれていること、その感謝のつもりだった。
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