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第二部 秋雨(あきさめ)
第17話
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少しだけ眠るつもりが、12時間も眠ってしまった。
夜だとわかったのは、部屋が真っ暗だったからで、明かりをつけると夜の八時だとわかった。
目を覚ましたのは、玄関のチャイムが何度も鳴っていたからで、チャイムを鳴らす人はあたしが家にいることをまるで知っているかのように、あたしがドアを開けるまでチャイムを鳴らし続けるつもりのようだった。
しかたなくあたしはリビングに備えつけられたインターフォン用の電話のようなものの受話器をとった。
それはテレビ電話のようになっていて、玄関に設置されたカメラが来客の顔を映し出すようになっていた。
「よかった。鬼頭さん、ご在宅ですね。要です」
要雅雪がそこにはいて、皇族のように手をひらひらさせていた。
「今日はどうされたんですか? 無断欠席されるなんて」
あたしは要の来訪にただ驚いていた。
「生徒が無断欠席した場合、担任はその生徒の家を訪ねるきまりなんです」
こんな時代ですからね、ご家庭で何が起こっているかわかりませんから、と要は続けた。
要をリビングに招き入れたあたしは、慣れない手付きでお茶を煎れ、要の前に差し出した。
「鬼頭さんのお宅を訪ねてくるのは二年ぶりになりますね」
お茶に一口、口をつけると要は言った。
「二年前、お祖父様に日本刀で斬りつけられたとき以来です」
要は笑った。
この男は一体何を言っているんだろうと思った。
一体何をしにやってきたんだろう。
「ぼくのことを覚えてらっしゃらなかったようですが、思い出して頂けましたよね。
昨日、夏目さんがぼくを呼び出したあの教室、鬼頭さんも小島さんや草詰さんといっしょにあの教室にいたのでしょう?」
あたしは要の言葉の真意がわからず、ただ黙ってうなづいた。
「夏目さんを拒絶するだけなら、あそこまでする必要はありませんでした。あの場にあなたがいたから、ぼくはあのような行動に出たのです。あなたに、ぼくが両親を殺した人間だと思い出してほしかった。そのためにああしたのです」
夏目メイと要の間に、彼女とナオのような繋がりはなかったけれど、
「あの子もそれが目的だったみたいですよ。先生のことが好きなふりをしてただけ」
くしくもふたりの思惑が同じであったことにあたしは苦笑した。
あたしの父は、鬼頭組の跡継ぎでありながら、大学で医学を学び医師をしていた。父は組を継ぐ気はないようだった。
ふたりが事故で死んでしまうなんてことさえなければ、あたしはお酒や母の遺した睡眠薬に溺れることはなかっただろうし、じいさんにヤクザ相手に体を売らされるようなことはなかったかもしれない。
「鬼頭さんが城戸女学園に編入してくると知ったときは同姓同名の別人だと思っていました。
だけど、あの日職員室にぼくを訪ねてきたのは、ぼくが命を奪ってしまったご夫婦のお子さんでした。
あなたはあのとき、何か強い遺志を秘めた燃えるような瞳をしていました。ぼくはあなたがぼくに復讐をしにきたのだと思いました。
しかしあなたはぼくのことを覚えてはいないようだった。ぼくにはそれがもどかしかった。だから、あなたに思い出してほしかった。
ぼくは三年前に生きる意味を失ってしまいました。今はもうどこにもいない、失ってしまった人のことを想い続けて、ただ生きているだけの存在です。
死ぬことも考えました。しかし首を吊り手首を切り、何度死のうとしてもぼくは死ぬことはできませんでした。あの事故でぼくだけが運悪く命をとりとめてしまったときから、ぼくは死ぬことすら許されないようなのです。
誰でもよかった、死刑になりたかった、そんな風に動機を話す無差別殺人者がこの国にはごろごろ転がっていますよね。自ら死ぬことができないなら、ぼくもいっそ彼らのように、死刑になるために、無関係な人々を殺そうと計画を立てたこともありました。でも、そんな大それたこと、ぼくにはできませんでした。
あなたに再会してから、あなたに殺されたいと思うようになりました。
だから今日、ぼくはあなたに殺されようと思って、あなたを訪ねてきたのです」
三年前の事故で両親の命を奪った対向車の運転手を憎んだこともあった。
けれど、仕方のなかったことなのだ。
事故は不慮のものだったし、要もまた最愛の人を失っている。
要に復讐をしようなんて思いはあたしにはなかった。
要はずっとひとりで許しを乞うてきたのだ。
そして許してあげられるのは、あたしだけなのだ。
あたしはそう思った。
だけど、どうしたら彼を許してあげることができるのだろう。
あたしは要雅雪にキスをしていた。
自分でも何故そうしようと思ったのかはわからなかった。
他に彼を許してあげる方法が見付からなかった。
舌をからめる濃厚なキスを終えて唇を離すと、あたしのものか要のものかわからない混ざりあった唾液が糸をひいた。
「どうして?」
と尋ねられて、
「何年ぶり?」
と尋ね返した。
「わからない。九年ぶりかもしれない」
と要は言った。
九年前と言えば、要が女子中学生を誘拐して愛し合った年だ。
「事故で死んじゃったお父さんの後妻の人としてたんじゃないの?」
あたしがそう言うと、要は首を横に振った。
「何もしてない」
静かな口調でそう言った。
「ぼくたちは愛し合ってはいたけれど、弥生さんは父さんに悪いからと言って何もしようとしなかった。何もさせてくれなかった。
ぼくは父さんがそばにいる限り、弥生さんは永遠にぼくのもとにならないだろうと思った」
だから、三年前のあの日、ぼくは弥生さんを連れて家を出た、嫌がる弥生さんを無理矢理助手席に乗せて、父が仕事で家を空ける数日の間に、父の手の届かないところまで弥生を連れて逃げようと思った、彼はそう続けた。
「ぼくは必死だった、弥生を手に入れるために。どこまで逃げれば父から逃れられるのかわからなかった。だからスピードを出しすぎて事故を起こしたんだ。
結局、父と弥生を引き離すことには成功したけれど、ぼくは永遠に弥生を手に入れることができなくなってしまった」
あたしはもう一度要にキスをした。
「ぼくは身勝手で、愚かな人間だ。だからどうか、そんなふうにぼくを許そうとしないでほしい。ぼくを憎んでほしい。殺したいほど憎んでくれて構わない。いや、いっそ、今、ここで、殺してほしい」
おあつらえむきに、ここには君のお祖父様がぼくを殺すつもりで斬りつけた日本刀がある、要はそう言って、あたしを押し退けて立ち上がると、壁にかけられた日本刀を手にとり、鞘から刀を引き抜こうとした。
だけど刀は抜けなかった。
「その刀はもう抜けないよ」
抜けたとしてもたぶん錆びていて使いものにならない。人は斬れない。
「二年前にじいさんが先生に斬りつけた後、血を拭かずに鞘にしまっちゃったから」
刀は世界最高の切味を誇る武器だと言われているけれど、同時にもっともデリケートな武器だった。
刀は人を斬った後で血をちゃんと拭き取らないといけない。時代劇みたいに刀を振るだけじゃ血は落ちない。刀についたままの血は、鞘の中で凝固して抜けなくなる。錆びてしまう。
「あたしはもう先生を恨んだりしてない。先生は確かにあたしの両親を殺したかもしれない。だけど先生も大切な人を失って、その罪にさいなまれ続けてる。先生もあたしも不幸な事故で大切な人を失っただけ。だから恨んだりしないよ」
要は力なく刀を落とした。
「だけど……」
あたしはもう一度先生の唇を奪って、彼が口にしようとした言葉を遮った。
「ねぇ先生、セックスしよっか?」
彼の耳もとでそう囁いた。
あたしにはそれ以外に彼を許してあげられる方法を、彼を孤独から救ってあげられる方法を知らなかった。
無理だよ、と要は言った。
「君も見ただろう、ぼくの体を、ぼくは事故で長時間下半身を圧迫されて、脚が潰れて両足の切断を迫られるほどの大怪我を負ったんだ。運良く切断せずに済んだけれど、性器は切断せざるをえなかった」
昨日放課後の空き教室で見た要の裸を、あたしはまるで天使のようだと思った。
「性器を失ったぼくの体はホルモンバランスが崩れて、男でも女でもない体になってしまった。性欲もなくなってしまった」
ぼくはもう誰かを愛することを許されてはいないんだ。
要は悲しそうにそう言った。
要は日付が変わる真夜中まであたしの家のリビングで泣き続けた。
「ぼくは生きていてもいいのか?」
「また誰かを愛してもいいのか?」
泣きながら要はあたしに何度もそう聞いて、あたしはその度にいいよと笑った。
「ぼくは人を殺したのに?」
泣きじゃくる要はまるでこどものようで、あたしは彼を抱き締めて何度も頭を撫でてあげた。背中をさすってあげた。
あたしは要にキスをした。
長い長いキスをした。
そして、彼を好きになってしまったかもしれないと思った。
だけど、いくらあたしが要を許しても、要はあたしを被害者遺族としてしか見ないだろうと思った。
だからあたしは、あたしを好きになればいいんだよ、と何度も口から溢れてしまいそうな言葉をぐっと堪えた。
要の車の助手席に乗せてもらって、あたしは組の事務所に向かった。
あたしが真夜中に出かけることを要は咎めなかった。
要が外国製の車のエンジンをかけると、カーステレオからラブスカイウォーカーズのアルバムが流れて、あたしは少し驚いた。
要はクラッシックやジャズが似合いそうな男の人だったから。
「意外かな」
要はそう言って笑った。
あたしたち女子高生の間で流行っているものの造詣を深めるのも教師の大切な仕事なのだと要は言った。
「仕事だと言ったけど、これは結構気に入ってるんだよ。
不特定多数の誰かを応援する歌とか、何のおもしろみもない他人の恋愛を歌ったラブソングを聞かされるよりずっといい」
要はそう言って、ヒットチャートを賑わせるような、売るためだけに作られたような曲に共感したり感動したりできる人間がうらやましい、と続けた。
「そんな風に生きられたら、どんなに楽だろうね」
そう言った。
あたしもずっとそう思っていた。
そんな風に生きることが、きっとフツーだということなのだとあたしは思った。
ラブスカイウォーカーズはそんなありふれた歌とは無縁の、思春期の女の子の不安定さとか、そういったものを物語性の強い歌詞で歌うバンドだった。
要は特別な人だ。
女子高生を中心に流行るものが大人たちに誉められることはまずない。
プロフやリアル、学校裏サイトに出会い系、ケータイ小説、プリクラ、古いものではたまごっちとか、大人たちはいつもそれがどんなものかよく知りもしないで眉をしかめるばかりで、マスコミが語る安直な言葉をまるで自分の言葉のように話し、あたしたちの流行を非難する。
大人たちは、こどもが人を殺したら、マンガやゲームのせいにすればいいと思っている節さえある。
大人たちの世界以上にこどもたちの世界が広大であることに、物事の本質を見ようとすらしない彼らが気付くことはけっしてなかった。
だからあたしたちの文化に興味を示す教師など皆無だと思っていた。
要のような教師だけが、あたしたちのことをわかってくれる気がした。
あたしたちは公然わいせつ罪で逮捕されたRYUの話を少しだけした。
あたしがリビングで12時間も眠っていた間に、RYUの尿検査と自宅の家宅捜索が行われ、尿からは覚醒剤の薬物反応が出て、自宅からは大量の覚醒剤が見付かったらしい。
覚醒剤を所持していた罪で、RYUは再逮捕され、他のメンバーのERIKAやreY、momoも覚醒剤を使用している疑いがかけられているそうだ。
「人気絶頂のガールズバンドもこれで終わりだね」
要が言って、カーステレオを止めた。
車がうちの組の事務所のそばに着くと、
「じゃあ、また明日学校で」
あたしたちはそう言って別れたけれど、要に会ったのはこれが最後だった。
あたしが城戸女学園に通うことはもう、なかった。
夜だとわかったのは、部屋が真っ暗だったからで、明かりをつけると夜の八時だとわかった。
目を覚ましたのは、玄関のチャイムが何度も鳴っていたからで、チャイムを鳴らす人はあたしが家にいることをまるで知っているかのように、あたしがドアを開けるまでチャイムを鳴らし続けるつもりのようだった。
しかたなくあたしはリビングに備えつけられたインターフォン用の電話のようなものの受話器をとった。
それはテレビ電話のようになっていて、玄関に設置されたカメラが来客の顔を映し出すようになっていた。
「よかった。鬼頭さん、ご在宅ですね。要です」
要雅雪がそこにはいて、皇族のように手をひらひらさせていた。
「今日はどうされたんですか? 無断欠席されるなんて」
あたしは要の来訪にただ驚いていた。
「生徒が無断欠席した場合、担任はその生徒の家を訪ねるきまりなんです」
こんな時代ですからね、ご家庭で何が起こっているかわかりませんから、と要は続けた。
要をリビングに招き入れたあたしは、慣れない手付きでお茶を煎れ、要の前に差し出した。
「鬼頭さんのお宅を訪ねてくるのは二年ぶりになりますね」
お茶に一口、口をつけると要は言った。
「二年前、お祖父様に日本刀で斬りつけられたとき以来です」
要は笑った。
この男は一体何を言っているんだろうと思った。
一体何をしにやってきたんだろう。
「ぼくのことを覚えてらっしゃらなかったようですが、思い出して頂けましたよね。
昨日、夏目さんがぼくを呼び出したあの教室、鬼頭さんも小島さんや草詰さんといっしょにあの教室にいたのでしょう?」
あたしは要の言葉の真意がわからず、ただ黙ってうなづいた。
「夏目さんを拒絶するだけなら、あそこまでする必要はありませんでした。あの場にあなたがいたから、ぼくはあのような行動に出たのです。あなたに、ぼくが両親を殺した人間だと思い出してほしかった。そのためにああしたのです」
夏目メイと要の間に、彼女とナオのような繋がりはなかったけれど、
「あの子もそれが目的だったみたいですよ。先生のことが好きなふりをしてただけ」
くしくもふたりの思惑が同じであったことにあたしは苦笑した。
あたしの父は、鬼頭組の跡継ぎでありながら、大学で医学を学び医師をしていた。父は組を継ぐ気はないようだった。
ふたりが事故で死んでしまうなんてことさえなければ、あたしはお酒や母の遺した睡眠薬に溺れることはなかっただろうし、じいさんにヤクザ相手に体を売らされるようなことはなかったかもしれない。
「鬼頭さんが城戸女学園に編入してくると知ったときは同姓同名の別人だと思っていました。
だけど、あの日職員室にぼくを訪ねてきたのは、ぼくが命を奪ってしまったご夫婦のお子さんでした。
あなたはあのとき、何か強い遺志を秘めた燃えるような瞳をしていました。ぼくはあなたがぼくに復讐をしにきたのだと思いました。
しかしあなたはぼくのことを覚えてはいないようだった。ぼくにはそれがもどかしかった。だから、あなたに思い出してほしかった。
ぼくは三年前に生きる意味を失ってしまいました。今はもうどこにもいない、失ってしまった人のことを想い続けて、ただ生きているだけの存在です。
死ぬことも考えました。しかし首を吊り手首を切り、何度死のうとしてもぼくは死ぬことはできませんでした。あの事故でぼくだけが運悪く命をとりとめてしまったときから、ぼくは死ぬことすら許されないようなのです。
誰でもよかった、死刑になりたかった、そんな風に動機を話す無差別殺人者がこの国にはごろごろ転がっていますよね。自ら死ぬことができないなら、ぼくもいっそ彼らのように、死刑になるために、無関係な人々を殺そうと計画を立てたこともありました。でも、そんな大それたこと、ぼくにはできませんでした。
あなたに再会してから、あなたに殺されたいと思うようになりました。
だから今日、ぼくはあなたに殺されようと思って、あなたを訪ねてきたのです」
三年前の事故で両親の命を奪った対向車の運転手を憎んだこともあった。
けれど、仕方のなかったことなのだ。
事故は不慮のものだったし、要もまた最愛の人を失っている。
要に復讐をしようなんて思いはあたしにはなかった。
要はずっとひとりで許しを乞うてきたのだ。
そして許してあげられるのは、あたしだけなのだ。
あたしはそう思った。
だけど、どうしたら彼を許してあげることができるのだろう。
あたしは要雅雪にキスをしていた。
自分でも何故そうしようと思ったのかはわからなかった。
他に彼を許してあげる方法が見付からなかった。
舌をからめる濃厚なキスを終えて唇を離すと、あたしのものか要のものかわからない混ざりあった唾液が糸をひいた。
「どうして?」
と尋ねられて、
「何年ぶり?」
と尋ね返した。
「わからない。九年ぶりかもしれない」
と要は言った。
九年前と言えば、要が女子中学生を誘拐して愛し合った年だ。
「事故で死んじゃったお父さんの後妻の人としてたんじゃないの?」
あたしがそう言うと、要は首を横に振った。
「何もしてない」
静かな口調でそう言った。
「ぼくたちは愛し合ってはいたけれど、弥生さんは父さんに悪いからと言って何もしようとしなかった。何もさせてくれなかった。
ぼくは父さんがそばにいる限り、弥生さんは永遠にぼくのもとにならないだろうと思った」
だから、三年前のあの日、ぼくは弥生さんを連れて家を出た、嫌がる弥生さんを無理矢理助手席に乗せて、父が仕事で家を空ける数日の間に、父の手の届かないところまで弥生を連れて逃げようと思った、彼はそう続けた。
「ぼくは必死だった、弥生を手に入れるために。どこまで逃げれば父から逃れられるのかわからなかった。だからスピードを出しすぎて事故を起こしたんだ。
結局、父と弥生を引き離すことには成功したけれど、ぼくは永遠に弥生を手に入れることができなくなってしまった」
あたしはもう一度要にキスをした。
「ぼくは身勝手で、愚かな人間だ。だからどうか、そんなふうにぼくを許そうとしないでほしい。ぼくを憎んでほしい。殺したいほど憎んでくれて構わない。いや、いっそ、今、ここで、殺してほしい」
おあつらえむきに、ここには君のお祖父様がぼくを殺すつもりで斬りつけた日本刀がある、要はそう言って、あたしを押し退けて立ち上がると、壁にかけられた日本刀を手にとり、鞘から刀を引き抜こうとした。
だけど刀は抜けなかった。
「その刀はもう抜けないよ」
抜けたとしてもたぶん錆びていて使いものにならない。人は斬れない。
「二年前にじいさんが先生に斬りつけた後、血を拭かずに鞘にしまっちゃったから」
刀は世界最高の切味を誇る武器だと言われているけれど、同時にもっともデリケートな武器だった。
刀は人を斬った後で血をちゃんと拭き取らないといけない。時代劇みたいに刀を振るだけじゃ血は落ちない。刀についたままの血は、鞘の中で凝固して抜けなくなる。錆びてしまう。
「あたしはもう先生を恨んだりしてない。先生は確かにあたしの両親を殺したかもしれない。だけど先生も大切な人を失って、その罪にさいなまれ続けてる。先生もあたしも不幸な事故で大切な人を失っただけ。だから恨んだりしないよ」
要は力なく刀を落とした。
「だけど……」
あたしはもう一度先生の唇を奪って、彼が口にしようとした言葉を遮った。
「ねぇ先生、セックスしよっか?」
彼の耳もとでそう囁いた。
あたしにはそれ以外に彼を許してあげられる方法を、彼を孤独から救ってあげられる方法を知らなかった。
無理だよ、と要は言った。
「君も見ただろう、ぼくの体を、ぼくは事故で長時間下半身を圧迫されて、脚が潰れて両足の切断を迫られるほどの大怪我を負ったんだ。運良く切断せずに済んだけれど、性器は切断せざるをえなかった」
昨日放課後の空き教室で見た要の裸を、あたしはまるで天使のようだと思った。
「性器を失ったぼくの体はホルモンバランスが崩れて、男でも女でもない体になってしまった。性欲もなくなってしまった」
ぼくはもう誰かを愛することを許されてはいないんだ。
要は悲しそうにそう言った。
要は日付が変わる真夜中まであたしの家のリビングで泣き続けた。
「ぼくは生きていてもいいのか?」
「また誰かを愛してもいいのか?」
泣きながら要はあたしに何度もそう聞いて、あたしはその度にいいよと笑った。
「ぼくは人を殺したのに?」
泣きじゃくる要はまるでこどものようで、あたしは彼を抱き締めて何度も頭を撫でてあげた。背中をさすってあげた。
あたしは要にキスをした。
長い長いキスをした。
そして、彼を好きになってしまったかもしれないと思った。
だけど、いくらあたしが要を許しても、要はあたしを被害者遺族としてしか見ないだろうと思った。
だからあたしは、あたしを好きになればいいんだよ、と何度も口から溢れてしまいそうな言葉をぐっと堪えた。
要の車の助手席に乗せてもらって、あたしは組の事務所に向かった。
あたしが真夜中に出かけることを要は咎めなかった。
要が外国製の車のエンジンをかけると、カーステレオからラブスカイウォーカーズのアルバムが流れて、あたしは少し驚いた。
要はクラッシックやジャズが似合いそうな男の人だったから。
「意外かな」
要はそう言って笑った。
あたしたち女子高生の間で流行っているものの造詣を深めるのも教師の大切な仕事なのだと要は言った。
「仕事だと言ったけど、これは結構気に入ってるんだよ。
不特定多数の誰かを応援する歌とか、何のおもしろみもない他人の恋愛を歌ったラブソングを聞かされるよりずっといい」
要はそう言って、ヒットチャートを賑わせるような、売るためだけに作られたような曲に共感したり感動したりできる人間がうらやましい、と続けた。
「そんな風に生きられたら、どんなに楽だろうね」
そう言った。
あたしもずっとそう思っていた。
そんな風に生きることが、きっとフツーだということなのだとあたしは思った。
ラブスカイウォーカーズはそんなありふれた歌とは無縁の、思春期の女の子の不安定さとか、そういったものを物語性の強い歌詞で歌うバンドだった。
要は特別な人だ。
女子高生を中心に流行るものが大人たちに誉められることはまずない。
プロフやリアル、学校裏サイトに出会い系、ケータイ小説、プリクラ、古いものではたまごっちとか、大人たちはいつもそれがどんなものかよく知りもしないで眉をしかめるばかりで、マスコミが語る安直な言葉をまるで自分の言葉のように話し、あたしたちの流行を非難する。
大人たちは、こどもが人を殺したら、マンガやゲームのせいにすればいいと思っている節さえある。
大人たちの世界以上にこどもたちの世界が広大であることに、物事の本質を見ようとすらしない彼らが気付くことはけっしてなかった。
だからあたしたちの文化に興味を示す教師など皆無だと思っていた。
要のような教師だけが、あたしたちのことをわかってくれる気がした。
あたしたちは公然わいせつ罪で逮捕されたRYUの話を少しだけした。
あたしがリビングで12時間も眠っていた間に、RYUの尿検査と自宅の家宅捜索が行われ、尿からは覚醒剤の薬物反応が出て、自宅からは大量の覚醒剤が見付かったらしい。
覚醒剤を所持していた罪で、RYUは再逮捕され、他のメンバーのERIKAやreY、momoも覚醒剤を使用している疑いがかけられているそうだ。
「人気絶頂のガールズバンドもこれで終わりだね」
要が言って、カーステレオを止めた。
車がうちの組の事務所のそばに着くと、
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