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第二部 秋雨(あきさめ)

第9話

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「先日、横浜港沖で16歳の少年の死体が、ドラム缶にコンクリート詰めにされた状態で発見されましてね」

 あたしたちが事務所に着いた頃、案の定、戸田ナツ夫は例の件でじいさんを事情聴取を始めていた。

 戸田は事務所に顔を出したあたしたちに一度だけ顔を向けるとすぐにじいさんに向き直った。

 あたしはこの戸田という刑事が苦手だった。

 二年前、警視庁は初めて誘拐事件の犯人とその被害者に対し、テレビ局のディレクターと称して刑事を送りこみ、インターネットで事件を実況中継する、新しい捜査方法を導入した。

 刑事が撮影した動画は、インターネットの動画投稿サイトの実在するテレビ局のチャンネルにリアルタイムにアップロードされ、事件は警察の手によって中継され、マスメディアはただそれを追い掛けるだけという奇妙な事件だった。

 警察とマスメディアの在り方が大きく変わる、まだ14歳だったあたしにそんな予感を感じさせる事件だった。

 警視庁のキャリアであった戸田はその事件を担当し、インターネット実況型捜査を提案、自らディレクターとして犯人に同行した刑事だった。

 事件は最悪の結末を迎え、戸田はキャリア組から脱落し、神奈川県警に飛ばされ、マル暴担当となったという話だった。


「少年の名は財前善信。
 夏に、緑南高校のバスケットボール部員全員が覚醒剤所持で逮捕される事件がありましたが、彼はそのひとりです。
 仲間うちで彼はyoshiと呼ばれていました」

 戸田は、淡々と説明した。

 やはり、あの男の子が麻衣の元カレだったのだ、とあたしは思った。

 あたしが戸田が苦手なのは、彼が一切、尋問する相手の目を見ないからだった。

 彼の目は、両手で握りしめる携帯ゲーム機のふたつの画面を交互に見つめており、事務所の中には、電子音が奏でる音楽や効果音が響いていた。

 いくら刑事でも、一般人が相手なら大抵の人間は尻込みしてしまうけれど、ヤクザ相手はそうはいかない。まともに相手をしていたら逆に尻込みさせられてしまう。

 まだ高校一年のあたしですら、夜自転車のライトをつけずに走っていて、「その自転車はお前のものか」と、威圧的に職質をかけてくる警官を尻込みさせるくらいのことはできる。

 それは元キャリア組の、いい大学出のおぼっちゃまが、ヤクザを相手にたち振る舞うために身に付けた彼独自の捜査方法だった。

 彼は話を続けた。

「yoshiが在籍したクラスに、おたくと敵対する夏目組の娘さんがいましてね、夏目メイと言うんですが、彼が所属していたバスケットボール部に覚醒剤を流したのは彼女ではないかという疑いがかかっています。

 バスケットボール部員は皆逮捕されましたが、一年生だった彼だけが証拠不十分ですぐに釈放されていました、しかし学校はすでに彼の退学を決めてしまっており、彼はおそらく夏目メイとかなり親しい間柄だったのでしょう、釈放されてすぐ、夏目組の構成員になっていました」


 戸田は抑揚のない声で淡々とそう話した。

「そして、十月のなかばのある日、彼はおそらく鉄砲玉として、この事務所に送りこまれた。
 鬼頭さん、あなたを殺すためです。
 しかし彼は残念ながら、あなたに銃弾ひとつ浴びせることもできずに返り討ちにあってしまった。
 彼の体からは無数の弾痕が発見されました。
 多くは貫通していましたが、いくつか体にめりこんだ弾丸を採取することができましてね、おたくの組が構成員に持たせている拳銃の銃弾と同じものだということがすでに判明しています。
 それから遺体の処理に使われたコンクリートですが、こちらもおたくの組が経営する鬼頭建設で使用されているものと成分が一致しました」


 戸田はそこまで話すと、折り畳み式の携帯ゲーム機をぱたんと音を立てて閉じた。

 顔を上げる。

「鬼頭さん、あなたがた、この少年を殺しましたね?」

 じいさんをまっすぐに見つめるその目は、ヤクザさえも尻込みしてしまうほどの凄みがあった。

 あたしがなぜ、彼が苦手かと言えば、その凄みだ。

 一見、マル暴担当など向いていないような外見や言動を見せながら、実は彼以上にこの仕事に向いている人間をあたしは知らなかった。

 体の震えが止まらなかった。

 戸田は、まるで失うものなど何もないという顔をしていた。

 自分の命さえ惜しくないかのように。

 マル暴担当の刑事は、危険が伴う仕事のため、常に拳銃を携帯している。

 戸田はかすかにだけれど左肩が下がって右肩があがっていた。

 背広の左の内ポケットに拳銃が入っているのだ。


 スーツの上からはわからないが、ヤクザがいつ自分に銃やナイフを向けても冷静に対処できるよう心身共に鍛えあげられているに違いなかった。

 一度銃を向けられたら、戸田は躊躇することなく、引き金を引くだろう。

「轟よぉ」

 じいさんがあたしの隣にいた轟を呼んだ。

 轟は一歩前に出ると、はっ、と返事を返した。

 じいさんはくわえていた煙草の、紫煙が出る、赤く700度の熱で燃える先で戸田を指し、

「この刑事が言ってることは本当か?」

 と、轟に訊いた。

 本当も何も、yoshiに襲撃されたのはじいさんだし、彼の死体を事務所に運び込んでから遺棄するまでの指示を出していたのもじいさんだった。

 じいさんの言葉に、あたしはすべてを理解した。

 それはじいさんが手駒をひとつ捨てる瞬間だった。

 あたしはじいさんがそんな風に将棋のように駒を捨てるのを何度も見てきた。

 捨てられた駒が組に戻ってくることはなかった。

 轟の番がやってきた、ただそれだけのことだ。


「くそじじい」

 だけどあたしにはそんな簡単に家族も同然の轟を見捨てられるじいさんが理解できなかった。

 唾をはきかけてやりたい気持ちで心がいっぱいになった。

「お前、そのなんとかってガキを殺して、鬼頭建設の若い奴にコンクリ詰め、やらせたのか?」

 鬼頭建設の若い奴?

 ひょっとしてナオやハルに死体損壊や死体遺棄の片棒をかつがせたんじゃ……。

 あたしはじいさんの言葉に寒気を覚えた。

 呆然と立ち尽くす轟の代わりに田所が一歩前に出た。

「頭、ガキを殺して、鬼頭建設にコンクリ詰めするように言ったのは私です」

 田所はこういう男だ。


 轟には家庭があり、田所にはそれがない。

 捨て駒には自分の方がふさわしい、田所はそう考えたに違いなかった。


「お前じゃねぇよ田所。お前にはまだ働いてもらわなきゃなんねぇんだからよ」

 だけど、田所はじいさんのお気に入りだった。

 轟といっしょにあたしの送り迎えなんかしてるから忘れがちだけれど、田所は組の様々な仕事をまかされていて、組のナンバー2といっても言い過ぎじゃなかった。

「なぁ轟、お前がやったんだよなぁ?」

 轟は震えていた。

「おっ、おっ、俺っ、俺はっ」

 唇が震えて、何かを言いかけても言葉にならない。

「どちらが犯人でもぼくは構いませんよ」

 戸田が言った。

「どなたかひとり差し出していただければ、この事件は解決ということになりますので」

 ヤクザの犯罪は、冤罪事件の宝庫だ。

 事件を真に解決するなら、あの男の子の殺害や死体遺棄に関わった者全員を逮捕しなければならない。

 それはつまり、組を潰すことを意味する。

 だけど警察にはそれができない。

 ヤクザと警察はもちつもたれつの関係で、戦前からずっとやってきたからだ。

 だからマル暴の刑事から持ちかけられた取り引きに、組が応じるかどうかで事件が表面上の解決を向かえるかどうかが決まる。

「なぁ轟、ほんとなら組のもん全員がお縄頂戴になるところを、お前ひとりで済ませてくれると、この若い刑事さんは言ってくれてんだよ。
 組のためなんだよ。
 何も死刑になるわけじゃねぇ。ガキひとり殺して海に棄てたくらいじゃ何年かブタ箱でクサイ飯食うだけだ。その間、お前の家族の面倒くらい見てやるさ。
 何年か我慢したらまたシャバに出てこられる。そしたらまた組に戻ってくりゃいい。お前のためにいい椅子を用意しといてやるよ」


 轟は何も言わず、両手を戸田に差し出した。

「つ、つ、妻と、と、む、娘をよ、よろし、くお願、いしま、す」

 轟は泣いていた。

 戸田は彼の両手に手錠をかけると、満足そうに笑った。


 轟を連行し、事務所を出ようとする戸田は、しかし入り口で足を止めた。

「そういえば鬼頭さん、そちらにいらっしゃるお孫さんが名門城戸女学園に編入されたとか」

 この刑事の恐ろしさには、その情報収集能力を加えてもいいとあたしは思う。

 あたしには、彼にはこの世界で知らないことなど何ひとつないという気さえしていた。

 この世界には、できれば見ずに済ませておきたいものや、知らなくてもいいこと、知ってしまったら後悔するようなことがたくさんあるけれど、戸田はその全てを無感情に、あくまで情報として収集しているように見えた。

 それが刑事というものなのかもしれない。

 あたしは彼に会うたびにいつも、彼に比べて自分がどれだけ何も知らないフツーの女の子であるかを思い知らされる。

「確か結衣さんでしたね、この度はおめでとうございます」

 戸田はあたしを見て、うっすらと笑みを浮かべながらそう言うと、彼はすぐにじいさんに向き直った。

「夏目さんのところの娘さんも、九月から城戸女学園に編入したと聞いていますが、お孫さんを彼女と同じ学校に通わせようと思ったのは何故ですか?」

 じいさんにそう訊いた。

「ただの偶然だよ。わしは夏目のとこの娘が城戸女学園にいることなんぞ知らん。孫が編入したいと言ったから、田所にその手続きをさせただけだ」

 編入の手続きをしてくれたのは田所と轟のふたりだったけれど、じいさんの中ではもう轟はいないことになっていた。

 じいさんが言ったのはもちろん嘘だった。

 じいさんは夏目の娘が城戸女学園に編入したことを知っていたし、じいさんの命令であたしも城戸女学園に編入したのだから。

 じいさんは嘘をつくとき、必ずする癖がある。

「鬼頭さん、あなたご自分では気付いてらっしゃらないと思いますが、嘘をつかれるときは必ず右の眉が不自然に上がるんですよ」

 そんな些細な癖さえ、じいさんは戸田に見抜かれてしまっていた。

 じいさんは何も反論することができなかった。

「まさかとは思いますが、鉄砲玉がまだ16歳の少年だったことに腹を立てて、組同士の抗争は行わないとお決めになり、幸か不幸かお互いの組に授かった後継者たる同い年の女の子同士で組の代わりに抗争をさせようなんて、そんなことをお考えではありませんよね?」

 戸田は何でもお見通しだった。

 恐ろしいと思う一方で彼は信頼に値する人かもしれないと思った。

 刑事の彼は、未成年による事件であったため事件の詳細な情報がほとんど世に出ることのなかった神奈川女子高校生売春強要事件の真相に、あたしが知る限り事件関係者を除いてもっとも近い場所にいる。

 良家の世間知らずのお嬢様を演じる夏目メイの本当の顔を、彼とならあばくことができるかもしれないと思った。

「それでは、ぼくはこれで失礼させて頂きます」

 戸田は再び、入り口のドアノブに手をかけた。

「ご存知でしたか?
 16歳の少年がドラム缶にコンクリ詰めにされて海に捨てられていたこの事件、一体なぜそんな事件が起きてしまったのか、マスコミも大衆も興味津々なんですよ。
 この数日、テレビをつければ、この事件の続報を伝えていない局はないほどです。
 轟さんを容疑者として逮捕したことをマスコミに知らせなければいけませんからね」

 そう言い残し、轟を連行して事務所を出て行った戸田を、あたしは追い掛けた。


 戸田の私用車だろうか、車にあまり詳しくないあたしでも名前くらいは知っているローバーミニの覆面のパトカーの後部座席に、彼は轟を押し込むと運転席に座った。

 あたしは助手席のドアを開けて、その車に乗り込んだ。
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