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第二部 秋雨(あきさめ)

第1話 ①

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 十月のなかばのある日、鉄砲玉がじいさんのタマをとりにきた。

 タマというのはあたしたちの世界の言葉で命という意味で、あたしのじいさんは横浜では少しは名の知れたヤクザだった。

 鉄砲玉っていうのもやっぱりヤクザの言葉で、対立する組の頭を殺しに行くよう命令されたしたっぱのヤクザのことだ。

 鬼頭組の名を出せば震え上がるチンピラなんて横浜にはいくらでもいる。マル暴の刑事だってうちの組には一目置いている。

 鉄砲玉は、まだあたしとそんなに年の変わらない高校生くらいの男の子だった。

 クスリをやってると一目でわかる血走った目をして、ろくに撃ったこともない拳銃をじいさんに向けて撃ったところまではよかったんだけれど、弾は一発もじいさんにかすりもせず、そばにいた組の幹部たちに男の子はまるで古い映画の銀行強盗をしたカップルみたいに蜂の巣にされた。

 学校帰りに、ちょうどその場に居合わせてしまったあたしは、その光景を、いかにもヤクザだと言わんばかりの趣味の悪い黒塗りの車の陰から見ていた。

 じいさんに当たればいいのにと思っていた。

 そしたら、あたしもフツーの女の子になれるのにって思った。

 バスケか何かをしていそうな背の高いその男の子は、全身に24発の銃弾を受け、見るも無惨な姿でうちの組の事務所に運びこまれた。

「お嬢、よくご無事で」

 あたしも少し遅れて血がしたたりおちる階段を上って事務所に顔を出すと、

「今、このガキが頭の命を狙ってきやがったんでさぁ」

 あたしのことが好きらしい、いかにも偏差値の低い顔をした幹部のひとりがそう言った。

「知ってる。見てたから」

 あたしはそう言って、床に転がる男の子の死体を見つめた。

 ヤクザの銃撃戦なんてこの街じゃ「あぶない刑事」くらいに日常茶飯事のことだったけれど、あたしは死体を見るのはうまれてはじめてのことだった。

「夏目組か」

 じいさんはそう言った。

「おそらくそうでしょう。このガキ、だいぶシャブやってたみたいですからね。この街でシャブに手ぇ出してるの、夏目組くらいですから」

 このいかにも偏差値の低い顔をした幹部のひとりは、田所という。

「身元がわかるのは、財布に入っていたこの免許証くらいですね」

 轟という名前のくせに車の運転ができない別の幹部が、男の子のジーンズのお尻のポケットからディープラブという趣味の悪いブランドのウォレットチェーンがついた財布を取り出していた。

 シルバーのチェーンは銃弾が当たったのか切れてしまっていた。

 男の子が持っていたバイクの免許証から、血で濡れて苗字まではわからなかったけれど、ヨシノブっていうどこかの将軍様みたいな名前だということがわかった。

 男の子が持っていた銀色のケータイは、弾が見事に液晶画面を貫通していて、メモリを覗くことはできなかったけれど、YとMとOの三文字のアルファベットを繋ぎあわせたストラップは無傷だった。

 あたしはそのストラップを気に入って、じいさんたちには内緒でもらうことにした。

 死体はその日のうちにドラム缶に放り込まれコンクリートが流し込まれて、横浜の海に棄てられた。



 あたしの家、六代目鬼頭組は、神奈川県横浜市に本拠を置く指定暴力団だ。

 多くのやくざは「暴力団員」という呼ばれ方を嫌い、特に自称では「極道」、「侠客」ということがある。

 ひねくれて、逆に自ら「俺は暴力団だからよ」と言うやくざもいる。

 組員は2008年10月現在で組長あたしのじいさんだ、舎弟8人、若中79人の計88人。

 組長を除いて、この87人の舎弟・若中は直参と呼ばれ、それぞれが数百から数千人の構成員を抱える組織のトップだ。

 その構成員数は約20,400人、準構成員数は約18,600人の合計約39,000人で、その人数は全暴力団構成員・準構成員数約84,200人のうちの46.3%を占めているらしい。

 傘下組事務所は広島、沖縄の2県を除いた45都道府県に置かれている。

 鬼頭組は「鬼頭」の2文字を菱形にデザインした「鬼菱」と呼ばれる代紋を用いる。

 大正4年に、初代組長鬼頭夏吉が、横浜の港湾労働者50人を集めて、港湾荷役人夫供給業「鬼頭組」を結成したのが、長い鬼頭組の歴史の始まりだ。

 三代目時代に制定された5条からなる「綱領」が、定例会など行事の際には唱和される。

 また、年ごとの「組指針」も定められている。

 五代目発足以降「警察官と接触しない」、「警察機関に人、物を出さない」、「警察官を組事務所に入れさせない」の三点を定め警察との距離をおいていたが、六代目のじいさんの代になってからは逆に率先して警察と密に連絡をとり、様々な情報を仕入れ、組の強化に役立てるようになっていた。



 その夜、じいさんがあたしを部屋に呼んだ。

 あたしは両親を三年前に事故でなくして、それ以来広すぎる大きな屋敷にじいさんとあたしのふたりだけで暮らしていた。

 じいさんの部屋はいつも、天井に逃げ場のない煙草の紫煙が集まっていて、煙たいんだけれどなんだか夢の世界にいるような気持ちにさせられる。

 動物の剥製が並び、壁にはじいさんが趣味で集めているホーロー看板がかけられて、他にも趣味の悪いものたちばかりが並ぶその部屋のソファにあたしは腰をおろした。

「何の用? 今度は夏目のところの男と寝て来いとかいうつもりじゃないよね?」

 あたしは言った。

 あたしは中学生の頃からヤクザ相手に体を売らされていた。

 じいさんは組のためだと言って、孫のあたしにあちこちのヤクザの相手をさせていた。

 鬼頭組の親戚、友好団体にあたるのは、三代目浅井組、松下会、双葉会、五代目共星会、三代目福寛会、極亜会、三代目侠導会、二代目親倭会など、挙げ始めたらきりがない。

 あたしが体を売らされていたのは、そういった組のヤクザたちだった。

 はじめて、好きでもない男に体をもてあそばれた日から、あたしは大好きだったおじいちゃんをじいさんと呼ぶようになった。

 ヤクザの家に、女として産まれたことを後悔した。

 毎日のようにヤクザの相手をさせられて、たった二年であたしはいつの間にかそれに慣れてしまっていた。

「お前、来週から城戸女学園に編入しろ」

 じいさんはそう言った。

「夏目の、お前と同い年の娘が、九月から城戸女学園に編入しているらしいからな」

 城戸女学園と言えば、中高一貫の横浜では有名な私立の学校だった。

「夏目のやつはうちとやりあう気らしいが、あんな15、6のガキを鉄砲玉に寄越すような組を、わしは相手をしてやる気はない」

 ガキを寄越すってことは、ガキの命を狙われてもいとわねぇってことだろ。

「お前、夏目の娘、殺ってこい」

 じいさんはあたしに、コンクリ詰めにされて海に棄てられたあの男の子が持っていた銀色の拳銃を差し出した。



 次の日の朝、あたしは学校を休んで、ハルの仕事を見学に行った。

 学校の編入の手続きは田所や轟がしてくれていた。

 あたしは編入前に一度試験を受けに行くだけでいいらしかった。

 保土ヶ谷区の住宅街にある空き家の一軒家が今日のハルの仕事場だった。

 ハルはショベルカーの中から、駅から歩いてきたあたしを見つけると、

「結衣ーーー」

 近所迷惑極まりない大きな声であたしの名前を呼んだから、あたしは恥ずかしくて仕方がなかった。

 うちの組は、横浜市内や他県に不動産会社や建設会社などをいくつか持っていて、三重には鬼頭ギロチン工場という恐ろしい名前の工場を持っていたりする。

 その工場が何の工場なのかあたしは知らないけれど。

 あたしと同い年のハルは、中学を卒業してすぐに鬼頭建設に入社した男の子で、あたしのお気に入りだった。

 ハルの両親は高校くらいは行かせたいと考えていたらしいんだけれど、彼は偏差値が低すぎてどの公立高校にも入学できなくて、かといって私立に通えるほど家庭に経済的余裕がなかったそうだ。

 ハルの鬼頭建設への志望理由がこれまた偏差値が低い理由で、

「映画の怪獣みたいにビルとか家とか壊してみたいと思ったからです」

 と答えてニッと歯を見せて笑い、建設会社の人事担当者たちの失笑を買ったらしい。

 そんな彼を雇ってしまう会社も会社だけれど、ハルはこの百年に一度の大不況の中、それなりの建設会社に正社員雇用されて、建築物の解体作業という志望通りの仕事をしていた。

 ハルは鬼頭建設の経営者がヤクザだということを知らない。

 いつかは気付くことになるんだろうけれど。

 だから経営者の孫で同い年のあたしを結衣と呼び捨てで呼ぶ。

 あたしをヤクザの孫じゃなくて、フツーの女の子として見てくれて、友達のように接してくれる。

 あたしにはそれがとても心地よかった。

 ハルといるときだけは、あたしは自分がヤクザの孫だということを忘れられた。
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