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第一部 夏雲(なつぐも)

第15話 ②

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「こどもの頃、喘息もちだったんだ。それで体質改善のために習わさせられてたんだ。
 俺の家、なんていうのかな、別に金持ちってわけじゃないんだけど、父親が一応官僚で、年の離れた兄貴は東大行ってるんだ。
 だから俺も小さい頃からいろいろと習い事させられてて、喘息が治ったらすぐに水泳はやめさせられちゃったんだけど。
 水泳だけは好きだった。

 俺、人付き合いが下手だから、地上の方が息苦しいっていうか、水の中にいる方が楽だった。
 水の中にいるときだけ、自分らしくいられるような気がするんだ。
 水の外はどこにいても息苦しくてしかたなかった。

 俺、すごいこどもが好きなんだ。
 だから水泳の先生になりたいなって思ってた」

 水のことを話すときの十和は水を得た魚のように自由だった。

 そこまで話してくれた後で、

「何しゃべってんだろ、俺」

 顔を真っ赤にして十和は言った。

「初対面の相手に何熱く語っちゃってるんだろ。ちょっとイタイよね」

 と言った。

 アタシは首を横に振った。

「初対面じゃないよ」

 だってアタシたちが会うのは今日が二度目だったから、アタシはそう答えた。

 だけど十和は、顔いっぱいに汗をかいて恥ずかしそうにして、

「ちょっと喋りすぎちゃったな。ぼく、もう行くよ」

 そう言って、席を立とうとした。

 アタシはその、有名私立の制服の袖をつかんだ。

「今日も男の人に体を売るの?」

 アタシは聞いた。

 十和は答えなかった。

「アタシ、もっと十和とお話してたい。十和のこともっと知りたい」

 十和といっしょにいたい。
 そんな言葉がアタシの口からこぼれおちて、アタシが一番驚いた。

 十和も驚いた顔をしていた。

「場所、変えよっか」

 そう言った。

「ここにいたら、客がぼくを迎えにきちゃうから」

 お金ないから、寝るとことか借りてあげられないけどいい?
 と、十和は言った。

 アタシはいいよと言って、アタシたちは手を繋いでマクドナルドを出た。


「家に帰りたくないんだ」

 駅からそう遠く離れていない公園で、空はカラッカラに乾いた夜空だったけれど、雨風を防げそうなふたりで寝転べるような遊具を選んで、アタシたちは並んで寝た。

「父さんは出来のいい兄貴ばっかりかわいがって俺を見てくれないんだ。
 俺は父さんの言う通りに兄貴の背中を追って一生懸命やってきたけど、父さんは一度だって俺を誉めてくれたり優しく頭を撫でてくれたりしなかった」

「だから、お父さんの代わりに、誰か男の人に愛されたくて体を売ってるの?」

 アタシは聞いた。

 そうだよ、と十和は答えた。

「だから家に帰りたくなくて、知らない男に抱かれて夜を明かすんだ。
 客にはね、ホテルの宿泊代を出してもらう約束で、客をとるんだ。
 客は俺を抱いた後でひとりで帰って、俺はひとりで朝までホテルで過ごすんだ」

 朝になったら夜まで適当に時間を過ごす、そしてまた客をとるのだと十和は言った。

 十和はほとんど学校に行っていないみたいだった。

 高校二年だけど、留年していて、年はアタシよりふたつ上だった。

 十和が通っている学校は、私立の中高一貫の男子校で、アタシみたいな成績が中の中の女の子から見たらすごいと言うしかないくらいの、お坊ちゃま学校だった。

「中学受験までは親の言うことをちゃんと聞くいい子だったから入れたんだ。
 高校生になってからはほとんど家に帰らなくなって、学校にもあんまりいかなくなってダブっちゃった」

 そう言って十和は笑った。

「一回ダブっちゃうとさ、クラスメイトがみんな年下になっちゃうだろ。変な気遣われてるのもわかるし、ますます行きづらくなった」

 今ではもうほとんど学校に行ってないみたいだった。

「オメガSEAマスターっていう時計があるんだ」

 と、彼はぽつりと言った。

「さっき話した映画の主人公の、ジャック・マイヨールモデルの時計があるんだ」

 そう続けた。

「家に帰りたくないから体を売ってるだけだけど、何か目標みたいなのがあるといいなと思ってさ、お金貯めてさ、それ買おうと思ってるんだ」

 と十和は言った。

「いくらするの?」

 とアタシは尋ねた。

 44万千円、と彼は答えた。

 十和はあと何回男の人に体の人を売れば、それを手にいれることができるんだろう、とアタシは思った。

 アタシも、十和も、いつまでも続けていけるわけじゃなかった。

 いつか終わりにしなくちゃいけないことをふたりともしていた。

 そのいつかが、今日か明日だったらいいのに、とアタシは思った。

「麻衣さ、泳げないんだったよね」

 十和にそう言われて、アタシは「うん」と答えた。

「いつかさ、ふたりで海に行こうよ。教えてあげるよ。コツさえ掴めたら泳ぐのなんて簡単だから」

 ぼくのバタフライ見せてあげるよ、と十和は言った。

 アタシはもう一度、うんと言った。

「海のきれいな砂浜で、ふたりで海の家やろうよ。
 麻衣が店番で、ぼくはこどもたちに水泳教えて。
 きっと楽しいと思うんだ」

 あたしはもう一度、うんと言った。

 不思議と、なぜだかわからないけれど、アタシは涙がこぼれて止まってくれなかった。

「ぼくなんかでいいの?」

 と十和は聞いた。

「男に体売ってるような男だけどいいの?」

 アタシは返事をする代わりに、彼の唇にキスをした。


 アタシと十和は、公園の遊具の中で明け方までいろんなことを話した。

 家に今日は帰らないと連絡をいれようとして、自分で電話なんかしたら電話口でパパにこっぴどく叱られると思ったアタシは、ハーちゃんにメールを入れて、今日はハーちゃんの家に泊まっているということにしてもらった。

 ハーちゃんは、年頃の女の子だもん、いろいろあるよね、まかせておいて、と絵文字つきのかわいいメールを返してくれた。

 明け方にしとしとと降り始めた雨が、アタシたちの体を冷やし、夏の終わりが近付いてきていることをアタシは肌で感じた。

 喋り疲れたアタシたちは手を繋いで身を寄せあって泥のように眠った。

 十和の手はとてもあたたかくて、とても心地がよかった。

 そしてアタシは悪い夢を見た。


「オナニーして見せてよ」

 紺のハイソックスだけを履かせたアタシの裸の写真を撮り終えると、メイが言った。

「もう一回だけ体操服着て、ブルマはいてもらって、それでオナニーしてるとこ見せてもらってもいい?」

 動画、録るからさ、写真とか動画とか、多ければ多いほど、その体操服とかブルマとかをオークションにかけたときに、男はいろんな妄想をして高値をつけてくれるようになるの、とメイは続けた。

 アタシは産まれてから一度もひとりでしたことがなかった。

 あそこが濡れるってことを知ったのだって、yoshiと付き合い始めてからだった。

 はじめて舌をからめてキスをしたときに、脳がとろけそうなくらいに気持ちよくなって、アタシははじめてする大人のキスに体の震えがとまらなくて、それでもはしたない女の子だなと思いながら何度もキスをおねだりした。

 アタシはあのとき、はじめて濡れるってことを知った。

「まさか、したことないわけじゃないよね?」

 メイに言われて、

「うん……、実は……」

 アタシがそう言うと、

「呆れた」

 とメイは言った。

「じゃあ、ろくに濡れるってのも知らないでyoshiとエッチしたんだ?
 yoshiかわいそう。
 自分もはじめてなのに、相手が全然濡れてくれなかったら入るものも入らないじゃない」

 そう言った。
 その通りだった。

 はじめてyoshiとしたとき、胸を触られたりあそこを触られたりしても、気持ちいいって思えるほどじゃなくてなんだかくすぐったいくらいにしか感じなくて、アタシはちっとも濡れなくかった。

 制服のズボンが破れてしまいそうなくらい大きく膨れあがっていたyoshiのペニスは、なかなかあたしのあそこに入らなかった。

 yoshiが汗だくになりながらようやくアタシの中に入ってきたとき、アタシはあまりの痛さに声をいっぱい出した。

 yoshiはその声をアタシが気持ちよくなってると勘違いして、何度も何度も腰を振り続けて果てた。

 アタシのあそこからはたくさん血が出た。

 そんなのは最初のうちの何回かだけだったけれど。

「yoshiの話はもういいよ」

 と、彼との思い出を振り払いたくてアタシは言った。

「じゃあ、してみせてよ。
 やりかたがわかんないんだったから、あたしが教えてあげるからさ」

「でも今生理中だし……」

「別に指を中にいれろなんて言ってないじゃない。
 あんたみたいに長い爪してる子が指なんか中にいれたら傷がついてまた炎症起こしちゃうよ」

 そう言うメイの指は、痛々しいくらいの深爪をしていて、アタシはきっとあの指をメイはあそこの中にいれたりしてるんだと思った。

「生理中でもオナニーしようと思えばいくらでもできるんだよ?」

 アタシはメイに言われるまま、ひとりでした。

 自分でしてもあまり気持ちいいものじゃなかった。

 だけどそのときアタシは、メイに見られながら、ケータイのカメラの前でそうしていると、何故だかひどく興奮した。


 先に目を覚ましたのはアタシだった。

 雨足は少しだけ強くなっていて、アタシはふたりとも傘を持っていないことに気付いて、どうしようかなと思った。

 このまま十和といっしょにここで雨が止むまでずっといるのもいいな、と思った。

 起き上がると遊具の外に、黄色い長靴を履いた女の子の脚が見えた。

 傘をさしているのか女の子の足元だけ雨が止んでいた。

 きっと赤い傘だとアタシは思った。

 女の子がしゃがんで、遊具の中にいるアタシたちを覗き込んだ。

 やっぱり赤い傘だった。

「もう新しい男が出来たんだ?」

 赤い傘を持ったメイがアタシの隣で寝息を立てていた十和を見て、そう言った。



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