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第一部 夏雲(なつぐも)

第8話 ②

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 美嘉の両親は、ただ別れられないだけで夫婦関係は(そもそも夫婦じゃないんだけれど)とっくに破綻していた。

 パパは何日も家をあけることが多く、ママは夕方から近くの24時間営業のスーパーセンターで商品の陳列をするパートをしている。パートが休みなのは日曜と月曜。仕事から帰ってくるのは11時すぎ。

 美嘉が家に帰った頃には、ママはもう仕事に出かけていた。美嘉はひとりでラップがかけられた夕食をレンジで温めて食べる。

 だからこの時間、美嘉は小さな借家の一軒家にひとりきりだった。

 家の玄関の鍵はちゃんとかけていただろうけれど、その気になれば鍵なんかかかっていたってどうにでもなる。

「はじまるよ」

 凛はそう言って、電話を切った。



 たった四畳半しかない狭い部屋に美嘉の逃げ場所なんてなかった。

「やめて、こないで」

 それでも美嘉はナナセから逃げまわり、彼女をはがいじめにしようとする彼に学校指定の鞄や枕を投げつけたりして抵抗した。

 ナナセは鞄を片手ではらいのけ、枕をもう片方の手で簡単にキャッチしてみせた。

 いつかyoshiが、「うちのリバウンド王」とナナセをアタシに紹介したのを思い出した。

 美嘉は凛があげた"Chaco"という名前のくまのぬいぐるみも投げつけられた。

「あっ」

 アタシは思わず声を上げた。

 ぬいぐるみはナナセの顔にあたったらしく、「美嘉の部屋」の映像が、一瞬だけナナセのいつも長い髪に隠れていた両目をとらえた。

 ナナセの目は、血走っていて瞳孔が開ききっているように見えた。

「なるほど。ぬいぐるみか何かにカメラを仕込んでたのか」

 アタシの隣で彼が感心したように言った。

 だけど、

「これじゃ、せっかくの中継が台無しだな」

 彼は残念そうにそう言った。

 そのとき、「美嘉の部屋」でケータイが鳴った。

 
 亡き王女のためのパヴァーヌ。
 クラシックの名曲だった。

 鳴っていたのはナナセのケータイだった。

「もしもし」

 電話に出たナナセは、

「そうか。それはいけないね。ありがとう。それじゃ」

 まるでクスリでもやってるかのような、抑揚のない、酔っぱらっているような話し方だった。

 ナナセが誰から何を告げられたのか、アタシにはわかってしまった。

「だめじゃないか、美嘉」

 絨毯の一部分をとらえていたカメラが、ナナセのその言葉とともにベッドの上に逃げ込んだ美嘉をとらえる。

 ナナセが"Chaco"を美嘉に向けたのだ。

「このぬいぐるみにカメラが仕込んであるんだろ?」

 電話は凛からだった。

「こんな大事な場面でカメラが絨毯なんか映してたら、『美嘉の部屋』を楽しみに覗いてる人たちががっかりしちゃうだろ」

 ぼくと美嘉がはじめて愛し合う、記念すべき日なのに、とナナセは続けた。

「何言ってるの?」

 美嘉は泣いていた。

「知らないと思ってるのか?」

 ナナセはそう言いながら、美嘉ににじり寄っていく。

「お前がプロフに裸の写メ載せてることとか、ネットアイドルしてることだよ。
 このぬいぐるみにカメラが仕込んであって、自分の部屋を録り続けて、着替えやオナニーしてるとこインターネットで中継してることだよ」

 お前、俺が何も知らないと思ってるのか。
 ナナセは美嘉の長い髪を握って、引っ張った。

「何よ、それ。あたしじゃない。あたし、そんなことしてない。
 あたし、何にも知らない。
 それに、そのぬいぐるみだって、凛があたしの誕生日にくれた……」

 そこまで話して、美嘉はようやく気付いたみたいだった。

「今の電話の相手、凛ね?」

 ナナセは答えない。

 美嘉はキッとカメラに顔を向けた。

「あたしを裏切ったのね、凛!」

 そう叫んだ。

 ナナセのケータイがもう一度鳴った。

 電話に出たナナセは、うん、うん、と何度かうなずくと、

「わかった」

 ケータイを美嘉に手渡した。

「山汐さんが美嘉にかわってほしいって」

 そう言った。

「凛! てめえ! 何裏切ってんだよ!」

 美嘉が泣きながら叫んだ。

 アタシには凛がなんて答えるのか何故だかわかってしまった。



――全部美嘉ちゃんが悪いんだよ。



「お前みたいな、友達のいないオタク女の面倒、今までみてやってきたの誰だと思ってんだよぉ」

 電話はもう切れていた。

 美嘉は力なくそう言うとケータイをベッドのシーツの上に落とした。

 ナナセは吐息がかかるくらいに顔を近付けて、美嘉の頬を濡れた舌で舐めた。

 その顔に美嘉は平手打ちした。

「気持ち悪い顔、あたしに近付けないでよ、変態。このオナニー野郎」

 ナナセの鼻から、つつつと血が垂れた。

 それが美嘉の最後の抵抗だった。



「美嘉の部屋」から、ナナセが美嘉の頬を何度も叩く音が響いていた。

 叩かれる度に、美嘉は悲鳴を上げた。

 美嘉のケータイは、警察に通報したりできないようにナナセに取り上げられていた。

「やめて、やめてよ、もう。もう抵抗しないから、好きにしていいから」

 美嘉がそう言って、ようやくナナセは美嘉の頬を打つ手を止めた。

「好きにしていい? それって何してもいいってことだよね?」

 ナナセはうれしそうに笑って、ズボンのポケットから何か紙のようなものを取り出した。

「今日のお膳立てをしてくれた山汐さんのために、彼女のご希望をいろいろ叶えてあげなきゃいけないんだけど、本当にいいのか?」

 紙のようなものは、凛からの指示をメモしたものだとわかった。

 美嘉は震えながら、人形のように首をこくりと前に傾けた。

 美嘉はもう、諦めていた。

「じゃあ、美嘉の部屋を見てくれてるみんなだけに、これからぼくがこの子に何をするか教えてまーす」

 ナナセは逃げられないように美嘉の両手と両足に銀色に光るおもちゃの手錠をかけた。

「美嘉がどうしてこんな目にあうのかと疑問に思うファンの方もいらっしゃるかと思います。
 ですが、美嘉は七月のなかば頃から、同じグループの女の子が自分のケータイの番号をぼくに教えてしまったからという、ただそれだけの理由で、罰ゲームと称して売春をさせていたのです。
 お友達に体を売らせて、受け取ったお金は全部美嘉がまきあげて、遊ぶお金にしていました」

 凛がナナセにそんなことまで話してしまっていたことにアタシは驚いた。

 ひょっとしたらナナセはyoshiに、アタシがウリをしていることを話してしまったかもしれない。

 そんな心配をしていると、凛からメールが届いた。

 ウリをしてるのがアタシだということは話してないから心配いらない、メールにはそう書かれていて、アタシは胸をなでおろした。

「だからこの子にはちょっとお仕置きが必要だと、そのお友達は考えて、美嘉のことが中学のときから好きで好きで大好きで仕方がなかったぼくに、美嘉をこらしめてくれるように言ったのです」

 ナナセはいつもと少し様子が違っていた。

 彼はこんなにおしゃべりな子じゃなかったし、こんなに大胆な行動ができる男の子じゃなかった。

 "Chaco"に向かって歩いてくるときも、少しふらついているように見えた。

「このナナセってやつ、たぶんクスリやってるな。目がいっちゃってる」

 アタシの隣で彼が呟いた。

 ナナセはよだれを垂らしていた。そして、それを特に気にする様子もなかった。

「なんていうドラッグかわかる?」

 アタシは聞いた。

「いや。それに市販の薬でも飲み方によってはこういう風になることもあるから、なんとも言えないな」

 アタシは少しほっとした。

 凛がナナセにクスリまでさせたとは考えたくなかった。

「ねー、美嘉、このぬいぐるみのどこにカメラのレンズがあるの?」

 ナナセは”Chaco"のそばまでやってくると振り返って、そんなこと知るはずもない美嘉に尋ねた。

「こういうのはやっぱり目かな」

 ナナセの勘はあながちまちがってなかった。
 確かに、Chacoの目にビデオカメラのレンズがしかけられていた。

 だけど、片方の目にだけだった。
 ナナセは紙を"Chaco"の目に向けたけれど、それはカメラのレンズがない右目だった。

 またナナセのケータイが鳴って、手錠をかけられた美嘉の足元にあったそれをナナセは拾い上げた。

「もしもーし。うん。左目ねー。わかったー」

 電話は凛からだったのだろう。
 ナナセは電話を切ると、"Chaco"の左目に紙を近付けた。

 それはメニューのような表がかかれていて、料金一覧表とあった。

   ゴムつき    1万5千円
   ゴムナシ外出し 1万8千円
   ゴムナシ中出し 3万円

 そこに書かれていたのは、美嘉とメイが作ったアタシの料金表と同じ値段だった。
 料金表の横にはやっぱりオプションという項目があった。

   コスプレ       +3千円
   ローション      +3千円
   顔射         +3千円
   フェラチオ、はきだす +3千円
         飲み込む +6千円
   ハメ撮り       +9千円
   アナル        +1万2千円
   スカトロ       +1万5千円


「ぼくはこれから美嘉をこのメニューに従って犯して、そしてここに書かれている金額を美嘉の財布から抜き取ります。
 世界中の恵まれない子たちに寄付したいと思いまーす」

 ナナセはカメラ目線で満面の笑みを浮かべた。



 それから先のことは、アタシは見ていない。

 ナナセに犯されている美嘉は、まるで知らない男の人たちに抱かれているアタシのように思えた。

 だから見ていられなかった。
 アタシは目を瞑り、美嘉の泣き叫ぶ声が聞こえないように、両手で耳をふさいだ。

 だけど耳をいくらふさいでも、指と指のわずかな隙間から、美嘉のやめてとナナセに懇願する声がアタシの耳に届いた。

 その声は、アタシの心に深く刻まれた。

 アタシは一生、このときの美嘉の声を忘れることはないだろう。

 アタシはこのとき、そう思った。


「見てられないな」

 パソコンの前にいる彼が言った。

「警察、通報しようか?」

 美嘉ちゃんの家の住所とかわからない?
 そう尋ねられて、アタシは首を横に振ることしかできなかった。

 どうしようもなかった。



 美嘉はバージンだった。

 いまどき、早い子は中学生のうちにバージンを捨ててしまう。
 だから高校生にもなると、アタシはそうでもなかったけれど、早くバージンを捨てなければと焦りを感じ始める子も多い。

 特に友達が次々とバージンではなくなっていくと、自分も、という思いが強くなる。

 アタシたちのグループでは、アタシが一番にバージンを捨てたということになっていた。

 本当は凛の方がずっと先で、あの子は中学生のときにはもうツムギとセックスしていたらしかった。

 そのことを美嘉は知らないけれど、凛がバージンじゃないことくらいには気付いていただろう。

 メイのことはアタシにはよくわからないけれど。

 美嘉は口にはけっしてしなかったけれど、焦っているのがアタシにはよくわかっていた。

 早くバージンを捨てたがっていた。
 けれど、バージンを捨てられるなら相手は誰でもいいわけじゃなかった。

 やっぱりみんな、好きな人にバージンを捧げたいと思うと思う。

 捨てるんじゃなくて、捧げるんだ。

 けれど美嘉はバージンを、一番嫌っていたナナセに、レイプで奪われて、それをインターネットで全世界に生中継されていた。

 すべて凛が思い描いていた通りになっていた。

 ナナセはゴムをつけてはいなかった。

「今日は危険日だから、お願いだから中で出さないで」

 美嘉のそんな懇願も虚しく、ナナセは何度も、何度も、美嘉に中出ししていた。

 美嘉は泣きじゃくっていた。

 そんな映像が一時間あまり流れ続けていた。



 ナナセは何度目かの射精を終えると、ベッドに力なく横たわる美嘉に、凛からの手紙を読み上げた。

「美嘉ちゃんへ」

――さっき説明しわすれちゃったんだけど、ピルにもいろいろ種類があって、緊急避難ピルというものがあります。
 主にレイプされた女の子が飲むお薬です。
 レイプをされてから24時間以内に産婦人科にかかってお医者さんに処方してもらって飲めば妊娠せずにすむそうです。

「だってさ」

 ナナセは美嘉のあそこから垂れる精液が、カメラによく映るように、"Chaco"の位置を移動させた。

 凛の手紙には、まだ続きがあった。

「それから、美嘉の部屋をご覧のみなさまへ」

――美嘉ちゃんはこの数日、売春を強要しているお友達に、中出しのお客さんばかりをあてがっていました。
  その方がお金になるからです。
  でも毎日のように中出しされていたら、そのお友達はきっと妊娠してしまいます。
  けれど、美嘉ちゃんは妊娠してもいいじゃない、と言いました。
  安定期に入るまではセックスしたら流産するかもしれないから、そうなったら一石二鳥だと美嘉ちゃんは言いました。
  そんな悪い子にはお仕置きが必要だと思いませんか?


 手紙を読み終えたナナセは、モデルガンを手にしていた。

「このモデルガンは、おもちゃ屋さんで買えるものですが、違法な改造が施してあって、本物の拳銃には遠く及ばないけれど、殺傷能力を随分高めてあります」

――ナナセくんは、モデルガンの銃口を美嘉ちゃんのあそこに向けてください。

「はい、向けましたー」

 美嘉ちゃんのような悪い子には赤ちゃんの産めない体になってもらおうと思います。

 美嘉の部屋に、鈍い音が六回響いた。

 ナナセは美嘉の財布からお札をすべて抜き取ると、カメラの前で一度礼をして部屋を出ていった。

 美嘉の精液が垂れていたあそこから血がたくさん流れ出していた。



「美嘉、美嘉、だいじょうぶ?」

「美嘉の部屋」から聞こえたその声にアタシは驚いて、閉じていた目を開けた。

 ナナセと入れ違いに、美嘉の部屋にメイが現れていた。

「誰にやられたの? 待ってて。今救急車呼ぶから」

 パソコンの画面を見つめる彼の顔が変わった。

「どうやらぼくの予想が当たってたみたいだね。
 この子だろ、メイちゃんて。
 彼女が何も知らないなら、こんな時間に、こんなにタイミングよく、この部屋に顔を出せるわけがない。
 この子は美嘉の部屋の存在を知ってる。
 この部屋でさっきまで何が行われているか知っていて、自分が巻き添えをくわないように、ナナセってやつが家を出ていくのを確認してからこの部屋にやってきたんだ」

「なんのために?」

 アタシは尋ねた。

 彼は答えなかった。

「美嘉の部屋」の中で、メイが119番通報を終えた。

 そして、ビデオカメラのマイクが拾えないくらい小さな声で美嘉に何か囁きかけているように見えた。

「ケータイ、とって」

 美嘉は今にも途切れてしまいそうな弱々しい声でそう言った。

 メイが床に落ちていたケータイを操作して、美嘉の耳元に近付けた。

 一体誰に電話をするつもりだろう。

 何故だかそのとき、アタシにはとてもいやな予感がしていた。


「もしもし、yoshi? アタシ、美嘉」

 アタシの予感は的中した。



――あんたの彼女がウリやってること、知ってる?



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