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第一部 夏雲(なつぐも)
第6話
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午後3時24分、アタシのケータイがラブスカイウォーカーズの新曲を奏でた。
夏休みに入ってから、毎日お昼を過ぎた頃に美嘉からメールが届くようになった。
美嘉がツーショットダイヤルで見つけたお客さんの特徴だとか、待ち合わせ場所だとかがメールには書かれていて、お客さんがどのコースをお望みなのかも書かれていた。
「美嘉ちゃんから?」
凛がアタシに聞く。
「うん。ゴムありで、オプションにフェラチオだって。手に吐き出せばいいみたい」
アタシは美嘉のメールを読み上げた。
今日のお客さんはAVみたいなセックスがお好みらしい。
この数日、毎日のようにAVみたいなセックスばかりさせられていた。
男の人はきっとみんな、AVが大好きなんだ。
アタシは今日も、凛とまた秋葉原に出掛けていた。
待ち合わせ時刻は10時45分。
待ち合わせ場所は秋葉原駅の改札口。
秋葉原にアリスカフェという、不思議の国のアリスの世界を再現したカフェがあるらしく、凛が一度そのカフェに行ってみたいと言ったのは昨日のことだった。
アリスっていう名前を聞くと、アタシはシュウのことをどうしても思い出してしまった。
アタシは、あの人を絶望からすくってあげることができなかった。
あのときのアタシは、できるだけのことをしてあげたつもりだったけれど、もしかしたら、アタシのせいで彼は自ら命を絶つことを決心してしまったのかもしれない。
アタシは、ずっとそんな罪悪感を抱えていた。
だから、正直気が進まなかったけれど、それでも気晴らしにどこか外に出かけたかったから、凛に付き合うことにした。
どうやら人気店らしくなかなか入れないこともあるらしいということで、開店時間より少し早く待ち合わせをすることにした。
横浜駅の四番線から京浜東北線に乗ると乗り換え無しで秋葉原駅に着く。
この間ツムギが教えてくれた。
運賃は片道540円。
時間は快速なら40分、普通だと43分位で、あんまり変わらない。
この間は横浜駅から京浜急行で品川駅まで行って、そこで京浜東北線に乗り換えた。片道450円だった。
京浜急行で快速特急に乗れれば40分ぐらいで着くけれど、乗り換えが一回あるのでちょっと面倒だ。
90円しか違わないなら、アタシは乗り換えなしの方がいい。
40分過ぎ、京浜東北線の電車を降りたアタシは、改札口で凛を探したけれど見当たらなかった。
まだ来てないのかな、伝言板のそばに立ち辺りを見回しながら着いた旨をメールで連絡すると、
>ごめんなさい
>先に場所の下見してて。
>よかったら5番出口まで来てもらえないでしょーか?
>ごめんなさぁい(>_<)”
凛はもう来ていて、先に場所の下見をしてくれていたとのことだった。
前から気づいてたけれど、凛はとてもいい子だ。
アタシはそんなことを思いながら5番出口に向かった。
5番出口で凛はアタシを待っていた。
凛はとてもいい子で、おしゃれな、かわいい女の子だ。
凛が着ている"if you..."というブランドは、一見こどもっぽく見えるんだけど、丸首が大きく開いていたり、ウェストがすごくシェイプされていたりしてとても大人っぽい。
本当は大学生とかOLが着るブランドだけど、きっと凛は少しでもお兄ちゃんとの距離を縮めたくて背伸びをしてるんだと思う。けなげだなって思う。
並んで歩きながらそんなことを考えていると、カフェに着いた。
開店まで少し時間があったので、アタシたちはお互いにケータイを取り出してお店の写メをとったりした。
不思議の国のアリスの世界を再現したカフェは入り口がとても小さくて、156センチのアタシの胸くらいまでしかなかった。
開店をいまかいまかと待っていると、シュウが好きだった女の子じゃなくて不思議の国の方のアリスの格好をした、かわいらしい店員さんが体をかがませて入り口から出てきた。
店先にかかっていた"CLOSED"の札を"OPEN"に変えて、また体をかがませて店に戻っていった。
アタシたちもその後に続いた。
ゆったりしたソファにすわり、大きなテーブルをふたりで囲んで、まさに不思議の国のアリスの世界を再現した店内をふたりで見渡していると、店員さんからメニューを渡された。
凛はベイクドチーズケーキとシナモンティーを、アタシはガトーショコラとナッツミルクティーを注文した。
「美嘉ちゃん、いつまで女王様でいられるかな」
シナモンティーを飲みながら、凛が笑った。
数日前、凛は例の学校裏サイトのURLをクラスメイト全員に送信した。
凛の仕業だとわからないように、メールアドレスはパソコンのホットメールとかいうフリーのメールアドレスで、ナナセの仕業に見せかけるために@の前には7の数字を入れていた。
凛の書き込みだけだった掲示板は、クラスメイトたちの目に触れ、美嘉に対する誹謗中傷が次々と書き込まれていた。
そして昨日、美嘉の誕生日に、凛は美嘉にプレゼントを贈った。
それは、"Chaco"っていう名前の、最近女子中高生の間で流行ってる、大きなくまのぬいぐるみだった。
美嘉はうれしそうに"Chaco"を抱いて、
「ありがとう。ずっとほしかったの」
と、とてもアタシにウリをさせてるとは思えないくらいのまっすぐな笑顔で笑った。
だけど、そのぬいぐるみはただのぬいぐるみじゃなかった。
美嘉の部屋に、大切に飾られるものとして選ばれたそれの中には、ツムギが秋葉原で揃えた色々な機材が詰まっていた。
美嘉にけっして気づかれないように、デジタルビデオカメラのレンズは周到に取り付けられていた。
カメラは最新の機種のもので、ワイヤレスで撮影した映像をパソコンでリアルタイムに見ることができるものだった。
凛にここだよと教えてもらうまで、アタシも気づけなかったくらいレンズは周到に仕組まれていた。
凛の思惑通り、"Chaco"が美嘉の部屋に置かれることになれば、美嘉の家からそう離れていない空き家に置かれた小さなパソコンが"Chaco"のカメラが撮影した映像を、「美嘉の部屋」と題されたホームページにリアルタイムにアップロードし続けてくれる。
パソコンにあまり詳しくないアタシにもよくわかるように、ツムギはそう教えてくれていた。
だから今日は、凛の計画がうまくいったかどうか、ツムギがアタシたちの前で、「美嘉の部屋」を見せてくれる、そういう日だった。
「凛のお兄ちゃんは? まだ?」
ナッツミルクティーを飲みながらアタシは言った。
ツムギもアタシや凛と同じ待ち合わせ時間に秋葉原駅に集合するはずだったけれど、まだ来ていなかった。
「ほしいDVDがあるから、それ買ってから来るって」
アタシは、そう、とだけ返事をして、ガトーショコラを口に運んだ。
凛のベイクドチーズケーキとアタシのガトーショコラをお互いにフォークを伸ばして一口ずつ食べていると、凛が言った。
「麻衣ちゃん、ちょっとあそこの席見て。
貴族が、貴族がいる……」
アタシは凛がいきなり何を言い出したのかとよくわからなかったけれど、彼女が指差す方向を見ると、凛の言う通り、そこには確かに貴族がいた。
いたって普通の格好をしたお連れの方と談笑をしながら、お紅茶をカップに注ぐその姿、そのいでたち、その微笑み、足元にあるビレッジバンガードの福袋のような鞄、すべてが貴族の方なのだった。
アタシたちは食べかけのケーキの写真を撮るふりをして、貴族の方に携帯のレンズを向けて何度も、何度も、ベストショットが撮れるまで貴族の方を写メに収め続けた。
今度はまたお互いのケーキにフォークを伸ばしながら、凛が言った。
「麻衣ちゃん、ちょっとあそこの席見て。
奥の四人用の席に座ってる人、お連れの人がいないのに、二人分のケーキと飲み物がテーブルに並んでるんだけど……」
その男の人はずっとニンテンドーDSの画面とにらめっこをしていた。
一体何をしているのだろう。お連れの人はいつになったら彼の元にやってくるのだろう。
一度気になりだすのと、どうしてもその真相を究明しないといけない性分のアタシは、そっと席を立ち、トイレに行くふりをして、こっそりその男の人の汗ばんだ両手に握り締められたニントンドーDSの画面を覗き込んだ。
そして、アタシは驚愕の表情を浮かべることになった。
「麻衣ちゃん、どうだった?」
席に戻ったアタシに凛が聞いてた。
「あの人、たぶんあれ、ゲームの中の女の子と恋愛するゲームか何かをしてた……」
お連れの人は最初からニンテンドーDSの画面の中にいたのだ。
彼は二次元の彼女とカフェを満喫していたのだった。
秋葉原には、世の中には、本当にいろんな人がいる。
一時間くらい待って、ようやくツムギが、入り口の小さなドアを窮屈そうにくぐりぬけて、お店に入ってきた。
「遅いよ、お兄ちゃん」
凛が頬を膨らませてそう言った。
アタシたちはとっくに紅茶もケーキも食べ終えて、待ちくたびれてソファでぐったりしていたところだった。
「ごめん、ごめん。欲しかったDVD、なかなか見つかんなくてさ、はい、これ」
ツムギはそう言って、ブックオフの黄色いビニール袋に入ったDVDを凛に渡した。
凛はテープをはがして、DVDを取り出した。
朝比奈クルミの冒険コスプレギャラリー、とDVDのタイトルにはあった。
「定価で買ってもよかったんだけど、レンタル落ちの方が安いからさ、あちこち探し回ってようやく手に入れたんだ。おかげさまで750円で買えたよ」
人気のアニメキャラクターのコスプレもののAVだった。
辻あずきという名前の、そのくせモー娘の加護ちゃんにそっくりな女の子がパッケージで様々な衣装を着ていた。
「ぼくの鞄にはもう入らないから、凛の鞄に入れておいてよ」
ツムギがそう言ったので、凛の頬はますます膨らんだ。
馬鹿、馬鹿、とツムギをゲンコツで叩き始めた。
「凛がいるのに、どうしてこんなの見るの」
浮気者、と凛が言ったとき、店内のお客さんたちが一斉に凛とツムギを振り返った。ニンテンドーDSに夢中のお客さんまでアタシたちを見ていた。
「えっと、あの、その、なんでもないです」
なぜかアタシが答えると、お客さんたちはまた一斉に首を元に戻した。
ツムギはため息をつきながら、
「今日はそんな話をしに来たわけじゃないだろ」
そう言った。
そうだった。
今日は、凛の計画がうまくいったかどうか、ツムギがアタシたちの前で、「美嘉の部屋」を見せてくれる、そういう日だった。
ツムギは鞄からノートパソコンを取り出した。
アタシと凛は、ツムギが開いたノートパソコンのディスプレイを、前のめりになって食い入るように見つめた。
「美嘉の部屋」は確かに美嘉の部屋だった。
4畳半ほどの狭い部屋に、ベッドと勉強机があり、ベッドには何着かのラブスカイの洋服が並べて置かれていて、美嘉が腕を組んでそれを眺めていた。
「美嘉ちゃんはぬいぐるみを本だなの上にでも置いてくれたみたいだね」
美嘉の部屋は素人目に見てもいいアングルで録れていた。
ミュートにしてあった音量をツムギが少しだけ大きくすると、部屋にはラブスカイウォーカーズのアルバムといっしょに歌う美嘉の鼻唄が聞こえた。
美嘉とメイはアタシのウリが終わる頃、学校の最寄りの駅でアタシを待つ。
それまではふたりでどこかで遊んだりしてるんだろう。
美嘉はお風呂上がりらしく、長い黒髪が濡れていた。
美嘉は今日着る服を決めあぐねているようだった。
五分ほどあれでもないこれでもないと思案して、ようやく決まったらしく、他の服をクローゼットに戻すと、パジャマを脱ぎ始めた。
ツムギ曰く、普通はこういった女の子の部屋を覗き見できるサイトは、あやしげな会社が運営していて、有料の会員制になっているらしかった。
美嘉のように無断でカメラが部屋に取り付けられるわけではなく、女の子がそれを仕事として選んで、取り付けられている。
そして、その子には、フツーにOLをするのの何倍もの月収が支払われるらしい。
だけど美嘉の部屋は、ページを開けば誰もがみれるようにしなくちゃ意味がなかった。
だから彼女が個人的に運営しているホームページに見せかけるために、ネットアイドルのようなホームページの作りにしてあり、凛が書いたと思われる美嘉の日記や、凛が隠し撮りしたと思われる写真も載せられていた。
凛のケータイのカメラはシャッター音が鳴らないように改造されていた。
アフィリエイトと呼ばれる、さまざまな広告がページには貼りつけられていた。
広告収入は全部、ツムギの通帳に入る。
「また収入が増えちゃうな」
ツムギは笑って、今度おいしいものおごるよと言った。
凛が「わーい」と万歳した。
アクセスカウンタはたった一日で数万になっていた。
「一応ネットアイドルのランキングサイトに登録したり、2ちゃんねるとかで宣伝しておいたんだ。自分の部屋の映像をリアルタイムで流してる痛いネットアイドルがいるってね」
ツムギはそう言って笑った。
テレビのニュースでは毎日のように、ファイル共有ソフトで顧客情報が漏洩しただとか、出会い系サイトを使った性犯罪だとかが報道されていたけれど、アタシには縁のない遠い世界の出来事だと思っていた。
パソコンもインターネットも、アタシにとっては物心ついた頃から当たり前に存在する、生活を便利に、豊かにしてくれるものだった。
だけど使う人や使い方次第でこんなにも恐ろしい凶器になるのだとアタシはそのときはじめて実感した。
凛は早速、例の学校裏サイトに、
「美嘉がやってるネットアイドルサイトを見つけたよ。
動画で部屋の映像が見れるようになってるから、美嘉の生着替えやオナニーしてるとこが見れるかも」
凛は美嘉の部屋のURLといっしょにそう書き込みをした。
掲示板は、クラスメイトから違うクラスの子へも広まり、ハツカネズミが増えるみたいな勢いで閲覧者が増えていた。
数分おきくらいに新しい書き込みがあって、美嘉の裸の写真についての誹謗中傷がたくさん書き込まれていた。
ツムギは美嘉のアイコラを一枚だけではなく何枚も作っていたらしく、凛は掲示板の加熱が一段落したころに一枚ずつ、見付けてきたと書き込んでは画像を貼り付けていた。
そうすると掲示板はまた加熱した。
男の子の中には、「抜いた」と言い出す子まで現れた。
「オナニーしたって意味だよ」
凛が教えてくれた。
「ナナセくんにもゆうべこの裏サイトのこと教えたんだ」
凛は言った。
ナナセがこのホームページのことを知ったら、どうなってしまうんだろう。
凛の最終的な目的は、ナナセに美嘉をレイプさせることだ。
そして、その映像をインターネットを使って世界中に配信するつもりなのだ。
「これからおもしろくなりそうだね」
凛はうれしそうに、またアタシがついこの間まで見たことがなかったような顔で笑った。
夏休みに入ってから、毎日お昼を過ぎた頃に美嘉からメールが届くようになった。
美嘉がツーショットダイヤルで見つけたお客さんの特徴だとか、待ち合わせ場所だとかがメールには書かれていて、お客さんがどのコースをお望みなのかも書かれていた。
「美嘉ちゃんから?」
凛がアタシに聞く。
「うん。ゴムありで、オプションにフェラチオだって。手に吐き出せばいいみたい」
アタシは美嘉のメールを読み上げた。
今日のお客さんはAVみたいなセックスがお好みらしい。
この数日、毎日のようにAVみたいなセックスばかりさせられていた。
男の人はきっとみんな、AVが大好きなんだ。
アタシは今日も、凛とまた秋葉原に出掛けていた。
待ち合わせ時刻は10時45分。
待ち合わせ場所は秋葉原駅の改札口。
秋葉原にアリスカフェという、不思議の国のアリスの世界を再現したカフェがあるらしく、凛が一度そのカフェに行ってみたいと言ったのは昨日のことだった。
アリスっていう名前を聞くと、アタシはシュウのことをどうしても思い出してしまった。
アタシは、あの人を絶望からすくってあげることができなかった。
あのときのアタシは、できるだけのことをしてあげたつもりだったけれど、もしかしたら、アタシのせいで彼は自ら命を絶つことを決心してしまったのかもしれない。
アタシは、ずっとそんな罪悪感を抱えていた。
だから、正直気が進まなかったけれど、それでも気晴らしにどこか外に出かけたかったから、凛に付き合うことにした。
どうやら人気店らしくなかなか入れないこともあるらしいということで、開店時間より少し早く待ち合わせをすることにした。
横浜駅の四番線から京浜東北線に乗ると乗り換え無しで秋葉原駅に着く。
この間ツムギが教えてくれた。
運賃は片道540円。
時間は快速なら40分、普通だと43分位で、あんまり変わらない。
この間は横浜駅から京浜急行で品川駅まで行って、そこで京浜東北線に乗り換えた。片道450円だった。
京浜急行で快速特急に乗れれば40分ぐらいで着くけれど、乗り換えが一回あるのでちょっと面倒だ。
90円しか違わないなら、アタシは乗り換えなしの方がいい。
40分過ぎ、京浜東北線の電車を降りたアタシは、改札口で凛を探したけれど見当たらなかった。
まだ来てないのかな、伝言板のそばに立ち辺りを見回しながら着いた旨をメールで連絡すると、
>ごめんなさい
>先に場所の下見してて。
>よかったら5番出口まで来てもらえないでしょーか?
>ごめんなさぁい(>_<)”
凛はもう来ていて、先に場所の下見をしてくれていたとのことだった。
前から気づいてたけれど、凛はとてもいい子だ。
アタシはそんなことを思いながら5番出口に向かった。
5番出口で凛はアタシを待っていた。
凛はとてもいい子で、おしゃれな、かわいい女の子だ。
凛が着ている"if you..."というブランドは、一見こどもっぽく見えるんだけど、丸首が大きく開いていたり、ウェストがすごくシェイプされていたりしてとても大人っぽい。
本当は大学生とかOLが着るブランドだけど、きっと凛は少しでもお兄ちゃんとの距離を縮めたくて背伸びをしてるんだと思う。けなげだなって思う。
並んで歩きながらそんなことを考えていると、カフェに着いた。
開店まで少し時間があったので、アタシたちはお互いにケータイを取り出してお店の写メをとったりした。
不思議の国のアリスの世界を再現したカフェは入り口がとても小さくて、156センチのアタシの胸くらいまでしかなかった。
開店をいまかいまかと待っていると、シュウが好きだった女の子じゃなくて不思議の国の方のアリスの格好をした、かわいらしい店員さんが体をかがませて入り口から出てきた。
店先にかかっていた"CLOSED"の札を"OPEN"に変えて、また体をかがませて店に戻っていった。
アタシたちもその後に続いた。
ゆったりしたソファにすわり、大きなテーブルをふたりで囲んで、まさに不思議の国のアリスの世界を再現した店内をふたりで見渡していると、店員さんからメニューを渡された。
凛はベイクドチーズケーキとシナモンティーを、アタシはガトーショコラとナッツミルクティーを注文した。
「美嘉ちゃん、いつまで女王様でいられるかな」
シナモンティーを飲みながら、凛が笑った。
数日前、凛は例の学校裏サイトのURLをクラスメイト全員に送信した。
凛の仕業だとわからないように、メールアドレスはパソコンのホットメールとかいうフリーのメールアドレスで、ナナセの仕業に見せかけるために@の前には7の数字を入れていた。
凛の書き込みだけだった掲示板は、クラスメイトたちの目に触れ、美嘉に対する誹謗中傷が次々と書き込まれていた。
そして昨日、美嘉の誕生日に、凛は美嘉にプレゼントを贈った。
それは、"Chaco"っていう名前の、最近女子中高生の間で流行ってる、大きなくまのぬいぐるみだった。
美嘉はうれしそうに"Chaco"を抱いて、
「ありがとう。ずっとほしかったの」
と、とてもアタシにウリをさせてるとは思えないくらいのまっすぐな笑顔で笑った。
だけど、そのぬいぐるみはただのぬいぐるみじゃなかった。
美嘉の部屋に、大切に飾られるものとして選ばれたそれの中には、ツムギが秋葉原で揃えた色々な機材が詰まっていた。
美嘉にけっして気づかれないように、デジタルビデオカメラのレンズは周到に取り付けられていた。
カメラは最新の機種のもので、ワイヤレスで撮影した映像をパソコンでリアルタイムに見ることができるものだった。
凛にここだよと教えてもらうまで、アタシも気づけなかったくらいレンズは周到に仕組まれていた。
凛の思惑通り、"Chaco"が美嘉の部屋に置かれることになれば、美嘉の家からそう離れていない空き家に置かれた小さなパソコンが"Chaco"のカメラが撮影した映像を、「美嘉の部屋」と題されたホームページにリアルタイムにアップロードし続けてくれる。
パソコンにあまり詳しくないアタシにもよくわかるように、ツムギはそう教えてくれていた。
だから今日は、凛の計画がうまくいったかどうか、ツムギがアタシたちの前で、「美嘉の部屋」を見せてくれる、そういう日だった。
「凛のお兄ちゃんは? まだ?」
ナッツミルクティーを飲みながらアタシは言った。
ツムギもアタシや凛と同じ待ち合わせ時間に秋葉原駅に集合するはずだったけれど、まだ来ていなかった。
「ほしいDVDがあるから、それ買ってから来るって」
アタシは、そう、とだけ返事をして、ガトーショコラを口に運んだ。
凛のベイクドチーズケーキとアタシのガトーショコラをお互いにフォークを伸ばして一口ずつ食べていると、凛が言った。
「麻衣ちゃん、ちょっとあそこの席見て。
貴族が、貴族がいる……」
アタシは凛がいきなり何を言い出したのかとよくわからなかったけれど、彼女が指差す方向を見ると、凛の言う通り、そこには確かに貴族がいた。
いたって普通の格好をしたお連れの方と談笑をしながら、お紅茶をカップに注ぐその姿、そのいでたち、その微笑み、足元にあるビレッジバンガードの福袋のような鞄、すべてが貴族の方なのだった。
アタシたちは食べかけのケーキの写真を撮るふりをして、貴族の方に携帯のレンズを向けて何度も、何度も、ベストショットが撮れるまで貴族の方を写メに収め続けた。
今度はまたお互いのケーキにフォークを伸ばしながら、凛が言った。
「麻衣ちゃん、ちょっとあそこの席見て。
奥の四人用の席に座ってる人、お連れの人がいないのに、二人分のケーキと飲み物がテーブルに並んでるんだけど……」
その男の人はずっとニンテンドーDSの画面とにらめっこをしていた。
一体何をしているのだろう。お連れの人はいつになったら彼の元にやってくるのだろう。
一度気になりだすのと、どうしてもその真相を究明しないといけない性分のアタシは、そっと席を立ち、トイレに行くふりをして、こっそりその男の人の汗ばんだ両手に握り締められたニントンドーDSの画面を覗き込んだ。
そして、アタシは驚愕の表情を浮かべることになった。
「麻衣ちゃん、どうだった?」
席に戻ったアタシに凛が聞いてた。
「あの人、たぶんあれ、ゲームの中の女の子と恋愛するゲームか何かをしてた……」
お連れの人は最初からニンテンドーDSの画面の中にいたのだ。
彼は二次元の彼女とカフェを満喫していたのだった。
秋葉原には、世の中には、本当にいろんな人がいる。
一時間くらい待って、ようやくツムギが、入り口の小さなドアを窮屈そうにくぐりぬけて、お店に入ってきた。
「遅いよ、お兄ちゃん」
凛が頬を膨らませてそう言った。
アタシたちはとっくに紅茶もケーキも食べ終えて、待ちくたびれてソファでぐったりしていたところだった。
「ごめん、ごめん。欲しかったDVD、なかなか見つかんなくてさ、はい、これ」
ツムギはそう言って、ブックオフの黄色いビニール袋に入ったDVDを凛に渡した。
凛はテープをはがして、DVDを取り出した。
朝比奈クルミの冒険コスプレギャラリー、とDVDのタイトルにはあった。
「定価で買ってもよかったんだけど、レンタル落ちの方が安いからさ、あちこち探し回ってようやく手に入れたんだ。おかげさまで750円で買えたよ」
人気のアニメキャラクターのコスプレもののAVだった。
辻あずきという名前の、そのくせモー娘の加護ちゃんにそっくりな女の子がパッケージで様々な衣装を着ていた。
「ぼくの鞄にはもう入らないから、凛の鞄に入れておいてよ」
ツムギがそう言ったので、凛の頬はますます膨らんだ。
馬鹿、馬鹿、とツムギをゲンコツで叩き始めた。
「凛がいるのに、どうしてこんなの見るの」
浮気者、と凛が言ったとき、店内のお客さんたちが一斉に凛とツムギを振り返った。ニンテンドーDSに夢中のお客さんまでアタシたちを見ていた。
「えっと、あの、その、なんでもないです」
なぜかアタシが答えると、お客さんたちはまた一斉に首を元に戻した。
ツムギはため息をつきながら、
「今日はそんな話をしに来たわけじゃないだろ」
そう言った。
そうだった。
今日は、凛の計画がうまくいったかどうか、ツムギがアタシたちの前で、「美嘉の部屋」を見せてくれる、そういう日だった。
ツムギは鞄からノートパソコンを取り出した。
アタシと凛は、ツムギが開いたノートパソコンのディスプレイを、前のめりになって食い入るように見つめた。
「美嘉の部屋」は確かに美嘉の部屋だった。
4畳半ほどの狭い部屋に、ベッドと勉強机があり、ベッドには何着かのラブスカイの洋服が並べて置かれていて、美嘉が腕を組んでそれを眺めていた。
「美嘉ちゃんはぬいぐるみを本だなの上にでも置いてくれたみたいだね」
美嘉の部屋は素人目に見てもいいアングルで録れていた。
ミュートにしてあった音量をツムギが少しだけ大きくすると、部屋にはラブスカイウォーカーズのアルバムといっしょに歌う美嘉の鼻唄が聞こえた。
美嘉とメイはアタシのウリが終わる頃、学校の最寄りの駅でアタシを待つ。
それまではふたりでどこかで遊んだりしてるんだろう。
美嘉はお風呂上がりらしく、長い黒髪が濡れていた。
美嘉は今日着る服を決めあぐねているようだった。
五分ほどあれでもないこれでもないと思案して、ようやく決まったらしく、他の服をクローゼットに戻すと、パジャマを脱ぎ始めた。
ツムギ曰く、普通はこういった女の子の部屋を覗き見できるサイトは、あやしげな会社が運営していて、有料の会員制になっているらしかった。
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そして、その子には、フツーにOLをするのの何倍もの月収が支払われるらしい。
だけど美嘉の部屋は、ページを開けば誰もがみれるようにしなくちゃ意味がなかった。
だから彼女が個人的に運営しているホームページに見せかけるために、ネットアイドルのようなホームページの作りにしてあり、凛が書いたと思われる美嘉の日記や、凛が隠し撮りしたと思われる写真も載せられていた。
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そうすると掲示板はまた加熱した。
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「オナニーしたって意味だよ」
凛が教えてくれた。
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凛は言った。
ナナセがこのホームページのことを知ったら、どうなってしまうんだろう。
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そして、その映像をインターネットを使って世界中に配信するつもりなのだ。
「これからおもしろくなりそうだね」
凛はうれしそうに、またアタシがついこの間まで見たことがなかったような顔で笑った。
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でも俺は娘にイタズラしまくってるくせに最後の一線だけは超えない事を自分に誓っていた。
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