マスカレイドアバター ~ひきこもりニート30歳童貞の俺が、魔法使いじゃなくて変身ヒーローになってしまった件。~

雨野 美哉(あめの みかな)

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第三話 ②

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 帰宅した学は部屋で中学校の卒業アルバムを見ていた。テニス部の部員たちの顔に×がつけられている。 
 何かを思い出したように、学はアルバムをめくり、ひとりの女の子の写真を見つけた。中学生の頃好きだった女の子だった。 
 学はパソコンに向かうと、SNSサイトを開き、中北や平井といった連中を見つけたときのように、同級生たちを探した。 
「大塚さんもあきっちょも結婚して、こどもがいるのか……。もう三一だから当たり前なのかもしれないけど、結構ショックだな……」 
 ひきこもっていた十六年の歳月は、学にとっては長い宇宙の旅の間コールドスリープしていたかのように、彼にとっては時間がそんなに経過したという感覚がなかった。けれど、残酷にも時間はちゃんと流れ、同級生たちのほとんどは結婚してこどもを育てていた。十六歳で結婚して、十五歳のこどもがいる同級生もいた。そういった同級生たちは、同い年なのに随分大人な気がした。自分は十五歳のまままるで成長していない、そんな気がした。 
 目的の女の子はすぐに見つかった。伊藤香織という名前だった。 
 小学校は違っていたが、そろばん塾がいっしょで仲がよかった。中学一年のときに一ヶ月だけ付き合った。 
「メール、送ってみるか……」 
 そう言って、学はキーボードを叩いた。 



 数日後、おしゃれなカフェテラスに居心地悪そうに学はいた。 
 中学時代の同級生、伊藤香織はすぐにやってきた。 
「加藤くん? だよね? 待った?」 
「あ、いや……」 
 学は彼女と目をあわせることもできず、うつむいたまま返事をした。驚いた。中学時代からかわいかった彼女だったが、ますます綺麗になっていたからだった。 
 注文を聞きにきたウェイトレスにミルクティーを注文した彼女は、 
「何年ぶりかな? 十年ぶりくらい?」 
 と学に言った。 
「いや、俺は成人式とか出てないから……」 
 そう答えるのが精一杯だった。 
「じゃあ中学校卒業して以来だから十六年ぶりだね」 
 香織はそう言って笑った。 
「もうそんなになるのか……」 
 改めて、過ぎ去ってしまった歳月に学は思いをはせた。十六年の間に、同級生たちは就職し、結婚し、こどもを育てていた。けれど学はそれだけの時間をただもてあましてきただけで何ひとつ成し遂げたものはなかった。 
 香織と付き合ったのは一ヶ月だけのことだったが、学の人生で女の子と付き合ったのは後にも先にもその一ヶ月だけのことだった。彼の人生でその一ヶ月だけが虹色のようなきらびやかな思い出としてあった。 
 香織との恋が一ヶ月で終わってしまった理由は学にあった。 
 あの日、音楽の授業の帰りに、学は彼女がいるのに他の女の子といっしょに教室に戻ってしまった。それを香織は学が浮気をしている、と思いこみ、それきり香織が学と口を聞いてくれることはなくなってしまった。それで、学の初恋は終わった。ずっと後悔していた。 
 十六年の年月が経ったからだろうか、また香織が自分と話してくれているのが学にとってはとても不思議なことだった。 
「加藤くんは今何してるの?」 
「何って?」 
「仕事。確か小説家になりたがってたじゃない?」 
「そうだったっけ」 
「そうだよー。加藤くん、作文でいろんな賞とったりしてたよね。懐かしいなー」 
「そんなこともあったかな。昔の話だよ。今は……、求職中、かな」 
 初恋の女の子に、自分がひきこもりだとかニートだとか、そんな恥ずかしい肩書きを知られたくはなかった。かといってつまらない嘘で自分を塗り固めることもしたくはなかった。 
「そうなんだ? わたしはなれたよ、美容師」 
 香織は言った。 
「あ、確か家が床屋だったっけ」 
 彼女の家は、駅前にあるルナという名前の床屋だった。付き合っていたときに一度だけ髪を切りに行ったことがあった。 
「うん、高校卒業した後、美容師学校に行ってね、東京の美容院で五年勉強してこっちに帰ってきたの。うちもリニューアルしてね、今はもう床屋じゃなくて美容室なんだ」 
 感心するしかなかった。同級生たちは皆、自分の人生を自分で決めてちゃんと人生を生きている。学が殺した中学時代に彼をいじめていた連中もそうだった。 
 香織は学の髪をまじまじと見て、 
「加藤くん、その髪、自分で染めた?」 
 と聞いた。 
「あ、妹にやってもらった。やっぱわかる?」 
「うん、一目で。切ってくれたのも妹さん?」 
 さすが美容師だな、と思った。 
「結構上手だけど、やっぱり美容室の方がいいよ」 
 香織がそう言ったので、 
「じゃ、今度君の店に行くよ」 
 と学は言った。 
「うん、待ってるね」 
 と言って香織は笑った。その笑顔がまぶしかった。 
 初恋は実らないものだというけれど、彼女とずっと付き合っていたら、自分の人生は変わっていただろうか、と学は思った。 
 いじめられているとき、学には相談する相手が誰もいなかった。教師に相談することはできなかった。相談して、教師が野中や中北、平井といった連中に注意でもしようものなら、いじめが悪化することは目に見えていた。両親に相談することもできなかった。両親にできることは、学校に相談することくらいだ。そうなれば、教師に相談することと同じ結果が待っているに違いなかった。 
 だからとても苦しかった。香織なら相談に乗ってくれて、自分を支えてくれただろうか。もしかしたら、いじめ自体なかったかもしれない。人生は何がきっかけで変わるかわからない。香織と同じ高校に行って、普通の大人になれていたかもしれない。従兄弟の高志が言っていたように普通の人生を歩めていたかもしれない。そう思うとどうしてあの日他の女の子といっしょに音楽室から帰ってしまったのだろうと後悔しかなかった。 
「そういえば、加藤くん、結婚は?」 
 香織はウェイトレスが運んできたミルクティーを一口飲むと言った。 
「んー、当分予定はないかな」 
 自分はたぶん、一生結婚なんてできないだろうと思っていた。初恋の女の子の前で、つまらない嘘で自分を塗り固めることもしたくない、そんなことを思いながら、気づくと学は自分が普通の人間であるという嘘で自分を塗り固めていた。それがどうしようもなく情けなかった。 
 香織は笑って、 
「わたしとおんなじだ」 
 と言った。 
 初恋は実らないものだ。けれど、香織のその笑顔を見たら、十六年の年月が過ぎた今、もう一度実るチャンスがあるかもしれない、学はそんなことを考えてしまい、自分にはその資格がないと思い直した。 
「でさ、メールで言ってた相談って何?」 
 だから、香織に本題を切り出させることにした。香織からは相談に乗ってほしいことがある、とSNSのメールで言われていた。会おうと言ったのは学からではなく香織からだった。直接会って相談に乗ってほしいと言われていた。 
「あ、うん、加藤くん、選挙には毎回ちゃんと行ってる?」 
 学は香織の相談というのはてっきり恋か仕事のことだろうと思っていたから、突然選挙の話を振られて驚いた。 
「ん……、一回も行ったことがないなぁ。政治家なんてどうせ誰がなっても一緒だろ」 
 学は今の総理大臣が誰かすら知らなかった。 
 香織は大きくため息をついて、 
「はぁ……、これだから日本人はダメなのよね」 
 そう言った。 
「外国は戦争までして選挙権を勝ち取った国が多くて、だから政治に関する意識がすごく高くて投票率もすごく高いのよ。でも、日本人にとって選挙権ってアメリカに与えられたものでしかないから、若者はほとんど政治に興味がなくて投票率も悪い。これはとてもよくないことなの」 
 香織は早口にそう言った。学にはそれが彼女の言っていた相談と一体何の関係があるのかわからなかったので、 
「はぁ……」 
 と、ため息ではなく、合いの手を入れることしかできなかった。 
「もうすぐ衆議院議員の総選挙があるでしょ。加藤くんの一票をぜひ入れてほしい候補者の先生がいて」 
 そこでようやく、香織の相談が何であるか学は気づいた。気づいて、呼び出されてほいほいここに来てしまったことを後悔した。 
「千宙党の榊先生って人なんだけど」 
「千宙党?」 
 はじめて聞く政党だった。 
「知らないか。でも、千のコスモの会は知ってるわよね?」 
 その名前は知っていた。最近はやりの新興宗教だった。現存する教祖を神とあがめる、いわゆるカルト教団のひとつだった。 
「政党まで作ってたのか。ったく、中学校で習った政教分離の原則はどこに行ったんだよ。その榊っていう人は、もしかして教祖様なわけ?」 
 学の問いに、 
「……うん」 
 香織はこくりとうなづいた。 
「君も信者なんだ?」 
「……うん」 
 学は伝票を持って、席を立とうとした。 
「悪いけど、俺はその人を知らないから」 
 そう言った学の手を香織が握った。 
「待って! 今週末、講演会があるの! もしよかったら来てくれない? きっと榊様のすばらしさがわかってもらえると思うから」 
 学はため息をつくしかなかった。 
「……なんていうか、初恋の女の子と再会に、さっきまで喜んでた自分が馬鹿みたいだな」 
 ほんの少し、本当にほんの少しだけ期待していた。そんな自分が本当に馬鹿に思えた。 
「え?」 
 香織は何のことかわからないといった顔をした。  
「お前さ、そんなことしてたら友達、なくすよ」 
 学はそう言い、 
「じゃ、ここは俺が払っておくから」 
 今度こそ、席を立ち、会計を済ませ、店を出た。 
 残された香織は、 
「……友達なんて、もういないわよ、誰も」 
 そう言って、テーブルの上に置かれた携帯電話に手を伸ばした。 
「こちらK。ファーストフェイズに失敗した」 
 香織は携帯電話の通話相手にそう言った。 
 通話相手が言う。 
「こちらM。了解した。ただちにセカンドフェイズに移行する」 



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