2 / 123
第1章 第1話
しおりを挟む
数年が過ぎ、少年は成人し18歳になっていた。
成人こそしたものの、青年と呼ぶにはまだ少年の顔には幼さが残っていた。
まるで時間が止まってしまったかのように、身長も当時の164センチのままで、これ以上伸びる気配はない。
学生服を着ていなくても、中学生にしか見えなかった。
朝起きて、顔を洗い、歯を磨く。
そのときに必ず、鏡に写る自分を見ることになる。
自分はあの頃のまま変わっていないのに、なぜ少女は自分のそばにいないのか。
ふと、そんなことを考えてしまう。
そして、すぐに気づく。
自分がこの手で首を絞めたのだ、と。
途端に胃液が逆流し、吐瀉物で洗面台を汚してしまう。
そんな朝を、少年は1000日以上繰り返していた。
少年はこの数年間を、少女を手にかけた雨野市で過ごした。
かつては違う名前で呼ばれていたが、少女が死んだその日から一年中雨が降り続けるようになり、いつしかそう呼ばれるようになっていた。
汚してしまった洗面台を掃除し、少年がリビングに向かうと、
「おはよう。今日も雨だね」
窓の外を眺めながら、長身の青年が少年に言った。
長い前髪でいつも顔が隠れ、その表情を伺い知ることはできなかったが、その声は優しく、だがどこか悲しそうだった。
青年の名は、雨野タカミという。
少年が手にかけた少女の、血の繋がらない兄だった。
雨野市の由来は、一年中雨が降り続けるだけではなく、少女の苗字でもあった。
彼が着用するオーバーサイズのシャツジャケットとワイドパンツのセットアップは、彼のお気に入りだ。
背が高く華奢な体の彼にはよく似合っていた。
クローゼットの中には何色も色違いのものがあり、少年も同じものを借りてはたまに着ていた。
はじめは少女からの誕生日プレゼントだったらしい。
それを気に入った彼が、ネット通販で色ちがいのものをすべて揃えた時、少女は呆れ返ったそうだ。
数年前まで大量生産されていたものだが、今ではもう正規なルートでは販売も生産もされていない、入手困難な災厄前の時代の遺物だった。
都市部にあるという闇市でなら、もしかしたら手に入るかもしれない。
だが、雨野市から都市部に出るには半日はかかる。
自動車に必要なガソリンはもう手に入らないからだ。国内すべての発電所が停止したため、電気自動車の充電もままならない。当然、公共交通機関も動いていなかった。
マンションの屋上や壁面に設置されたソーラーパネルが生活に必要な最低限の電力は確保してくれていたし、水も降り続ける雨をろ過して使用できているが、少年が生まれ育った家に今も住んでいたなら、電気にも水にも困っていたことだろう。
そんな戦時中や戦後間もない時代よりはるかにひどい暮らしを送る人々が、この国の9割以上を占めており、少年の環境は非常に恵まれていた。
タカミといっしょに窓の外を眺める気にはならず、少年はソファーに腰を下ろすことにした。
雨が降り続ける街には、食糧を求め暴徒化した人々が今日も暴れまわっているのだろう。
スーパーやコンビニなどには、もうとっくに食糧はない。
暴徒が狙っているのは、同じ人間だ。殺して、喰らうのだ。
災厄が訪れる前は、さまざまな企業がいつか訪れるだろう食糧危機に備え昆虫を素材とした食品を作っては売り出していたが、当時散々嫌悪されたそれらももはや手に入らない。
店頭からはあっという間に消え、加工する工場はもはや動いておらず、昆虫を食するには自分で捕まえて調理をするしかない。
だが、昆虫で腹を満たすには、相当な労力が必要だ。
人をひとり殺す方が食材の確保としてははるかに効率的であり、カニバリズムはもはや現代人にとって生きるために必要な行為になっていた。
暴徒の中で、最も危険なのは暴力団でも半グレ集団でもなかった。彼らは拳銃や日本刀をはじめ、さまざまな武器を持ってはいるが、所詮は戦闘訓練を受けていない素人の集まりだからだ。
最も恐ろしいのは、元警察官や元自衛隊員といった所謂プロの連中だった。
法律など、とうに機能していない。
皆、自分が生きることだけを考えていた。
たった数年で70億いた人口は半分にまで減ってしまった。
世界は本当に変わってしまった。
ほんの数年前まで、引きこもりは社会問題とされていた。
しかし、今では家の外に一歩出れば疫病に感染し、隣人に命を狙われる。
何が正しくて何がいけないことなのか、そんなことは簡単に覆ってしまう。
それが少年が嫌悪する世界というものだった。
成人こそしたものの、青年と呼ぶにはまだ少年の顔には幼さが残っていた。
まるで時間が止まってしまったかのように、身長も当時の164センチのままで、これ以上伸びる気配はない。
学生服を着ていなくても、中学生にしか見えなかった。
朝起きて、顔を洗い、歯を磨く。
そのときに必ず、鏡に写る自分を見ることになる。
自分はあの頃のまま変わっていないのに、なぜ少女は自分のそばにいないのか。
ふと、そんなことを考えてしまう。
そして、すぐに気づく。
自分がこの手で首を絞めたのだ、と。
途端に胃液が逆流し、吐瀉物で洗面台を汚してしまう。
そんな朝を、少年は1000日以上繰り返していた。
少年はこの数年間を、少女を手にかけた雨野市で過ごした。
かつては違う名前で呼ばれていたが、少女が死んだその日から一年中雨が降り続けるようになり、いつしかそう呼ばれるようになっていた。
汚してしまった洗面台を掃除し、少年がリビングに向かうと、
「おはよう。今日も雨だね」
窓の外を眺めながら、長身の青年が少年に言った。
長い前髪でいつも顔が隠れ、その表情を伺い知ることはできなかったが、その声は優しく、だがどこか悲しそうだった。
青年の名は、雨野タカミという。
少年が手にかけた少女の、血の繋がらない兄だった。
雨野市の由来は、一年中雨が降り続けるだけではなく、少女の苗字でもあった。
彼が着用するオーバーサイズのシャツジャケットとワイドパンツのセットアップは、彼のお気に入りだ。
背が高く華奢な体の彼にはよく似合っていた。
クローゼットの中には何色も色違いのものがあり、少年も同じものを借りてはたまに着ていた。
はじめは少女からの誕生日プレゼントだったらしい。
それを気に入った彼が、ネット通販で色ちがいのものをすべて揃えた時、少女は呆れ返ったそうだ。
数年前まで大量生産されていたものだが、今ではもう正規なルートでは販売も生産もされていない、入手困難な災厄前の時代の遺物だった。
都市部にあるという闇市でなら、もしかしたら手に入るかもしれない。
だが、雨野市から都市部に出るには半日はかかる。
自動車に必要なガソリンはもう手に入らないからだ。国内すべての発電所が停止したため、電気自動車の充電もままならない。当然、公共交通機関も動いていなかった。
マンションの屋上や壁面に設置されたソーラーパネルが生活に必要な最低限の電力は確保してくれていたし、水も降り続ける雨をろ過して使用できているが、少年が生まれ育った家に今も住んでいたなら、電気にも水にも困っていたことだろう。
そんな戦時中や戦後間もない時代よりはるかにひどい暮らしを送る人々が、この国の9割以上を占めており、少年の環境は非常に恵まれていた。
タカミといっしょに窓の外を眺める気にはならず、少年はソファーに腰を下ろすことにした。
雨が降り続ける街には、食糧を求め暴徒化した人々が今日も暴れまわっているのだろう。
スーパーやコンビニなどには、もうとっくに食糧はない。
暴徒が狙っているのは、同じ人間だ。殺して、喰らうのだ。
災厄が訪れる前は、さまざまな企業がいつか訪れるだろう食糧危機に備え昆虫を素材とした食品を作っては売り出していたが、当時散々嫌悪されたそれらももはや手に入らない。
店頭からはあっという間に消え、加工する工場はもはや動いておらず、昆虫を食するには自分で捕まえて調理をするしかない。
だが、昆虫で腹を満たすには、相当な労力が必要だ。
人をひとり殺す方が食材の確保としてははるかに効率的であり、カニバリズムはもはや現代人にとって生きるために必要な行為になっていた。
暴徒の中で、最も危険なのは暴力団でも半グレ集団でもなかった。彼らは拳銃や日本刀をはじめ、さまざまな武器を持ってはいるが、所詮は戦闘訓練を受けていない素人の集まりだからだ。
最も恐ろしいのは、元警察官や元自衛隊員といった所謂プロの連中だった。
法律など、とうに機能していない。
皆、自分が生きることだけを考えていた。
たった数年で70億いた人口は半分にまで減ってしまった。
世界は本当に変わってしまった。
ほんの数年前まで、引きこもりは社会問題とされていた。
しかし、今では家の外に一歩出れば疫病に感染し、隣人に命を狙われる。
何が正しくて何がいけないことなのか、そんなことは簡単に覆ってしまう。
それが少年が嫌悪する世界というものだった。
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
『霧原村』~少女達の遊戯が幽から土地に纏わる怪異を起こす~転校生渉の怪異事変~
潮ノ海月
ホラー
とある年の五月の中旬、都会から来た転校生、神代渉が霧野川高校の教室に現れる。彼の洗練された姿に女子たちは興味を示し、一部の男子は不満を抱く。その中、主人公の森月和也は、渉の涼やかな笑顔の裏に冷たさを感じ、彼に違和感を感じた。
渉の編入から一週間が過ぎ、男子達も次第に渉を受け入れ、和也の友人の野風雄二も渉の魅力に引き込まれ、彼の友人となった。転校生騒ぎが終息しかけたある日の学校の昼休み、女子二人が『こっくりさん』で遊び始め、突然の悲鳴が教室に響く。そしてその翌日、同じクラスの女子、清水莉子が体調不良で休み、『こっくりさん』の祟りという噂が学校中に広まっていく。その次の日の放課後、莉子を心配したと斉藤凪紗は、彼女の友人である和也、雄二、凪沙、葵、渉の五人と共に莉子の家を訪れる。すると莉子の家は重苦しい雰囲気に包まれ、莉子の母親は憔悴した姿に変わっていた。その異変に気づいた渉と和也が莉子の部屋へ入ると、彼女は霊障によって変わり果てた姿に。しかし、彼女の霊障は始まりでしかなく、その後に起こる霊障、怪異。そして元霧原村に古くから伝わる因習、忌み地にまつわる闇、恐怖の怪異へと続く序章に過ぎなかった。
《主人公は和也(語り部)となります。ライトノベルズ風のホラー物語です》

アポリアの林
千年砂漠
ホラー
中学三年生の久住晴彦は学校でのイジメに耐えかねて家出し、プロフィール完全未公開の小説家の羽崎薫に保護された。
しかし羽崎の家で一ヶ月過した後家に戻った晴彦は重大な事件を起こしてしまう。
晴彦の事件を捜査する井川達夫と小宮俊介は、晴彦を保護した羽崎に滞在中の晴彦の話を聞きに行くが、特に不審な点はない。が、羽崎の家のある林の中で赤いワンピースの少女を見た小宮は、少女に示唆され夢で晴彦が事件を起こすまでの日々の追体験をするようになる。
羽崎の態度に引っかかる物を感じた井川は、晴彦のクラスメートで人の意識や感情が見える共感覚の持ち主の原田詩織の助けを得て小宮と共に、羽崎と少女の謎の解明へと乗り出す。

侯爵家の愛されない娘でしたが、前世の記憶を思い出したらお父様がバリ好みのイケメン過ぎて毎日が楽しくなりました
下菊みこと
ファンタジー
前世の記憶を思い出したらなにもかも上手くいったお話。
ご都合主義のSS。
お父様、キャラチェンジが激しくないですか。
小説家になろう様でも投稿しています。
突然ですが長編化します!ごめんなさい!ぜひ見てください!

異世界で最高の鍛冶師になる物語
ふみかん
ファンタジー
ある日、鐵光一は子犬を助けようとして死んでしまった。
しかし、鍛治の神ーー天目一箇神の気まぐれで救われた光一は海外の通販番組的なノリで異世界で第二の人生を歩む事を決める。
朽ちた黒龍との出会いから、光一の手に人類の未来は委ねられる事となる。
光一は鍛治師として世界を救う戦いに身を投じていく。
※この物語に心理戦だとかの読み合いや凄いバトルシーンなどは期待しないでください。
※主人公は添えて置くだけの物語

【完結】愛とは呼ばせない
野村にれ
恋愛
リール王太子殿下とサリー・ペルガメント侯爵令嬢は六歳の時からの婚約者である。
二人はお互いを励まし、未来に向かっていた。
しかし、王太子殿下は最近ある子爵令嬢に御執心で、サリーを蔑ろにしていた。
サリーは幾度となく、王太子殿下に問うも、答えは得られなかった。
二人は身分差はあるものの、子爵令嬢は男装をしても似合いそうな顔立ちで、長身で美しく、
まるで対の様だと言われるようになっていた。二人を見つめるファンもいるほどである。
サリーは婚約解消なのだろうと受け止め、承知するつもりであった。
しかし、そうはならなかった。

少女と虎といつか終わる嘘
阿波野治
ホラー
友人からの借金取り立てを苦にして、遍路を装い四国まで逃亡した沖野真一。竹林に囲まれた小鞠地区に迷い込んだ彼は、人食い虎の噂を聞き、怪物を退治する力を自分は持っていると嘘をつく。なぜか嘘を信用され、虎退治を任されることになり……。

異世界召喚でクラスの勇者達よりも強い俺は無能として追放処刑されたので自由に旅をします
Dakurai
ファンタジー
クラスで授業していた不動無限は突如と教室が光に包み込まれ気がつくと異世界に召喚されてしまった。神による儀式でとある神によってのスキルを得たがスキルが強すぎてスキル無しと勘違いされ更にはクラスメイトと王女による思惑で追放処刑に会ってしまうしかし最強スキルと聖獣のカワウソによって難を逃れと思ったらクラスの女子中野蒼花がついてきた。
相棒のカワウソとクラスの中野蒼花そして異世界の仲間と共にこの世界を自由に旅をします。
現在、第三章フェレスト王国エルフ編
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる