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#39(#07b14)

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その二三の言葉は、妹以外の者が口にしてもただの言葉や数字の羅列でしかなかった。妹が辞書や小説、漫画などからランダムに抜き出した言葉や数字でしかなく、その一つ一つや順番には何の意味もない。
しかし、ひとたび妹の声で聞かされると、この世界の何もかもが怖くなり、今生きていることにすら恐怖を覚えるようになる。恐怖症と名のつくあらゆる病を発症し、雪さんのように普通に生きることが困難になってしまう。
十年前、世間を騒がせる連続殺人犯らしき存在からなんとか逃げ延びることができた雪さんの存在を知ったマスコミは、彼女から事件当日のことをしつこく聞き出そうとしたことがあった。見知らぬ大人たちがカメラやマイクを持って彼女が住む家に押し掛け、まだ十歳の少女が恐怖に怯え悲鳴を上げる様子をテレビで流した。
まだ妹が逮捕される前のことであり、犯人は女だということが妹のシルエットを見た夜子さんや昼子さんの口から語られ、雪さんがあらゆる恐怖症を発症していることが報道された。マスコミは妹を魔女と呼んだ。魔法少女でしょ、と妹は腹を立てていた。
ドイツの伝承に、美しい歌で舟人を誘惑し破滅させるというローレライという魔女がいる。僕の妹は歌わずとも言葉や数字を口にするだけで小さな子どもたちを恐怖の海の底に沈める魔女だった。
妹の声は録音したものでは効果がなく、生で聞いた者だけが、今生きていることへの恐怖や手足を切断される恐怖、内臓を引きずり出される恐怖、そしてこれから死に行く恐怖に苛まれ、絶望し発狂する。最期には救いを求めて死を懇願するようになる。
妹が死を救済だと思い込んでいたのは、犯罪史に名を残した殺人犯たちの証言や著作の影響もあったが、子どもたちから懇願されたからだった。

「弘幸さんはあの人のお兄さん、なんだよね?あの人、死んだんでしょ?弘幸くんが殺したんでしょ?」
夜子さんが言った。僕に恋をする女の子の顔はもうしていなかった。妹が死んだことを僕は彼女に話しただろうか。その覚えはなかった。妹の話すら彼女には一度もしたことがない。
「だから、あの人の代わりにあの子やわたしたちを殺しに来たんでしょ?わたしと昼子が、あの子を助けたから。あの人の邪魔をしたから」
加藤さんのときと同じだ。彼女は僕が夏目メイの兄だと最初から知っていたのだ。
僕に抱かれたのも、僕を自宅や母親の実家であるこの家に招いたことも、すべては僕を一目につかないこの家で殺すつもりだったのだろう。彼女を利用するつもりだった僕は、彼女が立てていた計画にまんまとはめられたのだ。
「でも、わたしの方が一枚も二枚も上手だったね」
僕の体はいつの間にか金縛りにあったかのように動かなくなっていた。
「薬が効いてきたみたい」
彼女はとても嬉しそうな顔をしていた。
「ちなみに、何の薬かな……」
口はどうにか動き、声帯も震えてくれた。だから、彼女に訊くことが出来た。吐血もない。喉が焼けるような痛みもない。青酸カリのような致死性の高い毒ではないだろう。睡眠薬でもない。体は動かないが頭だけは不思議なくらいはっきりしていたからだ。考えられるとしたら筋弛緩剤だろうか。いや、筋弛緩剤は全身麻酔にも使われている。体が動かなくなったことには説明がつくかもしれないが、あれは意識を失うから体が動かなくなる薬だ。説明がつかない。局所麻酔だとしても、どうやって彼女はそんなものを手に入れ、首から下だけが動かなくなるよう分量を調節できたのか。何もわからなかった。
わかったことは、僕の腹にはすでにナイフが刺さっていること。それだけだった。
「麻薬だよ」
部屋のドアの前に昼子さんが立っていた。二本の指で何か小さなものをつまみ、僕に見せていた。ラムネ菓子のような円形の錠菓が土星のような輪を持っている、そんな形をしているように見えた。
「LASD-0。通称サターン。肉体の感覚をすべて断ち切り、脳だけを覚醒させる合成麻薬なんだって。無味無臭で水でもお茶でもコーラでも、飲み物に入れたらなんでもよく溶けるの」
道理で飲まされたことにすら気づかなかったはずだ。
「元々は嘲ル者が現場スタッフを強制的に笑わせるために作った合成麻薬の試作品だったそうよ。新人でもちゃんとはじめての現場で笑えるようにって」
だからLASDというわけだ。Laugh At Someone's Death、人の死を笑うという意味の英語の頭文字を取ったのだろう。会社が、先輩がそんなものをスタッフに飲ませようとしていたなんて信じられなかった。
「でも思ってた効果が全く得られなかった。楽しい気持ちにはならないし、ただ脳だけが覚醒して体の感覚がなくなるゴミが出来ちゃった」
「すべて廃棄処分されたはずだったみたいだけど、エリアマネージャーが何錠か持ってたの。女の子をレイプするときにちょうどいいみたい。わたしたちに何か飲ませようとしてたみたいだから、口移ししてあげて逆に飲ませて、殺して奪ったの」
ふたりはすでに人を殺していた。その効果も試していて、今日この日に使うために準備していたのだ。


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