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人は一人では生きていけない。よくそんな言葉を耳にするが、この言葉は肝心なことが意図的に排除されている。
本来この言葉は、人は一人では生きていけないが、誰かと生きていく以上他人を傷つけずには生きてはいけないし、必ず他人から傷つけられることになる、であるべきだ。
つまり、一人で生きていくことが可能ならそれにこしたことはない。だが、それが不可能である以上、傷つけることと傷つけられることを受け入れろ、というわけだ。自分が心を病むかもしれない覚悟と他人の心を病ませるかもしれない覚悟を持て、と。それを理解せずに簡単に口にする人間があまりに多すぎる。
だから、人は殺意を抱く。殺意を抱いても実際に行動を起こす者は一握りだが、「いつかバチが当たる」「死ねばいいのに」と人は殺意を抱いた相手の不幸や死を望み、そんな言葉を口にする。その者に不幸や死が降り注げば、陰で喜び、笑う。人は皆「嘲ル者」だ。
しかし、陰で笑うだけでは物足りない者がいる。表立って自ら笑うことができない者がいる。だから僕たちの仕事は成立している。

その日の依頼人は、引きこもりでニートの男だった。
現場スタッフは僕と大塚さんという初対面の女の子と、ベテランで顔見知り且つ同い年の名古屋さんが一緒だった。大塚さんも二年目らしく、全く向いていない新人の指導係ばかりさせられていた僕は久しぶりに安心して、ふたりとの待ち合わせ場所に向かうことができた。
依頼人がその死を笑ってほしいのは、飛行機事故で死んだ自分の両親や弟や妹だった。
彼の従姉妹にあたる女性の結婚式がハワイで行われることになり、彼ひとりを置いてハワイに向かった家族四人が乗る飛行機が海に墜落したらしい。テレビのニュースでも連日報道されていたから、事故のことは知っていた。
整備不良が原因だったとされたが、米国や日本を敵対視する国家に撃墜されたのではないかと陰謀論めいた話がネットには溢れていた。僕は陰謀論を信じない。一応ロマンを感じはするが、ロマンを楽しむのが陰謀論だと思っている。だからたぶん本当に整備不良だったのだろう。
依頼人の従姉妹が招待した人たちはほとんどが同じ飛行機に乗っており、事故が起きたせいで結婚式は中止になったという。捜索の甲斐なく、依頼人の家族四人だけでなく、乗客・乗務員を含めた一三六名が遺体の一部すら見つからないまま死亡認定され、航空会社からは彼に家族四人分、数億円の慰謝料が支払われた。その慰謝料の最初の使い道として、彼は自分の代わりに家族の死を笑ってくれる者を依頼したのだ。

彼は一度も社会に出たことがないわけではなかった。十年前に大学を卒業した彼は一度は有名企業の営業職として就職した。だがノルマがきつく一年目に体を壊し一ヶ月入院し、二年目には心を壊して数ヶ月求職した後に退職していた。それ以来社会に出ればまた同じことになると考え、自衛のために部屋に引きこもり十年近くが過ぎていた。
そんな彼をこの十年間、家族や親戚はあの手この手で無理矢理部屋から出そうとしたそうだ。ハワイで結婚式をあげようとしていた従姉妹も例外ではなかった。
父親は勝手にコネ入社先を見つけてきた。採用が既に確定し形だけの面接が行われるという日、一向に部屋から出てこない息子に腹を立てた父親は、全部お前のためにしたことだぞと彼の部屋の外から怒鳴ったらしい。それは一度だけではなく、二度三度、四度と繰り返されたという。よくもまあそんなに簡単にコネ入社先が次々と見つかるものだと正直羨ましかったが、彼に言わせれば、父親はただ世間体を気にしていただけだそうだ。
父親は彼が幼い頃からずっと息子たちや娘よりも世間体が大事な人だったらしい。自分や妻の収入どころかそもそも自分たちの遺伝子に見合わないようなレベルの幼稚園に彼を入れようとしたため、彼の人生は挫折から始まり、無謀な挑戦と挫折の繰り返しだったという。

「お父さんはさすがに擁護のしようがない感じですけど、お母さんはどうしてたんですかね」
葬儀場の最寄り駅の近くにあるファミレスで待ち合わせた大塚さんは、スマホのアプリに送られてきた資料を片手にメロンソーダを飲みながら僕と名古屋さんに言った。
「夫の言いなりだったんでしょ」
名古屋さんは冷たくあしらうように言った。うちの両親もこんな感じだったわ、と。
彼女は僕と同い年だが、短大を卒業してすぐにこの仕事を始めていた。だから僕より二年先輩になる。
仕事を始めてまだ二年目や四年目の大塚さんや僕と、六年目の名古屋さんとでは仕事に対する向き合い方が全く違っていた。大塚さんや僕は資料を読み込み、代理人として依頼人に成りきろうとするが、名古屋さんは資料には軽く目を通すだけで、あくまで代理人としての立場に徹し、依頼人に感情移入を一切しない。それがこの仕事を長く続けていく秘訣だと彼女は大塚さんに言った。佐野くんみたいに感情移入しすぎる人が壊れていくのを何度も見てきた、とも言った。
名古屋さんの言う通り、母親は夫の言いなりだった。世間体を気にして心を病んだ息子が精神科に通うことをやめさせ、その後どんなに彼の症状がひどくなっても連れていくこともしなかったし、彼が部屋から出られないならカウンセラーを呼ぶこともできたはずだが、それもしなかった。食事を用意することも禁じられた母親は、夫に言われた通りにしたという。
ファミレスを出てタクシーに拾い、葬儀場に着いた僕と大塚さんが目を疑ったのは、喪主として仕方なくいやいや葬儀に出ていた彼の姿だった。筋肉も脂肪もない骨と皮だけの彼は、まるでミイラか干物のようだった。頭髪もすべて抜け落ちてしまっていた。さすがに名古屋さんも自分の目を疑っている様子だった。


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