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ドリーワン・レベル2 第13話

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 その夜は妹の代わりにドリーがカレーを作り、3人で食べた。 
 食べ終わると、棗は帰ると言い、ぼくに見送りを頼んだ。 

「千鳥は、麻衣のそばにいてあげてくれるかい?」 

 ドリーの頭をくしゃっと撫でて、靴を履いた。 

「また来るよ」 

 階段の上、妹の部屋に声をかけた。 

「今日は車じゃないんですね」 

 たてこもり事件や猟奇殺人の熱もすっかり冷めた住宅街を歩きながら、ぼくは棗に聞いた。 

「外国製の、黄色い車、か?」 

 まだ信じられないけれど、ぼくたちは同じ夢を見ていた。 

「あの車はぼくが夢から持ち帰ったものだ。ガソリンも電気もいらない。君も確か自動販売機やら冷蔵庫やらいろいろ持ち帰っていたから知ってるだろう? 永久機関というわけさ。だけど所詮夢の世界の産物だ。現実では乗り心地が悪いからときどきこうして歩くことにしてる」 

 麻衣が学校に来るようになったからもしかしてとは思っていたけれど、と棗は煙草に火をつけて、 

「その様子だと手放したみたいだな。
 せっかくぼくが次のステージを見せてあげたというのに。
 なぜ手放した?」 

 矢継ぎ早にぼくに質問を浴びせる。 

「あんたみたいにはなりたくなかったから」 

 と、ぼくは答えた。 

 まるで神のように、物や命を好き勝手に得たり消したり、そんなことはぼくには出来ないし資格もない。たとえ神のような存在がいたとしても、そんな行為を許してはいけない。 

「ちっぽけな正義感か。せっかくわすれられないおくりものを授かったというのに、それをわざわざ手放して失ったものを取り戻して満足か?」 

「麻衣が好きなんだ。大切なんだ」 

「きみは自分がドリーワンを破棄したためにどれだけの人間を不幸にするかわかっていないようだな。きみが一度消した人間たちがPTSDに苦しんでることを知らないわけじゃないだろう?」 

 知ってる、とぼくは答えた。 
 ドリーワンに消されるということは消されたものに極度のトラウマを与える。 
 そのせいで妹も、軽度のPTSDに悩まされている。 

「いいや、君は知らないんだ。秋月レンジを見てないだろう」 

 棗がレンジのことを知っていたのは意外だった。 
 レンジは棗の教え子じゃない。 

「症状がひどいって、ぼくの主治医から聞いてます。見ない方がいいって」 

「それで、見なかったというわけか」 

 責めるように言う。 

「抗精神病薬づけだ。あいつはもうだめだ。1日に数分しか自分でいられないんだ。一生隔離病棟で過ごすことになるだろうな。あいつには夢があったし才能もあった。どんな努力もできるやつだった。俺やお前なんかと違ってな」 

「夢をかなえるだけが人生じゃないでしょう。病気がなおってからいくらだってやりなおしがきくんだ」 

「治れば、な。人の夢を潰した奴にそんな資格があるのか? おまえにあいつの病気がなおせるのか?」 

「医者だって馬鹿じゃないんだ。いつか治せるようになります」 

「たとえ治ったとして、そのいつかが十年後とか二十年後だったらどうする?」 

 人は生まれ落ちたとき、その境遇や才能に応じて無限ではなくある程度の可能性が与えられる。 
 だけどそれはひとつ年をとるごとに、確実に、失われていく。 
 やりなおしがきかなくなっていく。 

 ぼくはまだこどもだからわからないだろうけれど、大人たちがこどもに勉強をしろというのは、たとえば理系と文系では社会に出て数年もしないうちに年収が約百万変わってくるということを、体験で知っているからだ、と彼は言った。 

 何も言い返せなかった。 

「麻衣は症状が軽かっただけだ。一度消えてしまった者たちはあちら側に居た方がいいんだ。連れ戻しちゃいけなかったんだ。ドリーワンの不幸は契約者だけで終わらせなければいけないんだ」 

 棗はいつになく声をあらげていた。 

「もうやめよう」 

 過ぎ去ってしまった取り返しのつかないことについていくら論じあったところで、なにひとつ変えることなどできない、と棗は言った 

「ぼくの力でもどうしようもないことはあるんだ」 

 まるで自分に言い聞かせるようだった。 

「この間、宮沢理佳の兄が死んだだろう?」 

「第一発見者はぼくだった。彼も、契約者だったんだ」 

「そうか。夢の中じゃ元気にしてたけどな」 

 沈黙がぼくたちを支配する。 
 そうだ。 
 ぼくは彼のことも知っていた。 
 どうして気づかなかったのだろう。 

「同じ夢を見る契約者が4人か。これはもう、偶然じゃないな」 

「3人だろう?」 

「4人だよ。そのうちわかる」 

 その夜、ぼくはまだ、ドリーワンのことを何もわかっていやしなかった。



 妹の悲鳴で目が覚めた。 
 ぼくはベッドから飛び起きた。 

 ドリーが迷惑そうにはがれた布団をかぶる。
 なんで同じ布団で寝てるんだよ 。

 廊下に出た瞬間、妹の部屋のドアを開けずとも、ぼくは異変に気付いた。 

 妹の部屋から血が、廊下へ流れ出している。血は階段を滴り、数ヵ月前足を踏み外した父が死んでいた場所にたまっていた。 
 ひどいにおいだ。 
 むせかえるような、胃液が逆流をはじめるような、そんなにおいだ。 

 ドアノブに手をかける。 
 その手がふるえている。 
 部屋の中を見るのがこわかった。 

「だいじょうぶ」 

 ドリーがその手を握ってくれた。 

「麻衣ちゃんは無事だから」 

 その言葉をぼくは信じることにした。 

 ドアノブをひねる。 

 おびただしい量の血が、床に壁に天井に飛び散っていた。 

 勉強机も本棚も、クローゼットもベッドも、カーペットもバケツをひっくり返したような赤だった。 

 妹は血だまりの中にいた。 

「お、お、お兄、ちゃん」 

 布団が血だまりに落ちている。 
 ベッドからころげおちて目をさましたのかもしれない。 

 妹はすがるような瞳でぼくを呼んだ。 

 起き上がろうとして、ぺたんとしりもちをつく。 
 血がはねる。 
 腰がぬけてしまったのだ。 

「お兄ちゃん、お兄ちゃん」 

 血だまりの中をぼくは歩いていく。 
 だきしめる。 

「何があった?」 

 妹に怪我はない。 

「わ、わかんない。麻衣、寝相悪いでしょ。ベッドから落ちて目が覚めたの。そしたら部屋がこんなで」 

「夢を見た?」 

 ドリーが聞いた。 

「夢?」 

 妹が問い返す。 

「ぼくは、今日は、見てない」 

 ぼくが答える。 

「違うよ、麻衣ちゃんに聞いたんだよ」 

 今、なんて? 

「夢を見たんでしょう? 血がいっぱいの残酷な夢」 

 妹がうなづいた。 

 ぼくは妹に近づくドリーの腕を掴んだ。 

「どういうことだ?」 

 ドリーは足をすべらせて、血の海に転ぶ。 
 血が跳ねて、ぼくの頬に飛ぶ。 

 ドリーはうれしそうに言った。 

「言ったでしょ? はじまってるんだよ、レベル2が」 

 契約したのは、麻衣だった。 



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