上 下
42 / 44

ドリーワン・レベル2 第11話

しおりを挟む
 夢を、見なかった。 

「ドリー?」 

 ベッドにドリーの姿はなく、 

「麻衣?いる?」 

 妹の部屋のドアをノックしても返事はなかった。 
 ぼくは家中の部屋という部屋を妹たちの姿を探しまわった。 

 一週間前、ドリーはレベル2が始まったとぼくに告げた。 
 そして窓の外には探偵が現れた。 

 探偵には縁取りとモザイクがあり、ぼくがドリーワンで持ち帰ったものだとわかった。 

 夢を見たとき、その夢からひとつだけ現実に持ち帰ることができる。夢を見なかったとき、現実の大切なものをひとつずつ失う。 

 妹をもう二度と失いたくない。 
 家の中はとても静かで、つけっぱなしのテレビの中では羽鳥さんと辛保さんが北京にいた。オリンピックが来年北京で開かれることをぼくは今朝はじめて知った。 

 妹たちは見付からなかった。 
 食パンを一枚焼いて食べた。 
 窓から塀の外側に探偵の姿が見え隠れしていた。 
 ぼくはもう一度自分の部屋に戻り、まだ探していない場所がないか思案した。 
 父の6000本のビデオテープに囲まれた部屋。 
 母のまだ香水の残り香がする寝室。 
 妹の部屋には鍵がかかっている。 
 リビング。 
 ダイニング。 
 バスルーム。 
 そして、 

 陽の当たらない場所にあるトイレに、明かりがついていた。 

「麻衣? いるの?」 

 返事はない。 
 ぼくはトイレへと続く縁側に腰をかけて、トイレから妹が出てくるのを待った。 

「麻衣、おなかいたいの?」 

 一時間。 

「正露丸もってきてあげようか?」 

 二時間。 

「麻衣? そんなとこで寝てたりしないよね?」 

 四時間が過ぎた頃、ぼくはトイレのドアをそっと開けた。 


 そこに妹はいなかった。 

「お兄ちゃん、何してるの? お腹いたいの?」 

 妹の声。 
 振り返ると、ドリーがいた。 

「麻衣が、いないんだ」 

 ドリーは呆れたように、ぼくに告げる。 

「登校日」 



 虫の羽音が聞こえる。 
 部屋の天井の隅から聞こえているようなのだけれど、天井にそれらしき虫の姿はなかった。 
 天井裏かとも考えたが、ねずみの足音ならまだしも虫の羽音がそんなところから聞こえてくるはずがない。 
 羽音はぼくの頭の中で聞こえているのだ。 

 羽音は蛍のようで、蝿のようで、蝉のようで、ゴキブリのようでもある。 
 鳴き続けるわけではなく思い出したように鳴く。 
 ぼくはその虫を知っていた。 

 教室の腐った肉の塊が七つを数える頃から虫はぼくの視界を飛び回るようになった。 
 虫は視界の端に現れて、目で追い掛けようとすると視界のさらに端に逃げる。 
 過不足のある左右非対称の奇数の足が生えた腹を背中にして、同じ数の羽の生えた背中で宙を歩き回るように飛んだ。 
 腐った肉の塊に見える同級生たち、佐藤や田中や鈴木と紘子は呼んでいた、に、たかる虫と同じ羽音だった。 
 ぼくは教室から虫を連れ帰ってしまったのだ。 
 ぼんやりとぼくは天井の隅を眺めながら1日を過ごした。 

 目をつぶると暗闇の中に虫が見えた。 
 腐った肉の塊も虫も、縁取りもモザイクももたない。 
 ドリーワンとは別の何かがぼくの中で始まっている気がしていた。 

 後遺症のようなもの? 
 榊先生はカウンセリングが必要なのはぼくだと言っていた。 
 ドリーは何も教えてはくれない。 

「お兄ちゃん」 

 部屋の外から妹がぼくを呼んだ。 
 妹かもしれないし、ドリーかもしれない。 
 ふたりは双子よりもそっくりで、声も口調も同じなのだ。 
 ぼくにはふたりを見分けることはできても、声を聞き分けることはできない。 

「知ってた? もう八月なんだよ」 

 麻衣ね、もう宿題半分終わらせちゃった、とくすりと笑う。 

「お兄ちゃんは?」 

 そんなものがあることさえ、ぼくは忘れてしまっていた。 
 終業式の日、同級生たちは皆、いつもより大きな学校指定のバッグを持って登校した。 
 宿題として買わされる十冊以上の分厚いテキストを自宅に持ち帰るためなのだった。 
 何も知らないぼくはただひとり普段通りに登校して、宿題を持ち帰ることを諦めた。 
 宿題はまだ教室のロッカーの中だ。 

「麻衣の宿題が終わったら手伝ってあげるね。お兄ちゃん知らないかもしれないけど、麻衣結構頭いいんだよ。高校の勉強、ちょっと興味あるんだ」 

 そして妹は、もういちど、 

「お兄ちゃん」 

 と、ぼくを呼んだ。 

「千鳥ちゃんのことで麻衣いじけちゃったり部屋に閉じこもったりしてごめんね。この何日か、ずっとお兄ちゃんのことばかり考えてた。真っ暗闇の中に閉じ込められてた一ヶ月もお兄ちゃんのことばっかり考えてた」 

 ぼくは妹を部屋に招きいれた。 

「麻衣は、お兄ちゃんが好きです。お兄ちゃんが千鳥ちゃんと付き合ってたって平気、じゃないけど、それでも麻衣がお兄ちゃんのこと好きなのは変わらないし、考えてもしょうがないから考えないことにしたんだ。千鳥ちゃんがこの家に住むのはいやだけど、お兄ちゃんがそうしたいんだったら千鳥ちゃんとも仲良くする」 

 妹がいとおしかった。 

「だから麻衣を嫌いにならないでください」 

 どうしてぼくはいつもかわいい妹を悲しませてばかりいるんだろう。 
 ぼくは妹を抱きしめた。 

「もうすぐ誕生日だね。誕生日は、お兄ちゃんの好きなものいっぱい食べさせてあげるから楽しみにしててね」 

 ぼくたちは仲直りした。 
 妹といるときだけ、虫の羽音は聞こえない。 



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

オカルティック・アンダーワールド

アキラカ
ホラー
とある出版社で編集者として働く冴えないアラサー男子・三枝は、ある日突然学術雑誌の編集部から社内地下に存在するオカルト雑誌アガルタ編集部への異動辞令が出る。そこで三枝はライター兼見習い編集者として雇われている一人の高校生アルバイト・史(ふひと)と出会う。三枝はオカルトへの造詣が皆無な為、異動したその日に名目上史の教育係として史が担当する記事の取材へと駆り出されるのだった。しかしそこで待ち受けていたのは数々の心霊現象と怪奇な事件で有名な幽霊団地。そしてそこに住む奇妙な住人と不気味な出来事、徐々に襲われる恐怖体験に次から次へと巻き込まれてゆくのだった。

逢魔ヶ刻の迷い子2

naomikoryo
ホラー
——それは、封印された記憶を呼び覚ます夜の探索。 夏休みのある夜、中学二年生の六人は学校に伝わる七不思議の真相を確かめるため、旧校舎へと足を踏み入れた。 静まり返った廊下、誰もいないはずの音楽室から響くピアノの音、職員室の鏡に映る“もう一人の自分”——。 次々と彼らを襲う怪異は、単なる噂ではなかった。 そして、最後の七不思議**「深夜の花壇の少女」**が示す先には、**学校に隠された“ある真実”**が眠っていた——。 「恐怖」は、彼らを閉じ込めるために存在するのか。 それとも、何かを伝えるために存在しているのか。 七つの怪談が絡み合いながら、次第に明かされる“過去”と“真相”。 ただの怪談が、いつしか“真実”へと変わる時——。 あなたは、この夜を無事に終えることができるだろうか?

逢魔ヶ刻の迷い子

naomikoryo
ホラー
夏休みの夜、肝試しのために寺の墓地へ足を踏み入れた中学生6人。そこはただの墓地のはずだった。しかし、耳元に囁く不可解な声、いつの間にか繰り返される道、そして闇の中から現れた「もう一人の自分」。 気づいた時、彼らはこの世ならざる世界へ迷い込んでいた——。 赤く歪んだ月が照らす異形の寺、どこまでも続く石畳、そして開かれた黒い門。 逃げることも、抗うことも許されず、彼らに突きつけられたのは「供物」の選択。 犠牲を捧げるのか、それとも——? “恐怖”と“選択”が絡み合う、異界脱出ホラー。 果たして彼らは元の世界へ戻ることができるのか。 それとも、この夜の闇に囚われたまま、影へと溶けていくのか——。

田舎のお婆ちゃんから聞いた言い伝え

菊池まりな
ホラー
田舎のお婆ちゃんから古い言い伝えを聞いたことがあるだろうか?その中から厳選してお届けしたい。

赤い部屋

山根利広
ホラー
YouTubeの動画広告の中に、「決してスキップしてはいけない」広告があるという。 真っ赤な背景に「あなたは好きですか?」と書かれたその広告をスキップすると、死ぬと言われている。 東京都内のある高校でも、「赤い部屋」の噂がひとり歩きしていた。 そんな中、2年生の天根凛花は「赤い部屋」の内容が自分のみた夢の内容そっくりであることに気づく。 が、クラスメイトの黒河内莉子は、噂話を一蹴し、誰かの作り話だと言う。 だが、「呪い」は実在した。 「赤い部屋」の手によって残酷な死に方をする犠牲者が、続々現れる。 凛花と莉子は、死の連鎖に歯止めをかけるため、「解決策」を見出そうとする。 そんな中、凛花のスマートフォンにも「あなたは好きですか?」という広告が表示されてしまう。 「赤い部屋」から逃れる方法はあるのか? 誰がこの「呪い」を生み出したのか? そして彼らはなぜ、呪われたのか? 徐々に明かされる「赤い部屋」の真相。 その先にふたりが見たものは——。

鈴落ちの洞窟

山村京二
ホラー
ランタンの灯りが照らした洞窟の先には何が隠されているのか 雪深い集落に伝わる洞窟の噂。凍えるような寒さに身を寄せ合って飢えを凌いでいた。 集落を守るため、生きるために山へ出かけた男たちが次々と姿を消していく。 洞窟の入り口に残された熊除けの鈴と奇妙な謎。 かつては墓場代わりに使われていたという洞窟には何が隠されているのか。 夫を失った妻が口にした不可解な言葉とは。本当の恐怖は洞窟の中にあるのだろうか。

ひとりの少女を守るために70億の命を犠牲になんてできないから、ひとりの少女を犠牲にしてみた結果、事態がさらに悪化した件。

雨野 美哉(あめの みかな)
ホラー
 21世紀初頭、局地的な大災害が世界各地で立て続けに起き、世界中に未知の疫病が蔓延する中、世界はひとつの選択を迫られた。  70億の命を守るために、ひとりの少女の命を犠牲にするか。  あるいは、ひとりの少女の命を守るために、70億の命を犠牲にするか。  そして、その選択は、ひとりの少年に委ねられた。  いや、委ねざるを得なかったと言うべきだろう。  少女はその少年の恋人だったからだ。  少年は少女を連れて、小さな島国の中を逃げ続けた。  だが、やがて、ふたりは逃げることに疲れ果ててしまった。  悩み、もがき苦しんだ末に、少年は愛する少女をその手にかけることを選択した。  少女もそれを願ったからだ。  世界はそれで救われるはずだった。

ヴァルプルギスの夜~ライター月島楓の事件簿

加来 史吾兎
ホラー
 K県華月町(かげつちょう)の外れで、白装束を着させられた女子高生の首吊り死体が発見された。  フリーライターの月島楓(つきしまかえで)は、ひょんなことからこの事件の取材を任され、華月町出身で大手出版社の編集者である小野瀬崇彦(おのせたかひこ)と共に、山奥にある華月町へ向かう。  華月町には魔女を信仰するという宗教団体《サバト》の本拠地があり、事件への関与が噂されていたが警察の捜査は難航していた。  そんな矢先、華月町にまつわる伝承を調べていた女子大生が行方不明になってしまう。  そして魔の手は楓の身にも迫っていた──。  果たして楓と小野瀬は小さな町で巻き起こる事件の真相に辿り着くことができるのだろうか。

処理中です...