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ドリーワン・レベル2 第5話
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夏休みになったばかりだというのに、早速夏期講習が始まっていた。
大学の講義は90分だから、というわけのわからない理由から、一時限90分で区切られた授業を、午前と午後に二次元ずつ、教師達が赤本から切って貼り付けただけのプリントをひたすら解き、解説を聞くという授業がただ進められていく。
担任の要が、論理的に数学の難問を解いてみせる。
指揮者がタクトをふるように、彼は黒板にチョークで数式を書き連ね、ぼくたちはまるで彼のオーケストラか何かのようだった。
ぼくたちが正解の回答を、無駄のない美しい計算式で導かなければ、彼の進学校の教師としての演奏は素晴らしい音楽を奏でない。
ぼくはといえば、彼の授業についていくのがせいいっぱいだった。
授業後、別に居眠りをしていたとか、落書きをしていたというわけでもないのに、普通に授業を聞いていただけなのに、彼はぼくの授業態度が悪いだとか、大学受験をなめてるんじゃないかとか、しまいには俺を馬鹿にしているんだろうといった被害妄想をぼくにぶつけてきたので困ってしまった。
ぼくは幼い頃から、この手の教師が苦手だった。
前世というものが本当に存在するなら、ぼくはこの手の大人に何かひどいことをされたのだろう。
あるいは小学校の頃に、トラウマか何かを植え付けられてしまったのだろう。
ぼくは彼の顔を正面から見ることすらできない。
ただ黙って俯いていた。ときどき、すみません、と謝った。
叱られながら、ぼくがもう少し体が大きく、彼を見下ろせるくらいに背が高くて、そして護身用にナイフを持つような、髪を明るく染めた生徒だったなら、彼はぼくに同じことをするだろうか、と考えていた。
こたえはノーだ。
そんな生徒はこの学校にはいないから比べようもないけれど、彼はぼくがしかりつけても反抗はしないだろうと知っているのだ。
ぼくはもし反抗するそぶりを見せたなら、彼は裏切られたとまた被害妄想を拡大させて、ますます激昂するだろう。
彼の怒りがおさまりかけた頃、ぼくは一度だけ顔を上げた。
そこには腐った肉の塊のような、人ではない何かがおり、口らしき穴から唾を飛ばしながら、何かを喋っていた。
ただれた皮膚がただへばりついているだけといった棒のように細い腕が、ぼくの頭をくしゃっと撫で、「ひゃひゃへばひょひょしー」と言って、踵をかえして去っていった。
ぼくは呆然とその後ろ姿を眺めていた。
わかればよろしい、と言ったのだろうとしばらくしてから気づき、そのあとで要はどこに行ってしまったのだろうと思った。
きみのするロールプレイングゲームは、どうにもぼくと趣味があわないね。
いつかのように、忽然とぼくの背後に現れて、携帯ゲーム機の画面を覗き込み、少年はそう言った。
「この間はどうも」
と、彼は薄い笑みを浮かべて、頭を垂れた。ぼくつられて同じ笑みをして何度も頷いた。
彼の笑顔は、とってつけたもののように見えた。
「驚かせてしまっただろうね。ぼくは突然意識を失ってしまったんだろう?」
ぼくはあの日、宮沢理佳の、彼の、家を訪ねた日、目の前で気を失った彼をそのまま置いて帰ってしまった。
「鍵くらいかけていってほしかったな」
おかげで、ぼくは目がさめるまでの間ずっと、たてこもり事件が起きるような物騒なこの住宅街で無防備に眠り続けてしまった、と彼は張り付いた笑みのまま続け、
「まぁ、もっともいつのまにかあの家は棗とかいう人の家になってしまったようだから、鍵をかけようにもぼくは鍵さえもっていないんだけどね」
と、言った。
彼の腰についた鍵の束にぼくは目を向けた。
「あぁ、これ。一応家の鍵もここにあるんだけど、鍵があわない」
それにしても、きみのするロールプレイングゲームは、どうにもぼくと趣味があわないね。
少年はもう一度言った。
「この賊の少年が、主人公なんだろう?」
空を駆ける海賊、空賊になった少年が、天かける船を駆り、新しい仲間と出会い、かつての仲間たちと再会し、ともに戦い、世界を救う。
ぼくがしていたのはそんなゲームだった。
「まったくぺらぺらとよく喋る」
少年は露骨に嫌悪の表情をあらわにした。
「こちらが思ってもいないようなことをこんなに喋られたら、感情移入もできないじゃないか」
この少年がしたいと思っていることは、君のしたいことなのか?
この少年が思うように行動できるように操作をさせられているだけじゃないのか?
ならば、確固たる意思を持つこの少年と、その少年を操作させられている君は、どっちか上位の立場なんだ?
この箱庭と、この世界と、どっちが現実なんだ?
少年はそんな質問を続けざまにぼくにぶつけた。
ぼくは自分のこづかいで買ったゲームをけなされたのが何だかどうにもしゃくで、
「それなりにおもしろいさ」
言い返して、画面を閉じた。
それなりにね、と彼は繰り返して言うと、また笑った。
ロールプレイングゲームの主人公というのは、もっと寡黙で、素性もわからない者じゃなければいけないんだよ。
ゲームの中では寡黙でも、もちろんその主人公は無口というわけではないんだ。
ぼくの言葉で、ぼくの思うことを、仲間たちと話し合い、相談しながら旅を進めているんだ。
主人公がどんな環境に生まれ育ったか、どんな恋をして、どんな挫折を知っているか、想像するんだ。
脳内で補完してみるんだ。
結末は同じでも、そこまでの経緯はプレイヤーによって、プレイする度に異なる。
ロールプレイングゲームというのは、そうやって遊ぶものなんじゃないのかな。
そんな持論を展開した。
「ぼくが好きなのは、そういうゲームだ」
彼はそういうタイプのロールプレイングゲームがお好みらしい。
「ぼくがこれまでプレイしてきたロールプレイングゲームは、すべて同じ世界の出来事なんだ。
戦争が起きたり、地殻変動があったり、何百年何千年という歴史が経過したりして、ときには宇宙が一巡して、人類は何度も滅び、何度も栄える。
栄えては、また滅びる。
そんな滅びのときに、ぼくは時をとびこえたり、輪廻転生を繰り返したりして、偶然居合わせる。
そうやってぼくは何度も世界を救ってきたんだよ。これまでも、これからも」
ぼくは話題を変えたかった。
この男の妄想は異常だ。
だけど、彼は止まらない。
「そして、今もね」
今日もまた、彼の体から血が垂れた。
大学の講義は90分だから、というわけのわからない理由から、一時限90分で区切られた授業を、午前と午後に二次元ずつ、教師達が赤本から切って貼り付けただけのプリントをひたすら解き、解説を聞くという授業がただ進められていく。
担任の要が、論理的に数学の難問を解いてみせる。
指揮者がタクトをふるように、彼は黒板にチョークで数式を書き連ね、ぼくたちはまるで彼のオーケストラか何かのようだった。
ぼくたちが正解の回答を、無駄のない美しい計算式で導かなければ、彼の進学校の教師としての演奏は素晴らしい音楽を奏でない。
ぼくはといえば、彼の授業についていくのがせいいっぱいだった。
授業後、別に居眠りをしていたとか、落書きをしていたというわけでもないのに、普通に授業を聞いていただけなのに、彼はぼくの授業態度が悪いだとか、大学受験をなめてるんじゃないかとか、しまいには俺を馬鹿にしているんだろうといった被害妄想をぼくにぶつけてきたので困ってしまった。
ぼくは幼い頃から、この手の教師が苦手だった。
前世というものが本当に存在するなら、ぼくはこの手の大人に何かひどいことをされたのだろう。
あるいは小学校の頃に、トラウマか何かを植え付けられてしまったのだろう。
ぼくは彼の顔を正面から見ることすらできない。
ただ黙って俯いていた。ときどき、すみません、と謝った。
叱られながら、ぼくがもう少し体が大きく、彼を見下ろせるくらいに背が高くて、そして護身用にナイフを持つような、髪を明るく染めた生徒だったなら、彼はぼくに同じことをするだろうか、と考えていた。
こたえはノーだ。
そんな生徒はこの学校にはいないから比べようもないけれど、彼はぼくがしかりつけても反抗はしないだろうと知っているのだ。
ぼくはもし反抗するそぶりを見せたなら、彼は裏切られたとまた被害妄想を拡大させて、ますます激昂するだろう。
彼の怒りがおさまりかけた頃、ぼくは一度だけ顔を上げた。
そこには腐った肉の塊のような、人ではない何かがおり、口らしき穴から唾を飛ばしながら、何かを喋っていた。
ただれた皮膚がただへばりついているだけといった棒のように細い腕が、ぼくの頭をくしゃっと撫で、「ひゃひゃへばひょひょしー」と言って、踵をかえして去っていった。
ぼくは呆然とその後ろ姿を眺めていた。
わかればよろしい、と言ったのだろうとしばらくしてから気づき、そのあとで要はどこに行ってしまったのだろうと思った。
きみのするロールプレイングゲームは、どうにもぼくと趣味があわないね。
いつかのように、忽然とぼくの背後に現れて、携帯ゲーム機の画面を覗き込み、少年はそう言った。
「この間はどうも」
と、彼は薄い笑みを浮かべて、頭を垂れた。ぼくつられて同じ笑みをして何度も頷いた。
彼の笑顔は、とってつけたもののように見えた。
「驚かせてしまっただろうね。ぼくは突然意識を失ってしまったんだろう?」
ぼくはあの日、宮沢理佳の、彼の、家を訪ねた日、目の前で気を失った彼をそのまま置いて帰ってしまった。
「鍵くらいかけていってほしかったな」
おかげで、ぼくは目がさめるまでの間ずっと、たてこもり事件が起きるような物騒なこの住宅街で無防備に眠り続けてしまった、と彼は張り付いた笑みのまま続け、
「まぁ、もっともいつのまにかあの家は棗とかいう人の家になってしまったようだから、鍵をかけようにもぼくは鍵さえもっていないんだけどね」
と、言った。
彼の腰についた鍵の束にぼくは目を向けた。
「あぁ、これ。一応家の鍵もここにあるんだけど、鍵があわない」
それにしても、きみのするロールプレイングゲームは、どうにもぼくと趣味があわないね。
少年はもう一度言った。
「この賊の少年が、主人公なんだろう?」
空を駆ける海賊、空賊になった少年が、天かける船を駆り、新しい仲間と出会い、かつての仲間たちと再会し、ともに戦い、世界を救う。
ぼくがしていたのはそんなゲームだった。
「まったくぺらぺらとよく喋る」
少年は露骨に嫌悪の表情をあらわにした。
「こちらが思ってもいないようなことをこんなに喋られたら、感情移入もできないじゃないか」
この少年がしたいと思っていることは、君のしたいことなのか?
この少年が思うように行動できるように操作をさせられているだけじゃないのか?
ならば、確固たる意思を持つこの少年と、その少年を操作させられている君は、どっちか上位の立場なんだ?
この箱庭と、この世界と、どっちが現実なんだ?
少年はそんな質問を続けざまにぼくにぶつけた。
ぼくは自分のこづかいで買ったゲームをけなされたのが何だかどうにもしゃくで、
「それなりにおもしろいさ」
言い返して、画面を閉じた。
それなりにね、と彼は繰り返して言うと、また笑った。
ロールプレイングゲームの主人公というのは、もっと寡黙で、素性もわからない者じゃなければいけないんだよ。
ゲームの中では寡黙でも、もちろんその主人公は無口というわけではないんだ。
ぼくの言葉で、ぼくの思うことを、仲間たちと話し合い、相談しながら旅を進めているんだ。
主人公がどんな環境に生まれ育ったか、どんな恋をして、どんな挫折を知っているか、想像するんだ。
脳内で補完してみるんだ。
結末は同じでも、そこまでの経緯はプレイヤーによって、プレイする度に異なる。
ロールプレイングゲームというのは、そうやって遊ぶものなんじゃないのかな。
そんな持論を展開した。
「ぼくが好きなのは、そういうゲームだ」
彼はそういうタイプのロールプレイングゲームがお好みらしい。
「ぼくがこれまでプレイしてきたロールプレイングゲームは、すべて同じ世界の出来事なんだ。
戦争が起きたり、地殻変動があったり、何百年何千年という歴史が経過したりして、ときには宇宙が一巡して、人類は何度も滅び、何度も栄える。
栄えては、また滅びる。
そんな滅びのときに、ぼくは時をとびこえたり、輪廻転生を繰り返したりして、偶然居合わせる。
そうやってぼくは何度も世界を救ってきたんだよ。これまでも、これからも」
ぼくは話題を変えたかった。
この男の妄想は異常だ。
だけど、彼は止まらない。
「そして、今もね」
今日もまた、彼の体から血が垂れた。
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