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ドリーワンワンスモア・ドロップアウツⅡ 棗弘幸の憂鬱 ③

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 死刑囚もまた告げた。

「幼女の肉を食べるんです。ぼくはそれで不老不死になれたんです」


 棗弘幸はドリーを横目で見た。

 彼女から、チドリから聞かされていたドリーワンのルールに、不老不死になる方法などなかった。ドリーは黙って、女と死刑囚の話を聞いていた。

「ねぇ看守さん、死刑が執行されて、もしぼくが死ななかったらどうなるんですか?」

 死刑囚はこれから死刑が執行されるというのに、まるで他人事のようだった。

「お前おもしろいやつだな。
 なんか昔そういう話を聞いたことがあったような気がするな。
 死刑は執行されたけれど死ななかった男の話。確か釈放されたとか」

 看守もまたこれから死刑囚を死刑台に送るにしては随分とおちゃらけている。

「まぁでも五分も首を吊られてて死なない人間なんていやしないさ。
 お前は今日死ねる。よかったじゃないか」

 看守はそう言って、死刑囚の背中を叩いた。死刑囚もうれしそうに笑っていた。

「わたしは食べてないんですけど、こどもたちや職員の中には実際に年をとらなくなった人もいて。
 わたしもうあの子を見たり話に聞いたりするだけで気持ちが悪くて、ここで働いていく自信もなくなってしまって」

 女はまだ話し続けていた。
 中年にさしかかった女というやつはどうしてこう話好きなのか棗弘幸には理解できない。

 食べていない、というわりに、女の口のまわりには血を拭き取ったような跡があるのだ。


 女は、さぁこちらです、と棗たちを手招きした。

 女が遊戯室の扉を開くと、ピアノの音色は大きくなった。

 遊戯室は広く、50畳はあるように棗には思えた。
 その中心にピンク色のピアノはあったが、奏者はいなかった。
 自動演奏のピアノなんです、と女は言った。

 そのピアノから放射線状に、こどもたちや職員らしき大人の体が横たわっていた。
 死んでいるのではないかと一瞬寒気がしたが、どうやら皆眠っているだけらしい。

 F子はどこだろう、棗弘幸がそう考えていると、あそこです、女が指をさした。

 ピアノの上で幼女が眠っていた。

 放射線状の信者たちを踏んでしまわないように、棗弘幸とドリーは歩き、ピアノへと近付いた。


「う……うん」

 その気配に気付いたのか幼女が目を覚ます。

「おひさしぶりね」

「はじめまして」

 棗弘幸とドリーはかわるがわる幼女に挨拶をした。

「20年ぶりかしら。もうねずみの顔じゃないのね。
 そちらの方は、はじめまして。あなたは契約者ね」

 元、ですけど、と棗は彼女の言葉を訂正した。

「それで、ストーカーと契約者が今頃わたしに何のご用なのかしら?」

 幼女は姿形や声こそ幼女だったが、その口調は女だった。

「ストーカー?」

 棗弘幸が聞き返す。

「案内人のことよ。一昔前はそう呼んでいたの。
 好きな女の子の後をつけまわして殺しちゃうようなバカな男が世の中に溢れる前の時代にね」

 ドリーがこたえてくれた。

 幼女はピアノの上で微笑みながら棗たちのやりとりを聞いていたが、ふたりの返事を待っているようだった。
 だから棗は素直にこたえることにした。


「宮崎勤の死刑が今日執行される」


 幼女もまた棗弘幸の宣告を聞き置いた。


「そう、それであなたは、彼の夢から持ち帰られたわたしが、彼の死後も幼女として存在しつづけるのか、あるいは消滅するのか見にやってきた、というわけね」

 察しのいい女だ。きっと頭がいいのだろう。
 さすがこの養護施設をまとめあげただけのことはある。

「残念だけど……」

 さらに言葉をつむごうとした幼女を、


「わたしはあんたを仕分けにきた」


 ドリーが邪魔をした。


「20年前、わたしを殺しそこねたから?」

「20年前、宮崎勤を不老不死にしたからよ」


 ドリーはどこに隠し持っていたのか、裁縫用のはさみを幼女に向けた。


「そして、ここに眠るあんたの信者たち、そこにいるわたしたちを案内してくれた女、あんたこいつら全員に肉を食べさせたんでしょう?」


 似たような話を棗弘幸は思い出していた。

 さきほど女が口にした八尾比丘尼の物語だ。
 人魚の肉を食べた女が不老不死になる物語。

 ドリーワンは少なくとも二十年前には、おそらくは何百年も何千年も前から人類の歴史とともにあったはずだ。
 あるいはこの星や宇宙を作ったのはドリーワンであったのかもしれない。

 上半身が女、下半身が魚の人魚なんてものは夢の世界にしか存在しない。

 では誰かが夢から人魚を持ち帰ったのだとしたら?
 夢から持ち帰った人魚の肉を食べたのだとしたら?

 それが八尾比丘尼の物語の真相かもしれない。


「えぇ食べさせたわ。
 だってわたしだけずっとこんな小さな体で死ぬこともできずに世界が終わっても生き続けなくちゃいけないんだもの。
 わたしはこんな体だから誰かに守ってもらわなくちゃまともに生きていけないんだもの。
 だからわたしを好きになってくれた人やわたしを守ってくれる人がずっとわたしを好きでいてくれるようにずっとわたしを守ってくれるように不老不死にしてあげたの。
 それがいけないこと? わたしは誰かを悲しますたり苦しませたりなんかしてない。
 わたしはみんなをしあわせにしてあげてるの」


 ドリーは幼女に向けたはさみを、か細い首筋にあてた。


 それは、突然の出来事だった。


「今、宮崎勤の死刑が執行されたよ」


 棗弘幸は厳かに、その事実を告げた。


 死刑囚が階段をのぼり、天井から垂れ下がった縄のわっかに首をかけ、その瞬間床がばたんと開いて、死刑囚の体は宙ぶらりんになった。

 首の骨が折れる音。

 体が揺れる度にぎぃ、ぎぃ、と壊れた風鈴のような音がした。

 だらりと伸びた体から糞尿が垂れ流れる音が棗の耳に届いていた。


「いいえ、彼は死なないわ。だって彼はわたしの肉を食べたもの。
 おいしいおいしいって食べてくれたもの」

 棗弘幸の左耳にはもう何の音も届いてはいなかった。


「死んだよ」

「うそよ。20年前、彼は言ったもの。
 5年か10年か、いつになるかわからないけれど、ぼくが死刑が執行されたら、この国はぼくを釈放せざるをえなくなる。
 そのときがきたら迎えにいくよ。彼はわたしにそう言ったのよ」

 幼女は小さな手をピアノの鍵盤にたたきつけた。


「五分」

 と、棗はある時間を口にした。それは死刑囚が首を吊られている時間だった。

 この国の歴史上、かつてひとりだけ死刑を免れた男がいる。

 男は五分間首を吊られたが生還し、死刑は執行されたとして、男は釈放されたという。

「五分だけ待とう」

 棗弘幸は鍵盤に叩き付けられた幼女の手をハンカチで包んだ。
 幼く小さな指は折れ曲がってしまっていた。ハンカチにすぐ血がにじんだ。

「宮崎勤が本当に不老不死なら釈放される」





 数時間後、棗弘幸とドリーは東京拘置所の前で死刑囚と幼女の二十年ぶりの再会を眺めていた。

 死刑囚と幼女は、お互いに全力で駆け寄って、抱き合い、そして濃厚なキスを交わしていた。

 こんな光景をどこかで見たことがあるな、と棗弘幸は思った。

 その光景は北朝鮮に拉致された女と、アメリカの脱走兵の老人の再会に似ているような気がした。

 棗弘幸には、これほどまでに再会を喜びあえる相手は存在しない。
 少し羨ましい気もした。


「お前はいかなくてもいいのか?」

 棗弘幸は助手席のドリーに、そう声をかけた。

「いいの」

 ドリーは寂しそうにそう言った。

「出して、車」

 棗弘幸は言われた通り、車を出した。


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