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ドリーワンワンスモア・ドロップアウツⅡ 棗弘幸の憂鬱 ②

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 棗弘幸とドリーは養護施設「夢のなか」へと入ることにした。

 棗の左耳にねじこまれたカナル型イヤホンには、棗の持つ力を濫用して、その日死刑になる6000本のビデオテープの男の囚人服にとりつけた盗聴器から、死刑囚の吐息が聞こえていた。

 そのことを教えるとドリーは、わたしも、と言って聞かなかったので右耳にイヤホンをねじこんでやった。
 まるで一台のアイポッドで音楽を聴く恋人同士みたいだね、とドリーは言った。

 そして、懐かしいね、と、20年前、彼女がねずみ顔の男であった頃のことに思いをはせているようだった。


 死刑囚に殺されたことになっている五人の幼女は、たとえば秋葉原の通り魔のように夢から持ち出した何かを使わなければ殺すことができない。

 だから幼女たちを召喚し続けた死刑囚には幼女たちは殺せない。

 だから幼女たちを殺したのはねずみ顔の男だ。
 この女だ。
 きっと殺した幼女たちに思いをはせているのだろう。
 あるいは殺し損ねた六人目に?

 ドリーはF子を始末しにきたのかもしれなかった。

 数年前死刑宣告をただ聞き置いたというその男は、今日自分が死刑執行されることを知っているのかいないのかわからないが、平然としているように棗弘幸には思えた。


「こちらにいらっしゃるF子さんを訪ねてきたんですが」

 受付、というよりは事務所だろう、の女にそう告げると、女は不審そうに棗たちを交互に見て、ドリーの体の、写真から切り取って別の写真に張り付けたような違和感に気付き青ざめた。それは驚くだろうなと棗弘幸は思う。

 幼女のまま20年間年をとらず、養護施設にいつづけ、今ではもう施設のどの職員よりも長く施設にいるだろう少女と同じ、写真から切り取って別の写真に貼り付けたような違和感を持つ少女がやってきたのだ。

 ドリーの顔を見ると、何よ失礼しちゃうとはっきりと書かれていた。頬を膨らませてむくれていた。

「向かって左、つきあたり、一番奥の、大部屋の、遊戯室です……」

 ピアノの音色が聞こえるからすぐわかります、とふるえる声で女は言った。

 棗弘幸はおかしさを必死にこらえながら、ありがとうと謝辞の言葉を述べると「心情、お察しします」とつけくわえた。

 イヤホンをつけていない耳に、確かに、かすかにだが、ピアノの音色が聴こえた。

「ショパンかな」

 ドリーが言う。

「お前、ピアノは全部ショパンだと思ってるだろ」

「その台詞、学くんにも言われたことある」

 ラヴェルの亡き王女のためのバヴァーヌだった。

 彼女がひいているのだろうか。

 ドリーは、「知らない」とだけ言って、耳をすませるわけでもなく棗弘幸のアルマーニのスーツの袖を引っ張り、早く早く、と急かした。

 その横で、

「F子さんて、どんな子ですか? 私たち、無関係というわけじゃないんですが、私は初対面だし、この子は20年ぶりの再会なんです」

 棗弘幸は受付の女に二、三、質問してみることにした。

「い、い、いい子ですよ、とっても。え、えぇ、それはもう」

 女の声は上擦っていた。

 もうひとつ質問を投げ掛けようとすると、女は喰らい付くかのような表情で、

「あ、あ、あの子、ひ、引き取っていただけるんですか?」

 と、逆に質問されてしまった。

 棗はいつ自分がそんな話をしたのか、なぜそこまで話が飛躍してしまうのかわからなかったが、F子を厄介払いしたがっているのだということはわかった。

 ドリーに手をひかれて歩きはじめようとすると、あの、と呼びとめられた。

「あの子のこと、よろしくお願いします」

 棗弘幸は苦笑して、頭を垂れると、踵を返し、足早に遊戯室へ向かった。

 養護施設というわりに、建物の中にも、外にも、こどもたちの姿はなく、はしゃいだ笑い声などが聞こえることもなかった。

 ただピアノの音色だけが響いていた。

 かつて新興宗教のサティアンであったという建物は、随分老朽化が進んでいて、歩を進めるたびにぎしぃと泣いた。部屋数は相当なものだが、いかんせん通路が驚くほど狭い。
 人がふたりようやくすれちがえられるかどうかくらいしかない。
 壁にはこどもたちが描いたと思われる油絵や水彩画が並べられていた。
 それはどうやら「海」がテーマであるようなのだが、どれもこれも幼女の肖像画であった。

「お、おかしいでしょう?」

 突然後ろから声をかけられて、棗弘幸は驚かされた。

 先ほどの女だった。

「F子ちゃん、ここのこどもたちの神様、みたいなんです」

 と、女は奇妙なことを棗弘幸に告げた。


 彼の左耳のイヤホンには、死刑囚の名を呼ぶ看守の声が聞こえていた。看守は厳かに、死刑囚にこれから死刑の執行が行われることを告げた。

「そうですか、ぼくもとうとう死刑になるんですか」

 死刑囚はやはり、死刑執行を告げられてもそれさえも聞き置いた様子だった。

 事件当時25歳、現在45歳の初老の男のはずだが、声は青年のままだった。
 一人称も「ぼく」のままで、それはまるで彼が大人になれなかったことの証明のようであった。

 独房のドアが開かれ、死刑囚には手錠がかけられる音がした。

「お前、変わらないな。20年前から。
 普通こんなところに20年もいたら、人一倍老けるもんだっていうのに。
 若さを保つ秘訣でもあるのか。あるなら教えてほしいもんだよ。首吊る前にさ」

 死刑囚は看守にそう言われて、うれしそうに笑った。

 死刑囚が年をとっていない?
 棗弘幸は困惑した。

「いいですよ。これがあなたとも最後みたいですし、教えてあげますよ。
 この服につけられてる盗聴器の向こうの誰か、にもね」

 まさか気付かれているとは思わなかった。


 女の話はまだ続いていた。

「わたしがここで働き始めたのが六年前になるんですけど、その頃にはもうそんな感じでした。
 きっと10年くらい前からだと思います。
 その前の10年間、あの子はあの子を養女にしたいという申し入れが殺到しまして、だけど養女になってしばらくすると養子縁組を切られてまたここに戻ってくるという生活を繰り返していたそうですから。
 ここは養護施設であって養護施設ではないんです。
 きっとここが新興宗教のサティアンだったからいけなかったんだと思います。
 あの子は宗教を始めてしまったのです。
 こどもたちだけじゃなく職員の中にも信者はいて、あの、わたしは違うんですけど、ご存じだと思いますが、あの子、年をとらないんです。
 20年間ずっと幼女のままで。
 やおびくにっていうんですか、そういうの。
 わたしは神話とか伝承に疎いからわからないんですけど」

 そして、女は言った。

「あの子の肉を食べると不老不死になれるそうなんです」


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