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第11話

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 一昨日、通夜のはじまる前、ぼくは棗を部屋を招きいれた。 

 棗は、足の踏み場もないぼくの部屋を見渡し、ふうん、と言った。 

「これはまた、見事なもんだな。自販機に公衆電話、バス停にマスコット、それにマネキンか」 

「はがねのつるぎ、なんてのもあるよ」 

 ドリーは押入れを開けて、一振りの鋼の剣を持ち上げる。 

 がらくたは毎日のように増えていた。 

「外の刑事は、あれはなんだい?」 

「お兄ちゃんの友達が行方不明になったでしょ。お兄ちゃんは容疑者なの。ずっと監視されてるのよ」 

「当たらずとも遠からずと言ったところかな。問題は、彼の友達が行方不明になった理由と、あの刑事たちが存在する理由が同じってところかな」

「どうしたらいいと思う?」 

「実在はするけれど架空の刑事だからね、何もできやしないさ。放っておけばいいんじゃないかな」 

「そうだね」 

「それはともかくチドリ」 

「今はドリーだよ」 

「ドリー、テレビに出たのはさすがにまずかったんじゃないか?
 この間学校に来たときにも注意しただろう。
 契約者でなくとも一目見れば、君が普通と違うということくらいはわかるんだ」 

「東海林さんびっくりしてたもんね」 

「梨本もね。今朝は朝から汚い顔のアップを見ちゃったよ」 

「どですかなんて見てるんだ? めざましテレビ見ればいいのに。お兄ちゃんは天気予報のアイちゃんがお気に入りなんだよ」 

「あの子、アヤパンとうまくやれてるのか心配になるよね」 

「嫌われてるんじゃない? 麻衣は嫌いだし」 

「かわいいけどな」 

「だから、だよ」 

 棗とドリーの会話をぼくは黙って聞いていた。 

「たてこもり犯もラジオで契約者らしき発言をしていただろう?」 

「介護サービス会社の記者会見にもあの刑事さんたちと同じ人がいたよね」 

「母親の生首を交番に持参した少年もたぶん契約者だな」 

「切断した指をカレーの具にいれた子たちは?」 

「あれはどうだろう。契約者、というより脱落者らしい行動ではあるけれどね。たぶん違うんじゃないかな。ところで、彼は契約してどれくらい?」 

「もうすぐ契機満了、かな」 

「彼はどちらを選ぶだろうか」 

「麻衣を選んでくれるに決まってるじゃない。ねぇ、おなかすかない? カレー作ったの」 

「おいおい、通夜でカレー出す気か」 

「好きだったでしょ? 食べたくない?」 

 ドリーはぼくには見せたこともなかった表情を棗に見せる。 

「指、入ってないだろうね」 

「あはは、ばーか」 

 ぼくは、棗に嫉妬した。 

「お兄ちゃんも食べるでしょ?」 

 カレーは、嫌いだった。 

 ぼくは一口も食べなかった。 

 棗がカレーをすくったスプーンに、いつかドリーがはさみで切り落とした指が入っていた。 





 今日も夢を見なかった。 


 夢を見なかった朝、と言っても目を覚ましたのは昼過ぎなのだけれど、ぼくはなくしたものが何であるかを確かめなければならない。 

 ドリーワンは一番大切なものから奪っていく。ノートには大切なものはすべて大切な順に書き出してあった。 

 すでになくしてしまったものを含めてぼくが考えて考えて書き出したその「大切なものランキング」と、実際になくす順番は違っていたが、今のところランク外のものがなくなっていたことはない。 

 確認がしやすいように大切なものはすべて決められた場所に置くようになった。 

 ランキングによれば眼鏡の番だったが、眼鏡は枕元に置かれたケースに入っていた。 

 眼鏡でなければ――ノートに書かれたものがあるべき場所を見る。

 壁のコンセントに刺さった白いケーブルを目で追う。

 ケーブルは充電器から伸びていた。そこにあるべきものがない。 


 今朝は携帯電話がなくなっていた。 

 部屋の整理整頓をしたら、なくしたと思っていたものが部屋から出てきた。携帯電話がそのひとつだった。 

 昨夜ぼくはそれをちゃんと充電器にセットしたはずだった。 

 いつものように自動販売機で何か冷たいものをと思ったが、小銭がない。携帯電話がなければないでないなりの生活ができるが、ないと途端に生きづらくなる。寝る前に飲みかけだったらしいぬるい清涼飲料水を喉に流し込み、 

「ドリー」 

 ぼくは布団の中で眠る妹を起こした。 

「ドリー起きて。ちょっと聞きたいことがあるんだ」 

 ドリーはまぶしそうに目を開けて、 

「なあに、まだ眠いのに」 

 少し不機嫌そうに言った。ドリーは妹と同じで、朝が弱い。たぶん、ぼくがなくしてしまった妹の代わりを求めて、夢を見たからだ。 

「携帯電話がなくなった」 

「また夢を見なかったんだ?」 

「ドリーワンによって失したものは取り戻すことができないんだったよな」 

「そうだよ」 

「携帯電話をなくした場合、なくした携帯だけを取り戻すことができないのか、携帯電話自体二度とぼくが手に入れることができないのか、どっちになる?」 

「携帯がなくなったってことは、たぶんお兄ちゃんが持っていた携帯の顧客情報そのものが、なくなってると思う。だから同じ番号の携帯は手に入らない」 

「新規契約で違う番号の携帯なら?」 

「それなら手に入れることはできるよ。でも無駄だと思う。携帯電話がなくなったってことはそれがお兄ちゃんが今一番大切に思ってるものってことだもの。新しい携帯も次の夢を見なかった朝にはなくなっちゃう。今日手に入れた携帯が明日の朝にはもうないかもしれないよ」 

 ぼくはドリーの言葉をノートにメモする。 
 メモをすればするほどノートの重要性は増し、ぼくの中で大切なものになる。 
いつかはこのノートも失うのだ。 
 ルールはすべて頭にいれておかなければならない。 
 大丈夫。暗記科目は得意だった。 

「それでも買いに行くって言うなら、麻衣もついていく。お兄ちゃんと外出するなんてはじめてだもんね」 

 ドリーは目を輝かせた。 

「でもおかしいね、いくらでも代わりがきくものがなくなるなんてことはないはずなのに。大切な思い出とか手放したくない理由があるとか、メールや留守電のメッセージのような、何かなくなったら困るようなものが入ってたら……ううん、じゃあそれだけがなくなるはず。消去すればすむことだもの」 

 ドリーはひとりで考え込み独り言をつぶやく。 
 ぼくはまたノートにペンを走らせた。 

 一度になくなるものは必ずひとつ。 

 数日前に書いたメモが目に止まった。 

 このノートがいつかなくなるのなら、それなら予備を作ればいい。 
 パソコンに入力しておこう。それだけじゃ足らない。プリントアウトしておく。入力した文書ファイルをネット上の誰にも見付からない場所にアップロードしておく。そうすれば、いつかパソコンをなくしてしまっても、漫画喫茶からでもルールブックが読める。だけど、妹の写真のように、すべてが同時に消えてしまうかもしれない。 

 携帯電話を諦めなければならないのは残念だが、ドリーも知らないドリーワンのルールが存在するかもしれない、ということがわかったことでよしとしておこう。 
ドリーはぼくの飲みかけのあまったるくぬるいジュースを一口ふくんで、うげえとうめいた。何これまずい。自販機がそこにあるのになんでこんなの飲んでるの? 

「携帯がないからね。お金も持ってないし。今何時だろう」 

 ぼくの部屋には時計がない。 
 テレビをつけようにもリモコンはないし、リモコン機能がついていた携帯はなくなった。 
 テレビの主電源ボタンをおせばテレビはつくがそこまで歩く数歩の距離がぼくには億劫だった。 

「携帯がないとわからないな」 

 ドリーは頭を抱えた。 

「お兄ちゃんがなんで携帯をなくしたのかよくわかる気がする」 

 ため息をつかれてしまった。 



 ニット帽を目深にかぶり、ぼくはドリーと街を出た。 

「携帯買うの?」 

「いや、」 

 なくしたものを確認しておこうと思って、とぼくは言おうとして、 

「うん、携帯も買いたいけど、ドリーと買い物に行きたい気分だったんだ」

 と、嘘をついた。 

 ドリーはうれしそうにぼくの体に腕をからませてきた。 
 小さな胸が、ぼくの腕にあたる。 

 たてこもり事件の家の半径300メートルの、平時と戦時の境界線に沿って、ぼくたちは歩いた。 
 まだ朝早い。 
 登校する制服姿の女の子たちが目に付いた。 
 ぼくたちを見て、笑っているような気がした。 
 気のせいだ、とぼくは自分に言い聞かせた。 

 ある日、学校に行けなくなった。 

 居場所をなくしたからだとドリーは言った。 

 結んだ覚えのない「契約」が一体いつの出来事で、契約がどのようなものであったのか、ドリーに確かめるのは少しこわかった。 

 あの頃のぼくに本当に今のような不可解な現象がおきていたのかどうかそれすらも曖昧で、記憶にない。 

 もし本当に居場所をなくして学校に行けなくなったのだとしたら、ぼくはもう二度と学校にいけない気がする。 

 学校は今もかわらずそこにあった。 
 学校はそこにあるのに、ぼくはもう二度とこの学校に通えない。 

「一番大切なものをなくしたからだよ。だからお兄ちゃんはもうどこにも居場所を見つけられない」 

 ドリーが言った。 

「麻衣と買い物したいなんて嘘。なくしたものを確認するために、麻衣を連れてきたんでしょ」 

「気づいてたんだ」 

「麻衣はお兄ちゃんのことは何でもわかるから」 

 ぼくがカレーが食べられないことも知らないくせに、とぼくは思った。 

 ミクシィもだめだった。 
 ぼくの居場所はネットにすらない。 

「麻衣がお兄ちゃんの居場所になってあげる」 

 ドリーの言葉は全部ドリーワンのせいにすればいいよと言っているように聞こえた。 

 本当にそうだろうか。 
 全部ドリーワンのせいかもしれない。 

 そうじゃないかもしれない。 
 どちらかといえばドリーワンのせいであってほしいと思った。 
 誰かの、何かのせいにしたかった。 
 今の自分が過去の自分のせいだなんて残酷すぎる。 
 未来の自分が今の自分のせいだなんて悲しすぎる。 

 街は変わってしまっていた。 
 公園からは妹と遊んだ砂場やジャングルジムが消えていた。 
 よく通った駄菓子屋や本屋は閉店していた。 
 小学校は廃校になっていた。 

 全部ドリーワンが、ぼくが消したのだ。 
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