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第10話

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「夢なら見たのに」 

 母の遺体を見下ろしながら、ぼくは思った。 



 携帯電話の電波状態を示す、三本の棒のひとつになる夢だった。 

 一見棒に見えるあれは実は人間で、三本の棒はそれぞれ身長が定められており、その条件を満たし、厳しい試験を乗り越えたエリートだけがなれる、選ばれた職種だ。 

 ぼくはそれを目指し、そして選ばれ、しかし棒であることに悩み、棒と人の間で葛藤を繰り返すのだ。 

 やがてぼくはバッテリーと共に反乱を企てる。 

 液晶から姿を隠し、アンテナから携帯電話の外へ逃げる計画を決行した。 

 時計とSDカードがぼくたちを追い詰める。 

 バッテリーが撃たれ、俺にかまうな、お前だけでも逃げろ、と言った。だけどぼくは逃げなかった。 

 カレンダーと待ち受け画像の高い壁に阻まれたその場所で、バッテリーの最期をみとった。 



 ぼくは目指したアンテナを持ち帰った。 

 最近の携帯にはもうついていない。ついていても伸ばしたことすらなかった。 

 携帯電話すらなくしてしまったぼくにとってまったく必要がないものだった。 


 母の胸にあいた銃創にぼくはそのアンテナを生けた。 

「なんでこの女が死ぬんだ」 

 失うのは、夢を見なかった朝だけのはずだ。 


 それがルールのはずだ。 

 この女は、ぼくと妹を捨てて、男のところに転がり込んだ。 

 そのとき、ぼくはこの女を「なくした」はずだ。 


「その人が死んだのは、ドリーワンとは無関係だよ」 


 テレビを見ながら、興味なさそうにドリーは言った。 



――たった今、たてこもり事件の佐野容疑者に撃たれ、なくなった加藤綾音さんのご遺体が、ご自宅に帰られました。
  今夜通夜が行われ、明日葬儀が行われます。
  画面左にいらっしゃるのが長男の学さん、その右にいらっしゃるのが長女の麻衣さん、あれ? あ、いえ、麻衣さん、です。
  まだ、高校生と、中学生の、この、ご兄弟は、八ヶ月前に、お父様を、ご自宅の、階段の、転落、事故、で、なくされ、た、ばかりで――やっぱりおかしいわ、あの子、 


――東海林さん、どうされましたか? 


――カメラさん、ちょっとあの麻衣って子、アップにしてもらえる? 


――ちょっと東海林さん。え、何これ?合成? この麻衣って子、どうなってるの? 



「ドリーワンは命を与えないし、奪いもしないもの。麻衣が生きていないようにね」 

 ドリーは繰り返しビデオを何度も再生し、うれしそうにしている。 

 ぼくはといえばその隣で頭を抱えていた。 





 妹の担任であり、ぼくの担任でもあった棗弘幸という教師は、ぼくの知る限り最もいい加減な教師だった。 

 ぼくは三年間棗の担任のクラスに所属したが、彼が生徒に注意をしたり、叱ったりしたことを見たことがなかった。 

 大声を張り上げる数学や体育の教師を冷ややかな視線を送るその目は、教師というより生徒に近く見え、退屈そうに朝礼や行事に顔を出していた。 

 他人に厳しい人間は、大抵自分に甘い。

 自分があくびをしたあとで他人があくびをすれば注意をする。

 好きで注意をしているわけではないと彼等は主張するが、好きではないにしても、注意しない人間や注意できない人間ほどにはその行動は苦にはならないのだ。

 その行動に酔えるくらいには好きなのだ。 

 他人にも厳しく自分にも厳しい、そんな人間はごくわずかであり、だからこそ教師という存在は常にやりだまにあげられ叩かれ続けるのだ。 

 その点、棗弘幸という男は、自分に甘く、他人にも甘かった。 

 他人がどんな行動をとろうが、自分に害がおよばなければ構わないし、およばないようにふるまう術を知っているようにも見えた。 

 仕事はきっちり定時で終え、残業をしなければならないほど仕事を抱えこまない。

 マニュアル通りのおもしろくもつまらなくもない授業を行い、帰宅部同然の、試合もコンクールもない部活動の顧問を務める。 

 味方も敵も作らない。 

 誰も彼を誉めないかわりに、誰も彼を責めない。 

 空気のような存在でありながら、空気らしく、いなければいないで強くその存在を主張する。 

 棗はぼくが知る限り、完璧な人間だった。 


「おにーちゃん、棗さんが来たよ」 


 ドリーが階段の下でぼくを呼んだ。 

「麻衣の家庭訪問だってー」 

 弔問の間違いだろう。 

 仏間では母の遺体が眠っているのだ。 

 まだ通夜には早い。 

 部屋のドアを開けると、ドリーが家庭訪問のおしらせと書かれたプリントをぼくに差し出した。 

 確かに日付は今日この時間になっている。 

「こないだ学校行ったときにもらったの。お兄ちゃんに渡すの忘れてた」 

「ひさしぶり」 

 棗は階段の下で皇族のように片手をひらひらさせた。 

「悪いんだけど」 

 階段を降り、ぼくはドリーのプリントを棗に突き返した。 

「ニュースで見たよ」 

「だったら」 

「君に話があるんだ」 

 玄関に棗を残してぼくは階段をのぼる。 

「葬儀のあとにしてください」 


「ドリーワンはうまく使えてるのかい?」 


 ぼくは耳を疑った。 

 階段の上ではドリーがいじわるな笑みを浮かべていた。 

 そういえばさっきドリーは棗のことを棗さんと呼んだ。 

 ぼくは不思議だった。 

 数日前学校に登校したドリーが何故彼に「怒られた」のか。 

 妹から聞かされていた棗は、ぼくが知る棗と変わらないいい加減な教師で完璧な人間であったはずなのに、と。 

「チドリから聞いたよ。学校、行ってないんだってね。ドリーワンで居場所でもなくしたのかい?」 

 ぼくは棗を振り返った。 

「チドリっていうのは麻衣のことだよ」 

 今度はドリーを振り返る。 

「麻衣が棗さんに頼んできてもらったの」 

 これは夢だろうか。 

 夢なら棗の持ち帰りだけは勘弁だ。 

「夢じゃないさ」 
「夢じゃないよ」 

 ふたりは同時にそう言った。 

「棗さんは麻衣の前のご主人様なんだ」 

「ドリーワンの元契約者だよ」 





 母の通夜と葬儀には多くの弔問客が訪れた。 

 かかりつけの医師や、妹の担任でありぼくの担任でもあった棗や、父の友人たち、富良野や神戸からは親戚が訪れた。 

 親戚をのぞけば皆、いずれも男たちばかりであり、弔問客に女性の姿はなかった。

 母の不倫相手たちなのだろう。

 あしながおじさんと、ぼくと妹が呼んでいた母からの仕送りの送金者もあの中にいるのだろうか。 

「雪や夜子も学くんに会いたがってたんだけどね」 

 母の棺を霊柩車に乗せるのを見送ると、神戸のおじさんはそう言って、 

「悪いね、もう帰らないといけないんだ。仕事が忙しくてさ。たまには遊びにおいで」 

 去っていった。 


 神戸のおじさんは作家をしている。花房ルリヲという名前で、都市伝説を題材にした小説を何作か発表している。

 代表作は確か、「口裂け女、人面犬を飼う」だ。

 都市伝説だけではなく超常現象にも詳しく、世紀末にはビートたけしの番組にも何度か出演した。

 肯定派でも否定派でもないという奇妙な立場にいつもいた。 


 ぼくとドリーは霊柩車に乗り込んだ。 

 ぼくはバックミラー越しに神戸のおじさんの後ろ姿を見た。 

 疲れた背中をしていた。 

 おじさんはもう何年も仕事をしていないと父が話していたのを思い出した。 

 ドリーははじめて乗る霊柩車をさぞかし気に入った様子で、車内の内装のひとつひとつを手で触れながら、「見て見てお兄ちゃん」とぼくの喪服の袖を引っ張った。

 まだ数ヶ月前に買ったばかりの喪服が少し窮屈だった。

 楽しそうに笑う妹を見て、こんな光景をどこかで見たことがあるような気がした。 

 そういえば、何年か前にインターネットで、霊柩車で写真撮影をしているネットモデルの写真を見たことがあったっけ。 


 火葬場で母は焼かれた。 


 高い煙突から立ち上る煙が、はるか下のぼくの鼻にも母が焼かれたにおいが臭う。 

 はじめてではないが慣れない仕草で母の骨を拾い集め終わると、ぼくたちは家へと帰った。 

 葬儀は終わり、弔問客は次々に帰っていく。泣いている者はいなかった。 

 誰にも泣いてもらえない母が少し不憫ではあったけれど、そんなぼくも涙はこみあげてはこなかった。 

「葬式はいやだな」 

 棗を見送ると、ぼくとドリーはふたりきりになった。 

「どうして?」 

「親戚や世話になった人たちが集まるから、大切なものをいやでも思い出す」 

「……思い出さなくてもいっしょだよ。大切なものっていうのはなくしてはじめて気づくんだから」 

「雪と夜子って、ぼくと麻衣の従兄弟なんだよ」 

 ぼくたちの会話はいつも、噛みあっていないようで、噛みあっている。 

「麻衣と同い年の双子でさ、ふたりともかわいくてさ、同じ顔をしてて、ちっちゃい頃、見分けがつけられるのはぼくと麻衣だけだった。もう何年も会ってないんだけど」 

「大切、なんだ?」 

「いつかはふたりともいなくなっちゃうんだろうな。
 そしたらおじさんは悲しむだろうな。
 最後に会っておきたかったな。
 おじさんも、ぼくは父さんよりも好きだった。
 おじさんもいつかいなくなっちゃうんだろうな。
 棗も、今日来た人達もいつかいなくなるんだろうな」 

「悲しいね」 

 ぼくはルールを思い出す。 

「いつか世界にはぼくしかいなくなる日がくるかもしれないな」 

 母が死んでも流れなかった涙が、溢れてくる。 

「お兄ちゃん」 

 ドリーがぼくの手を握った。 

「わたしは、いなくならないから」 

 それだけが救いだとぼくは思った。




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