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第9話

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 ドリーは裁縫道具を片手に、一晩中ぼくの部屋で過ごした。 

 裁縫道具が母のものであると聞き、あの母にもその手の女らしさがあったのかと驚かされた。

 だけどすぐに新品同然で使い古されていないと気付いて、そういえば何事も形から入る人だったと母の浪費癖に頭を抱える父の後ろ姿を思い出した。 

 浪費癖の母と収集癖の父。お似合いの夫婦だった。 

 ドリーはアピタで買ってきたという指定のセーラーにはさみをいれ、フリルを縫い付け、彼女好みに仕上げた。

 大きなくまのぬいぐるみも、バッグにしてしまった。

 妹の口座に母から(正確には母の男から)振り込まれた生活費で買ったと言われたが、怒る気にもならなかった。 


「まさかそれで学校行く気じゃないだろうな」 

 明け方、ぼくはドリーに聞いた。 

「まだ起きてたんだ?」 

「部屋が明るいと眠れないんだよ」 

「部屋が暗いとお裁縫できないよね」 

「自分の部屋でやれよ」 

「麻衣ちゃんの部屋に入ってもいいの?」 

 忘れていた。彼女は妹ではないのだ。 

 彼女には妹の部屋に入ってほしくなかった。 

「勝手にしろよ」 

 ぼくは彼女に背中を向けた。 

 彼女はベッドに座り、ぼくの耳に吐息がかかるほど唇を近付け、 


「そんなに大切にしてるとそのうちなくしちゃうよ」 


 ぼくにルールをつきつけた。 

「ね、似合う?」 

 ぼくは返事をしなかった。 

「ねぇ、ひょっとしてお兄ちゃん、麻衣のこと嫌い?」 

 疲れていた。 

「お返事できないならお口いらないよね。縫ってあげよっか?」 



 今朝、妹の部屋が消えた。 


 ドリーは今日、学校へ登校した。 

 昼過ぎに帰ってきた彼女は、泣きはらした真っ赤な目をしていた。 

 手を加えた制服や鞄のことで担任の棗にこっぴどく叱られたらしく、大層不機嫌だった。くまのぬいぐるみの鞄をなげつけられた。 

「職員室ってとこに呼び出されて怒られたあとは、どの授業も受験受験ってばっかみたい。学校ってつまんないとこだね」 

 制服を脱ぎ捨ててそう言った。 

 下着姿のまま、棗の悪口を小一時間聞かされたから、目のやり場に困ってしまった。 

「だからお兄ちゃんも行かなくなったんだね」 

 ぼくは何と答えていいものかわからず笑った。 

 不登校やひきこもりの原因をぼくはいまだにうまく説明することができない。 

 中学時代の生徒会の仲間たちはちりぢりに別の高校へ入学することになってしまった。

 中学から同じ高校に進学したのは保育園からずっと同じ学校に通う、だけど一度も会話らしい会話をしたことがない平野という男ひとりだけだったけれど、新しい環境でも友達はすぐにできた。 

 最初の中間テストでも上位に入った。 

 そのテストの世界史で赤点をとった同級生の女の子が授業後に呼び出されるということがあり、クラスメイト全員にそれを知られて、恥ずかしさからか学校に来なくなったということがあったけれど、そのときのぼくはまだ自分が不登校になるなんて思いもしなかった。 

 なぜ学校に行かなくなってしまったのか自分でもよくわからないのだ。 

 ただ、行けなくなってしまった、としか説明できない。 

 機嫌をなおしたドリーはいつものロリ服に着替えると、ぼくの隣に座った。

 ミルクのような、悪く言えば乳臭い、においが、ぼくの鼻孔をくすぐる。 

 妹と同じにおいだ。 

 ぼくの一番好きなにおいだった。 


「お兄ちゃんの場合は違ったね。なくしちゃったからだもんね」 


「何を?」 

 とぼくは尋ねた。 


「居場所、だよ」 


 ドリーがこたえる。 


「お兄ちゃんはドリーワンで、夢を見なかったはじめての朝に居場所をなくしちゃったの。だから学校にも家にも居場所がなくなった」 


 混乱した。計算があわない。 

 ぼくがひきこもりをはじめたのは拳銃を手に入れるずっと以前のことだ。


「あれ、気付いてなかったの? 
 お兄ちゃんのドリーワンは、一年前からはじまってるんだよ?」 





 ぼくは赤ん坊を抱いて眠っていた。 

 泣きもしないし、笑いもしない、腕は多分360度回転する、小さな女の子のおままごと用のソフトビニールの人形だった。 

「かわいいね、女の子みたいだね」 

 ぼくの隣で眠るドリーが、赤ん坊の指に触れた。

 指は五本のうち四本がくっついていた。小さなこどもが飲み込んだりしないようにといった配慮だろうか。 

「奇形児だね。名前は『ひでよ』にきまりだね」 

 とんでもないことをいう。 

「野口英世は生まれつき手が不自由だったわけじゃないよ」 

 小学生の頃伝記で読んだ。それに「ひでお」じゃなくて、「ひでよ」だ。 

「でも指がくっついてたんでしょ」 

「さっきこの子は女の子だって言ってなかった?」 

「女の子で指くっついてる人の名前なんて知らないもん」 

 ぼくはドリーに、外見の特徴であだ名をつけたりしてはいけない、と教えた。 

「あだ名じゃないよ名前だよ」 

「もっとだめ」 

 ドリーは妹がするように、ぷーっと頬を膨らませた。 

「でも、どうしてこんなの抱いてたの?」 

 ドリーはすぐに機嫌を直して、ぼくに抱きついてきた。 

 ぼくは昨夜見た夢の話を彼女にすることにした。 


 高校を卒業したぼくは、小さな町工場へ就職し、妹と結婚をした。 

 手取り14、5万とぼくの給料は少ないながらも、生前父が収集していたものをネットオークションにかけることで、それなりの生活を送っていた。

 母と男からの生活費の仕送りは途絶えていた。 

 夫婦仲は円満で、唯一の悩みはこどもができないこと。 

 こどものつくりかたを知らなかったわけではなかったし、ぼくたちも無器用ながらそれなりのことはしていた。 

 もちろん妹に原因はない。 

 たぶんぼくに原因があるのだろう。 

 妹も自分に原因があると考えているだろう。 

 ぼくはどうしてもこどもがほしかったわけではなかった。 

 ぼくは醜く、妹は美しい。 

 妹はこどもをほしがったが、ぼくは自分の遺伝子を妹のそれとかけあわせることに抵抗があった。 

 こどもがもしぼくに似たらかわいそうだ。 

 きっと赤ん坊が出来ないのは、ぼくがそんな風に考えているからなのだ。 

 夫婦の営みはやがて、ただこどもを作るだけの行為になった。 

 そして、妹はある朝、赤ちゃんができた、と言った。 

 赤ん坊はすでに妹の腕に抱かれており、泣きもしないし笑いもしない。 


 それがこの人形だった。 

 ドリーが赤ん坊を抱き上げて、 

「この子、もらっていい?」 

 と言った。 

「大事にしなよ」 

 とぼくは言った。 

「大事にするよ。麻衣とお兄ちゃんのこどもだもん」 

 そう言ったそばから、ドリーは赤ん坊のお腹にはさみをいれた。 





 赤ん坊の人形もドリーの鞄になった。 

 額から下腹部にかけて大きなチャックがついていた。 

 チャックが半開きのまま、赤ん坊はドアノブにかけられていた。 

 名前は結局、チャッキーに決まった。 

 マネキンにマネ子という名前をつけた妹といい、彼女たちにはネーミングセンスがなさすぎる。

 そんなことを考えていると、ドリーなんて呼ばないでよ、と彼女に言われそうだ、とぼくは自分のセンスを笑った。 

 赤ん坊の開いたままの両目に見られている気がしてぼくは目をあわせないようにその目を閉じた。

 両目は壊れてしまい、半目のまま閉じも開きもしなくなった。 

 ますます気持ちが悪い。 

 ドリーにあげたとはいえ、ドリーワンで手に入れたものは手放すことができないルールだ。

 一生これがそばにあるかと思うと気が滅入る。

 触りたくもなかったが、ふと中に何が入っているか気になった。 

 ドリーは今夜、妹のバレエ教室へ出かけている。 


 赤ん坊のチャックに指をかけたそのとき、銃声が聞こえた。 

 渦中の家の半径300メートル以内は今も封鎖されている。 

 ドリーが巻き込まれるようなことはないだろうけれど、少し心配だった。 


――番組の途中ですが、愛知県古戦場跡町のたてこもり事件の続報です。 


 つけっぱなしにしていたテレビが、バラエティ番組の途中でニュースに切り替わった。 


――午後8時20分頃、一般人とみられる女性が佐野容疑者に狙撃された模様です。詳しい情報は現場から東海林がお伝えします。 


―― 東海林です。午後8時20分頃、この閑静な住宅街にまたしても銃声が鳴り響きました。
  銃弾の犠牲になったのは、一般人とみられる女性です。
  年齢は30代後半から40代前半とみられています。
  事件発生直後から佐野容疑者の自宅の半径300メートルは警察により立ち入り禁止となっていたのですが、目撃者の証言によりますと、狙撃された女性は警官の制止をふりきって、この危険区域に侵入し、犯人の説得を試みようとしたのではないかと思われます。
  女性は右胸を撃たれ、警官によって保護されましたが、意識不明の重体であったとのことです。
 女性は現在もよりの病院へ搬送中です。
 あっ、たった今、搬送中の救急車の中で死亡が確認された模様です。
 身元も所持品の中の免許証から判明しました。 


――予定を変更して、愛知県古戦場跡町のたてこもり事件の続報をお伝えしています。
  午後8時20分頃、一般人とみられる女性が佐野容疑者に狙撃され死亡が確認されました。
  被害者の女性は、古戦場跡町在住の加藤綾音さん、36歳。 



 射殺されたのは母だった。 



 
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