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第8話

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 砂嵐の中、どれだけ目を凝らしても妹の姿を見ることはできなかった。 

 時折視界が開けたかと思うと、ぼくや母が写った。 

 妹の体の一部分でも画面に写りこんだ瞬間に、画面は再び砂嵐になる。 

 妹の声だけが切り取られて音がなくなる。 

 父がそんな編集をするはずがなかった。 

 6000本のビデオテープは妹だけをどこかへやってしまった。 

 こうやって追い詰められて、佐野はたてこもりを決意したのだろうか。 

 佐野は自分のこどもを撃った。 

 引き出しの中の拳銃で、ぼくも誰かを撃つことになるのだろうか。 

 妹がいなくなってよかったかもしれない。 

 少なくとも妹を撃たずにすむ。 

 砂嵐のビデオ鑑賞を終えたぼくは自室に戻り、電話ボックスの中にひきこもった。
 
 泣いていた。 

 いつものように、公衆電話を頭の上にして、ガラスの壁にもたれかかり、電話帳をめくる。 

 無意識に、妹の名前を探していた。 


 加藤麻衣。 


 その名前は電話帳のどこにもなかった。 

 それもそのはずで、電話帳に登録されているのは大抵が世帯主の名前であり、男の名前なのだ。 

 ぼくはそんなことにすら気付くことができず、妹の不在を悲しんだ。 

 妹の顔が見たかった。 

 声が聞きたかった。 

 だけど、それはもうかなわないのだ。 

 ふと、緑色の螺旋のコードが目についた。 

 ぼくは首をつることにした。 





 目を覚ますと、ぼくは妹を抱いていた。 

 妹は、裸だった。 

 いっしょにお風呂に入ったのは、妹が五年生のときが最後だ。 

 ぼくからは妹の背中とお尻と脚しか見えないが、四年ぶりに見る妹の裸は、あの頃とまったくかわっていないように見えた。 

 電話ボックスは、ふたりで眠るには狭く、身動きできない。妹を起こしてしまわないように、首に巻いた受話器のコードをゆっくりとはずす。 

 ぼくの胸に顔を埋めて眠る妹をぼくは抱きしめ、そしておかえりと呟いた。 

 妹が帰ってきた。 

「ただいま、お兄ちゃん」 

 上目使いで妹がぼくを見上げた。 

「起こしちゃった?」 

「ううん、うとうとしてただけだから」 

 体を少し持ち上げる。 

 小さな乳房から、ぼくは目をそらした。 

 視線の先に、壁に白いチョークで書かれた正の字が見えた。 

 66個。 

 ひきこもりをはじめてもうすぐ一年になる。 

「何で裸なんだよ」 

 心臓が早鐘をうつ。 

「知らない」 

「裸で帰ってきたわけじゃないだろ? どこで脱いだんだよ」 

 血液が逆流しそうだ。 

「わかんない」 

「待ってて。服とってきてあげるから」 

 慌てて起き上がろうとして、ぼくは頭を公衆電話に強かにぶつけた。 

「あれでいい」 

 妹はマネキンを指差した。 

 ナナちゃんに憧れていたマネキンにはロリ服を着せてあった。 

 あんなに嫌がってたくせに、とぼくは思った。 

 妹が起き上がる。 

 隠部にモザイクがかかっていた。 

 古いテレビドラマの合成映像のように、妹の体には縁取りのようなものがあった。 





 妹の裸を縁取る、隙間のような歪みのようなものをぼくはぼんやりと眺めていた。 

 再放送で見た武田真治が主演の「南くんの恋人」が確かあんな感じだった、と思う。だけど、南くんの恋人は掌に乗るほど小さかった。 

 恥ずかしがるそぶりも見せず、妹はぼくの目の前で着替えはじめた。 

 ペチコートを履き、コルセットで体をきつくしめあげる。 


「お兄ちゃんは、夢を見たとき、その夢からひとつだけ何かを現実世界に持ち帰ることができます」 


 妹が何を言っているのか、ぼくにはよくわからなかった。 

「それはもうわかってるよね?」 

 ロリ服は妹のためにあつらえたかのようにぴったりで、袖を通す妹も着馴れているように見えた。 

 突然あんな服を手渡されたらぼくならどうやって着るのかわからなくなるだろう。 

 だからわたしがここにいるんだもの、と妹はくすりと笑い、今度は革靴に手を伸ばす。 


「お兄ちゃんが夢を見なかった場合、お兄ちゃんは大切なものをひとつずつ失います」 


 膝の上まである長い靴下をはくときだけ、馴れない様子でしゃがみこんだ。めくれたスカートの中をぼくは見ないようにした。 


「一度なくしたものは二度と手に入れることはできません」 


 チョーカーで首元を、ヘッドドレスで頭を飾った。 

「気付いてるんだよね?」 

 手袋をした。 

「窓の下のあの刑事さんたちも、お兄ちゃんが夢から連れだしたんだよ?」 

 妹はそう言っていつかと同じように笑い、 

「何でも聞いてくれていいよ。わたしが答えられる範囲なら何でも教えてあげる。わたしはそのために生まれたんだもの」 

 最後に胸元のリボンを結んだ。 

 ぼくは起き上がり、電話ボックスから出る。妹の前に立った。 

「麻衣、じゃないのか」 

 そうだよ、と妹はまた笑う。 


「お兄ちゃんは、麻衣ちゃんを失ってしまいました。だから麻衣ちゃんには二度と会うことができません」 


「じゃ、お前は誰なんだよ」 


「わたしには名前はないんだ。お兄ちゃんが好きな名前で呼んでくれていいよ。
 姿形は麻衣ちゃんだから、麻衣って呼んでくれてもいいし。
 その方が都合がいいかもしれないね。
 麻衣ちゃんまで行方不明って知ったら、外の刑事さんたちも黙っていないと思うし」 

 目の前にいる妹が妹でないというなら、確かに彼女の言う通りかもしれない。 

「ひとつだけ教えてほしい」 

 ぼくは、この1ヶ月ぼくを悩ませる奇妙な現象について、妹ではない誰かに尋ねることにした。 

 その質問に、妹ではない誰かは応えなかった。 

「わたしには名前がないけど、お兄ちゃんの夢見る力には名前があるの」 

 そして、妹ではない誰かが言葉を紡いだ。 



「ドリーワン」 



1.夢を見たとき、その夢世界からひとつだけ現実世界に持ち帰ることができる。 

2.夢を見なかった場合、現実の世界において大切なものを順番にひとつずつ失う。 

3.夢世界から持ち帰るものは、夢世界に存在したものの中から無作為に決められる。 

4.夢世界から持ち帰ったものは捨てたり、第三者に譲ったりすることができない。手放せない。 

5.失う「大切なもの」は、契約者が所有するすべてのものを指し、法律上の所有権を有するものとは限らない。 

6.失う「大切なもの」は、存在するが姿形をもたないものも含まれるが、契約者自身は含まれない。 

7.一度失った「大切なもの」は、二度と手に入れることができない。夢世界から持ち帰ることもできない。 

8.失うものはひとつであるが、同じものが複数存在する場合、それら全てを一度に失ってしまう場合もある。 

9.契約者は、契約満了時までドリーワンを放棄できない。 





 ぼくは彼女をドリーと呼ぶことにした。 

 ドリーワンのドリーだ。 

 ドリーは妹と同じ口調で「えー、麻衣はそんな名前で呼ばれるのやだ」と言った。 

 好きな名前で呼んでと言ったのは彼女だ。やだ、やだ、やだ。赤ん坊の人形のおもちゃのように首を振った。 

 麻衣は、と自分のことを話す彼女にぼくは少し腹が立ったがすぐに馴れた。 

 それにしても、よく出来ている。 

 彼女は妹とまったく同じ顔と体をしていた。妹の体を最後に見たのは妹が小学生のときだけれど、ほくろの位置やけがの痕がまったく同じだった。 

 触れるとソフトビニールの人形のようで、冷たい。押すとぐにゃりとへこんだ。痛みはないらしい。 

「麻衣ちゃんじゃないってまだ信じられない?」 

 うなづくと、突然はさみで指を切り落とした。 

 左手の人指し指と中指がぼとりと床に落ちる。 

「何してんだよ」 

 ぼくはあわててその指を拾い集めた。 

 血は出ていなかった。 

 それどころか指の中身はからっぽだ。 

「アロンアルファある?」 

「セメダインならある」 

 プラモデル用の接着剤を渡すと、器用に指をくっつけて見せた。 

「本当はアロンアルファが一番いいんだけど」 

 指は痛くも痒くもないのだそうだ。 

 それを見てぼくはようやく彼女が妹ではないのだと理解した。 

 骨も筋肉もない中身がからっぽの人形が、立って歩いている。たぶん心臓も脳もないのだろう。 

「見てみる?」 

 はさみを手渡されたが遠慮しておいた。 

 妹ではないとわかっていても、妹の体に傷をつけるなんてぼくにできるわけがない。 

「でもちゃんとここは作られてるよ」 

 彼女はスカートをめくってみせた。 

 モザイクがかかっていたあの場所を指差す。 

「赤ちゃんは作れないけど、お兄ちゃんの欲望を満たしてあげることならできる」 

 ぼくは顔がかっと熱くなった。 

「麻衣ちゃんとずっとしたかったんでしょう?
 麻衣は何でもお兄ちゃんのこと知ってるよ。
 お兄ちゃんが麻衣ちゃんをおかずにしてたこともみーんな知ってるよ」 


 思わず彼女の首に両手が伸びた。 

 しかし首はぐにゃりとへこんで折れるだけだ。 


「わたしは殺せないよ。麻衣と仲良くしたほうがいいよ。お兄ちゃんは麻衣をもう手放せないんだから」 

 手をはなすとぺこっと音を立てて首が元に戻った。 

「昨日ルール教えてあげたでしょ?ばーか」 


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