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(20) 隼人 2 一途に想い続けて
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拓海に会える。
それだけで、隼人は心が躍る。
(拓海! 早く顔を見たい! 早く会いたい!)
隼人は逸る気持ちを抑えてバーの扉を開いた。
カランコラン……。
店内を見回す。
(どこだ? 拓海。もう来ているのか?)
直ぐに拓海を見つけた。
カウンター席で、音楽に耳を傾けながら酒を飲んでいる。
太い首に、広い肩幅。頼れる男の背中……。
(ああ……拓海……)
隼人は、心臓にそっと手を当てた。
ドクン、ドクンと音を立てている。
ずっと、会っていなかった。
だから、今日は普段に増して嬉しい。
隼人は、自分の心臓の鼓動を楽しむかのようにゆっくりと歩き出す。
一歩、一歩、近づく。
そして、拓海の肩に手を掛けた。
「待たせたか? 拓海」
「いや、俺も今来たところだ。隼人」
振り返り、にっこりと微笑む拓海。
隼人は、そんな拓海の笑顔を見て、さらに胸を熱くする。
(オレの拓海……相変わらずの男前だ……惚れ惚れする)
隼人は、拓海の横にすっと座ると、「同じものを」と酒を注文した。
****
『双頭の蛇』事件からしばらく時間が経っていた。
二人が顔を合わせるのは、久しぶりの事である。
捜査の方はようやくひと段落ついた。
ということで、隼人は早速、拓海に事件の報告をしたい、と呼び出したのだ。
それは、隼人にとって拓海と会うための絶好の口実だったのだ。
****
隼人の話を一通り聞いた拓海は、感慨深そうに言った。
「なるほどな……ローズ・ファクトリーは公安の手に委ねられたか」
「ああ」
「で、アーティの件は?」
「それについては、今探っている。お前が言うように『双頭の蛇』の帳簿を洗ったが、関与についての証拠は出てきていない」
拓海は、少なからずがっかりしたようだ。
「そっか……まぁ、簡単にしっぽは出さないとは思ってはいたが……」
「拓海、大丈夫だ。オレが責任をもって手がかりを見つけてやる。だから……」
隼人は、真剣な目で拓海の目を見つめた。
拓海は、それに呼応するように言った。
「分かったよ、隼人。頼りにしている」
「ああ、任せてくれ……」
拓海は、隼人の手にすっと手を重ねた。
「しかし、疲れてそうだな、隼人。徹夜してるのか? 無理はするなよ……」
「ありがとう、拓海……」
隼人の中に、拓海の感謝の念が温もりとなって伝わってくる。
それは、隼人にとっての何よりの活力剤。
(拓海、優しいな、お前は。でも、オレは好きでやってるんだ。お前の喜ぶ顔が見たいから……)
隼人は、赤くなった顔をごまかすように、酒をグイッとあおった。
****
ふと、拓海が思い出したかのように話を切り出した。
「なぁ、隼人。そういえば、お前に言わなかったことがある。俺の逃走を助けてくれた女がいた話はしたよな?」
「ああ、確かにそんな事を言っていたな」
隼人は、拓海が提出したレポートを思い出すように呟いた。
拓海は、言いにくそうに続けた。
「その女……もしかしたら杏梨だったかもしれない……」
「あ、杏梨?」
隼人は、驚きのあまりグラスを落としそうになった。
拓海は、申し訳なさそうに言った。
「すまない、隼人……黙ってて。お前の元カノだから、気を使って言わなかった……もしかして何か知っているか?」
「い、いや……拓海、杏梨とはずっと連絡を取っていないんだよ」
「本当か? しかし、どう考えても杏梨としか思えなくて……」
拓海は頬杖をついて、腑に落ちない顔をした。
「でも、本当の事だ。お前も知ってのとおり、高校卒業と同時に別れて、それっきりだ……」
緑川 杏梨。
それは、隼人にとって忘れることはできない名前。
そう、隼人が高校時代に付き合っていた……『男』である。
****
高校時代に遡る。
隼人にとって拓海は一目惚れの相手だった。
男でありながら男に恋する。
そんな事は些細な事。
それが恋と知ってからは、隼人は拓海と普通に話せなくなっていた。
面と向かえば、意識し過ぎて鼓動が早くなる。喉が渇いて声がでない。緊張して表情が固まる。
そして、一方で拓海はノンケである事を知っていた。
それは、元カノの存在を知っていたからだ。
だから、遠くからそっと見守るだけでいい、それだけで幸せだと思っていた。
そんな日々を送っていた隼人だったが、高校2年になった時、ある変化が起こった。
拓海の側をうろうろする男が現れたのだ。
しかも、その男は女のふりをして拓海の気を惹こうとする。
隼人は、憤慨しその男を校舎裏へ呼び出した。
「杏梨、お前、男だろ? 高坂の周りをチョロチョロするな!」
杏梨は、驚きの表情で隼人の顔を見つめた。
それはそうだろう。
完璧な女子生徒を演じていたのに、男である事を看破されていたのだ。
杏梨にとって、高校生活を女で過ごす事は、家業の女流華道の家元を継ぐ上で最重要事項であった。
しかし、隼人と同様に、杏梨も男として拓海という男を愛していたのも事実。
隼人も自分と同じ恋に悩む男だと知った杏梨は、隼人にある妥協案を提示した。
それが、『二人で付き合う事』、つまり仮面カップルである。
隼人は、激怒した。
「なぜ、お前と付き合わなきゃいけない」
「いいじゃない? あたしと拓海くんとは友達以上の関係になれないのだから」
それは、杏梨にとっても苦渋の選択。
既に、決められた男性の許嫁までいる杏梨は、無事女として高校を卒業する事を優先せざるを得なかった。
二人は、握手を交わし、協定を結んだ。
ところで、秘密を共有し同じ価値観を持った二人は、当然のように心を通じ合わせる。
隼人と杏梨は恋人の距離で歩き始めた。
「じゃあ、これからは下の名前で呼び合いましょ。杏梨に隼人で。ねぇ、あたし達すごいわよね? 恋のライバル同士がカップルって……」
「ライバル? それは高坂が男を受け入れればだろ? 高坂はノンケだ。元カノはすげぇ可愛かったぞ。お前なんか比べようもないくらい」
「もう! とげとげしいなぁ、隼人は」
「ふん。正直、オレはお前と慣れ合うつもりはない。ああ、学校では最低限な、杏梨」
「はいはい。ところで、隼人。あなた、男性経験はあるの?」
「はぁ? あるわけねぇだろ? お、お前はあるのかよ?」
「さぁね。秘密!」
「なっ……おまえ、それでマウント取った気か?」
そんな風に、二人はいつの間にか自然と会話をする仲になっていった。
****
二人が付き合い始めた、という話はあっと言う間にクラスに広まった。
隼人の目には、拓海はすこし落胆したように見えた。
しかし、これでもう杏梨と拓海がくっ付くことはない。
その事実が隼人の心に安らぎを与えていた。
そして、杏梨と付き合うことで、隼人にも拓海との距離を詰めるチャンスが増えた。
杏梨はなにかにつけて隼人を誘って、拓海と遊ぶ事を提案したのだ。
隼人は当初、戸惑いを見せたが、すぐにその楽しさに胸を躍らせた。
それは、3人でバスケットボールをした後の事だった。
隼人と杏梨は、拓海と別れて教室に戻ってきていた。
誰もいない教室で、窓を全開にして涼む二人。
杏梨は、机の上に行儀悪く座りながら言った。
「ふー、熱い熱い。面白かったね!」
「なぁ、なぁ、聞いたか? 高坂が『いいシュートだったな』だってさ!」
それは、先ほどのゲームで隼人がシュートを決めたときに拓海が言ったセリフ。
杏梨は、にこやかに笑いながら言った。
「隼人、よかったね。拓海くんに褒められて」
「おう、おう」
隼人は、興奮冷めやらない。
いまだに拓海とまともに会話ができない隼人にとって、褒められるという事は、自分の存在を認めてもらえた事と同義。
ところで、隼人は気になった事があった。
杏梨の事だ。
当たり前のように、隼人の前で着替えを始めた杏梨。
ブラジャー姿だったのだが、そこにはちゃんと胸らしきものがあった。
だから、男でありながら女でいる、ということがどれだけのことなのか、気になった。
パタパタとノートで仰ぐ杏梨に、隼人は問いかけた。
「なぁ、杏梨。女でいる事って、辛いか?」
杏梨は、いつになく真剣な表情の隼人に気が付き、少し間を置いて答えた。
「そうね……もう慣れたかな。子供の頃は色々大変だったけどね。でも、心はいつまでも男の子のままなんだ。女の子の輪にいるより、隼人といる方が落ち着く」
「何だそれ? オレに告白しているのか?」
「ぷっ、まさか……あたしと隼人は、同じ男を取り合う親友でしょ!」
杏梨は、にっこりと笑って隼人に言った。
隼人は少し安心して答える。
「ふっ……そうだな」
「ふふふ、そうよ、親友!」
****
さて、そんな二人の付き合いも、いよいよ最終期限を迎える。
高校生最後の日、卒業式。
あの、最初に協定を組み交わした校舎裏を、二人は最後の別れの場所に選んだ。
「隼人、あなた、高校卒業したら拓海くんに告白しなさいよ」
「な、なんだよ……急に」
卒業証書を片手に、杏梨はスカートを揺らしながらくるっと回った。
ひらひらと舞う花びらが杏梨の肩に落ちた。
「あたしは高校卒業したら家の中で修行になる。きっと、隼人とも拓海くんとも会えなくなる。だから、言っておきたくて……」
「別に会えるだろ……そんなの」
「ううん、無理。あたしの許嫁は嫉妬深いからきっと家から出してくれないわ」
「……そうなのか。じゃあ、これでさよならか」
「うん。さよなら」
隼人は、桜の木を見上げていた。
そして、ふと杏梨に言った。
「なぁ、お前はよかったのかよ。高坂の事……」
ざざざっと風が吹く。
杏梨は、髪を抑えながら言った。
「ええ、大丈夫。正直言うと、この2年間隼人と付き合って分かった。隼人が拓海くんを愛する気持ちにあたしは負けていたって……だから、諦めがついた。きっぱりと。すっきりしたよ。本当に」
満面の笑顔で隼人を見つめる。
隼人は、「本当か……」と問いただそうとして止めた。
かすかに杏梨の目に涙が浮かんでいたからだ。
杏梨は、それを隠すように目をつぶって言った。
「ありがとう、隼人。楽しい高校生活だった。3人で過ごした2年間、ずっと忘れない……」
「ああ、こちらこそ……ありがとう、杏梨……」
二人は固い握手を結んだ。
離れ行く杏梨は、口に手を添えて隼人に大声で言った。
「隼人、頑張れ! 大丈夫だよ、想いは通じるから!」
隼人は、その言葉を胸の奥に大事に仕舞い込んだ。
****
さて、無事拓海と同じ大学に入った隼人だったが、杏梨の後押しも虚しく拓海へ告白する事はできなかった。
拓海に対して自分からは何も言えない臆病者の弱虫。
隼人はそんな自分をどうにかしたかったが、今更変われない事も良く分かっていた。
しかし、その後急展開を迎える事となる。
隼人は想像もしていなかったのだが、拓海の方から声を掛けてきたのだ。
「なんだ、桜木。お前も杏梨に振られたのか? ははは、じゃあ、引き分けだな。俺達は」
隼人は、杏梨の導きがあったのだと思った。
『告白ぐらいしなさいよ。もう、しかたないわね……』
そんな声が聞こえるようだった。
それ以来、隼人と拓海は自然と言葉を交わす仲になり、互いに親友だと認識するようになった。
「なぁ、隼人。俺達はいいライバルになれそうだな……同じ女を取り合った仲だ」
「ああ、そうだな……拓海」
無事親友となった隼人と拓海。
しかし、隼人は相変わらず自分からは何もできなかった。
****
さて、大学を卒業する頃になると、隼人の片想いは拓海に知れることとなった。
「隼人、お前、俺の事を好きなんだろ?」
隼人は、驚きのあまり心臓が口から飛び出てしまうかと思った。
そして、それ以上に驚く言葉が続いた。
「俺はお前を恋人にすることはできない。でも、お前を抱きたい、親友として。だめか?」
隼人は混乱した。
振られた、という事ははっきりと分かった。
でも、抱きたい。と言う言葉。
それが意味するところは分からなかった。
しかし、隼人にとっては、自分が求められたという事実は、喜ぶべきことであった。
体を合わせた二人。
隼人は、充足感の中にあった。
ずっと秘めた想いは満たされた。
しかしそれは一時的なもの。
すぐに、もっと、もっと、甘えたい。構って欲しい、求められたい。そんな欲求が生まれた。
一方で、隼人は、拓海には素直な気持ちを伝えることができない事をよく理解していた。
だから、せめて拓海に必要とされるように拓海の近くにいようと考えた。
大学を卒業して刑事になったのも、拓海の探偵業の助けになると思ったからだ。
そして、今に至る。
****
カラン……。
グラスの中の氷が鳴った。
隼人は、すっと現実に引き戻れた。
(どうやら、久しぶりに杏梨の名前を聞いて、感傷に浸ってしまったようだ……)
それは拓海とて同じだったようで、二人同時に目を合わせた。
微笑み合う二人。
「懐かしいな、隼人……あの頃」
「ああ、確かにな……拓海」
そして無言の時間が訪れる。
静かにBGMだけが流れる。
隼人にとってはこれは掛けがえのない贅沢な時間。
(オレは幸せだ……拓海。お前とずっと一緒に居られて……)
すっと、テーブルに手を差し出す。
すると、拓海は手を重ねてくれる。
指を一本づつ絡め合い、そして最後には握りしめ合う。
それは指でセックスをしているかのよう……。
(傍からみれば、オレ達の関係はただのセックスフレンドなのかもしれない。でも、オレは恋人同士のつもり。ずっと、一緒に居たい……そう思っている)
隼人の表情を覗き見ていた拓海が言った。
「なんだ? 隼人。にやにやして。何かいいことがあったのか?」
「ん? いや、特にはな……」
「ふーん……そうか。ふふふ」
拓海は言った。
「そろそろ出るか? 隼人」
「ああ、そうだな……」
二人立ち上がると、上着を羽織始めた。
****
夜空を見上げた拓海が言った。
「雨、降りそうだな?」
「あ、ああ」
どんよりとした雲が月を覆い隠している。
(こんな日は早く家に帰って拓海と体を温め合いたいな……)
「なぁ、拓海……今日はうちに来るだろ? 帰りにさ……」
隼人は、帰りがけに酒を買いたいと思っていた。
ちょうど、拓海の好きな酒を切らしていたのだ。
「ん?」
拓海は、迷った顔をした。
(え? どうして迷う? 今日ぐらいはうちに来てくれるんだろ?)
隼人は、拓海の予想外の態度に不安で胸が一杯になった。
嫌な予感がして胸が苦しい。
拓海は、頭を掻きながら言った。
「今日は真っ直ぐに帰るよ……お前も徹夜続きだったんだろ? ゆっくり休め」
「し、しかし……」
(バカ! オレはお前のそんなセリフが欲しくて、調査してたんじゃねぇ! オレが勝手にしてたんだ! オレに気を使うなよ)
拓海の大きな手が隼人の頬に触れた。
「心配だからな……隼人。お前の体が……」
「拓海……」
離れる手。
その部分がスッと冷たくなる。
(本当に、このまま帰ってしまうのか?)
隼人は、不安そうな表情で拓海を見た。
ふと、隼人は、家を出る前にジョンを抱き抱えた時の事を思い出した。
『ジョン、今日は拓海を連れてくるからな!』
『ワンワン!』
『そうだ、ジョン。拓海だぞ! 嬉しいか? わっ、舐めるな! あははは』
(ジョンと約束したのに……)
手をスッと上げる拓海。
「じゃあ、またな」
「ああ……」
(ダメだ……帰しては……拓海行くな……)
背を向けて歩き出す拓海。
(ああ、行ってしまう……)
遠ざかっていく拓海。
(もう……だめだ……オレも……帰ろう)
自分も振り向いて、とぼとぼと歩き出す。
「ううう……ぐっ……」
涙が溢れる。
(次はいつ会えるのか? また、拓海が興味を持ってくれる事件の時か? 一週間後か? 一ヶ月後か? それとも半年後か?……我慢できない……くそっ)
隼人の頬に涙が伝わる。
『隼人、頑張れ!』
(え!?)
その懐かしい声は、力強く隼人の胸に突き刺さった。
隼人は、サッと振り向く。
そして、力の限り叫んだ。
「拓海!」
(そうだ、そうだよな、杏梨。ここで拓海を行かせたらダメだ)
隼人の心の中には杏梨が確かにいた。
(ちゃんと言うんだ。寂しいからうちに来てくれ。そして、泊まっていってくれって)
拓海は、「ん?」 と振り向く。
隼人は駆け寄る。
「どうした? 隼人?」
「そ、その……」
(勇気を……勇気を……)
「その、あの……」
「……何か忘れものか? 隼人」
(どうか……勇気を!)
『大丈夫だよ、想いは通じるから!』
隼人は、手をギュッと握って拳をつくった。
(杏梨! オレは……)
と、隼人が顔を上げると、拓海と目があった。
隼人の意識は、その宝石のようにキラキラと輝く瞳の中に吸い込まれて行く。
(あ、あわ……)
拓海は小首を傾げ不思議そうな顔をした。
「どうした?」
低く優しい声。
震える脚。萎縮する体。
隼人は、小さな声で言った。
「……いや、何でもない……」
(うっ、うう、オレは一体何を言ってるんだ……)
隼人は、猛烈に悲しくなった。
涙がふつふつと湧き出す。
(……オレは、どうしてこんなにも臆病で弱虫なんだ)
と、その時、隼人の体は温かいもので包まれた。
(え!?)
驚く隼人。
隼人の体は拓海の腕の中にあった。
(ど、どうして……)
拓海は、隼人の耳元で囁いた。
「そう言えば、隼人。お前、俺に隠していた事があるだろ?」
「な、何を……」
隼人は、拓海の顔を見た。
一転して、冷たい目つき。
隼人は、さーっと血の気が引いた。
(な、まさか、杏梨の事が……嘘で付き合っていた事……本当は男だった事……それがバレていたのか)
隼人は、震える声で答えた。
「……いや、特に無いが……」
「ほう? そうか……なら、体に聞くよりしょうがないな……」
拓海は、隼人のアゴを強引に持ち上げ、口の中に親指をグイッと挿れた。
「うぐ……あううう……はぁはぁ」
(ああ、犯されるような、胸の高まり……)
隼人は、興奮で体の芯が熱くなるのを必死に抑えながら言った。
「……はぁはぁ、し、知らない……お前が何を言っているのか」
拓海は、指を引き抜いてアゴを抑えると、キスでもするぐらい顔を近づけて言った。
「お前、俺が潜入に使ったIDカードは偽物って知っていたんだろ?」
隼人は、驚きの顔で拓海を見た。
「さてはその様子、知っていたな? ふっ、予定変更だ。今日は、その真偽を確かめさせてもらう。これから、隼人、お前の家に行くがいいな? いやとは言わせないぞ?」
隼人は、恐る恐る答えた。
「……ああ……拓海、お前が来たいって言うんだったら……」
「ふふふ、なら行こうぜ。ほら来いよ」
拓海は隼人の手首を掴んだ。
そして、その手は恋人結びでギュッと握られる。
強引に引っ張る拓海の手はあまりも温かくて、隼人は涙がポロポロと滴り落ちた。
(ありがとう、杏梨。オレを助けてくれて……)
二人は闇夜に消えていった。
それだけで、隼人は心が躍る。
(拓海! 早く顔を見たい! 早く会いたい!)
隼人は逸る気持ちを抑えてバーの扉を開いた。
カランコラン……。
店内を見回す。
(どこだ? 拓海。もう来ているのか?)
直ぐに拓海を見つけた。
カウンター席で、音楽に耳を傾けながら酒を飲んでいる。
太い首に、広い肩幅。頼れる男の背中……。
(ああ……拓海……)
隼人は、心臓にそっと手を当てた。
ドクン、ドクンと音を立てている。
ずっと、会っていなかった。
だから、今日は普段に増して嬉しい。
隼人は、自分の心臓の鼓動を楽しむかのようにゆっくりと歩き出す。
一歩、一歩、近づく。
そして、拓海の肩に手を掛けた。
「待たせたか? 拓海」
「いや、俺も今来たところだ。隼人」
振り返り、にっこりと微笑む拓海。
隼人は、そんな拓海の笑顔を見て、さらに胸を熱くする。
(オレの拓海……相変わらずの男前だ……惚れ惚れする)
隼人は、拓海の横にすっと座ると、「同じものを」と酒を注文した。
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『双頭の蛇』事件からしばらく時間が経っていた。
二人が顔を合わせるのは、久しぶりの事である。
捜査の方はようやくひと段落ついた。
ということで、隼人は早速、拓海に事件の報告をしたい、と呼び出したのだ。
それは、隼人にとって拓海と会うための絶好の口実だったのだ。
****
隼人の話を一通り聞いた拓海は、感慨深そうに言った。
「なるほどな……ローズ・ファクトリーは公安の手に委ねられたか」
「ああ」
「で、アーティの件は?」
「それについては、今探っている。お前が言うように『双頭の蛇』の帳簿を洗ったが、関与についての証拠は出てきていない」
拓海は、少なからずがっかりしたようだ。
「そっか……まぁ、簡単にしっぽは出さないとは思ってはいたが……」
「拓海、大丈夫だ。オレが責任をもって手がかりを見つけてやる。だから……」
隼人は、真剣な目で拓海の目を見つめた。
拓海は、それに呼応するように言った。
「分かったよ、隼人。頼りにしている」
「ああ、任せてくれ……」
拓海は、隼人の手にすっと手を重ねた。
「しかし、疲れてそうだな、隼人。徹夜してるのか? 無理はするなよ……」
「ありがとう、拓海……」
隼人の中に、拓海の感謝の念が温もりとなって伝わってくる。
それは、隼人にとっての何よりの活力剤。
(拓海、優しいな、お前は。でも、オレは好きでやってるんだ。お前の喜ぶ顔が見たいから……)
隼人は、赤くなった顔をごまかすように、酒をグイッとあおった。
****
ふと、拓海が思い出したかのように話を切り出した。
「なぁ、隼人。そういえば、お前に言わなかったことがある。俺の逃走を助けてくれた女がいた話はしたよな?」
「ああ、確かにそんな事を言っていたな」
隼人は、拓海が提出したレポートを思い出すように呟いた。
拓海は、言いにくそうに続けた。
「その女……もしかしたら杏梨だったかもしれない……」
「あ、杏梨?」
隼人は、驚きのあまりグラスを落としそうになった。
拓海は、申し訳なさそうに言った。
「すまない、隼人……黙ってて。お前の元カノだから、気を使って言わなかった……もしかして何か知っているか?」
「い、いや……拓海、杏梨とはずっと連絡を取っていないんだよ」
「本当か? しかし、どう考えても杏梨としか思えなくて……」
拓海は頬杖をついて、腑に落ちない顔をした。
「でも、本当の事だ。お前も知ってのとおり、高校卒業と同時に別れて、それっきりだ……」
緑川 杏梨。
それは、隼人にとって忘れることはできない名前。
そう、隼人が高校時代に付き合っていた……『男』である。
****
高校時代に遡る。
隼人にとって拓海は一目惚れの相手だった。
男でありながら男に恋する。
そんな事は些細な事。
それが恋と知ってからは、隼人は拓海と普通に話せなくなっていた。
面と向かえば、意識し過ぎて鼓動が早くなる。喉が渇いて声がでない。緊張して表情が固まる。
そして、一方で拓海はノンケである事を知っていた。
それは、元カノの存在を知っていたからだ。
だから、遠くからそっと見守るだけでいい、それだけで幸せだと思っていた。
そんな日々を送っていた隼人だったが、高校2年になった時、ある変化が起こった。
拓海の側をうろうろする男が現れたのだ。
しかも、その男は女のふりをして拓海の気を惹こうとする。
隼人は、憤慨しその男を校舎裏へ呼び出した。
「杏梨、お前、男だろ? 高坂の周りをチョロチョロするな!」
杏梨は、驚きの表情で隼人の顔を見つめた。
それはそうだろう。
完璧な女子生徒を演じていたのに、男である事を看破されていたのだ。
杏梨にとって、高校生活を女で過ごす事は、家業の女流華道の家元を継ぐ上で最重要事項であった。
しかし、隼人と同様に、杏梨も男として拓海という男を愛していたのも事実。
隼人も自分と同じ恋に悩む男だと知った杏梨は、隼人にある妥協案を提示した。
それが、『二人で付き合う事』、つまり仮面カップルである。
隼人は、激怒した。
「なぜ、お前と付き合わなきゃいけない」
「いいじゃない? あたしと拓海くんとは友達以上の関係になれないのだから」
それは、杏梨にとっても苦渋の選択。
既に、決められた男性の許嫁までいる杏梨は、無事女として高校を卒業する事を優先せざるを得なかった。
二人は、握手を交わし、協定を結んだ。
ところで、秘密を共有し同じ価値観を持った二人は、当然のように心を通じ合わせる。
隼人と杏梨は恋人の距離で歩き始めた。
「じゃあ、これからは下の名前で呼び合いましょ。杏梨に隼人で。ねぇ、あたし達すごいわよね? 恋のライバル同士がカップルって……」
「ライバル? それは高坂が男を受け入れればだろ? 高坂はノンケだ。元カノはすげぇ可愛かったぞ。お前なんか比べようもないくらい」
「もう! とげとげしいなぁ、隼人は」
「ふん。正直、オレはお前と慣れ合うつもりはない。ああ、学校では最低限な、杏梨」
「はいはい。ところで、隼人。あなた、男性経験はあるの?」
「はぁ? あるわけねぇだろ? お、お前はあるのかよ?」
「さぁね。秘密!」
「なっ……おまえ、それでマウント取った気か?」
そんな風に、二人はいつの間にか自然と会話をする仲になっていった。
****
二人が付き合い始めた、という話はあっと言う間にクラスに広まった。
隼人の目には、拓海はすこし落胆したように見えた。
しかし、これでもう杏梨と拓海がくっ付くことはない。
その事実が隼人の心に安らぎを与えていた。
そして、杏梨と付き合うことで、隼人にも拓海との距離を詰めるチャンスが増えた。
杏梨はなにかにつけて隼人を誘って、拓海と遊ぶ事を提案したのだ。
隼人は当初、戸惑いを見せたが、すぐにその楽しさに胸を躍らせた。
それは、3人でバスケットボールをした後の事だった。
隼人と杏梨は、拓海と別れて教室に戻ってきていた。
誰もいない教室で、窓を全開にして涼む二人。
杏梨は、机の上に行儀悪く座りながら言った。
「ふー、熱い熱い。面白かったね!」
「なぁ、なぁ、聞いたか? 高坂が『いいシュートだったな』だってさ!」
それは、先ほどのゲームで隼人がシュートを決めたときに拓海が言ったセリフ。
杏梨は、にこやかに笑いながら言った。
「隼人、よかったね。拓海くんに褒められて」
「おう、おう」
隼人は、興奮冷めやらない。
いまだに拓海とまともに会話ができない隼人にとって、褒められるという事は、自分の存在を認めてもらえた事と同義。
ところで、隼人は気になった事があった。
杏梨の事だ。
当たり前のように、隼人の前で着替えを始めた杏梨。
ブラジャー姿だったのだが、そこにはちゃんと胸らしきものがあった。
だから、男でありながら女でいる、ということがどれだけのことなのか、気になった。
パタパタとノートで仰ぐ杏梨に、隼人は問いかけた。
「なぁ、杏梨。女でいる事って、辛いか?」
杏梨は、いつになく真剣な表情の隼人に気が付き、少し間を置いて答えた。
「そうね……もう慣れたかな。子供の頃は色々大変だったけどね。でも、心はいつまでも男の子のままなんだ。女の子の輪にいるより、隼人といる方が落ち着く」
「何だそれ? オレに告白しているのか?」
「ぷっ、まさか……あたしと隼人は、同じ男を取り合う親友でしょ!」
杏梨は、にっこりと笑って隼人に言った。
隼人は少し安心して答える。
「ふっ……そうだな」
「ふふふ、そうよ、親友!」
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さて、そんな二人の付き合いも、いよいよ最終期限を迎える。
高校生最後の日、卒業式。
あの、最初に協定を組み交わした校舎裏を、二人は最後の別れの場所に選んだ。
「隼人、あなた、高校卒業したら拓海くんに告白しなさいよ」
「な、なんだよ……急に」
卒業証書を片手に、杏梨はスカートを揺らしながらくるっと回った。
ひらひらと舞う花びらが杏梨の肩に落ちた。
「あたしは高校卒業したら家の中で修行になる。きっと、隼人とも拓海くんとも会えなくなる。だから、言っておきたくて……」
「別に会えるだろ……そんなの」
「ううん、無理。あたしの許嫁は嫉妬深いからきっと家から出してくれないわ」
「……そうなのか。じゃあ、これでさよならか」
「うん。さよなら」
隼人は、桜の木を見上げていた。
そして、ふと杏梨に言った。
「なぁ、お前はよかったのかよ。高坂の事……」
ざざざっと風が吹く。
杏梨は、髪を抑えながら言った。
「ええ、大丈夫。正直言うと、この2年間隼人と付き合って分かった。隼人が拓海くんを愛する気持ちにあたしは負けていたって……だから、諦めがついた。きっぱりと。すっきりしたよ。本当に」
満面の笑顔で隼人を見つめる。
隼人は、「本当か……」と問いただそうとして止めた。
かすかに杏梨の目に涙が浮かんでいたからだ。
杏梨は、それを隠すように目をつぶって言った。
「ありがとう、隼人。楽しい高校生活だった。3人で過ごした2年間、ずっと忘れない……」
「ああ、こちらこそ……ありがとう、杏梨……」
二人は固い握手を結んだ。
離れ行く杏梨は、口に手を添えて隼人に大声で言った。
「隼人、頑張れ! 大丈夫だよ、想いは通じるから!」
隼人は、その言葉を胸の奥に大事に仕舞い込んだ。
****
さて、無事拓海と同じ大学に入った隼人だったが、杏梨の後押しも虚しく拓海へ告白する事はできなかった。
拓海に対して自分からは何も言えない臆病者の弱虫。
隼人はそんな自分をどうにかしたかったが、今更変われない事も良く分かっていた。
しかし、その後急展開を迎える事となる。
隼人は想像もしていなかったのだが、拓海の方から声を掛けてきたのだ。
「なんだ、桜木。お前も杏梨に振られたのか? ははは、じゃあ、引き分けだな。俺達は」
隼人は、杏梨の導きがあったのだと思った。
『告白ぐらいしなさいよ。もう、しかたないわね……』
そんな声が聞こえるようだった。
それ以来、隼人と拓海は自然と言葉を交わす仲になり、互いに親友だと認識するようになった。
「なぁ、隼人。俺達はいいライバルになれそうだな……同じ女を取り合った仲だ」
「ああ、そうだな……拓海」
無事親友となった隼人と拓海。
しかし、隼人は相変わらず自分からは何もできなかった。
****
さて、大学を卒業する頃になると、隼人の片想いは拓海に知れることとなった。
「隼人、お前、俺の事を好きなんだろ?」
隼人は、驚きのあまり心臓が口から飛び出てしまうかと思った。
そして、それ以上に驚く言葉が続いた。
「俺はお前を恋人にすることはできない。でも、お前を抱きたい、親友として。だめか?」
隼人は混乱した。
振られた、という事ははっきりと分かった。
でも、抱きたい。と言う言葉。
それが意味するところは分からなかった。
しかし、隼人にとっては、自分が求められたという事実は、喜ぶべきことであった。
体を合わせた二人。
隼人は、充足感の中にあった。
ずっと秘めた想いは満たされた。
しかしそれは一時的なもの。
すぐに、もっと、もっと、甘えたい。構って欲しい、求められたい。そんな欲求が生まれた。
一方で、隼人は、拓海には素直な気持ちを伝えることができない事をよく理解していた。
だから、せめて拓海に必要とされるように拓海の近くにいようと考えた。
大学を卒業して刑事になったのも、拓海の探偵業の助けになると思ったからだ。
そして、今に至る。
****
カラン……。
グラスの中の氷が鳴った。
隼人は、すっと現実に引き戻れた。
(どうやら、久しぶりに杏梨の名前を聞いて、感傷に浸ってしまったようだ……)
それは拓海とて同じだったようで、二人同時に目を合わせた。
微笑み合う二人。
「懐かしいな、隼人……あの頃」
「ああ、確かにな……拓海」
そして無言の時間が訪れる。
静かにBGMだけが流れる。
隼人にとってはこれは掛けがえのない贅沢な時間。
(オレは幸せだ……拓海。お前とずっと一緒に居られて……)
すっと、テーブルに手を差し出す。
すると、拓海は手を重ねてくれる。
指を一本づつ絡め合い、そして最後には握りしめ合う。
それは指でセックスをしているかのよう……。
(傍からみれば、オレ達の関係はただのセックスフレンドなのかもしれない。でも、オレは恋人同士のつもり。ずっと、一緒に居たい……そう思っている)
隼人の表情を覗き見ていた拓海が言った。
「なんだ? 隼人。にやにやして。何かいいことがあったのか?」
「ん? いや、特にはな……」
「ふーん……そうか。ふふふ」
拓海は言った。
「そろそろ出るか? 隼人」
「ああ、そうだな……」
二人立ち上がると、上着を羽織始めた。
****
夜空を見上げた拓海が言った。
「雨、降りそうだな?」
「あ、ああ」
どんよりとした雲が月を覆い隠している。
(こんな日は早く家に帰って拓海と体を温め合いたいな……)
「なぁ、拓海……今日はうちに来るだろ? 帰りにさ……」
隼人は、帰りがけに酒を買いたいと思っていた。
ちょうど、拓海の好きな酒を切らしていたのだ。
「ん?」
拓海は、迷った顔をした。
(え? どうして迷う? 今日ぐらいはうちに来てくれるんだろ?)
隼人は、拓海の予想外の態度に不安で胸が一杯になった。
嫌な予感がして胸が苦しい。
拓海は、頭を掻きながら言った。
「今日は真っ直ぐに帰るよ……お前も徹夜続きだったんだろ? ゆっくり休め」
「し、しかし……」
(バカ! オレはお前のそんなセリフが欲しくて、調査してたんじゃねぇ! オレが勝手にしてたんだ! オレに気を使うなよ)
拓海の大きな手が隼人の頬に触れた。
「心配だからな……隼人。お前の体が……」
「拓海……」
離れる手。
その部分がスッと冷たくなる。
(本当に、このまま帰ってしまうのか?)
隼人は、不安そうな表情で拓海を見た。
ふと、隼人は、家を出る前にジョンを抱き抱えた時の事を思い出した。
『ジョン、今日は拓海を連れてくるからな!』
『ワンワン!』
『そうだ、ジョン。拓海だぞ! 嬉しいか? わっ、舐めるな! あははは』
(ジョンと約束したのに……)
手をスッと上げる拓海。
「じゃあ、またな」
「ああ……」
(ダメだ……帰しては……拓海行くな……)
背を向けて歩き出す拓海。
(ああ、行ってしまう……)
遠ざかっていく拓海。
(もう……だめだ……オレも……帰ろう)
自分も振り向いて、とぼとぼと歩き出す。
「ううう……ぐっ……」
涙が溢れる。
(次はいつ会えるのか? また、拓海が興味を持ってくれる事件の時か? 一週間後か? 一ヶ月後か? それとも半年後か?……我慢できない……くそっ)
隼人の頬に涙が伝わる。
『隼人、頑張れ!』
(え!?)
その懐かしい声は、力強く隼人の胸に突き刺さった。
隼人は、サッと振り向く。
そして、力の限り叫んだ。
「拓海!」
(そうだ、そうだよな、杏梨。ここで拓海を行かせたらダメだ)
隼人の心の中には杏梨が確かにいた。
(ちゃんと言うんだ。寂しいからうちに来てくれ。そして、泊まっていってくれって)
拓海は、「ん?」 と振り向く。
隼人は駆け寄る。
「どうした? 隼人?」
「そ、その……」
(勇気を……勇気を……)
「その、あの……」
「……何か忘れものか? 隼人」
(どうか……勇気を!)
『大丈夫だよ、想いは通じるから!』
隼人は、手をギュッと握って拳をつくった。
(杏梨! オレは……)
と、隼人が顔を上げると、拓海と目があった。
隼人の意識は、その宝石のようにキラキラと輝く瞳の中に吸い込まれて行く。
(あ、あわ……)
拓海は小首を傾げ不思議そうな顔をした。
「どうした?」
低く優しい声。
震える脚。萎縮する体。
隼人は、小さな声で言った。
「……いや、何でもない……」
(うっ、うう、オレは一体何を言ってるんだ……)
隼人は、猛烈に悲しくなった。
涙がふつふつと湧き出す。
(……オレは、どうしてこんなにも臆病で弱虫なんだ)
と、その時、隼人の体は温かいもので包まれた。
(え!?)
驚く隼人。
隼人の体は拓海の腕の中にあった。
(ど、どうして……)
拓海は、隼人の耳元で囁いた。
「そう言えば、隼人。お前、俺に隠していた事があるだろ?」
「な、何を……」
隼人は、拓海の顔を見た。
一転して、冷たい目つき。
隼人は、さーっと血の気が引いた。
(な、まさか、杏梨の事が……嘘で付き合っていた事……本当は男だった事……それがバレていたのか)
隼人は、震える声で答えた。
「……いや、特に無いが……」
「ほう? そうか……なら、体に聞くよりしょうがないな……」
拓海は、隼人のアゴを強引に持ち上げ、口の中に親指をグイッと挿れた。
「うぐ……あううう……はぁはぁ」
(ああ、犯されるような、胸の高まり……)
隼人は、興奮で体の芯が熱くなるのを必死に抑えながら言った。
「……はぁはぁ、し、知らない……お前が何を言っているのか」
拓海は、指を引き抜いてアゴを抑えると、キスでもするぐらい顔を近づけて言った。
「お前、俺が潜入に使ったIDカードは偽物って知っていたんだろ?」
隼人は、驚きの顔で拓海を見た。
「さてはその様子、知っていたな? ふっ、予定変更だ。今日は、その真偽を確かめさせてもらう。これから、隼人、お前の家に行くがいいな? いやとは言わせないぞ?」
隼人は、恐る恐る答えた。
「……ああ……拓海、お前が来たいって言うんだったら……」
「ふふふ、なら行こうぜ。ほら来いよ」
拓海は隼人の手首を掴んだ。
そして、その手は恋人結びでギュッと握られる。
強引に引っ張る拓海の手はあまりも温かくて、隼人は涙がポロポロと滴り落ちた。
(ありがとう、杏梨。オレを助けてくれて……)
二人は闇夜に消えていった。
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