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短編版
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◇
ナシュカ達がマリナと話を終えた頃、レフトンとその側近のエンジとライトの三人が乗る馬車がソノーザ公爵の屋敷の前に着いた。
「着いたぞ、ここがソノーザ公爵家だ」
「ここなんだね、でも……」
馬車を降りて屋敷の門の前に立つレフトンたちは、三人とも奇妙なことに気付いた。公爵の屋敷にもかかわらず門番をする衛兵がいないのだ。
「……いきなり怪しくなったけどな」
「ああ、公爵家にしては妙だ」
「そうだね。門番をしている衛兵がいないし、手入れがなってない」
「「手入れ?」」
「よく見て。屋敷の門と扉までの通路が人が通った後で汚れている。こんなものは使用人が掃除して奇麗にするものだ。それが見るからに残っているということは使用人がそういう働きをしていないか、今この屋敷に使用人がほとんどいないことを示していると思われる」
手入れに関してはレフトンとエンジは気が付かなかったことだった。公爵家ほどの屋敷で衛兵がいないことくらいしか二人とも気づかなかったのだ。二人は貴族だというのに、平民出身のライトが真っ先に気付いた事実は若干傷つく。
「それに残っている靴後をよく見ると、複数人の者が同時に屋敷から出て行ったみたいだね。どれも屋敷の外に向いている。これはおそらく、カーズ殿下がソノーザ公爵ともめたのを機に、多くの使用人がソノーザ家見限って辞めたいったとみたほうがいいね」
「「…………(観察力すげえ)」」
流石にここまでいくと、二人は傷つくこともなかった。これこそがレフトンがライトを側近にする理由の一つだ。ライトは騎士としても強いが、それ以上に観察力と洞察力に秀でているのだ。だが、ライトの推察はまだ終わらない。
「ふむ、耳を澄ますと何か聞こえるね。屋敷の中が騒がしいみたいだよ」
「ん?」
「何?」
言われてみて、レフトンとエンジも耳を澄ましてみた。確かに屋敷の方から壮年くらいの男性と女性が口喧嘩しているような声が聞こえてくる。
「どうやら夫婦喧嘩しているみたいだね。それとも残ってる親子三人で騒いでるんじゃないかな。いや、二人分の声しか聞こえないから夫婦喧嘩かな?」
「なるほどな……」
夫婦に親子と聞いて、レフトンは嫌いな人物三人の顔を思い浮かべた。一応顔は知っているから嫌でも見当がつく。この屋敷の持ち主の家族の顔だ。
「元から歪んだ家庭がついに崩壊したか。まあ、自業自得だろうが、もう少し後にしてほしかったな」
レフトンは顔を歪ませながら面倒くさそうにするが、用事があるので屋敷に入ることにした。その直後、屋敷の扉が開いて初老の男性が現れた。身なりからして執事のようだ。
「あれは、ソノーザ公爵の側近の執事じゃないか?」
「顔がやつれているね。ソノーザ公爵家が取り潰しになるのを察しているんだね」
エンジとライトは少し警戒するが、レフトンは初老の執事を憐れむように見ていた。
「まあ、あの人は残るだろうな。こうなることは分かっていたんだし」
「何?」
「レフトンそれはどういう……?」
エンジとライトは訝しむがレフトンはそのまま執事に声を掛けた。
「ご苦労様っすね、執事の爺さん」
「これはこれはレフトン殿下、ご足労おかけいたします。旦那様のことでしたら、全くその通りですよ。おかげさまで私やミルナをはじめ多くの者にも苦労させられております」
レフトンは執事を本気で労わるように声を掛ける。執事もレフトンに敬意を払いながら、実の主に愚痴をこぼす。それを見てライトはある程度察した。
「へえ、そういうこと(この男もレフトンの味方になっていたということか。ソノーザ公爵家の執事なのに)……」
「何? 今、ミルナと言ったか?」
ここでエンジが執事の口にした女性の名前に反応した。その顔は明らかに動揺しているように見える。
「ええ、そうですが。貴方はミルナのことは知っておいでですか? 使用人の名前なのですが……」
「彼女は黒髪黒目で、元は子爵家の令嬢だったことはないか!?」
「な、何故それを!?」
「そのミルナとは、もしやミルナ・ウィン・コキアのことではないのか!? かつて没落したコキア子爵の一人娘の!?」
「何!?」
「何だって?」
普段冷静なエンジが取り乱し始めることに驚くレフトンとライト。肩を掴まれて至近距離で迫られた執事は落ち着いた様子で対応する。エンジの顔を見据えながら。
「……あなたはコキア子爵とはどのような関係でしたか? お名前は?」
「俺はエンジ・リュー・アクセイルだ! ミルナ・ウィン・コキアは俺の大切な幼馴染だ! 彼女がここにいるのか!?」
エンジの名前、それに幼馴染と聞いた執事はどこか安心したように微笑んだ。
「……そういうことでしたか。エンジ様、貴女の幼馴染は確かに彼女のことでしょうな」
「本当か!?」
「「!」」
「ええ、間違いありません。彼女のことは侍女として雇った時から知っていましたので」
執事はサエナリアの専属使用人となったミルナについて話し始めた。
「(ミルナさんがコキア子爵の? 彼女は何も言ってなかったぞ!?)」
レフトンは予想外の事態になって動揺するが、とりあえず執事の話を聞くことにした。
◇
こちらはソノーザ公爵家の屋敷内。どうやらライトの察した通り屋敷の一室でソノーザ公爵夫婦が言い争っていた。
「お前の馬鹿な教育のせいで我が家は落ち目に戻るんだぞ! どうしてくれるんだ!?」
「何よ! 家庭を私に押しつけて自分は出世のためにしかやってこなかったくせに! 偉そうなこと言わないで!」
「何をいうか! 出世のために働いて何が悪い! お前も貴族なら出世がどれ程の意味を持つか分かっているだろうが!」
「ええ、分かっていますとも! それ以上に娘を愛することが私にとって一番大事だったのよ!」
「娘を愛するだと!? ならサエナリアはどうなんだ!? 愛情など注いだ様子などなかったではないか! ワカナしか見ていなかったくせに、愛などとほざくな!」
「貴方こそ愛情なんて抱いたことないくせに分かったようなこと言わないで! ワカナが一番可愛かったし、それにサエナリアが私に似なかったせいよ!」
「お前が生んだ娘だぞ! 私に似たのがそんなに悪いのか!」
「一番可愛い子を一番愛しただけよ! 貴方だってワカナを一番可愛いって言ってたくせに!」
「だからといってサエナリアを蔑ろにしろとは言っていない! 娘を切り捨てるな!」
「切り捨ててない! むしろ切り捨ててきたのは貴方の方じゃない! 自分の御両親に弟に取り巻きの家に、」
「両親は田舎暮らしがしたかっただけだ! 弟は勝手に出て行ったんだ! 取り巻きの家は仕方がなかったんだ!」
「コキア子爵でしょ! 借金と罪をなすりつけておいて仕方がない? あなたの不手際じゃない!」
「うるさい! そのおかげで今、公爵にまで上り詰めたんだ! 文句を言うな! 馬鹿女!」
「何よ! この欲深男!」
「何だ! 育児放棄女!」
「育児放棄は貴方の方でしょ!」
「お前に言われたくないわ!」
……この夫婦は知らなかった。今この時、第二王子レフトンと二人の側近がやってきたことを。そして、その三人がソノーザ家に強い敵対心を抱いていたことも。
◇
執事の名はウォッチ・オッチャー。長年、ソノーザ家に仕えてきた老執事だ。しかし、今の当主であるベーリュ・ヴァン・ソノーザがあまりにも出世に固執するようになってからは、ソノーザ家に失望を感じていたそうだ。
「旦那様は今の自分には必要ないとしてご両親を唆して追い出してしまわれました。弟君であるフィリップス様が出て行ったことをいいことに田舎へと追いやられたのです。挙句の果てに、取り巻きの方々の家にうまく借金と罪をなすりつけました」
取り巻きの家と聞いて三人はどこなのか理解した。ソノーザ公爵家の過去まで調べてきたからだ。
「その取り巻きの家が…」
「コキア子爵家というわけか」
「…………!」
レフトンとライトは沈痛な顔でエンジを振り返った。エンジは怒りの形相で震えていた。ソノーザ家に対する怒りで煮えたぎっているのだ。
「ベーリュ・ヴァン・ソノーザを許せん……俺はもう自分を抑えられない……!」
今にも剣を手に持って屋敷に乗り込もうとするような雰囲気になってしまったエンジ。それに危機感を抱いたレフトンは肩を掴んで必死になだめた。
「落ち着けエンジ! お前らしくもないぞ! ベーリュ・ヴァン・ソノーザは法で裁いてやると言ったはずだ! 周りをよく見ろ。うまく奴を罪人として追い詰める筋書きはできているだろ!」
「だがレフトン! 俺にとってミルナは大切な幼馴染なんだ! コキアの人たちもいい人たちだった。そんな両親を亡くしたミルナがソノーザ家で侍女として働かされているなんて! あいつらは彼女を何だと思って、」
「そのことなんだけど、ミルナ・ウィン・コキアは自分の意思で働いているんじゃない?」
「何!?」
ライトもエンジをなだめる。ただ、レフトンのように必死ではなくエンジの正面に立って落ち着いた様子で、それでいて真剣な目で自身の見解を述べた。ミルナの状況を整理して考える必要があるからだ。
「君の言う通り君の幼馴染みにとってソノーザ家は憎むべき家のはずだ。そんな家で侍女として働くなどよほどの理由がある可能性が高い。復讐のためとかね」
「「っ!」」
「ここに居るウォッチさんはミルナ・ウィン・コキアの素性を知っていた。それはすなわちソノーザ家に恨みを抱いている可能性が高い侍女を彼は雇ったことになる。長く仕えてきた執事としてあるまじき行為のはずだが、現に彼女はこの屋敷で働くことになった。それは彼女のためを思ってのことじゃないのかな?」
「ミルナの、ためだと?」
エンジは驚いた。何を言っているのか理解できないのだ。しかし、少し落ち着いたようだった。
「ウォッチさんは味方なんだ。ソノーザ公爵ではなく君の幼馴染の音。だからこそエンジが彼女のことを知る人物だと知って最初は警戒していた。だけどエンジが大切な女性と想っていることを知って安心して僕たちに詳細を伝えようとしてくれた。この事実こそが、ソノーザ家を裏切って僕らに味方してくれているウォッチさんと彼女が協力関係にある証拠。そう思わない?」
「それは……」
「仮にもソノーザ家の側近のウォッチさんが味方だということは、ミルナ・ウィン・コキアの安全はある程度保証されていると思うんだ」
「!」
ここまで言われてエンジも気が付いた。確かにウォッチの様子を思い出すとミルナの味方のようにも感じられなくもない。エンジはウォッチの顔を見ると彼は微笑ましく笑っていた。
「ライト様のおっしゃる通りです。それにしてもミルナは貴方のような騎士様に想われていたのですな。これならミルナの今後のことは安心できそうです」
「ミルナは、サエナリア様の使用人と聞くが無事なのか……?」
「はい。サエナリアお嬢様を誰よりも気にかけて力になってくださいました。あれほど侍女としても人としても有能な者は私は知りません。他の者も彼女を見習ってほしかったものですな。もっとも次女のワカナお嬢様が選んだ使用人にそういう気概のある者はいませんでしたが………」
ウォッチの顔は笑っているがどこか寂しそうだった。その様子を見た三人は複雑な気持ちになった。ソノーザ公爵家を叩き潰すのが三人の最終的な目的ではあるが、その家に仕えていた執事の憂う気持ちを考えるとかける言葉が見つからない。
彼女以外は。
「仕方ありませんよ。彼らはワカナお嬢様に顔で雇われた者たちなのですから。期待するだけ無駄です」
「「「っ!?」」」
「……ふっ、そうですね」
突如現れたのは侍女の姿をした女性だった。ポニーテールの黒髪に黒目、そばかすに鋭い目つきに眼鏡が特徴だ。そんな彼女に真っ先に反応したのはエンジだった。
「そ、その声は……ミルナ、ミルナなのか!?」
エンジは駆け足で傍まで寄ってきた。そんなエンジの問いかけに答える前に、彼女は眼鏡をはずし、顔を布で拭った。すると、そこには眼鏡もそばかすもない顔になった女性がいた。どうやら素顔を晒したようだ。
「ええ、久しぶりですねエンジ君。いえ、エンジ様」
「ミ、ミルナ!」
彼女の声と笑顔を実感してエンジは確信した。この女性こそ、幼馴染のミルナ・ウィン・コキアなのだと。
「まさかこんなところで再会できるなんて! 今までどうしていたんだ!? コキア子爵はどうなったんだ!? ソノーザ公爵家で侍女をしていたなんて、サエナリア様の事件にも関係しているのか!?」
「え~と、エンジ様。質問が多すぎますから、一度落ち着いてくださいませ。一度にたくさん聞かれても困ります」
「あっ、そ、そうか。そうだな……」
「だから最初に知りたいことを教えて差し上げます。今の私は元気にしていますよ。両親を失ったりしてつらいことも多かったですが、それを乗り越えて今を生きています。心配しなくても大丈夫ですよエンジ様」
「! ……そうか、よかった。本当に良かった……!」
ミルナは元気だと答えた。見たところ確かに元気そうでいる。ただ、様付けされたことにエンジは少し悲しみを感じた。
「(エンジ様、か。確かに今の彼女は貴族じゃないから仕方ないか)」
少しの間、二人はじっと見つめ合っていた。ただ、いつまでもそういうわけにもいかないため、レフトンが笑って声を掛けてきた。
「あ~……え~と、うん。二人とも今ここで口を挟むのは無粋なことだと分かっているし、空気読めない男っていわれると思うが言わせてくれ。いつまでもここで立ち話している場合じゃないんだ。二人の関係のことは後で聞かせてもらう方針にしてほしいんだ。今は、」
「サエナリアお嬢様に関する情報収集でしょう? 分かっていますよ。サエナリアお嬢様が使っていたお部屋までご案内しますよ。使用人が9割ほどいなくなったおかげで手付かずですから証拠なら残ってますよ」
「何!?」
「やはり、そういうことか」
「…………」
エンジは驚き、ライトは納得したような顔になった。だが、レフトンのミルナを見る目は睨んでいるようにも見えた。そんなレフトンをミルナは少し目を細めて見つめ返す。
「レフトン殿下。あまりお屋敷を睨まれても証拠は逃げないことを保証いたしますゆえ落ち着いてもらえないでしょうか?」
「……俺はそういうことを……いや、今はいいか。大事なことを黙ってたことについてはもう少し後で聞かせてもらうとするよ。今は目的を果たそう」
「はい。お願いします」
にっこり笑うミルナを見てレフトンは笑い返す。ただ、レフトンな笑みはやや引きつっていた。その様子をエンジは訝しげに見て疑問に思った。
「おいレフトン、いつからミルナと面識があったんだ?」
エンジの質問に対して、レフトンは真面目に答える。その顔から笑みも消えていた。
「お前が気にするのは分かるが、今はそれどころじゃない。今俺が言えるのは、お前と彼女が幼馴染だということは本当に知らなかった。彼女はこの件の協力者の一人に過ぎなかったんだ。悪い言い方だが執事の爺さんの仲間ぐらいにしか思っていなかった。……エンジが幼馴染だと明かさなかったことにちょっと怒ってるけどな」
「…………」
レフトンはミルナに対して思うところがあるのか、簡潔に答えた。それでも微妙な気持ちがエンジの頭から消えなかったが、レフトンの言っていることも理解できるためか、これ以上聞く気になれなくなった。
「エンジ、ここは目的を果たそうじゃないか。彼女の話はその後でも遅くはない。本人がこちら側にいるんだからいつでも話ができるじゃないか」
「……分かった」
ライトにも正論を言われて、エンジは複雑な気持ちを抑えて渋々納得した。だが、心の中では絶対に聞き出そうという決意があった。
「(これが終わったら、ミルナと二人きりにさせてもらうか。レフトンなら喜んで許すだろう。もっとも、レフトンにも聞きたいことはあるけどな)」
「お話は終わりましたね? では皆さん、サエナリアお嬢様の部屋までご案内しますが、いいですか?」
ウォッチが確認すると、その場にいる全員が頷いた。
「ああ、頼んますよ執事の爺さん」
レフトンは笑顔で皆の総意を答えた。ウォッチも笑顔で返した。
「それでは、私、ウォッチ・オッチャーが皆様をご案内します」
「私、ミルナ・ウィン・コキアも同じく」
こうして、第二王子と側近二人、ソノーザ公爵家の執事と侍女。この五人はサエナリア・ヴァン・ソノーザ公爵令嬢の使用していた部屋に向かうのだった。
屋敷の主、ベーリュ・ヴァン・ソノーザに何も言わずに。
◇
今のソノーザ家の屋敷の内部には使用人が全く見かけなかった。サエナリアの部屋まで案内する執事と侍女のこの二人以外は本当に辞めて出て行ったようだ。サエナリアの妹のワカナが選んだだけにろくでもない使用人の方が大多数を占めていたようだ。
「(……ここがソノーザ公爵家。かつて父さんが暮らしていた場所か。平民の僕が踏み入れる日が来るなんて思いもよらなかったよ)」
ソノーザ公爵家に仕える使用人二人に案内されながら屋敷な内部を見渡すライトは、深く感傷に浸る。実の父親の出自のこともあって少し落ち着けない気分になった。
「(だけど、父さんが出て行ったこの屋敷をソノーザ家の人たちは手放すことになるのかもしれないと思うと皮肉な感じもするな。その要因に僕も加わっていることも中々滑稽だね。……彼らの自業自得か)」
「落ち着きなよライト」
「え!?」
考え込むライトにレフトンが声を掛けた。表面上は普段通りに見えても、レフトンにはライトが落ち着きを無くしかけているように見えたのだ。そして、レフトンの予想は当たっていた。
「な、何!?」
「お前が感傷を感じるのも、ソノーザ公爵家に怒りを覚えるのも分かる。感情的なライトも俺的には見てみたいって気持ちはあるが、親父さんのためにもその気持ちのせいで取り乱さないでくれ」
「! レフトン……」
「親父さんのことを思う気持ちは大事だ。その気持ちのためにも、感情を押し殺せとは言わないが最悪のタイミングで取り乱して今までの苦労をダメにしないでほしいんだ。お前もそう思うだろ、エンジ?」
「え? あ、ああ、そうだな。その通りだ……」
話を振られたエンジは一瞬驚いたが、とりあえずレフトンに同意した。だが、後になって気づいた。レフトンの言葉の意味は先ほどのエンジ自身にも当てはまることだということに。
「(レフトン、お前……。そうだな、あの場でお前の制止を振り切って、ソノーザ公爵を斬ってしまっていたら、お前やミルナの苦労を水の泡にしてしまうところだったかもしれないな。……悪いことしたものだ)」
「……そうだね。二人の言うとおりだ。ありがとう心配してくれて」
「おう」
ライトは薄く笑って礼を言った。レフトンの気遣いに心から感謝した。
「皆さん、お待たせしました。こちらがサエナリアお嬢様のお部屋でございます」
◇
三人が執事ウォッチと侍女ミルナに連れられて案内されたのは物置だった。これが公爵令嬢の部屋だと紹介されると三人は度肝を抜かれた。三人とも事前知っていたため覚悟はしていたが、実際に見ると驚かずにはいられなかった。
「……貴族じゃない僕でも、流石に扱いがひどすぎると思うよ。ソノーザ公爵家はかなり歪んでいる」
「こ、こんな部屋を自分の娘に与えるとは、どういう神経しているんだ………!」
「………………」
ライトとエンジは目を丸くして驚き、驚きの声を漏らす。だが、レフトンは珍しく口を閉ざしていた。部屋を真っ直ぐ凝視している。
「………レフトン殿下?」
普段のレフトンらしくない反応に気になったミルナは声を掛けてみたが、顔を見て気づいた。レフトンの怒りは深かったのだ。ライトとエンジと違って、声を押し殺し目を細めて震えていた。
「……ここがサエナリアさんの部屋か。ここで過ごしてきたんだな」
「……はい」
「実の親に強要されて、こんな場所にか……」
「正確には実の妹君に要求されて、ですね」
「愚妹の我儘を愚かな親が、だろ?」
「はい、その通りです」
やっとレフトンが声を発したが、その声は酷く冷たい声色だった。そんなレフトンの声を聞いたことがなかったライトは驚かされてしまう。エンジの方は緊張して静かに見ていた。
「(これが、レフトンなのか!? ……いや、こういう一面があってもおかしくはない、か)」
「…………(久方ぶりに見たな、こんなレフトンは。……見たくはなかったがな)」
「見るべきものは見た。これで王族の中で二人になったわけだ。……サエナリアさんがどういう扱いを受けたのか、どんな部屋で過ごしてきたのか、虐待に等しい扱いを受けたことを証明できる王子がな」
「「「「…………」」」」
レフトンたちの狙いはそういうことだ。ソノーザ公爵家の罪を暴く過程でサエナリアの境遇を明らかにすることも彼らの目的だったのだ。罪深いのはソノーザ公爵夫婦とその次女ということにしておきたいが、サエナリアに関してはほとんど非がない。むしろ被害者に相当するが、実家のソノーザ公爵家が裁かれるとなれば世間はサエナリアも悪い目で見ることは間違いないだろう。
だが、そんなことは一部の者は望まない。それはカーズやナシュカ、ここに居るレフトンとその仲間たちがそうだ。だからこそ、サエナリアが不遇な境遇だったことを証明して、世間に同情される状況を作る必要があったのだ。そのためにもソノーザ公爵家の不祥事の証拠と有力な証言が必要だった。
特に王族の発言がかなりの切り札になる。今日、レフトンが言った通り、サエナリアの不遇な環境をその目で見た王子が二人になったのだ。第一王子カーズと第二王子レフトンの二人。これで裁判の時に王族の発言が二人分になるわけだ。その時にカーズが平常心を取り戻していればいいのだが。
「(まあ、兄貴は親父とお袋にソノーザ家で見て聞いたことを全部話したみたいだがな。あの日記も親父たちに渡ったみたいだし。最悪、俺の発言だけでいけるかもしれねえ)」
「これで最低限の目的は果たしてくださったようですが、もう少しサエナリア様のお部屋をご覧になりますか?」
「いや、これ以上はいい。こんな物置でも女性が過ごした部屋だ。男が本人の許可もなく見て回るなんて無粋なまねはしない。お前らもそう思うだろ?」
レフトンはエンジとライトを振り返っていった。話を振られた二人は複雑な顔で同意する。
「……そうだな。これ以上はいいだろう(本当にサエナリア様が過ごしたどうか微妙なところだが、無粋なのは確かだしな)」
「ソノーザ家の罪を暴く証拠はもう十分王家に渡っているし、同意するよ(それにしても、この部屋の位置は……もしかして、父さんの……?)」
二人から確認を取ったレフトンはニヤリと笑って、次の行動に移ることにした。
「そうか、なら後はソノーザ公爵に会うだけだな」
「……わざわざ会う必要があるのかい?」
「……俺は殺してやりたい気分なんだがな」
側近二人が顔をしかめる中、レフトンは怒りを込めた笑顔を見せて言い放った。
「宣戦布告ってやつさ」
「「…………!」」
「「…………」」
怒りながら笑うという器用なことをするレフトンに、誰も何も言うことは無かった。
ナシュカ達がマリナと話を終えた頃、レフトンとその側近のエンジとライトの三人が乗る馬車がソノーザ公爵の屋敷の前に着いた。
「着いたぞ、ここがソノーザ公爵家だ」
「ここなんだね、でも……」
馬車を降りて屋敷の門の前に立つレフトンたちは、三人とも奇妙なことに気付いた。公爵の屋敷にもかかわらず門番をする衛兵がいないのだ。
「……いきなり怪しくなったけどな」
「ああ、公爵家にしては妙だ」
「そうだね。門番をしている衛兵がいないし、手入れがなってない」
「「手入れ?」」
「よく見て。屋敷の門と扉までの通路が人が通った後で汚れている。こんなものは使用人が掃除して奇麗にするものだ。それが見るからに残っているということは使用人がそういう働きをしていないか、今この屋敷に使用人がほとんどいないことを示していると思われる」
手入れに関してはレフトンとエンジは気が付かなかったことだった。公爵家ほどの屋敷で衛兵がいないことくらいしか二人とも気づかなかったのだ。二人は貴族だというのに、平民出身のライトが真っ先に気付いた事実は若干傷つく。
「それに残っている靴後をよく見ると、複数人の者が同時に屋敷から出て行ったみたいだね。どれも屋敷の外に向いている。これはおそらく、カーズ殿下がソノーザ公爵ともめたのを機に、多くの使用人がソノーザ家見限って辞めたいったとみたほうがいいね」
「「…………(観察力すげえ)」」
流石にここまでいくと、二人は傷つくこともなかった。これこそがレフトンがライトを側近にする理由の一つだ。ライトは騎士としても強いが、それ以上に観察力と洞察力に秀でているのだ。だが、ライトの推察はまだ終わらない。
「ふむ、耳を澄ますと何か聞こえるね。屋敷の中が騒がしいみたいだよ」
「ん?」
「何?」
言われてみて、レフトンとエンジも耳を澄ましてみた。確かに屋敷の方から壮年くらいの男性と女性が口喧嘩しているような声が聞こえてくる。
「どうやら夫婦喧嘩しているみたいだね。それとも残ってる親子三人で騒いでるんじゃないかな。いや、二人分の声しか聞こえないから夫婦喧嘩かな?」
「なるほどな……」
夫婦に親子と聞いて、レフトンは嫌いな人物三人の顔を思い浮かべた。一応顔は知っているから嫌でも見当がつく。この屋敷の持ち主の家族の顔だ。
「元から歪んだ家庭がついに崩壊したか。まあ、自業自得だろうが、もう少し後にしてほしかったな」
レフトンは顔を歪ませながら面倒くさそうにするが、用事があるので屋敷に入ることにした。その直後、屋敷の扉が開いて初老の男性が現れた。身なりからして執事のようだ。
「あれは、ソノーザ公爵の側近の執事じゃないか?」
「顔がやつれているね。ソノーザ公爵家が取り潰しになるのを察しているんだね」
エンジとライトは少し警戒するが、レフトンは初老の執事を憐れむように見ていた。
「まあ、あの人は残るだろうな。こうなることは分かっていたんだし」
「何?」
「レフトンそれはどういう……?」
エンジとライトは訝しむがレフトンはそのまま執事に声を掛けた。
「ご苦労様っすね、執事の爺さん」
「これはこれはレフトン殿下、ご足労おかけいたします。旦那様のことでしたら、全くその通りですよ。おかげさまで私やミルナをはじめ多くの者にも苦労させられております」
レフトンは執事を本気で労わるように声を掛ける。執事もレフトンに敬意を払いながら、実の主に愚痴をこぼす。それを見てライトはある程度察した。
「へえ、そういうこと(この男もレフトンの味方になっていたということか。ソノーザ公爵家の執事なのに)……」
「何? 今、ミルナと言ったか?」
ここでエンジが執事の口にした女性の名前に反応した。その顔は明らかに動揺しているように見える。
「ええ、そうですが。貴方はミルナのことは知っておいでですか? 使用人の名前なのですが……」
「彼女は黒髪黒目で、元は子爵家の令嬢だったことはないか!?」
「な、何故それを!?」
「そのミルナとは、もしやミルナ・ウィン・コキアのことではないのか!? かつて没落したコキア子爵の一人娘の!?」
「何!?」
「何だって?」
普段冷静なエンジが取り乱し始めることに驚くレフトンとライト。肩を掴まれて至近距離で迫られた執事は落ち着いた様子で対応する。エンジの顔を見据えながら。
「……あなたはコキア子爵とはどのような関係でしたか? お名前は?」
「俺はエンジ・リュー・アクセイルだ! ミルナ・ウィン・コキアは俺の大切な幼馴染だ! 彼女がここにいるのか!?」
エンジの名前、それに幼馴染と聞いた執事はどこか安心したように微笑んだ。
「……そういうことでしたか。エンジ様、貴女の幼馴染は確かに彼女のことでしょうな」
「本当か!?」
「「!」」
「ええ、間違いありません。彼女のことは侍女として雇った時から知っていましたので」
執事はサエナリアの専属使用人となったミルナについて話し始めた。
「(ミルナさんがコキア子爵の? 彼女は何も言ってなかったぞ!?)」
レフトンは予想外の事態になって動揺するが、とりあえず執事の話を聞くことにした。
◇
こちらはソノーザ公爵家の屋敷内。どうやらライトの察した通り屋敷の一室でソノーザ公爵夫婦が言い争っていた。
「お前の馬鹿な教育のせいで我が家は落ち目に戻るんだぞ! どうしてくれるんだ!?」
「何よ! 家庭を私に押しつけて自分は出世のためにしかやってこなかったくせに! 偉そうなこと言わないで!」
「何をいうか! 出世のために働いて何が悪い! お前も貴族なら出世がどれ程の意味を持つか分かっているだろうが!」
「ええ、分かっていますとも! それ以上に娘を愛することが私にとって一番大事だったのよ!」
「娘を愛するだと!? ならサエナリアはどうなんだ!? 愛情など注いだ様子などなかったではないか! ワカナしか見ていなかったくせに、愛などとほざくな!」
「貴方こそ愛情なんて抱いたことないくせに分かったようなこと言わないで! ワカナが一番可愛かったし、それにサエナリアが私に似なかったせいよ!」
「お前が生んだ娘だぞ! 私に似たのがそんなに悪いのか!」
「一番可愛い子を一番愛しただけよ! 貴方だってワカナを一番可愛いって言ってたくせに!」
「だからといってサエナリアを蔑ろにしろとは言っていない! 娘を切り捨てるな!」
「切り捨ててない! むしろ切り捨ててきたのは貴方の方じゃない! 自分の御両親に弟に取り巻きの家に、」
「両親は田舎暮らしがしたかっただけだ! 弟は勝手に出て行ったんだ! 取り巻きの家は仕方がなかったんだ!」
「コキア子爵でしょ! 借金と罪をなすりつけておいて仕方がない? あなたの不手際じゃない!」
「うるさい! そのおかげで今、公爵にまで上り詰めたんだ! 文句を言うな! 馬鹿女!」
「何よ! この欲深男!」
「何だ! 育児放棄女!」
「育児放棄は貴方の方でしょ!」
「お前に言われたくないわ!」
……この夫婦は知らなかった。今この時、第二王子レフトンと二人の側近がやってきたことを。そして、その三人がソノーザ家に強い敵対心を抱いていたことも。
◇
執事の名はウォッチ・オッチャー。長年、ソノーザ家に仕えてきた老執事だ。しかし、今の当主であるベーリュ・ヴァン・ソノーザがあまりにも出世に固執するようになってからは、ソノーザ家に失望を感じていたそうだ。
「旦那様は今の自分には必要ないとしてご両親を唆して追い出してしまわれました。弟君であるフィリップス様が出て行ったことをいいことに田舎へと追いやられたのです。挙句の果てに、取り巻きの方々の家にうまく借金と罪をなすりつけました」
取り巻きの家と聞いて三人はどこなのか理解した。ソノーザ公爵家の過去まで調べてきたからだ。
「その取り巻きの家が…」
「コキア子爵家というわけか」
「…………!」
レフトンとライトは沈痛な顔でエンジを振り返った。エンジは怒りの形相で震えていた。ソノーザ家に対する怒りで煮えたぎっているのだ。
「ベーリュ・ヴァン・ソノーザを許せん……俺はもう自分を抑えられない……!」
今にも剣を手に持って屋敷に乗り込もうとするような雰囲気になってしまったエンジ。それに危機感を抱いたレフトンは肩を掴んで必死になだめた。
「落ち着けエンジ! お前らしくもないぞ! ベーリュ・ヴァン・ソノーザは法で裁いてやると言ったはずだ! 周りをよく見ろ。うまく奴を罪人として追い詰める筋書きはできているだろ!」
「だがレフトン! 俺にとってミルナは大切な幼馴染なんだ! コキアの人たちもいい人たちだった。そんな両親を亡くしたミルナがソノーザ家で侍女として働かされているなんて! あいつらは彼女を何だと思って、」
「そのことなんだけど、ミルナ・ウィン・コキアは自分の意思で働いているんじゃない?」
「何!?」
ライトもエンジをなだめる。ただ、レフトンのように必死ではなくエンジの正面に立って落ち着いた様子で、それでいて真剣な目で自身の見解を述べた。ミルナの状況を整理して考える必要があるからだ。
「君の言う通り君の幼馴染みにとってソノーザ家は憎むべき家のはずだ。そんな家で侍女として働くなどよほどの理由がある可能性が高い。復讐のためとかね」
「「っ!」」
「ここに居るウォッチさんはミルナ・ウィン・コキアの素性を知っていた。それはすなわちソノーザ家に恨みを抱いている可能性が高い侍女を彼は雇ったことになる。長く仕えてきた執事としてあるまじき行為のはずだが、現に彼女はこの屋敷で働くことになった。それは彼女のためを思ってのことじゃないのかな?」
「ミルナの、ためだと?」
エンジは驚いた。何を言っているのか理解できないのだ。しかし、少し落ち着いたようだった。
「ウォッチさんは味方なんだ。ソノーザ公爵ではなく君の幼馴染の音。だからこそエンジが彼女のことを知る人物だと知って最初は警戒していた。だけどエンジが大切な女性と想っていることを知って安心して僕たちに詳細を伝えようとしてくれた。この事実こそが、ソノーザ家を裏切って僕らに味方してくれているウォッチさんと彼女が協力関係にある証拠。そう思わない?」
「それは……」
「仮にもソノーザ家の側近のウォッチさんが味方だということは、ミルナ・ウィン・コキアの安全はある程度保証されていると思うんだ」
「!」
ここまで言われてエンジも気が付いた。確かにウォッチの様子を思い出すとミルナの味方のようにも感じられなくもない。エンジはウォッチの顔を見ると彼は微笑ましく笑っていた。
「ライト様のおっしゃる通りです。それにしてもミルナは貴方のような騎士様に想われていたのですな。これならミルナの今後のことは安心できそうです」
「ミルナは、サエナリア様の使用人と聞くが無事なのか……?」
「はい。サエナリアお嬢様を誰よりも気にかけて力になってくださいました。あれほど侍女としても人としても有能な者は私は知りません。他の者も彼女を見習ってほしかったものですな。もっとも次女のワカナお嬢様が選んだ使用人にそういう気概のある者はいませんでしたが………」
ウォッチの顔は笑っているがどこか寂しそうだった。その様子を見た三人は複雑な気持ちになった。ソノーザ公爵家を叩き潰すのが三人の最終的な目的ではあるが、その家に仕えていた執事の憂う気持ちを考えるとかける言葉が見つからない。
彼女以外は。
「仕方ありませんよ。彼らはワカナお嬢様に顔で雇われた者たちなのですから。期待するだけ無駄です」
「「「っ!?」」」
「……ふっ、そうですね」
突如現れたのは侍女の姿をした女性だった。ポニーテールの黒髪に黒目、そばかすに鋭い目つきに眼鏡が特徴だ。そんな彼女に真っ先に反応したのはエンジだった。
「そ、その声は……ミルナ、ミルナなのか!?」
エンジは駆け足で傍まで寄ってきた。そんなエンジの問いかけに答える前に、彼女は眼鏡をはずし、顔を布で拭った。すると、そこには眼鏡もそばかすもない顔になった女性がいた。どうやら素顔を晒したようだ。
「ええ、久しぶりですねエンジ君。いえ、エンジ様」
「ミ、ミルナ!」
彼女の声と笑顔を実感してエンジは確信した。この女性こそ、幼馴染のミルナ・ウィン・コキアなのだと。
「まさかこんなところで再会できるなんて! 今までどうしていたんだ!? コキア子爵はどうなったんだ!? ソノーザ公爵家で侍女をしていたなんて、サエナリア様の事件にも関係しているのか!?」
「え~と、エンジ様。質問が多すぎますから、一度落ち着いてくださいませ。一度にたくさん聞かれても困ります」
「あっ、そ、そうか。そうだな……」
「だから最初に知りたいことを教えて差し上げます。今の私は元気にしていますよ。両親を失ったりしてつらいことも多かったですが、それを乗り越えて今を生きています。心配しなくても大丈夫ですよエンジ様」
「! ……そうか、よかった。本当に良かった……!」
ミルナは元気だと答えた。見たところ確かに元気そうでいる。ただ、様付けされたことにエンジは少し悲しみを感じた。
「(エンジ様、か。確かに今の彼女は貴族じゃないから仕方ないか)」
少しの間、二人はじっと見つめ合っていた。ただ、いつまでもそういうわけにもいかないため、レフトンが笑って声を掛けてきた。
「あ~……え~と、うん。二人とも今ここで口を挟むのは無粋なことだと分かっているし、空気読めない男っていわれると思うが言わせてくれ。いつまでもここで立ち話している場合じゃないんだ。二人の関係のことは後で聞かせてもらう方針にしてほしいんだ。今は、」
「サエナリアお嬢様に関する情報収集でしょう? 分かっていますよ。サエナリアお嬢様が使っていたお部屋までご案内しますよ。使用人が9割ほどいなくなったおかげで手付かずですから証拠なら残ってますよ」
「何!?」
「やはり、そういうことか」
「…………」
エンジは驚き、ライトは納得したような顔になった。だが、レフトンのミルナを見る目は睨んでいるようにも見えた。そんなレフトンをミルナは少し目を細めて見つめ返す。
「レフトン殿下。あまりお屋敷を睨まれても証拠は逃げないことを保証いたしますゆえ落ち着いてもらえないでしょうか?」
「……俺はそういうことを……いや、今はいいか。大事なことを黙ってたことについてはもう少し後で聞かせてもらうとするよ。今は目的を果たそう」
「はい。お願いします」
にっこり笑うミルナを見てレフトンは笑い返す。ただ、レフトンな笑みはやや引きつっていた。その様子をエンジは訝しげに見て疑問に思った。
「おいレフトン、いつからミルナと面識があったんだ?」
エンジの質問に対して、レフトンは真面目に答える。その顔から笑みも消えていた。
「お前が気にするのは分かるが、今はそれどころじゃない。今俺が言えるのは、お前と彼女が幼馴染だということは本当に知らなかった。彼女はこの件の協力者の一人に過ぎなかったんだ。悪い言い方だが執事の爺さんの仲間ぐらいにしか思っていなかった。……エンジが幼馴染だと明かさなかったことにちょっと怒ってるけどな」
「…………」
レフトンはミルナに対して思うところがあるのか、簡潔に答えた。それでも微妙な気持ちがエンジの頭から消えなかったが、レフトンの言っていることも理解できるためか、これ以上聞く気になれなくなった。
「エンジ、ここは目的を果たそうじゃないか。彼女の話はその後でも遅くはない。本人がこちら側にいるんだからいつでも話ができるじゃないか」
「……分かった」
ライトにも正論を言われて、エンジは複雑な気持ちを抑えて渋々納得した。だが、心の中では絶対に聞き出そうという決意があった。
「(これが終わったら、ミルナと二人きりにさせてもらうか。レフトンなら喜んで許すだろう。もっとも、レフトンにも聞きたいことはあるけどな)」
「お話は終わりましたね? では皆さん、サエナリアお嬢様の部屋までご案内しますが、いいですか?」
ウォッチが確認すると、その場にいる全員が頷いた。
「ああ、頼んますよ執事の爺さん」
レフトンは笑顔で皆の総意を答えた。ウォッチも笑顔で返した。
「それでは、私、ウォッチ・オッチャーが皆様をご案内します」
「私、ミルナ・ウィン・コキアも同じく」
こうして、第二王子と側近二人、ソノーザ公爵家の執事と侍女。この五人はサエナリア・ヴァン・ソノーザ公爵令嬢の使用していた部屋に向かうのだった。
屋敷の主、ベーリュ・ヴァン・ソノーザに何も言わずに。
◇
今のソノーザ家の屋敷の内部には使用人が全く見かけなかった。サエナリアの部屋まで案内する執事と侍女のこの二人以外は本当に辞めて出て行ったようだ。サエナリアの妹のワカナが選んだだけにろくでもない使用人の方が大多数を占めていたようだ。
「(……ここがソノーザ公爵家。かつて父さんが暮らしていた場所か。平民の僕が踏み入れる日が来るなんて思いもよらなかったよ)」
ソノーザ公爵家に仕える使用人二人に案内されながら屋敷な内部を見渡すライトは、深く感傷に浸る。実の父親の出自のこともあって少し落ち着けない気分になった。
「(だけど、父さんが出て行ったこの屋敷をソノーザ家の人たちは手放すことになるのかもしれないと思うと皮肉な感じもするな。その要因に僕も加わっていることも中々滑稽だね。……彼らの自業自得か)」
「落ち着きなよライト」
「え!?」
考え込むライトにレフトンが声を掛けた。表面上は普段通りに見えても、レフトンにはライトが落ち着きを無くしかけているように見えたのだ。そして、レフトンの予想は当たっていた。
「な、何!?」
「お前が感傷を感じるのも、ソノーザ公爵家に怒りを覚えるのも分かる。感情的なライトも俺的には見てみたいって気持ちはあるが、親父さんのためにもその気持ちのせいで取り乱さないでくれ」
「! レフトン……」
「親父さんのことを思う気持ちは大事だ。その気持ちのためにも、感情を押し殺せとは言わないが最悪のタイミングで取り乱して今までの苦労をダメにしないでほしいんだ。お前もそう思うだろ、エンジ?」
「え? あ、ああ、そうだな。その通りだ……」
話を振られたエンジは一瞬驚いたが、とりあえずレフトンに同意した。だが、後になって気づいた。レフトンの言葉の意味は先ほどのエンジ自身にも当てはまることだということに。
「(レフトン、お前……。そうだな、あの場でお前の制止を振り切って、ソノーザ公爵を斬ってしまっていたら、お前やミルナの苦労を水の泡にしてしまうところだったかもしれないな。……悪いことしたものだ)」
「……そうだね。二人の言うとおりだ。ありがとう心配してくれて」
「おう」
ライトは薄く笑って礼を言った。レフトンの気遣いに心から感謝した。
「皆さん、お待たせしました。こちらがサエナリアお嬢様のお部屋でございます」
◇
三人が執事ウォッチと侍女ミルナに連れられて案内されたのは物置だった。これが公爵令嬢の部屋だと紹介されると三人は度肝を抜かれた。三人とも事前知っていたため覚悟はしていたが、実際に見ると驚かずにはいられなかった。
「……貴族じゃない僕でも、流石に扱いがひどすぎると思うよ。ソノーザ公爵家はかなり歪んでいる」
「こ、こんな部屋を自分の娘に与えるとは、どういう神経しているんだ………!」
「………………」
ライトとエンジは目を丸くして驚き、驚きの声を漏らす。だが、レフトンは珍しく口を閉ざしていた。部屋を真っ直ぐ凝視している。
「………レフトン殿下?」
普段のレフトンらしくない反応に気になったミルナは声を掛けてみたが、顔を見て気づいた。レフトンの怒りは深かったのだ。ライトとエンジと違って、声を押し殺し目を細めて震えていた。
「……ここがサエナリアさんの部屋か。ここで過ごしてきたんだな」
「……はい」
「実の親に強要されて、こんな場所にか……」
「正確には実の妹君に要求されて、ですね」
「愚妹の我儘を愚かな親が、だろ?」
「はい、その通りです」
やっとレフトンが声を発したが、その声は酷く冷たい声色だった。そんなレフトンの声を聞いたことがなかったライトは驚かされてしまう。エンジの方は緊張して静かに見ていた。
「(これが、レフトンなのか!? ……いや、こういう一面があってもおかしくはない、か)」
「…………(久方ぶりに見たな、こんなレフトンは。……見たくはなかったがな)」
「見るべきものは見た。これで王族の中で二人になったわけだ。……サエナリアさんがどういう扱いを受けたのか、どんな部屋で過ごしてきたのか、虐待に等しい扱いを受けたことを証明できる王子がな」
「「「「…………」」」」
レフトンたちの狙いはそういうことだ。ソノーザ公爵家の罪を暴く過程でサエナリアの境遇を明らかにすることも彼らの目的だったのだ。罪深いのはソノーザ公爵夫婦とその次女ということにしておきたいが、サエナリアに関してはほとんど非がない。むしろ被害者に相当するが、実家のソノーザ公爵家が裁かれるとなれば世間はサエナリアも悪い目で見ることは間違いないだろう。
だが、そんなことは一部の者は望まない。それはカーズやナシュカ、ここに居るレフトンとその仲間たちがそうだ。だからこそ、サエナリアが不遇な境遇だったことを証明して、世間に同情される状況を作る必要があったのだ。そのためにもソノーザ公爵家の不祥事の証拠と有力な証言が必要だった。
特に王族の発言がかなりの切り札になる。今日、レフトンが言った通り、サエナリアの不遇な環境をその目で見た王子が二人になったのだ。第一王子カーズと第二王子レフトンの二人。これで裁判の時に王族の発言が二人分になるわけだ。その時にカーズが平常心を取り戻していればいいのだが。
「(まあ、兄貴は親父とお袋にソノーザ家で見て聞いたことを全部話したみたいだがな。あの日記も親父たちに渡ったみたいだし。最悪、俺の発言だけでいけるかもしれねえ)」
「これで最低限の目的は果たしてくださったようですが、もう少しサエナリア様のお部屋をご覧になりますか?」
「いや、これ以上はいい。こんな物置でも女性が過ごした部屋だ。男が本人の許可もなく見て回るなんて無粋なまねはしない。お前らもそう思うだろ?」
レフトンはエンジとライトを振り返っていった。話を振られた二人は複雑な顔で同意する。
「……そうだな。これ以上はいいだろう(本当にサエナリア様が過ごしたどうか微妙なところだが、無粋なのは確かだしな)」
「ソノーザ家の罪を暴く証拠はもう十分王家に渡っているし、同意するよ(それにしても、この部屋の位置は……もしかして、父さんの……?)」
二人から確認を取ったレフトンはニヤリと笑って、次の行動に移ることにした。
「そうか、なら後はソノーザ公爵に会うだけだな」
「……わざわざ会う必要があるのかい?」
「……俺は殺してやりたい気分なんだがな」
側近二人が顔をしかめる中、レフトンは怒りを込めた笑顔を見せて言い放った。
「宣戦布告ってやつさ」
「「…………!」」
「「…………」」
怒りながら笑うという器用なことをするレフトンに、誰も何も言うことは無かった。
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