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最終章 白雉の微睡
最終話 白雉の微睡
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藤原鎌足の葬儀は古くからの倭国の習慣に従い、死の一年後に行われた。
天智天皇は鎌足の葬儀への参列を強く希望していたが、臣下の葬儀に大王が参列することに朝廷内部から強い反対の声が上がり見送られた。代わりに、天智天皇は朝廷の主だった貴族や官人すべてに鎌足の葬儀に出るよう命じた。
鎌足の遺体は火葬され、骨は天智天皇から下賜された金の香炉とともに山科寺に納められた。
藤原鎌足の死の二年後、天智天皇は前年からの病を長引かせて近江大津宮で亡くなった。四十六歳だった。晩年の天智天皇は蘇我入鹿を弑したことを深く悔やみ、自分の薬指を切り落として園城寺(現・三井寺)に納めたという。
天智天皇の陵は鎌足の領地だった山科の山の裾に築かれた。
天智天皇の死後、その皇子である大友皇子と大海人皇子の間に王位継承をめぐる争いが生じた。全国をまき込んだ戦乱の後、大海人皇子に敗れた大友皇子とそれに加担した蘇我赤兄、中臣金は処刑された。
争いに勝った大海人皇子は王位に就いて天武天皇となり、未完の近江令を完成させて飛鳥浄御原令を制定した。これ以降、倭国は律令制度を確立させた国家として歩み始めることになる。
鎌足の子である中臣史人、のちの藤原不比等が歴史の表に出てくるのは、天武天皇の死後に持統天皇として王位を継いだ鵜野皇女の治世のことである。
日本書紀の記録とは別に、天智天皇の死についてはこんな話が伝わっている。
ある日、天智天皇は馬に乗り、近江大津宮から山科に向かったのだという。
山科には鎌足の菩提寺である山科寺がある。天智天皇は山科に着くと馬を降り、供の者達を待たせたまま一人だけで山の中に入っていた。すぐに戻ってくるだろうと皆は思っていたが、いつまでも待っても天智天皇は戻ってこなかった。
供の者達が慌てて山に入りその姿を探しても見つからず、ただ天皇が履いていた沓の片方だけがぽつんと一つ、山道に落ちていた。
忽然と姿を消してしまった天智天皇の生死を確かめる術はなく、残された人々は仕方なく沓が落ちていたその場所に陵を築いたのだと後の世に編纂された歴史書「扶桑略記」には記されている。
山科の山の中で、天智天皇の身の上にいったい何が起きたのだろうか。
病に弱った体で山道をさまよい歩き木の根に躓き倒れたその先に、脱げてしまった片方の沓を差し出す誰かの姿を見たのかもしれない。沓を差し出すその手を取って、そして此処ではないどこかへと去っていったのかもしれない。
その先は白く、白く、ただ白い光だけが満ちていて。
――彼方まで続く白い雪原をどこまでも、二人で
天智天皇は鎌足の葬儀への参列を強く希望していたが、臣下の葬儀に大王が参列することに朝廷内部から強い反対の声が上がり見送られた。代わりに、天智天皇は朝廷の主だった貴族や官人すべてに鎌足の葬儀に出るよう命じた。
鎌足の遺体は火葬され、骨は天智天皇から下賜された金の香炉とともに山科寺に納められた。
藤原鎌足の死の二年後、天智天皇は前年からの病を長引かせて近江大津宮で亡くなった。四十六歳だった。晩年の天智天皇は蘇我入鹿を弑したことを深く悔やみ、自分の薬指を切り落として園城寺(現・三井寺)に納めたという。
天智天皇の陵は鎌足の領地だった山科の山の裾に築かれた。
天智天皇の死後、その皇子である大友皇子と大海人皇子の間に王位継承をめぐる争いが生じた。全国をまき込んだ戦乱の後、大海人皇子に敗れた大友皇子とそれに加担した蘇我赤兄、中臣金は処刑された。
争いに勝った大海人皇子は王位に就いて天武天皇となり、未完の近江令を完成させて飛鳥浄御原令を制定した。これ以降、倭国は律令制度を確立させた国家として歩み始めることになる。
鎌足の子である中臣史人、のちの藤原不比等が歴史の表に出てくるのは、天武天皇の死後に持統天皇として王位を継いだ鵜野皇女の治世のことである。
日本書紀の記録とは別に、天智天皇の死についてはこんな話が伝わっている。
ある日、天智天皇は馬に乗り、近江大津宮から山科に向かったのだという。
山科には鎌足の菩提寺である山科寺がある。天智天皇は山科に着くと馬を降り、供の者達を待たせたまま一人だけで山の中に入っていた。すぐに戻ってくるだろうと皆は思っていたが、いつまでも待っても天智天皇は戻ってこなかった。
供の者達が慌てて山に入りその姿を探しても見つからず、ただ天皇が履いていた沓の片方だけがぽつんと一つ、山道に落ちていた。
忽然と姿を消してしまった天智天皇の生死を確かめる術はなく、残された人々は仕方なく沓が落ちていたその場所に陵を築いたのだと後の世に編纂された歴史書「扶桑略記」には記されている。
山科の山の中で、天智天皇の身の上にいったい何が起きたのだろうか。
病に弱った体で山道をさまよい歩き木の根に躓き倒れたその先に、脱げてしまった片方の沓を差し出す誰かの姿を見たのかもしれない。沓を差し出すその手を取って、そして此処ではないどこかへと去っていったのかもしれない。
その先は白く、白く、ただ白い光だけが満ちていて。
――彼方まで続く白い雪原をどこまでも、二人で
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