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最終章 白雉の微睡
第6話 鮮紅の海原
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六月に海岸近くにある新羅の城を落とした上毛野稚子は、その後まもなく自らの土地である上野国に戻っていった。
筑紫那珂津宮の葛城王の本陣には朝廷の臣が率いる軍と地元である筑紫周辺から集められた兵士が駐屯していた。朝倉宮には大海人皇子を中心に美濃や遠江の兵士が残っていたが、敦賀や上野の兵がいなくなったあとはただ茫漠と広い空き地を持て余していた。
倭国からの救援の兵が暫定的に百済王城周辺から新羅の兵を追い払ったものの鬼室副信の死の余波は収まらなかった。
百済内部の不安定さを知った唐の皇帝高宗は直ちに反応し、七月には劉仁願と劉仁軌が布陣する熊津城に援軍を派遣した。高宗は新羅にも派兵を要求し、文武王は金庾信とともに兵を率いて熊津城に向かった。
「唐が動きました。今度こそ百済の息の根を止めるつもりでしょう」
金庾信と連絡を取り合う鎌子には唐の情報が入ってくる。那珂津宮の一室で行われた軍議には、葛城王と鎌子の他に阿曇比羅夫と筑紫の豪族である筑紫君薩野馬が同席していた。
筑紫君薩野馬は、かつて倭王権に反乱をおこした筑紫君磐井の係累につながる。薩野馬自身には倭王権への帰属意識が明らかだが、血筋には地元の古くからの民を統率する説得力があった。
「いよいよ百済は駄目か」
阿曇比羅夫は苦い顔をした。筑紫君薩野馬もそうだが九州北部の豪族は昔から半島の人々と交流がある。良く知っている国の滅亡を目の当たりにする戸惑いが彼らにあった。
「新羅が唐の軍の動向を伝えてくるということは、やはり新羅と唐の同盟も盤石ではないということか」
葛城王の問いを鎌子は拱手で肯定した。
「葛城王、実のところ唐からも私に密使がありました。新羅を介していない直接の通信です」
「何と言ってきた」
「新羅とは同盟関係だが不信を抱いていると」
「お互い様だな」
唐も新羅も百済の地を自らの直轄地としたがっている。時に、新羅軍は唐軍を差し置いて百済の城を占拠し、唐軍を近寄せないこともあった。
「唐と新羅の狭間に倭国が介入する余地があります。唐はすぐに倭国を攻めるつもりはない、と密使の送り元である唐の高官は私に伝えてきました。むしろ百済を滅ぼした後に新羅と倭国が親密になることを警戒しているのでしょう」
「新羅も唐もすでに百済滅亡の後に目が向いている、ということか」
「はい。倭国も方針を変えるべき時と思います」
鎌子の言葉を聞いた阿曇比羅夫が、
「内臣殿、それは百済派兵を中止するということでしょうか」
と慎重な口調でそう尋ねた。鎌子は葛城王と目くばせで確認し、
「今日明日の話ではないが、近いうちには」
と返事をした。
「おそれながら葛城王、その御決定では筑紫に集まっている兵から不満が出るでしょう」
阿曇比羅夫の言葉を我が意とした筑紫君薩野馬が、さらに言葉を続ける。
「これまで阿倍比羅夫殿や上毛野稚子殿のような東国の者達たちばかりが褒賞を得ていることに不満を漏らす将がおります。また筑紫に集まった百済の民たちの中には、まだ戦いに望みをもつ兵士が少なくありません。派兵を中止してみすみす百済を滅亡させることは、この地に禍根を残すものと思われます」
磐井を祖とする筑紫君薩野馬の言葉は軽く扱うことができない重みがあるものだった。葛城王と鎌子はしばらく黙考した。
「……葛城王、唐は内陸の熊津城に兵を増やしましたが、水軍に動きは見られません」
鎌子の提言を聞いた葛城王は目を軽くとじて数秒後に、
「前に阿倍比羅夫たちが奪還した錦江河口周辺に兵を出し、しばらく警固にあたらせよう。だがそれ以上のことはしない。しばらく後に百済から撤退することに変わりはない」
葛城王の判断を阿曇比羅夫と筑紫君薩野馬は了承した。
八月、盛夏の筑紫湊は出兵の準備で俄かに慌ただしくなった。
兵を揃え、武具を確認するその様子がもしかしたら唐に気づかれたのかもしれない、阿曇比羅夫から鎌子に至急の報告がもたらされた。
「唐から百済へ向けて水軍が出た」
文武王と金庾信の兵を得た後、唐の将軍劉仁願は熊津城を出て唐に戻り、水軍の準備を始めていた。百済王城である周留城の南には錦江という河が流れている。錦江が海に注ぐ河口付近は白村江という湾になっていた。劉仁願が蘇定方から引き継いだ水軍は白村江に向けて進軍を始めていた。
阿曇比羅夫の報告にほとんど間を置かず、百済王城に留まる朴市秦田久津から、唐の水軍が錦江を遡上するのを阻止してほしいという要求が届いた。水軍の阻止とはいえ、それは倭国と唐の直接対峙を求めるのと同然だった。
鎌子と葛城王は火急の対応に追われた。
「葛城王、唐の水軍は千を少し上回る程度でとても主戦力とは思えない数ですが蘇定方の下にいた水軍です。侮ってはいけません」
「駿河の蘆原を出す。己が造った船を率いて唐と対峙させ、できれば唐の船を拿捕させて唐の軍船の構造を調べさせる。小競り合いがあっても構わないが、大きな争いになる前に兵を引かせよう。百済滅亡はこの期に及んでは止むを得ない」
葛城王の決定を聞いた鎌子は直ちに金庾信に送る密書を作成した。
――海が荒れる時を見計らって水軍を百済に派遣し、唐と小競り合いをしたのちに天候を理由に退避させる。倭国の兵が錦江を遡ることはない
金庾信からはすぐに返信があった。倭国の意図を理解した、という短い返事は木簡や紙に記されること無く口伝えだった。
「仲郎殿」
鎌子の偽名を呼ぶ使者は声を潜めた。
「貴殿からの密書は開封された形跡がありました。もしかしたら通信の内容が百済に洩れているかもしれません」
使者が立ち去ってから鎌子は告げられた忠告の内容を吟味したが、たとえ百済が倭国の本音を知ったところで互いに今すぐに対応できることはない。
それよりも倭の水軍が葛城王の指示通りに動けるかどうかが優先事項だった。
八月二十五日、駿河国蘆原君を大将にした水軍が筑紫湊を出港した。
夏の海風が熱を帯びるのは珍しくないが、昨夜からの風には湿気が多く、向きが気まぐれに変わる。この徴はじきに南の海からやってくる嵐の前触れだった。
当初、倭国の水軍には蘆原君の船団を中心に三千程度の船が用意されたが、どこからかこれが最後の百済出兵であることを聞きつけて、褒賞を目当てにした小舟が見る見るうちに増え、やがて湊から溢れるばかりになった。
筑紫湊を見下ろした葛城王は、蘆原君の船団の後を黒々とした蛇のように付いていく小舟の群れを見て眉を顰めた。
「あれらの船が皆、蘆原の指揮に従うとは思えない。鎌子、何か策はないか」
「蘆原君を補佐させるために阿曇比羅夫と筑紫君にも船を出すようお命じ下さい」
葛城王は頷き、阿曇比羅夫と筑紫君に水軍を率いて蘆原君の後を追うよう命令を下した。
併せて一万の船が移動する海の上には強さを増した生温かな風が絶え間なく吹き続け、波をうねらせている。
筑紫周辺の海を良く知る阿曇比羅夫と磐井君は、出航する前に互いに顔を見合わせた。
「こんな荒れる日に船を出すのは避けたいものだ」
「帰り道を見失う船も出てくるでしょう」
「我らはともかく、蘆原君の兵がひどいことにならなければよいが」
荒れ始めた天候に不安を覚えていた阿曇比羅夫と筑紫君だが、一足先に白村江に到着した蘆原君は彼らを待たずに予定に無かった作戦を実行した。
夜間、すでに錦江河口に布陣し終えている唐の水軍に奇襲を仕掛けたのである。だが唐の守りは固く、蘆原君の船ではまったく歯が立たなかった。
「船の作りが違う」
夜明けに白み始める海上で改めて唐の水軍を目の当たりにした蘆原君は、唐の軍船と自らの船を見比べて戦う前に負けを悟った。
「葛城王の命令通り、機を見て撤退する。できれば唐の船を一艘ぐらい持ち帰りたかったが……」
夜が明けて、阿曇比羅夫と筑紫君薩野馬の船団が到着した。
この船影を見た倭国の先陣の兵の中に、手柄を横取りされるのではないかという疑念が膨らんだ。
――褒賞は、我らのものだ
烏合の衆は蘆原君の撤退の指示など聞かず、陣形などまったく意に介さないままばらばらに唐の船に襲い掛かった。作戦も何もない無謀な攻撃は、隙なく訓練された唐軍の返り討ちにあった。
あまりに船が密集していて前線で何が起きているのかも分からない。次から次に押し寄せる倭国の船は微動だにしない唐の水軍に粛々と討たれていった。
折から雨風がひどくなり始め、海から陸へと向かう潮目は状況にようやく気づいて逃げ出そうとする倭国の船を逃そうとしなかった。十数隻の倭の小舟がたった二隻の唐の船に挟まれて両側から矢の雨が降り注ぐ。倭国の水軍は反撃を完全に封じられ、為す術なくただ家畜のように殺されていった。
倭国の兵士から流れた血で沖から見ていても海の色が赤く変わっていく。
沖に留まる筑紫君の船に陸地から伸びてきた一筋の水脈も赤黒い血の色だった。
「あの中に、私が知る者がたくさんいるのです」
筑紫君は阿曇比羅夫の制止を振り切って鮮血に染まる海域に自分の船団を向けた。荒れる波間に浮かぶ死体や重傷者を拾い集めるうちに、筑紫君は唐の船に周りを囲まれ捕えられて唐の捕虜となった。
やがて破壊されて重なる倭国の船に火が放たれ、強風にあおられた炎は空までも赤く焦がした。
倭国水軍を壊滅させた唐の水軍は錦江を悠々と遡って周留城に到達し、熊津城から出陣した新羅軍との挟み撃ちにより周留城を落とした。
百済王は辛くも高句麗に逃れたが、周留城に最後まで残り抵抗した朴市秦田久津は戦死し、狭井檳榔は捕虜となって熊津城へと連れていかれた。
筑紫那珂津宮の葛城王の本陣には朝廷の臣が率いる軍と地元である筑紫周辺から集められた兵士が駐屯していた。朝倉宮には大海人皇子を中心に美濃や遠江の兵士が残っていたが、敦賀や上野の兵がいなくなったあとはただ茫漠と広い空き地を持て余していた。
倭国からの救援の兵が暫定的に百済王城周辺から新羅の兵を追い払ったものの鬼室副信の死の余波は収まらなかった。
百済内部の不安定さを知った唐の皇帝高宗は直ちに反応し、七月には劉仁願と劉仁軌が布陣する熊津城に援軍を派遣した。高宗は新羅にも派兵を要求し、文武王は金庾信とともに兵を率いて熊津城に向かった。
「唐が動きました。今度こそ百済の息の根を止めるつもりでしょう」
金庾信と連絡を取り合う鎌子には唐の情報が入ってくる。那珂津宮の一室で行われた軍議には、葛城王と鎌子の他に阿曇比羅夫と筑紫の豪族である筑紫君薩野馬が同席していた。
筑紫君薩野馬は、かつて倭王権に反乱をおこした筑紫君磐井の係累につながる。薩野馬自身には倭王権への帰属意識が明らかだが、血筋には地元の古くからの民を統率する説得力があった。
「いよいよ百済は駄目か」
阿曇比羅夫は苦い顔をした。筑紫君薩野馬もそうだが九州北部の豪族は昔から半島の人々と交流がある。良く知っている国の滅亡を目の当たりにする戸惑いが彼らにあった。
「新羅が唐の軍の動向を伝えてくるということは、やはり新羅と唐の同盟も盤石ではないということか」
葛城王の問いを鎌子は拱手で肯定した。
「葛城王、実のところ唐からも私に密使がありました。新羅を介していない直接の通信です」
「何と言ってきた」
「新羅とは同盟関係だが不信を抱いていると」
「お互い様だな」
唐も新羅も百済の地を自らの直轄地としたがっている。時に、新羅軍は唐軍を差し置いて百済の城を占拠し、唐軍を近寄せないこともあった。
「唐と新羅の狭間に倭国が介入する余地があります。唐はすぐに倭国を攻めるつもりはない、と密使の送り元である唐の高官は私に伝えてきました。むしろ百済を滅ぼした後に新羅と倭国が親密になることを警戒しているのでしょう」
「新羅も唐もすでに百済滅亡の後に目が向いている、ということか」
「はい。倭国も方針を変えるべき時と思います」
鎌子の言葉を聞いた阿曇比羅夫が、
「内臣殿、それは百済派兵を中止するということでしょうか」
と慎重な口調でそう尋ねた。鎌子は葛城王と目くばせで確認し、
「今日明日の話ではないが、近いうちには」
と返事をした。
「おそれながら葛城王、その御決定では筑紫に集まっている兵から不満が出るでしょう」
阿曇比羅夫の言葉を我が意とした筑紫君薩野馬が、さらに言葉を続ける。
「これまで阿倍比羅夫殿や上毛野稚子殿のような東国の者達たちばかりが褒賞を得ていることに不満を漏らす将がおります。また筑紫に集まった百済の民たちの中には、まだ戦いに望みをもつ兵士が少なくありません。派兵を中止してみすみす百済を滅亡させることは、この地に禍根を残すものと思われます」
磐井を祖とする筑紫君薩野馬の言葉は軽く扱うことができない重みがあるものだった。葛城王と鎌子はしばらく黙考した。
「……葛城王、唐は内陸の熊津城に兵を増やしましたが、水軍に動きは見られません」
鎌子の提言を聞いた葛城王は目を軽くとじて数秒後に、
「前に阿倍比羅夫たちが奪還した錦江河口周辺に兵を出し、しばらく警固にあたらせよう。だがそれ以上のことはしない。しばらく後に百済から撤退することに変わりはない」
葛城王の判断を阿曇比羅夫と筑紫君薩野馬は了承した。
八月、盛夏の筑紫湊は出兵の準備で俄かに慌ただしくなった。
兵を揃え、武具を確認するその様子がもしかしたら唐に気づかれたのかもしれない、阿曇比羅夫から鎌子に至急の報告がもたらされた。
「唐から百済へ向けて水軍が出た」
文武王と金庾信の兵を得た後、唐の将軍劉仁願は熊津城を出て唐に戻り、水軍の準備を始めていた。百済王城である周留城の南には錦江という河が流れている。錦江が海に注ぐ河口付近は白村江という湾になっていた。劉仁願が蘇定方から引き継いだ水軍は白村江に向けて進軍を始めていた。
阿曇比羅夫の報告にほとんど間を置かず、百済王城に留まる朴市秦田久津から、唐の水軍が錦江を遡上するのを阻止してほしいという要求が届いた。水軍の阻止とはいえ、それは倭国と唐の直接対峙を求めるのと同然だった。
鎌子と葛城王は火急の対応に追われた。
「葛城王、唐の水軍は千を少し上回る程度でとても主戦力とは思えない数ですが蘇定方の下にいた水軍です。侮ってはいけません」
「駿河の蘆原を出す。己が造った船を率いて唐と対峙させ、できれば唐の船を拿捕させて唐の軍船の構造を調べさせる。小競り合いがあっても構わないが、大きな争いになる前に兵を引かせよう。百済滅亡はこの期に及んでは止むを得ない」
葛城王の決定を聞いた鎌子は直ちに金庾信に送る密書を作成した。
――海が荒れる時を見計らって水軍を百済に派遣し、唐と小競り合いをしたのちに天候を理由に退避させる。倭国の兵が錦江を遡ることはない
金庾信からはすぐに返信があった。倭国の意図を理解した、という短い返事は木簡や紙に記されること無く口伝えだった。
「仲郎殿」
鎌子の偽名を呼ぶ使者は声を潜めた。
「貴殿からの密書は開封された形跡がありました。もしかしたら通信の内容が百済に洩れているかもしれません」
使者が立ち去ってから鎌子は告げられた忠告の内容を吟味したが、たとえ百済が倭国の本音を知ったところで互いに今すぐに対応できることはない。
それよりも倭の水軍が葛城王の指示通りに動けるかどうかが優先事項だった。
八月二十五日、駿河国蘆原君を大将にした水軍が筑紫湊を出港した。
夏の海風が熱を帯びるのは珍しくないが、昨夜からの風には湿気が多く、向きが気まぐれに変わる。この徴はじきに南の海からやってくる嵐の前触れだった。
当初、倭国の水軍には蘆原君の船団を中心に三千程度の船が用意されたが、どこからかこれが最後の百済出兵であることを聞きつけて、褒賞を目当てにした小舟が見る見るうちに増え、やがて湊から溢れるばかりになった。
筑紫湊を見下ろした葛城王は、蘆原君の船団の後を黒々とした蛇のように付いていく小舟の群れを見て眉を顰めた。
「あれらの船が皆、蘆原の指揮に従うとは思えない。鎌子、何か策はないか」
「蘆原君を補佐させるために阿曇比羅夫と筑紫君にも船を出すようお命じ下さい」
葛城王は頷き、阿曇比羅夫と筑紫君に水軍を率いて蘆原君の後を追うよう命令を下した。
併せて一万の船が移動する海の上には強さを増した生温かな風が絶え間なく吹き続け、波をうねらせている。
筑紫周辺の海を良く知る阿曇比羅夫と磐井君は、出航する前に互いに顔を見合わせた。
「こんな荒れる日に船を出すのは避けたいものだ」
「帰り道を見失う船も出てくるでしょう」
「我らはともかく、蘆原君の兵がひどいことにならなければよいが」
荒れ始めた天候に不安を覚えていた阿曇比羅夫と筑紫君だが、一足先に白村江に到着した蘆原君は彼らを待たずに予定に無かった作戦を実行した。
夜間、すでに錦江河口に布陣し終えている唐の水軍に奇襲を仕掛けたのである。だが唐の守りは固く、蘆原君の船ではまったく歯が立たなかった。
「船の作りが違う」
夜明けに白み始める海上で改めて唐の水軍を目の当たりにした蘆原君は、唐の軍船と自らの船を見比べて戦う前に負けを悟った。
「葛城王の命令通り、機を見て撤退する。できれば唐の船を一艘ぐらい持ち帰りたかったが……」
夜が明けて、阿曇比羅夫と筑紫君薩野馬の船団が到着した。
この船影を見た倭国の先陣の兵の中に、手柄を横取りされるのではないかという疑念が膨らんだ。
――褒賞は、我らのものだ
烏合の衆は蘆原君の撤退の指示など聞かず、陣形などまったく意に介さないままばらばらに唐の船に襲い掛かった。作戦も何もない無謀な攻撃は、隙なく訓練された唐軍の返り討ちにあった。
あまりに船が密集していて前線で何が起きているのかも分からない。次から次に押し寄せる倭国の船は微動だにしない唐の水軍に粛々と討たれていった。
折から雨風がひどくなり始め、海から陸へと向かう潮目は状況にようやく気づいて逃げ出そうとする倭国の船を逃そうとしなかった。十数隻の倭の小舟がたった二隻の唐の船に挟まれて両側から矢の雨が降り注ぐ。倭国の水軍は反撃を完全に封じられ、為す術なくただ家畜のように殺されていった。
倭国の兵士から流れた血で沖から見ていても海の色が赤く変わっていく。
沖に留まる筑紫君の船に陸地から伸びてきた一筋の水脈も赤黒い血の色だった。
「あの中に、私が知る者がたくさんいるのです」
筑紫君は阿曇比羅夫の制止を振り切って鮮血に染まる海域に自分の船団を向けた。荒れる波間に浮かぶ死体や重傷者を拾い集めるうちに、筑紫君は唐の船に周りを囲まれ捕えられて唐の捕虜となった。
やがて破壊されて重なる倭国の船に火が放たれ、強風にあおられた炎は空までも赤く焦がした。
倭国水軍を壊滅させた唐の水軍は錦江を悠々と遡って周留城に到達し、熊津城から出陣した新羅軍との挟み撃ちにより周留城を落とした。
百済王は辛くも高句麗に逃れたが、周留城に最後まで残り抵抗した朴市秦田久津は戦死し、狭井檳榔は捕虜となって熊津城へと連れていかれた。
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