白雉の微睡

葛西秋

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第三章  浮生の都

溢水の災禍

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 白雉二年六月、新羅の貢調使が難波湊に着いた。名目は定期となっている倭の王権への貢物を献上する使者だったが、問題となったのはその様相だった。

 彼らは新羅の伝統的な衣服ではなく、唐の朝服を着てやってきた。
 新羅が唐の属国となったことを顕示するそのふるまいに、孝徳天皇は激怒した。そして新羅の貢物の受け取りを拒否し貢調使を新羅に帰らせた。

 これは大きな外交上の失態だった。

 新羅は倭の支配下にある、という旧来の在り方を孝徳天皇は維持しただけとも言える。だが半島と大陸の情勢は急激に変化していた。新羅の背後にあって高句麗や百済をも呑み込み滅ぼそうとしている唐の存在をあまりにも軽視した行いだった。

 孝徳天皇の短絡的な反応に呆れている暇はなく、葛城王と鎌子は直ちに新羅との関係修復への対応を迫られた。

「鎌子、新羅へ送る文書の準備は」
「急ぎ作成して玄理殿にも添え状をお願いしました」
 遣新羅使であった高向玄理は新羅の高官とも連絡を取ることができる。これまで地道に築いてきた外交努力を孝徳天皇に覆された玄理は、老いの影の深い沈痛な面持ちで鎌子の依頼を引き受けた。

「新羅に謝る必要はないが、もう一度貢調使を寄こすようにと要求することはできるだろう。そもそも使者に唐の衣服を着せるなどいかにもあの金春秋のやりそうなことじゃないか」
 葛城王は鎌子が作成した文書を見ながら面白くなさそうに言った。
「真に受けてはいけない仕掛けでしたが、葛城王や私とは違って大王は金春秋の人となりを直接知りません。仕方のないことだったかと思います」
 鎌子の言葉に葛城王はそうだな、とため息交じりに言いながら、文書が書かれている木簡を鎌子の手に返した。その木簡は玄理が書いた高官への手紙とともに密使が新羅へと運ぶ手筈になっていた。

 孝徳天皇の周囲では唯一、左大臣の巨勢徳陀古が孝徳天皇の不興に同調した。
「ここで新羅を成敗しましょう。このまま奴らを増長させてはいけません。なに、この難波から筑紫までの海を我等の船で埋め尽くせば軍事力の差を思い知らせることができます。戦う必要なく戦意を喪失させてやるのです」
 巨勢は鼻息も荒く、孝徳天皇にそう提案した。

「大王は巨勢の提言は無視したようだが、鎌子、なにか巨勢徳陀古に言ったか」
 葛城王は傍らの鎌子を横目で見た。
「これといって特別なことは言っておりません」
「特別なことは言っていなくても、やはりなにか言っていたのか。巨勢は根っからの武人だ。あのような提案、巨勢が一人で思い付けるようなものじゃない」
「葛城王がすでに安芸国に命じていることを確認しただけです」
 葛城王は片方の眉を軽く上げた。

 この前年、葛城王は安芸国に命じて百済様式の船を二隻、作らせていた。

 安芸国の国造だった佐伯氏は古くから王族に忠実で、以前にも推古天皇の命を受けて船を作ったことがある。大化の改新後の国司派遣も早期に受け入れ、国司が勤務する国府に一族の者達を多く送り込んでいた。

 ――瀬戸内海の海上輸送に通じた安芸国が、最新の百済の軍船の技術を手に入れた。

 これは安芸国周辺の国造に大きな影響を与えた。銅鏡や剣、古墳による権威はすでに各地で飽和している。半島から導入された軍事技術は新たな価値観を周囲にもたらした。

「安芸国が最新の軍事技術を手に入れたとなれば瀬戸内海周辺の他の国も手をこまねいてはいられないでしょう。国司の派遣は新たな技術を導入する糸口となります。そうして各国が国司の命によって船を競って作るようになれば、やがて瀬戸内海は軍船で埋め尽くされることになるかもしれない、私はそんなことを巨勢殿にお話しただけです」
「やはり鎌子の案じゃないか」
 そういう葛城王に鎌子は拱手し、
「今後の外交がどのようなものになるのか、大王には知っておいていただきたかったのです」
 ――使者への言葉による威圧は今後はもう通じない。
 葛城王は黙って頷いた。

 そしてこの年の十二月、ようやく難波長柄豊崎宮がある程度使えるようになるまで出来上がりつつあった。完成にはいたっていないその新しい王宮では、未だ大規模な儀式を行う事が出来ず、少し離れた難波味経宮で大晦日の法会が行われた。
 その日の夕刻からは難波長柄豊崎宮でも地鎮の法会が行われたが、燈火こそ多数灯されたものの人気なく、がらんどうの侘しさだけが海辺の王宮に満ちていた。

 この時、孝徳天皇の信用篤い僧旻は床に伏せており、どちらの法会にも参加することは無かった。

 王宮の完成も間近な白雉三年三月、突然の大雨が難波の地を覆った。
 九日間、昼夜を通じて降り続いた雨は河内のうみの水を溢れさせた。河内の湖は難波の海と繋がって一帯は塩水に沈んだ。田畑はしおに浸され、牛馬も人も流されて多くの者が命を失った。難波長柄豊崎宮が建てられた高台は周囲から孤立し、王宮の近くに建てられた臣や官人の邸は崖ごと崩れて水に流された。
 鎌子の見立てで難波宮から離れた場所に建てられていた葛城王の邸は水には流されなかったものの、周辺に岩石や倒木が散乱し、葛城王が邸から豊崎宮へ通うことは非常に困難な状態となった。
 物資の輸送は滞り、周辺の子代離宮を含めて王都の機能がすべて停止した。

「今のままでは政治が行えない。それにいつまた水害が生じるかも分からない。鎌子、やはり早急に都を移そう」
 葛城王が感じている焦燥は鎌子も感じていたものだった。
「はい、新羅への対応で後回しになっていましたが新たな都の選定を急ぎます。水害を避けるための暫定的な避難先として、かつての王宮である山崎離宮、あるいは百済大井宮が良いのではないかと」
 葛城王は鎌子の提案に頷いた。
「吾はこれから大王に遷都を提案する。同意を得られ次第、王宮を移せるように準備を頼む」

 だが孝徳天皇は、葛城王の遷都の提案を受け入れなかった。

 難波の平野にまだ洪水の爪痕が生々しく、牛馬の屍が泥の中で腐って放置されたままの半年後の九月、難波長柄豊崎宮は落成して正式な王都となった。
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