38 / 68
第6話④ バッドラック畑でつかまえて
しおりを挟む
ゴン。
わかりやすい音と衝撃だった。緩やかに電車は速度が落ちて、橋の真上で止まった。
「あ」
車内にはアナウンスが響き渡る。
『ただいま車体下部に衝撃があり、車体異常が起こった可能性がございます。安全の為車体を停止させて点検を致しますので、そのままお待ち下さい。ご迷惑おかけしますダァシャリアス……』
終わった。
ゴッ太郎の目尻からは男泣きのさらさらと爽やかな涙が零れ落ちた。天は言っている。ここで死ぬ運命だと。隣で眠る丁子の横顔は、まるで稚児のように穏やかで、ゴッ太郎の肩にしなだれかかっていた。
最悪だ――入れ違いになるやつだこれ……しかも丁子起きないから連絡も取れないし、裏目、圧倒的裏目……ッ!
ゴッ太郎の涙が頬を伝ったその時、車両のどこかで赤ん坊がぐずり始めた。あお、あおと火が点いたみたいに泣き出した赤ん坊の声が車内に響く。母親は必死に撫でたり揺らしたりして宥めるが、赤ん坊は一向に泣き止まない。
ゴッ太郎もこの泣き声に合わせて泣きたかった。今更泣き声が一つ増えたって誰も気にしないだろう。いいや、そんなことないのは勿論わかっている。けれどそんな横暴な考えに縋りたいほど、ゴッ太郎は消耗していた。
そして、その隣のサラリーマン、『吉田はじめ』(四十五歳無職)もゴッ太郎の涙を見て、泣きたい気持ちでいっぱいになった。必死にバイトして溜めた百五十万円を賭けた競馬が外れたのだ。
大勝負、今日こそは人生全てを取り戻すつもりで、はじめは百時間を超える時間を勉強を費やした。しかし結果は大惨敗。はじめが賭けた『ラッキードリーム』号はレースを辞めて逆走し始めたのだ。幸運の夢の逆噴射に、はじめの心は壊れてしまった。
馬と神は、同時にはじめを見放したのだ。ゴッ太郎の涙につられて、はじめは分厚い眼鏡の奥の瞳を更に小さくして泣いた。惨めな涙だった。そしてその斜向かいに座っていた主婦、井之頭佑美(二十八歳事務系OL)も、二人の涙を見てもらい泣きしていた。
推しの舞台を見るために遠征をしてまで来たのに、舞台が急に中止になったのである。理由は推しの奈落への転落、骨折で済んだ分佑美は胸を撫で下ろしたが、それでも舞台を見たかったし、ここまで入れあげてきた心そのものである推しが怪我をした、その事実を受け止められなかった。
なんとか心を殺して帰りの電車に乗り込んだのだが、そこにゴッ太郎とはじめが急に泣き出したものだから、心を必死に堰き止めていたダムが決壊して、佑美もまた涙が溢れて止まらなかった。それからは、涙が電車内に伝播するのは早かった。
電車の中には歔欷にむせぶ大人と子供の阿鼻地獄が広がった。もはやここには救いはない。辺獄にでも落とされたように、誰もが悲しみから空に向かって手を伸ばし声を出す。けれどそれは天を覆う鉄の蓋に反響され、虚しさをより増大させていくだけだ。
「うおおおおおんっ俺の金ェ……どうして……ラッキードリームが……」
「琢磨ぁ……なんで怪我しちゃったの……どうして……」
「タバコ吸ってなきゃ今頃ベ◯ツ買えたのに……」
「なんでメスシリンダーはあるのにオスシリンダーはないんだ……」
各々の悩みと悲しみが車両に満ちたその瞬間だった。
ゴッ太郎の右肩にしなだれかかった丁子が微動した。
「んっ」
小さな声が漏れた。希望の火種がほんのりと灯ったゴッ太郎は、すかさず涙を振り払った。もしかしたら助かるかもしれない。もう世間体も意地もどうでもいい。ゴッ太郎の身体は丁子に向かい合った。
そして手を握ると、必死に思念を込めながら、ゴッ太郎は呼んだ。時刻は六時五十八分を回っていた。これ以上は猶予がない。
「頼む……! 起きてくれ……! 丁子……! 頼む……!」
ゴッ太郎が涙ながらに丁子の手を握りしめながら祈ると、異常を感じたのか、隣に立っていたはじめはゴッ太郎に聞いた。
「どうしたんだい、ぼく。この子、なにか悪いのかい?」
「もうずっと、目覚めないんだ!」
「ええっ!?」
「起きるように祈ってくれ……! 頼む! もう時間がない!」
やや困惑しながらも、はじめは丁子の前に座り込んで元から丸い背を更に丸めて祈り始めた。その話を聞いて斜向かいの佑美も祈った。車内に居た話を聞いていた人々は、何もかもを間違えて、ゴッ太郎に続いて丁子に祈りを捧げ始めた。
六時五十九分と三十秒。
「……はっ」
丁子は緩やかに目を覚ました。ここは電車だろうか、電光掲示板と手すりが見える。瞼の前には、涙を流す多くの人々が両手を前に捧げながら、こちらに向いて祈っている。その最前列に居たのは――ずっと話をしたかったその人、後山田ゴッ太郎であった。
「え?」
「やったぁあああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!」
「目が覚めた! お嬢ちゃんの目が覚めたぞぉおおおおおおお~~~~~!!!!」
「サイコーだ! これで全部救われた! 神はいる! いるんだ!」
「これで明日も生きていける! やったぁ! やったー!」
車内は絶望から希望に湧いた。絶望を撒き散らしたパンドラの箱の底に希望が眠っていたように(諸説あり)、一旦絶望に満たされた車内は少女の目覚めによって、全ての希望を得る事ができたのだ。これこそが解放のカタルシス、悲劇の先にある喜劇――正に悲喜劇であった。
全ての人の湧き上がる喜びに、赤ん坊も笑った。
「さあ、丁子、頼む。お前の兄貴にもう帰ってる途中だって連絡してくれ! 死にたくない!」
涙と笑顔で得も言われぬ顔になったゴッ太郎に迫られて、丁子はわけも分からぬまま端末を開いた。兄から連絡が入っている。遅くなった帰りを心配して、最寄りで待っているらしい。
「あ! これ? うん、すぐ返すね」
「返したら、教えてくれ。それで助かるんだ、俺……」
指先が送信を終えたところで、丁子はそれを宣言した。するとゴッ太郎は地面に頭を擦り付けて咽び泣き、それはどうやら喜びらしい趣があった。混乱する丁子を尻目に、アナウンスが流れる。
『お待たせしております。点検が終了いたしました。線路に落ちていた小さな石が車輪と噛んだことによって車体が上昇した可能性がありましたが、点検の結果運行に支障はないと判断されました。これより運行再開致します。ご迷惑おかけしますダァシャリアス……』
わかりやすい音と衝撃だった。緩やかに電車は速度が落ちて、橋の真上で止まった。
「あ」
車内にはアナウンスが響き渡る。
『ただいま車体下部に衝撃があり、車体異常が起こった可能性がございます。安全の為車体を停止させて点検を致しますので、そのままお待ち下さい。ご迷惑おかけしますダァシャリアス……』
終わった。
ゴッ太郎の目尻からは男泣きのさらさらと爽やかな涙が零れ落ちた。天は言っている。ここで死ぬ運命だと。隣で眠る丁子の横顔は、まるで稚児のように穏やかで、ゴッ太郎の肩にしなだれかかっていた。
最悪だ――入れ違いになるやつだこれ……しかも丁子起きないから連絡も取れないし、裏目、圧倒的裏目……ッ!
ゴッ太郎の涙が頬を伝ったその時、車両のどこかで赤ん坊がぐずり始めた。あお、あおと火が点いたみたいに泣き出した赤ん坊の声が車内に響く。母親は必死に撫でたり揺らしたりして宥めるが、赤ん坊は一向に泣き止まない。
ゴッ太郎もこの泣き声に合わせて泣きたかった。今更泣き声が一つ増えたって誰も気にしないだろう。いいや、そんなことないのは勿論わかっている。けれどそんな横暴な考えに縋りたいほど、ゴッ太郎は消耗していた。
そして、その隣のサラリーマン、『吉田はじめ』(四十五歳無職)もゴッ太郎の涙を見て、泣きたい気持ちでいっぱいになった。必死にバイトして溜めた百五十万円を賭けた競馬が外れたのだ。
大勝負、今日こそは人生全てを取り戻すつもりで、はじめは百時間を超える時間を勉強を費やした。しかし結果は大惨敗。はじめが賭けた『ラッキードリーム』号はレースを辞めて逆走し始めたのだ。幸運の夢の逆噴射に、はじめの心は壊れてしまった。
馬と神は、同時にはじめを見放したのだ。ゴッ太郎の涙につられて、はじめは分厚い眼鏡の奥の瞳を更に小さくして泣いた。惨めな涙だった。そしてその斜向かいに座っていた主婦、井之頭佑美(二十八歳事務系OL)も、二人の涙を見てもらい泣きしていた。
推しの舞台を見るために遠征をしてまで来たのに、舞台が急に中止になったのである。理由は推しの奈落への転落、骨折で済んだ分佑美は胸を撫で下ろしたが、それでも舞台を見たかったし、ここまで入れあげてきた心そのものである推しが怪我をした、その事実を受け止められなかった。
なんとか心を殺して帰りの電車に乗り込んだのだが、そこにゴッ太郎とはじめが急に泣き出したものだから、心を必死に堰き止めていたダムが決壊して、佑美もまた涙が溢れて止まらなかった。それからは、涙が電車内に伝播するのは早かった。
電車の中には歔欷にむせぶ大人と子供の阿鼻地獄が広がった。もはやここには救いはない。辺獄にでも落とされたように、誰もが悲しみから空に向かって手を伸ばし声を出す。けれどそれは天を覆う鉄の蓋に反響され、虚しさをより増大させていくだけだ。
「うおおおおおんっ俺の金ェ……どうして……ラッキードリームが……」
「琢磨ぁ……なんで怪我しちゃったの……どうして……」
「タバコ吸ってなきゃ今頃ベ◯ツ買えたのに……」
「なんでメスシリンダーはあるのにオスシリンダーはないんだ……」
各々の悩みと悲しみが車両に満ちたその瞬間だった。
ゴッ太郎の右肩にしなだれかかった丁子が微動した。
「んっ」
小さな声が漏れた。希望の火種がほんのりと灯ったゴッ太郎は、すかさず涙を振り払った。もしかしたら助かるかもしれない。もう世間体も意地もどうでもいい。ゴッ太郎の身体は丁子に向かい合った。
そして手を握ると、必死に思念を込めながら、ゴッ太郎は呼んだ。時刻は六時五十八分を回っていた。これ以上は猶予がない。
「頼む……! 起きてくれ……! 丁子……! 頼む……!」
ゴッ太郎が涙ながらに丁子の手を握りしめながら祈ると、異常を感じたのか、隣に立っていたはじめはゴッ太郎に聞いた。
「どうしたんだい、ぼく。この子、なにか悪いのかい?」
「もうずっと、目覚めないんだ!」
「ええっ!?」
「起きるように祈ってくれ……! 頼む! もう時間がない!」
やや困惑しながらも、はじめは丁子の前に座り込んで元から丸い背を更に丸めて祈り始めた。その話を聞いて斜向かいの佑美も祈った。車内に居た話を聞いていた人々は、何もかもを間違えて、ゴッ太郎に続いて丁子に祈りを捧げ始めた。
六時五十九分と三十秒。
「……はっ」
丁子は緩やかに目を覚ました。ここは電車だろうか、電光掲示板と手すりが見える。瞼の前には、涙を流す多くの人々が両手を前に捧げながら、こちらに向いて祈っている。その最前列に居たのは――ずっと話をしたかったその人、後山田ゴッ太郎であった。
「え?」
「やったぁあああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!」
「目が覚めた! お嬢ちゃんの目が覚めたぞぉおおおおおおお~~~~~!!!!」
「サイコーだ! これで全部救われた! 神はいる! いるんだ!」
「これで明日も生きていける! やったぁ! やったー!」
車内は絶望から希望に湧いた。絶望を撒き散らしたパンドラの箱の底に希望が眠っていたように(諸説あり)、一旦絶望に満たされた車内は少女の目覚めによって、全ての希望を得る事ができたのだ。これこそが解放のカタルシス、悲劇の先にある喜劇――正に悲喜劇であった。
全ての人の湧き上がる喜びに、赤ん坊も笑った。
「さあ、丁子、頼む。お前の兄貴にもう帰ってる途中だって連絡してくれ! 死にたくない!」
涙と笑顔で得も言われぬ顔になったゴッ太郎に迫られて、丁子はわけも分からぬまま端末を開いた。兄から連絡が入っている。遅くなった帰りを心配して、最寄りで待っているらしい。
「あ! これ? うん、すぐ返すね」
「返したら、教えてくれ。それで助かるんだ、俺……」
指先が送信を終えたところで、丁子はそれを宣言した。するとゴッ太郎は地面に頭を擦り付けて咽び泣き、それはどうやら喜びらしい趣があった。混乱する丁子を尻目に、アナウンスが流れる。
『お待たせしております。点検が終了いたしました。線路に落ちていた小さな石が車輪と噛んだことによって車体が上昇した可能性がありましたが、点検の結果運行に支障はないと判断されました。これより運行再開致します。ご迷惑おかけしますダァシャリアス……』
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
学園戦記三国志~リュービ、二人の美少女と義兄妹の契りを結び、学園において英雄にならんとす 正史風味~
トベ・イツキ
キャラ文芸
三国志×学園群像劇!
平凡な少年・リュービは高校に入学する。
彼が入学したのは、一万人もの生徒が通うマンモス校・後漢学園。そして、その生徒会長は絶大な権力を持つという。
しかし、平凡な高校生・リュービには生徒会なんて無縁な話。そう思っていたはずが、ひょんなことから黒髪ロングの清楚系な美女とお団子ヘアーのお転婆な美少女の二人に助けられ、さらには二人が自分の妹になったことから運命は大きく動き出す。
妹になった二人の美少女の後押しを受け、リュービは謀略渦巻く生徒会の選挙戦に巻き込まれていくのであった。
学園を舞台に繰り広げられる新三国志物語ここに開幕!
このお話は、三国志を知らない人も楽しめる。三国志を知ってる人はより楽しめる。そんな作品を目指して書いてます。
今後の予定
第一章 黄巾の乱編
第二章 反トータク連合編
第三章 群雄割拠編
第四章 カント決戦編
第五章 赤壁大戦編
第六章 西校舎攻略編←今ココ
第七章 リュービ会長編
第八章 最終章
作者のtwitterアカウント↓
https://twitter.com/tobeitsuki?t=CzwbDeLBG4X83qNO3Zbijg&s=09
※このお話は2019年7月8日にサービスを終了したラノゲツクールに同タイトルで掲載していたものを小説版に書き直したものです。
※この作品は小説家になろう・カクヨムにも公開しています。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/horror.png?id=d742d2f035dd0b8efefe)
【Vtuberさん向け】1人用フリー台本置き場《ネタ系/5分以内》
小熊井つん
大衆娯楽
Vtuberさん向けフリー台本置き場です
◆使用報告等不要ですのでどなたでもご自由にどうぞ
◆コメントで利用報告していただけた場合は聞きに行きます!
◆クレジット表記は任意です
※クレジット表記しない場合はフリー台本であることを明記してください
【ご利用にあたっての注意事項】
⭕️OK
・収益化済みのチャンネルまたは配信での使用
※ファンボックスや有料会員限定配信等『金銭の支払いをしないと視聴できないコンテンツ』での使用は不可
✖️禁止事項
・二次配布
・自作発言
・大幅なセリフ改変
・こちらの台本を使用したボイスデータの販売
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる