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第4話④ 巣穴と夕暮れ

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 斜陽の中、ゴッ太郎は緩やかに目を覚ました。ごちゃついた部屋の中には、残り香のような甘い香りが残っている。オレンジ色に染まる視界の向こう側の廊下からは、何かの効果音が聞こえた。

「っはぁ……」

 布団から這い出ると、気分は随分マシになり疲労感は取れていた。背伸びをするとみしみしと筋肉の繋ぎ目から嫌な音がする。苦い顔をしながら首を回すと、神経からびりりと電流が走った。

 冷房も付けずに眠っていたせいで、随分汗をかいていたらしい、喉が渇く。リビングに踏み出すと、上海は既に目覚めていたらしい、真剣な顔で画面と向かい合っている。

「おはよ、上海」
「オハヨ! ゴッ太郎」

 冷蔵庫の中から炭酸水を取り出して椅子に座る。栓を開けると、小気味の良い音が部屋に響いた。画面には男女がなにやら真剣そうな顔で語り合っている。古い海外の映画のようだ。

『あなた! 結婚資金をギャンブルに使ったって本当? それに負けたって、隣のジミーの夫の妻のキャサリンの母のロブロイから聞いたわ!』

『おいおいおい、待ってくれよディカープリ。ぼくがそんなことをするわけないじゃないか。君との結婚資金なら、持ってるとも! 信じてくれ。ジミーの妻の妹の夫の彼氏のチューイもその賭場には居たんだ。でもぼくは勝ったのさ! 信じてくれ!』

『賭けには使ったのね――ッッッ!!! この、クソ野郎がァーーーッ!!! 婚約なんて破棄してやるゥーーーッ!!! お前と結婚するくらいならゴリラと結婚してアマゾンの奥地でカシューナッツ齧ってた方がマシよぉおおおおッ!!! マダガスカル産カシューナッツ三キロで三十ドルゥウウウウウッあなたも一個どおおおおおおおッ』

『借金はしたが、二倍になったんだぞッッッ! 君の欲しがってた自動洗濯機も、乾燥機も買える、そしてこれはミリオンセラーの焼きホタテッ! アラスカ湾産十キロで八十ドルだッ!!! 今なら子持ちだぞッッッ今の季節を逃すなんて、バカがやることだねッ!!! それにこれはぼくの稼いだ金だ、君にどうこう言われる筋合いなんてないッッッ!』

 女は家の中に飾ってあった日本刀を抜き、男に向ける。すると窓ガラスが割れてフルーレが飛んでくる。男はそれを空中でキャッチすると装備し、向かい合う。背景では特殊効果で爆発が起こった。燃えていく家の中で、二人の戦いは始まった。

『ならば! 先祖から伝わるこのニホントウ=ブレードと、貴様の息子みたいなそのほっそいフルーレ、どちらの切れ味はいいか試してやるわッ! 今日の晩御飯は何がいいッ!?』

『君の流れていない日本人の血を感じるぞ、だが、ぼくの流れていないフランス人の血は強いぞ! 喧嘩は無敗だ! このフルーレも初めての血を吸いたくてうずうずしてる――今日はステーキにしないか?』

『あらいいわねッ! ナムサンッ! ブラジルはマットグロッソドスル州産、新鮮ステーキが今なら二キロもついて六十二ドル! 肌に効くコラーゲン増強! お電話番号はこの番組の最後で!』
『だろッ君のハニーグレービーソースは最高だ、ラヴィアンローズ・スラッシュうううううううううううう』

 剣先が触れ合った瞬間、爆発のエフェクトで画面が埋め尽くされ、大きく英題が画面に映し出される。
 全然意味がわからないが、炭酸水の鋭い喉越しが心地良い、寝覚めのいっぱいにはちょうどいい。

「上海~、これなに?」
「わかんないけど、おもしろい」
「そっか~。なんか画面が派手でいいな」
「うん、いい。今日はステーキがいい」
「ステーキぃ? 御鈴波に言ったら許してくれるかな」
「ゴッ太郎、お願いしてみて」
「う~ん、やってみる。でも上海もお手伝いしろよ? 御鈴波怒らせないようにな。お風呂もちゃんとさっさと入るんだぞ」
「む~っ! ゴッ太郎も遅いもん!」

 上海は、お風呂が苦手だ。御鈴波に風呂と言われると猫みたいに逃げ回って、とっ捕まえられた挙げ句強制的に風呂に入れられているのは日常茶飯事だった。上海の色素のほとんどない銀糸みたいにさらさらの髪は、御鈴波の努力によって保たれていると言って過言ではなかった。

 何度も御鈴波と共謀してお風呂を得意にする為に努力はしたのだが、残念ながら上海がベランダ伝いに別の部屋に逃げ込み、盛大な失敗に終わった。

「じゃあ俺も早く入るから、上海も早く入る。これでどうだ?」
「むう~っ、でももう六時だもん。御鈴波帰ってくる!」
「……しゃあないなあ」

 汗をかいていたのもあるので、タイミングとしては丁度よいだろう。上海を抱きしめると、持ち上げる。首元を嗅ぐと、汗っぽい酸っぱい匂いがした。冷房も掛けずに二人で眠っていたせいで、随分汗をかいていたらしい。

「ひゃにゃっ」
「こーら、じたばたするな~、一緒に風呂だ」
「む~っお風呂いらないもんーーーっ」
「そんなこと言って、こないだあせもで病院行ったろ、またかいかいになっちゃうぞ~」
「ん~~~~~~~っ。ん~~~~~~~っ」
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