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第4話③ 心配です!

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 ゴッ太郎が教室に戻ったのは、昼休みの終わりがけだった。生徒のほとんどは既に昼食を終えており、自席に就いて予習や読書などを行儀良く行っていた。ふらつきながらもようやく席に就いたゴッ太郎は、大きな欠伸をして猫のように伸びた。

「ふわぁ」

 日課のように行ってきた昼下がりのぼんやりした昼寝も、今日に限ってはおちおち安らげない。怪我まみれの体を晒すのも良くないだろう――帰ろう。

 帰宅する為にカバンを肩に引っ掛けて立ち上がり、踵を返す。すると背後には濡羽色の恋する乙女にして仇敵の妹君――勘解由小路丁子が潤んだ瞳でこちらを見つめていた。彼女の虹彩はキラキラと光を反射して、ゴッ太郎の身体を困惑に満ちた表情で観察している。

「……ゴッ太郎くん! 昨日の怪我、もっと酷くなってない!? 大丈夫?」
「ん、ああ。丁子か。大丈夫。これ、別件でさ」

 丁子の兄にやられた――なんて言ったらこの娘はどんな顔をするだろう。ゴッ太郎の脳裏には意地悪な妄想が掠めたが、流石に口をつぐんだ。

「別件……!? あの後また何かしたの?」
「うん。まあ、そんなとこ。けど心配しないでくれ。今日は用事があるからもう帰るけど」
「……そっか。ゴッ太郎くん、無理しちゃダメだよ」

 昨日と今日で二日連続勘解由小路兄妹二人共から半殺しにされていると思うと、ゴッ太郎はなんだかおかしくて、にやりと口の端を歪めていた。

「はは、ありがとな。でも安心してくれ。俺、つえーから多分すぐ治る。じゃあ、今日はこんなもんで、失礼する」

 にこりと笑ってみせた笑顔は若干苦しかったけれど、ゴッ太郎につられて丁子も笑った。

「うん。じゃあ、また明日ね」
「おうっ、引き続きがんばれよぉ」

 学校を出たゴッ太郎は、保健室に寄ってからまっすぐと家路についた。重い体を引きずって歩く――こんなに負けが込んだのは初めてかも知れない。標的を逃してしまったことを負けと呼ぶなら数度あるが、標的を逃した挙げ句負けに次いで負け、惜敗どころか大惨敗。

 光明さえ見えなかった。こんな日は、ふて寝に限る。電車の窓からぼんやりと空を見上げると、カラスの巣みたいに絡まった電線が空に架かっていた。

 最寄りに辿り着き改札を出ると、昼間から駅前で酒盛りをしている草臥くたびれたサラリーマンたちが噴水の縁に座っていた。その脇を抜けて、無料駐輪場と化したガードレール前を通り過ぎると、マンションが見えた。

 そこまで遠くはないはずなのに、今日は酷く遠く感じる。御鈴波に誕生日祝いで買ってもらったふかふかのベッドが恋しい。マンションの階段を一歩一歩上っていくと、ベッドが徐々に近付いていくる感覚が背中を押した。

 家の鍵を開けて部屋の中に転がり込む。リビングの方からは音が聞こえた。上海が帰ってきているのだろう。ぽいと床にカバンを放り投げると、リビングの音が少し停止した。靴を脱ぎ散らしてかまちに座り込むと、リビングのドアが開いた。

「ゴッ太郎? わあ! ボロボロ!」

 いつも通り飛びかかって来ようとした上海だが、あまりにも痛々しい怪我に気を使ってくれたのか、足に擦り寄って来るだけに留まった。

「ただいま、上海。ごめんだけどめっちゃ疲れてるから休ませてくんない?」
「うん! おふとん!」

 にこにこと屈託のない笑みでカバンを持ち上げた上海は、部屋の方へ小さな歩幅で歩いていく。御鈴波がカバンを預かってくれるのを真似しているのだろう。愛らしい姿に、乾ききって余裕の無かったゴッ太郎の心は少し和やかになった。

「くはあ~~~っ」

 これ以上框に座り込むと二度と立ち上がれなさそうだ――膝に力を込めて立ち上がると、部屋の前で上海がこちらを振り返って小首を傾げていた。

「ゴッ太郎!」
「うん、今行く」

 上海を追って部屋に入ると、まだ御鈴波の香水の甘い匂いがした。鬱陶しい制服を脱いでベッドの上に転がり込むと、上海も隣に寝転がった。昼下がりの陽気に二人で寝転がっていると、まだ家の無かった頃――路地裏で寝泊まりしていた頃を思い出す。

 夜は日銭を稼ぐためにうろうろしているから、必然と昼が睡眠時間になっていた。真っ当なものを食えたことは殆どないし、飲水も公園やその辺のホースから出てくる水を飲んでいたわけだから、今からしてみればありえない生活である。思い返しながら、上海の頭を撫でる。

 子供が二人、汚い裏路地にほとんど素足で歩いている。それも片方は幼い女の子で、常に腹をすかしている――そうなると、路地裏の人々は温かかった。

 襤褸ボロを纏った鷲鼻の真っ黒い肌をした行く宛のない爺が、時たま通りがかる良い服を来た金持ちらしい人間が、正義感に駆られた少し年上の学生が、助けてはくれないがいくらかを恵んでくれる。

 そうなれば、二人は顔を見合わせてにやにや笑って抱き合ったものだった。今は昼に動いて、夜に眠る普通の生活をしているが――上海は同世代の子に比べると、ひと回り小さい。

 路地裏で過ごしていた頃の、ろくな栄養もない腹を満たすだけの食事と不規則な睡眠のせいだろうか。そう思うと、ゴッ太郎は少し申し訳ない気持ちになった。ゴッ太郎には人の欲しいものがわからない。

 生き延びる為に生きる――それが全てに優先される目的だと思って生きてきた。だが上海は違う。路地裏にいる頃から遊ぶのが好きで、人一倍楽しいことを探して生きていた。積み上がった捨て雑誌の山も全部読み漁って、ゲームセンターで人のプレイを穴が開くほど見つめ、家電量販店の前では齧り付いて追い出される程に、とにかく熱中していた。

 このマンションを借りて住み始めた頃も、御鈴波から貰った食事代を全てゲーム機に替えて来た時は恐れ入ったが、それほどに夢見ていたことの証左なのだろう、ゴッ太郎は怒るに怒れず、御鈴波には直談判をして謝りにいった。

 けれど、御鈴波は驚くべき事にほとんど怒らず、ただ注意するに留まった。今ほど御鈴波がカリカリしていなかったこともあるけれど、ひょっとすると御鈴波も上海のようなことをしたかった過去があったのかもしれない。

「上海……」

 よだれを垂らしながら無防備に眠る上海を抱き寄せると、桃のような優しい香りがした。その匂いに包まれて、ゴッ太郎は安心して目を瞑る。一日でも、二日でもこんな生活が長く続いて欲しい。強くなろう――できるだけ、速く強く。

「すかー」

 ゴッ太郎の意識は、決意と共に眠りの彼岸へ落ちていった。
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