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第3話⑧ ヘンなやつ

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 憎々しそうに青年のことを語る零春は、ゴッ太郎を見た。指先がぴくりぴくりとイモムシのように動いている。背筋に電流が走るようにベッドに寄った零春は、ゴッ太郎の顔を覗き込んだ。

「おい、起きたのか! 無事か!?」
「お、ぁ……ァ。てめ、ェ」

 鈍く開いた口から呻きが漏れて、ゴッ太郎の手が持ち上がった瞬間、零春の胸には深い安堵が広がった。大きな溜め息が漏れる。倒れ伏した体から、ミキミキと筋肉の片鱗が浮き沈みして、シーツの上を泳ぐように蠢いている。

「先生、大丈夫なんですか、これ」
「意識が戻りはじめてるのよ。夢を見てるみたいね。離れた方がいいかも」
「え――? なぜ」
「うだァーーーッ!!!」

 ゴッ太郎の手は、鞭のようにしなって目の前の虚空に唸りをあげた。そして空振った手のひらは、零春の腫れた頬に綺麗に直撃し、零春のこめかみには太い青筋が浮かんだ。

「コイツッ゙!」
「はっ――ここは」

 両目をばちりと音が鳴るくらいに明快に開いたゴッ太郎は、体を起こそうとして野太い絶叫を上げた。痛みに力を失った体がベッドに再び沈み込むと、その衝撃で打撲傷に衝撃が走ったのだろう、ゴッ太郎は悶絶しながらシーツの上でまな板の上の鯉みたいに跳ねていた。

「あああああ――痛っっってェッ……」
「あんまり動くと、せっかく手当したのが台無しになるわよ。ゴッ太郎くん。安心して、ここは保健室。安全な場所よ。零春くんが運んでくれたの」
「……先生! そんなことは言わなくてもいいです!」

 痛みに悶えながら、ゴッ太郎の視線はベッドサイドに立っている涙目の零春を捉えた。そして信じられない、とでも言いたげに左に寝返りを打とうとして、また痛みに悶えてもんどり打った。

「どういう風の吹き回しだァ。お前が助けてくれるなんて」
「……たまたま通りかかっただけだ。喩えお前でなくても助けていたからお前を助けただけだ!」

 助けてくれた人間に対して何たる不遜! ふざけた男だ! 零春は心の中で毒づきながら、しかし同時に自分の中でも湧いていた『なぜ危険を犯してまでこの男を助けたのか』という疑問に対して、答えが出なかった。

 あれほどのコケにされた相手に対して、自分の戦いへの誇りを踏みにじった相手に対して、自分は何をしているのだろう。それとも、この男に何かを返してやりたいと思ったのだろうか。その答えは斑に煙がかって見えなかった。それか、見えないように自分がわざと隠しているのだろうか。

「そう、か。すっげェな。アイツから目を盗んで俺を拾えるのか、お前、さては最強だなァ?」
「茶化すな! 腹の立つヤツ! お前は怪我人なのだ! そのベッドの上で、赤ん坊みたいに指でも咥えていろ!」
「そーだな。たしかに。いやほんと助かった。ありがとな」

「な、なに、今、おまえなにを」
「なにって、感謝してんだよ。俺、多分死んでたぜ。お前が来なきゃ。救われちまったァ~~~情けねえ」
「馬鹿め! これはお前があの時を俺を――」

 見逃した分だ、と言いかけて、零春は止まった。強がって言いたくなかったわけではない。自分が思っていたことに今更気がついたからだった。零春は、自分の中にそんな感情があったことに困惑していた。

 常に高みを目指し努力してきた零春は、他者との精神的な関わりを持つことに有意義を感じたことなどなかった。
 いずれ誰しもを超えていくのに、なぜ自分よりも下の人間と関わる必要がある? 最後に残った最強だけが、自分との関係を築けばいい――そう教えられ、そう信じて、そう実践して生きてきたのに、なぜ自分は今、この男との信義則に基づいた取引を、精神的なやり取りを行っているのだろう。

 困惑に足を取られて、零春の舌は絡まったまま進まなかった。

「なんだ、急停止しやがって、変なヤツ」
「……興が冷めた。もういい。先生、ぼくは帰ります」
「あら、もういいの?」
「こんなヤツと関わっていると、こっちの頭が悪くなりそうだ」
「そう。お疲れ様、おやつ持ってく?」
「頂きます」

 零春は憮然としたまま洋華に手渡された小包を受け取って、保健室の扉から出ていった。胸の内にしこりができたような奇妙な感覚に苛まれて、これ以上はまともに会話できる気がしなかったのだ。

「嫌いだ」

 誰もいない廊下に、当てのない罵倒が響いて反響する。最後までその罵倒を聞いたのは、零春だけだった。

 
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