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第3話⑦ 仕方ないだろ
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糺ノ森高校の三階、最奥に位置する保健室では、今日も緩やかな時間が流れていた。夏の酷暑とはいえ、糺ノ森高校では全館空調のシステムが導入されている。肌に心地よい風が流れる中では、燦々と差し込む太陽光もまた気持ちが良い。
洋華は保健室の窓の向こうを眺めるのが好きだった。ミニチュアのような世界。小さく見える建物の間を人形のような人が行き来している。私生活ではドールを着飾らせることが趣味である洋華にとっては、いつかこんなミニチュアの街を作り上げ、愛しいドールを飾るのが夢だった。
その参考資料として、落ち着きすぎるほど整然とした壁の中の街は最適であった。この時期は体調不良を訴える生徒も少なく、仕事量も落ち着いている。空き時間を見つけては漢方の勉強をしたり針仕事をしたり、多趣味な洋華にとってはちょうど良い環境である。
今朝は提出書類のデータも整理し終わり、ちょうど昨日の夜にやり残していたドールのジャケットを作ろうと小道具入れに手を出したところだった。一陣の風が窓の外を駆けた音がして、窓枠が鳴った。見下ろしてみても、何も動いているようには見えない。しかし洋華には、これがなんの前兆なのか心当たりがあった。
一番左の人目に付きにくい窓を開けると、カーテンを閉める。するとカーテンの間から息を殺すように誰かがするりと入ってきた。
「零春くん、学校に入る時は窓から入っちゃいけないの……なにそれ!?」
零春がその窓から入ってくることが今までなかった訳では無い。しかし毎度その時は単身で乗り込んでくるわけで、何かを持ってくることなどなかったものだから、洋華は脇に抱えられたそれを見て、酷く狼狽した。
その脇に抱えられているのは、半全裸になって襤褸切れめいて全身傷だらけの学生であったのだ。
「……先生、今はそれどころではないんです。すぐに手当を!」
「奥の台に載せて。すぐ看るから」
「はい」
洋華はストレッチャーに載せたその学生の手当を始めた。全身に酷い擦過傷と打撲、それに後頭部にグレープフルーツ大の内出血。手足にダメージがない分まだマシと言えるが、軽く見て全治一ヶ月はありそうな怪我だ。
「零春くん、これ、何があったの? まるで隕石の破片でも打ち込まれたみたいな傷よ」
「――すいません。先生、お願いします」
「もう、言えないの! 仕方ないわね! ちょっと試したいものがあるから、試させてもらうわよ!」
洋華の処置中、零春は凝っとゴッ太郎を眺めていた。白目を剥いて気絶しながら、今にも消え入りそうな呼吸を小さく繰り返している。あれほどデカかったゴッ太郎の背中は、今や無力な青年のそれと全く変わらない。
「う~ん、まあ、できるのはこんなもんね。後は起きた後に色々飲ませて諸症状緩和ケアってとこかしら。零春くん、巻き込んだからには話してもらうわよ。ほら、彼の肩持って。ベッドに移動させて」
ゴッ太郎の体を持ち上げてベッドに寝かせると、先程よりはまだマシな顔をしているように見えて、零春は胸を撫で下ろした。けれど自分がそんな風に思っていることが不思議で、どこかむず痒い気分でもあった。近くの椅子に凭れかかった零春は、かなり言葉を選んでから洋華へ返答した。
「……爆発に巻き込まれたんです。その内先生の耳にも入ると思いますけど。彼はその爆心地に居た。救急車に任せるよりもぼくがここまで運んだほうが早いと思った。そんなところでどうでしょう」
零春の苦しい言い訳に洋華は少々苦笑いが漏れたが、こんな風に歯切れの悪い答えを返す零春も珍しい。
「ふふっ、いいでしょう。言い訳としては拙いけど。ところで、お友達なのよね?」
「いえ。友達じゃないです。知り合いくらい、でしょうか」
「へえ、零春くんて、優しいのね☆」
「茶化さないでください! ぼくだって、誰がやりたくってこんなヤツの面倒なんか……」
零春の本音が漏れたのを見て、洋華は満足げに頷いて眼鏡を指でくいと上げた。
「零春くんと因縁あり、と」
「カルテに記して残さないでください!」
「冗談よ。それより、彼の名前は? そもそもうちの生徒?」
「はい。ニ年の後山田ゴッ太郎っていう、ふざけた名前の男です。つい二日前だったかに転校してきたばかりの男です」
洋華は保健室の窓の向こうを眺めるのが好きだった。ミニチュアのような世界。小さく見える建物の間を人形のような人が行き来している。私生活ではドールを着飾らせることが趣味である洋華にとっては、いつかこんなミニチュアの街を作り上げ、愛しいドールを飾るのが夢だった。
その参考資料として、落ち着きすぎるほど整然とした壁の中の街は最適であった。この時期は体調不良を訴える生徒も少なく、仕事量も落ち着いている。空き時間を見つけては漢方の勉強をしたり針仕事をしたり、多趣味な洋華にとってはちょうど良い環境である。
今朝は提出書類のデータも整理し終わり、ちょうど昨日の夜にやり残していたドールのジャケットを作ろうと小道具入れに手を出したところだった。一陣の風が窓の外を駆けた音がして、窓枠が鳴った。見下ろしてみても、何も動いているようには見えない。しかし洋華には、これがなんの前兆なのか心当たりがあった。
一番左の人目に付きにくい窓を開けると、カーテンを閉める。するとカーテンの間から息を殺すように誰かがするりと入ってきた。
「零春くん、学校に入る時は窓から入っちゃいけないの……なにそれ!?」
零春がその窓から入ってくることが今までなかった訳では無い。しかし毎度その時は単身で乗り込んでくるわけで、何かを持ってくることなどなかったものだから、洋華は脇に抱えられたそれを見て、酷く狼狽した。
その脇に抱えられているのは、半全裸になって襤褸切れめいて全身傷だらけの学生であったのだ。
「……先生、今はそれどころではないんです。すぐに手当を!」
「奥の台に載せて。すぐ看るから」
「はい」
洋華はストレッチャーに載せたその学生の手当を始めた。全身に酷い擦過傷と打撲、それに後頭部にグレープフルーツ大の内出血。手足にダメージがない分まだマシと言えるが、軽く見て全治一ヶ月はありそうな怪我だ。
「零春くん、これ、何があったの? まるで隕石の破片でも打ち込まれたみたいな傷よ」
「――すいません。先生、お願いします」
「もう、言えないの! 仕方ないわね! ちょっと試したいものがあるから、試させてもらうわよ!」
洋華の処置中、零春は凝っとゴッ太郎を眺めていた。白目を剥いて気絶しながら、今にも消え入りそうな呼吸を小さく繰り返している。あれほどデカかったゴッ太郎の背中は、今や無力な青年のそれと全く変わらない。
「う~ん、まあ、できるのはこんなもんね。後は起きた後に色々飲ませて諸症状緩和ケアってとこかしら。零春くん、巻き込んだからには話してもらうわよ。ほら、彼の肩持って。ベッドに移動させて」
ゴッ太郎の体を持ち上げてベッドに寝かせると、先程よりはまだマシな顔をしているように見えて、零春は胸を撫で下ろした。けれど自分がそんな風に思っていることが不思議で、どこかむず痒い気分でもあった。近くの椅子に凭れかかった零春は、かなり言葉を選んでから洋華へ返答した。
「……爆発に巻き込まれたんです。その内先生の耳にも入ると思いますけど。彼はその爆心地に居た。救急車に任せるよりもぼくがここまで運んだほうが早いと思った。そんなところでどうでしょう」
零春の苦しい言い訳に洋華は少々苦笑いが漏れたが、こんな風に歯切れの悪い答えを返す零春も珍しい。
「ふふっ、いいでしょう。言い訳としては拙いけど。ところで、お友達なのよね?」
「いえ。友達じゃないです。知り合いくらい、でしょうか」
「へえ、零春くんて、優しいのね☆」
「茶化さないでください! ぼくだって、誰がやりたくってこんなヤツの面倒なんか……」
零春の本音が漏れたのを見て、洋華は満足げに頷いて眼鏡を指でくいと上げた。
「零春くんと因縁あり、と」
「カルテに記して残さないでください!」
「冗談よ。それより、彼の名前は? そもそもうちの生徒?」
「はい。ニ年の後山田ゴッ太郎っていう、ふざけた名前の男です。つい二日前だったかに転校してきたばかりの男です」
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