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第3話⑥ 取引
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ゴッ太郎の手を握って、熱っぽい視線を送る彼は好青年そのものだ。彼の瞳は、ゴッ太郎を見ていない。夢だけを見ている。
「だから技研とも、君のご主人とも仲違いをしたくない。けど、話し合いがうまくいかない。あっち側はぼくのことをモルモットかなにかだと思ってるんだ。だから、もし君と仲良くすることができれば――争いなく平和に、世界を変える力が手に入ると信じている」
「何が言いたいんスか。話が見えてこないっすよ。理想じゃなくて現実の話をしてください」
「御鈴波途次を、ぼくにくれないか」
直線的な交渉だった。真面目くさった顔のまま、彼は言葉を続ける。
「御鈴波途次と、ぼくは結婚したい。そうすれば、全ての人が仲良くあるまま、この力を扱うことができる。それだけじゃない。これ以上に御鈴波家の力も大きくなるだろう。もちろん、君に損をしてくれとは言わないよ。君にはぼくの妹を充てがおう。妹は君にメロメロみたいだからね。もし君が納得してくれるなら、君たちの仲立ちだって完璧に――」
「ふゥん、悪くないっすね――」
ミチリ、何かが破れる音がした瞬間、ゴッ太郎の拳がまっすぐと飛んだ。丸太のような腕から放たれたダイナマイトストレートが、丁子の兄の顔面に向かって進行していく。
砲丸のような質量の拳が、右額と紙一重まで近付き、ゴッ太郎は勝利を確信した。止めるための腕も間に合わない。このままぶち抜いて、この兄を始末してしまえばいい。そうすれば、全てが終わる――
丁子に似た虹色の虹彩が、拳越しにゴッ太郎を見据えた。
須臾の間を挟んで、ゴッ太郎には笑顔が見えた。不敵な笑みだ。出会った瞬間と変わらない笑みだ。アルカイクスマイル。口元だけの嘘つきの笑み。
――なんだ。何を笑っている。お前は次の瞬間、死ぬんだぞ。それが、なぜ。
「がッ――」
ゴッ太郎の視界には、青空が映った。酷い耳鳴りがする。世界中が膜に包まれたみたいに遠くなる。体が回っている。しかも高速で。自分がどこに居るのか全く見当がつかない。しかし体中の感覚が、危険を出力していた。このままでは死ぬ、死ぬと、本能をプッシュして止まない。
「筋肉ぅ、全開ィ――」
苦し紛れに肉を全開に爆発させたゴッ太郎の体は、ゴムボールのように地面と反発して、空高く昇った。回転する視界を冷静に確認していく。ここは外だ、なぜ。ぐるりと視界が回って、ある一点が映った時、ゴッ太郎は理解した。
「なに」
先程まで喫茶店だった場所が、爆弾でも中で爆発したように幾つかの柱だけを残して、煙の上がる廃墟になっていたのである。呆気に取られた瞬間、背中に烈しい衝撃が一文字に突き刺さった。
「うぐっ」
重たい金属バットで殴られたような衝撃の後、ゴッ太郎は地面に叩きつけられた。痛みに思わず目をつむると、歩行者用信号が青になった音と共に靴底がアスファルトを叩く音が近付いた。
「いけない子だ。急に襲いかかるなんて」
穏やかな声だった。しかし、それが死神のそれであることは、既にゴッ太郎も理解するところだった。なんとか起き上がろうとするが、体が動かない。
「妹の礼もあったし、君とは仲良くしたかったんだが、躾が悪いのでは仕方ない。ここで摘んでおこう」
――動け、動け。筋肉よ。今動かなければ。間に合わな、い。
いくら体に念じてみても、体は一向に動かなかった。筋肉はうんともすんとも言わず、ただ萎んでいく肉体が弛緩していく。先程突き刺さった鉄棒の衝撃が効いているのだろう。意識が徐々に落ちていく。頭の中では必死に藻掻いているのに、目の前は何も変わらない。
「ご、め、ん。み、すずは――」
ゴッ太郎は完全に意識を失い、夏場に路上へ落としたアイスみたいにだらりとコンクリートの上で伸び切った。ゴッ太郎の頭上では、逆光の影に真っ黒く染まった丁子の兄が不敵に笑っていた。今度は、人間的な笑みだ。達成の笑みだった。
「そうだ。君に名乗るのを忘れていたね。今から別れるっていうのに名乗っても仕方がないが――ぼくは礼儀知らずを嫌うんだ。ダメな癖でね、すぐ足がついて仕方がない。目立っちゃうんだ。だが、それももう気にならなくなる。君がいなくなれば、彼女はぼくのものだ」
彼の手には、紫色の靄がふわりと浮いていた。それを一滴、ゴッ太郎の首元に垂らす。雫が煙を纏いながら自由落下していく中、ゴッ太郎は既に目覚める力を完全に失って安寧にあった。
「ぼくの名は勘解由小路玄明。君に感謝するよ。お陰でぼくの技術が十分通用することが証明された」
ふわり、何かが空を舞った。大きな影が太陽を覆い隠す。玄明が空を見上げると、ベッドシーツのような大きな布が大量に空を舞っていた。その向こうに怪鳥のような影が飛んでいる――。
「なんだ?」
玄明はゆっくりと落ちてくる何枚もの大きな布を切り裂いた。再び明るすぎる太陽が照って、瞬間的に目が眩む。切り裂いたものが先程立ち寄った喫茶店のカーテンだと気が付いた。つまらない目隠しだ。
ゴッ太郎が何かを仕込んでいたのだろうか。しかしその真偽などもうどうでもいい。眼の前のこの男には、この間に既に手遅れとなっている。玄明は、ゴッ太郎の死体に視線を戻した。勝利の確信を得るためだった。
「……ふうん。なるほど。そういうことか」
だが、コンクリートに伏していたゴッ太郎の姿はどこにもない。紫の滴が垂れたコンクリートには、まっすぐとドリルで掘ったような穴が開いていた。
「上手に逃げたね。ゴッ太郎。けど、君とは再び出会うことになる。それまでがんばっておくれよ。できれば、妹のこともよろしく。君みたいな人に任せられれば、ぼくも安心して眠れる――」
喫茶店の爆発は、キッチンからの炎上を伴っていた。忙しなく動き始めた人混みの中に紛れるように、勘解由小路玄明は消えていった。
「だから技研とも、君のご主人とも仲違いをしたくない。けど、話し合いがうまくいかない。あっち側はぼくのことをモルモットかなにかだと思ってるんだ。だから、もし君と仲良くすることができれば――争いなく平和に、世界を変える力が手に入ると信じている」
「何が言いたいんスか。話が見えてこないっすよ。理想じゃなくて現実の話をしてください」
「御鈴波途次を、ぼくにくれないか」
直線的な交渉だった。真面目くさった顔のまま、彼は言葉を続ける。
「御鈴波途次と、ぼくは結婚したい。そうすれば、全ての人が仲良くあるまま、この力を扱うことができる。それだけじゃない。これ以上に御鈴波家の力も大きくなるだろう。もちろん、君に損をしてくれとは言わないよ。君にはぼくの妹を充てがおう。妹は君にメロメロみたいだからね。もし君が納得してくれるなら、君たちの仲立ちだって完璧に――」
「ふゥん、悪くないっすね――」
ミチリ、何かが破れる音がした瞬間、ゴッ太郎の拳がまっすぐと飛んだ。丸太のような腕から放たれたダイナマイトストレートが、丁子の兄の顔面に向かって進行していく。
砲丸のような質量の拳が、右額と紙一重まで近付き、ゴッ太郎は勝利を確信した。止めるための腕も間に合わない。このままぶち抜いて、この兄を始末してしまえばいい。そうすれば、全てが終わる――
丁子に似た虹色の虹彩が、拳越しにゴッ太郎を見据えた。
須臾の間を挟んで、ゴッ太郎には笑顔が見えた。不敵な笑みだ。出会った瞬間と変わらない笑みだ。アルカイクスマイル。口元だけの嘘つきの笑み。
――なんだ。何を笑っている。お前は次の瞬間、死ぬんだぞ。それが、なぜ。
「がッ――」
ゴッ太郎の視界には、青空が映った。酷い耳鳴りがする。世界中が膜に包まれたみたいに遠くなる。体が回っている。しかも高速で。自分がどこに居るのか全く見当がつかない。しかし体中の感覚が、危険を出力していた。このままでは死ぬ、死ぬと、本能をプッシュして止まない。
「筋肉ぅ、全開ィ――」
苦し紛れに肉を全開に爆発させたゴッ太郎の体は、ゴムボールのように地面と反発して、空高く昇った。回転する視界を冷静に確認していく。ここは外だ、なぜ。ぐるりと視界が回って、ある一点が映った時、ゴッ太郎は理解した。
「なに」
先程まで喫茶店だった場所が、爆弾でも中で爆発したように幾つかの柱だけを残して、煙の上がる廃墟になっていたのである。呆気に取られた瞬間、背中に烈しい衝撃が一文字に突き刺さった。
「うぐっ」
重たい金属バットで殴られたような衝撃の後、ゴッ太郎は地面に叩きつけられた。痛みに思わず目をつむると、歩行者用信号が青になった音と共に靴底がアスファルトを叩く音が近付いた。
「いけない子だ。急に襲いかかるなんて」
穏やかな声だった。しかし、それが死神のそれであることは、既にゴッ太郎も理解するところだった。なんとか起き上がろうとするが、体が動かない。
「妹の礼もあったし、君とは仲良くしたかったんだが、躾が悪いのでは仕方ない。ここで摘んでおこう」
――動け、動け。筋肉よ。今動かなければ。間に合わな、い。
いくら体に念じてみても、体は一向に動かなかった。筋肉はうんともすんとも言わず、ただ萎んでいく肉体が弛緩していく。先程突き刺さった鉄棒の衝撃が効いているのだろう。意識が徐々に落ちていく。頭の中では必死に藻掻いているのに、目の前は何も変わらない。
「ご、め、ん。み、すずは――」
ゴッ太郎は完全に意識を失い、夏場に路上へ落としたアイスみたいにだらりとコンクリートの上で伸び切った。ゴッ太郎の頭上では、逆光の影に真っ黒く染まった丁子の兄が不敵に笑っていた。今度は、人間的な笑みだ。達成の笑みだった。
「そうだ。君に名乗るのを忘れていたね。今から別れるっていうのに名乗っても仕方がないが――ぼくは礼儀知らずを嫌うんだ。ダメな癖でね、すぐ足がついて仕方がない。目立っちゃうんだ。だが、それももう気にならなくなる。君がいなくなれば、彼女はぼくのものだ」
彼の手には、紫色の靄がふわりと浮いていた。それを一滴、ゴッ太郎の首元に垂らす。雫が煙を纏いながら自由落下していく中、ゴッ太郎は既に目覚める力を完全に失って安寧にあった。
「ぼくの名は勘解由小路玄明。君に感謝するよ。お陰でぼくの技術が十分通用することが証明された」
ふわり、何かが空を舞った。大きな影が太陽を覆い隠す。玄明が空を見上げると、ベッドシーツのような大きな布が大量に空を舞っていた。その向こうに怪鳥のような影が飛んでいる――。
「なんだ?」
玄明はゆっくりと落ちてくる何枚もの大きな布を切り裂いた。再び明るすぎる太陽が照って、瞬間的に目が眩む。切り裂いたものが先程立ち寄った喫茶店のカーテンだと気が付いた。つまらない目隠しだ。
ゴッ太郎が何かを仕込んでいたのだろうか。しかしその真偽などもうどうでもいい。眼の前のこの男には、この間に既に手遅れとなっている。玄明は、ゴッ太郎の死体に視線を戻した。勝利の確信を得るためだった。
「……ふうん。なるほど。そういうことか」
だが、コンクリートに伏していたゴッ太郎の姿はどこにもない。紫の滴が垂れたコンクリートには、まっすぐとドリルで掘ったような穴が開いていた。
「上手に逃げたね。ゴッ太郎。けど、君とは再び出会うことになる。それまでがんばっておくれよ。できれば、妹のこともよろしく。君みたいな人に任せられれば、ぼくも安心して眠れる――」
喫茶店の爆発は、キッチンからの炎上を伴っていた。忙しなく動き始めた人混みの中に紛れるように、勘解由小路玄明は消えていった。
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