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第3話② 言い訳はそれだけ?
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「……ゴッ太郎」
「はい」
バチィン、とリビングに反響する烈しい音が鳴った。御鈴波の平手打ちが、ゴッ太郎の頬に直撃したのだ。張り倒されたゴッ太郎は持っていた箸を落とし、椅子から半ば転がり落ちそうになった。
しかしその横顔には、驚きの層は一切なかった。当然だ。ここまで怒らせている時に、更に怒らせる事実が重なっている。
「誰のせい?」
「俺が弱かったせいだ。ごめん。でも、俺、御鈴波のことが一番大事だから」
「弱い男はみんなそう言うわ。それしか言うことがないから。そんな誰でも言える言葉なんていらない」
「……すんません」
「負けた気分はどう?」
「……詳しくは見てほしいくらい全部読み負け裏目負けって感じで、ここを逃したらもう勝てない! ってタイミングでしっかり噛み合っちまった。でも、それ以前に勘解由小路丁子は、すげえ強えー……あのトラックを堰き止めた突進をどうにかできない限り、勝ち目ねえや。ふつーに悔しいけど。それ以上に、ほんと、すんません。弱くて」
張られた頬も押さえず、ゴッ太郎は御鈴波の足元に跪いて土下座した。御鈴波はその後頭部を不満そうに眺め、延髄を踏んだ。思い切り腿に力を入れ、何度も踏む。ゴッ太郎の額とフローリングは重い音を立ててぶつかり、ゴッ太郎からは短いうめき声が漏れた。
「この痛みをしっかり覚えておきなさい。そのスカスカの脳みそで。わたしは何度も言わないわよ。弱い人間はいらない。その気になればあなた以外と一緒になることだってできる。けど、他でもないゴッ太郎だから今回は許してあげるの」
「すんません……」
「それに、レポートの内容としては明確な解答が出ているしね。あなたに必要なのは、その『突進』の対策。……いいでしょう。力を貸してあげるわ。数日待ちなさい。あと、食事の前に風呂に入りなさい。他の女の匂いをさせてる男と話すことはないわ」
「……はい」
御鈴波の怒りは収まったらしい、ゴッ太郎は命令に従って風呂に入った。傷だらけになった全身と、真新しい額の傷が痛む。風呂の鏡を覗いた拍子に見えた自分の顔は、随分疲れて沈んでいた。それはそうだ。湯船に頬まで浸かって目を閉じると、幼い御鈴波の控えめで純朴な笑顔が思い浮かんだ。
「あの頃は、こんな怖い女じゃなかったのにな……」
ぼんやりと湯気に向かって呟いて風呂から上がり、脱衣所に向かう。風呂の扉を開けると、そこには御鈴波が立っていた。
「オゴッ……あの、すいません。まだ風呂上がったばっかりでして」
聞かれていただろうか、背筋を固くするゴッ太郎に歩み寄ってくる御鈴波は、いやに笑顔のまま表情を崩さない。
「ええ。見ればわかるわ」
そのまま近付いてきた御鈴波は、濡れたままのゴッ太郎の体を引き寄せて、何度も匂いを嗅いだ。うなじに、胸元に、腰元に、御鈴波の息がかかるたびにゴッ太郎の脳裏には甘い刺激が走り、指先がぴくぴくと震えた。
「うん。まあ、こんなものでいいかしら。上がっていいわよ」
「は、はい」
「着替えたら食卓についていいわ」
そのまま服を着て髪を乾かしたゴッ太郎は、リビングに戻った。御鈴波は食卓についたまま、手で座るように促す。椅子に座ってゴッ太郎は手を合わせた。
「さあ、召し上がれ」
「いただきます」
食事の間中、御鈴波はじっとこちらを見つめていた。ちらりと目が合ったが、何も話さない。無言のまま食事が終わると、食器を下げる。
「ごちそうさまでした。おいしかった」
「ええ、お粗末さま。ゴッ太郎」
「御鈴波、帰らなくていいのか? 結構遅いけど」
「構わないわ。今日はこの家で寝るって決めたから」
他の女と会っていたことで、御鈴波は警戒しているのだろうか。御鈴波がこの家に泊まることはかなり希少なことだ。
「じゃあ、俺のベッド使ってくれ。俺はソファで……」
「その必要はないわ、今日は二人ともベッドで寝るのよ」
「へ……?」
御鈴波の笑顔は崩れない。
「お泊り用のセットは洗面台に置いてあるし、着替えもあるわ。何も困らないわよ。それとも、わたしとは寝られない?」
「い、いや。久しぶりだなって」
下手な笑顔のまま頭の後ろを掻いたゴッ太郎に畳み掛けるように御鈴波は続ける。
「ええ、久しぶりね。ゴッ太郎。今日は疲れてるみたいだし、ゆっくり休みましょう?」
徹底している――他の女の匂いが付いたことがどこまでも気に入らないらしい。
「そ、そうだな。楽しみだ」
「ええ、わたしも、ゴッ太郎と一緒に寝られるのなんて久しぶりだから、楽しみ。じゃあお風呂入ってくるね」
ここまで剣呑な共寝のお誘いもないだろう。とはいえ、ゴッ太郎もこれで懲りていた。
「女の子と出かけるの、やめたほうが良いか……」
風呂から上がった御鈴波は、パジャマに着替えるとゴッ太郎に香水をかけた。甘いムスクの香りだ。そのまま腕を引いてベッドに転がった御鈴波の後に引っ付くようにして、ゴッ太郎もベッドに寝転がった。
「狭くないか?」
「お父様は大きな物ばかり与えたがるけど、これくらいの方が好みよ」
あまり大きくないベッドに二人の体は密着するようにして触れ合っている。お互いの心音を交換するように、二人はそのまま眠りについた。
「はい」
バチィン、とリビングに反響する烈しい音が鳴った。御鈴波の平手打ちが、ゴッ太郎の頬に直撃したのだ。張り倒されたゴッ太郎は持っていた箸を落とし、椅子から半ば転がり落ちそうになった。
しかしその横顔には、驚きの層は一切なかった。当然だ。ここまで怒らせている時に、更に怒らせる事実が重なっている。
「誰のせい?」
「俺が弱かったせいだ。ごめん。でも、俺、御鈴波のことが一番大事だから」
「弱い男はみんなそう言うわ。それしか言うことがないから。そんな誰でも言える言葉なんていらない」
「……すんません」
「負けた気分はどう?」
「……詳しくは見てほしいくらい全部読み負け裏目負けって感じで、ここを逃したらもう勝てない! ってタイミングでしっかり噛み合っちまった。でも、それ以前に勘解由小路丁子は、すげえ強えー……あのトラックを堰き止めた突進をどうにかできない限り、勝ち目ねえや。ふつーに悔しいけど。それ以上に、ほんと、すんません。弱くて」
張られた頬も押さえず、ゴッ太郎は御鈴波の足元に跪いて土下座した。御鈴波はその後頭部を不満そうに眺め、延髄を踏んだ。思い切り腿に力を入れ、何度も踏む。ゴッ太郎の額とフローリングは重い音を立ててぶつかり、ゴッ太郎からは短いうめき声が漏れた。
「この痛みをしっかり覚えておきなさい。そのスカスカの脳みそで。わたしは何度も言わないわよ。弱い人間はいらない。その気になればあなた以外と一緒になることだってできる。けど、他でもないゴッ太郎だから今回は許してあげるの」
「すんません……」
「それに、レポートの内容としては明確な解答が出ているしね。あなたに必要なのは、その『突進』の対策。……いいでしょう。力を貸してあげるわ。数日待ちなさい。あと、食事の前に風呂に入りなさい。他の女の匂いをさせてる男と話すことはないわ」
「……はい」
御鈴波の怒りは収まったらしい、ゴッ太郎は命令に従って風呂に入った。傷だらけになった全身と、真新しい額の傷が痛む。風呂の鏡を覗いた拍子に見えた自分の顔は、随分疲れて沈んでいた。それはそうだ。湯船に頬まで浸かって目を閉じると、幼い御鈴波の控えめで純朴な笑顔が思い浮かんだ。
「あの頃は、こんな怖い女じゃなかったのにな……」
ぼんやりと湯気に向かって呟いて風呂から上がり、脱衣所に向かう。風呂の扉を開けると、そこには御鈴波が立っていた。
「オゴッ……あの、すいません。まだ風呂上がったばっかりでして」
聞かれていただろうか、背筋を固くするゴッ太郎に歩み寄ってくる御鈴波は、いやに笑顔のまま表情を崩さない。
「ええ。見ればわかるわ」
そのまま近付いてきた御鈴波は、濡れたままのゴッ太郎の体を引き寄せて、何度も匂いを嗅いだ。うなじに、胸元に、腰元に、御鈴波の息がかかるたびにゴッ太郎の脳裏には甘い刺激が走り、指先がぴくぴくと震えた。
「うん。まあ、こんなものでいいかしら。上がっていいわよ」
「は、はい」
「着替えたら食卓についていいわ」
そのまま服を着て髪を乾かしたゴッ太郎は、リビングに戻った。御鈴波は食卓についたまま、手で座るように促す。椅子に座ってゴッ太郎は手を合わせた。
「さあ、召し上がれ」
「いただきます」
食事の間中、御鈴波はじっとこちらを見つめていた。ちらりと目が合ったが、何も話さない。無言のまま食事が終わると、食器を下げる。
「ごちそうさまでした。おいしかった」
「ええ、お粗末さま。ゴッ太郎」
「御鈴波、帰らなくていいのか? 結構遅いけど」
「構わないわ。今日はこの家で寝るって決めたから」
他の女と会っていたことで、御鈴波は警戒しているのだろうか。御鈴波がこの家に泊まることはかなり希少なことだ。
「じゃあ、俺のベッド使ってくれ。俺はソファで……」
「その必要はないわ、今日は二人ともベッドで寝るのよ」
「へ……?」
御鈴波の笑顔は崩れない。
「お泊り用のセットは洗面台に置いてあるし、着替えもあるわ。何も困らないわよ。それとも、わたしとは寝られない?」
「い、いや。久しぶりだなって」
下手な笑顔のまま頭の後ろを掻いたゴッ太郎に畳み掛けるように御鈴波は続ける。
「ええ、久しぶりね。ゴッ太郎。今日は疲れてるみたいだし、ゆっくり休みましょう?」
徹底している――他の女の匂いが付いたことがどこまでも気に入らないらしい。
「そ、そうだな。楽しみだ」
「ええ、わたしも、ゴッ太郎と一緒に寝られるのなんて久しぶりだから、楽しみ。じゃあお風呂入ってくるね」
ここまで剣呑な共寝のお誘いもないだろう。とはいえ、ゴッ太郎もこれで懲りていた。
「女の子と出かけるの、やめたほうが良いか……」
風呂から上がった御鈴波は、パジャマに着替えるとゴッ太郎に香水をかけた。甘いムスクの香りだ。そのまま腕を引いてベッドに転がった御鈴波の後に引っ付くようにして、ゴッ太郎もベッドに寝転がった。
「狭くないか?」
「お父様は大きな物ばかり与えたがるけど、これくらいの方が好みよ」
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