上 下
15 / 68

第2話④ 前哨

しおりを挟む
 丁子が去った静かな保健室には、未だカーテンの開かないもう一つのベッドがあった。
 人影はあるのに、ぴたりとも動かない。音も聞こえない。
 洋華はそのベッドの仕切りカーテンの前に立ち、声を掛ける。

「零春くん、連れてきてくれた丁子ちゃんも戻ったみたいだし、そろそろ教室戻ったほうが良いんじゃない?」

 何度も掛け慣れているのか、洋華の声は程よく気が抜けて、反抗期の子供をあやすような声色だった。その声に反応して、カーテンの向こう側では人影が動く。もそりと上体を持ち上げたのだろう。影は縦に立ち上った。

「先生には、関係ないだろ。それにぼくはちゃんと怪我してる」
「……そうね。でもなんで怪我したのか教えてくれないの? 昨日までそんな酷い怪我してなかったのに」
「顔をぶつけたんだよ。こっぴどくね」
「そんな……」

 取り付く島もないような生返事に、洋華は寂しそうに返す。勿論零春がうそぶいていることくらい洋華にもわかっている。彼の顔についた傷は鉄球をぶつけられたような酷い腫れで、零春が丁子を連れてきた時、どちらが重症なのか判断に困ったほどであった。

「毎日保健室に来てくれる生徒がそんな酷い怪我を作ってきたら、先生、とっても心配よ」
「そりゃどうも。それならゆっくりさせて欲しいかな。洋華先生」
「……うん。そりゃあ保健室は傷付いた生徒が治療を受ける場所だからいいけれど、それならもっと傷をちゃんと見せてほしいなあ。抗生剤や消炎鎮痛剤は処方できるけど、しっかり見て処置しないと、治った時に後引いちゃったりするのよ。そうなったら……」

「そうなったら?」」
「君はとっても綺麗な顔をしてるのに、もったいないわ」
「それは先生の個人的な好みの問題じゃないですか。ぼくにとっては、こんな顔なんて、どうなったっていいんです」
「……ねえ、零春くん。今日の君は、なんだかおかしいわ。確かに普段からちょっと小生意気で刺々しい部分はあるけれど、そんなに投げやりじゃないもの。何があったの? 先生とお話しない? お菓子、いるかしら」

 洋華は落ち着かないままカーテンの前をうろついて、零春の返答を待った。零春は保健室の常連ではあるが、これほどの怪我をこしらえてやってきたことはない。

 大体の場合は体調不良という名前のサボタージュであるし、彼がカーテンの向こうで何かに苦しみ、呻いている瞬間があることも知ってはいるが、いずれも肉体的なことであった試しはなかった。だからこそ今朝は度肝を抜かれたし、今も気になって仕方がない。

「うるさいですね。先生が妙に全身が伸びることを言いふらしますよ」
「まあ、なんて酷いこと言うの。もし言ったら担任の先生に今までの保健室通いがサボタージュだって報告しますからね!」
「それで退学も、いいかもな……」

 あまりにも弱気な発言が続いたせいで、洋華は居ても立っても居られなくなってカーテンを引いた。

「うわっなんですか」

 ベッドの上では上裸の零春が仰向けで雑誌本を読んでいた。頬に貼ったガーゼの下は、今も痛々しく内出血のあざが浮いている。

「零春くん、聞き捨てなりません。失礼しますね」

 毅然とした顔でベッドサイドに立ち、カーテンを再び引いた彼女は彼の隣に座った。零春は上半身を掛け布団で覆って、顔の上に雑誌を乗せてそっぽを向いた。

「なん……ですか。洋華先生もご存知のはずです、ぼくはテストでは常に上位にいます。ですからどのような形で学ぶかは自由、それがこの学校に校風であるってことを」
「それは知っています。でも、苦しんでいる生徒を放っておけるほど、先生は適当じゃないんです。零春くん、もう先生との付き合いも半年になるのよ。もっと先生のこと、頼ってほしいな」

「……先生、人に頼っても、どうしようもないことはあるんです」
「それって、どんなこと?」

 洋華は零春の頭上に被せられた雑誌を拾い上げて、隣に置いた。ちらりと覗いた零春の目元は赤かった。

「自分が、ただ、弱いこと。ただ、それだけなんです。ぼくの悩みは」
「そっか、強くなりたいの。男の子だもんね」
「……男とか、女とか、そういうのじゃないんです。ただ、ぼくはぼくが弱いのが許せないんです」
「うん……先生はちょっとだけなら力になれるけど……いらない?」

 穏やかな声色で、洋華は零春の耳元に手を当てた。優しく撫でると、零春は逃げるように頭の上まで布団を被った。

「いりません。先生の怪しげな薬で得られる力は、一瞬だけだ。ぼくが求めているのは――もっとずっと、いつでもどこでも、誰とやっても強い力なんです」
「それは、たしかに先生にはあげられないけど。じゃあ、せめて先生は零春くんのこと応援してるね、がんばれがんばれ☆」
「……もう、子供みたいに扱わないでください」

 不貞腐れたように零春は布団の中からくぐもった声を発し、洋華は布団の上から彼の頭を少し撫でて立ち上がった。

「あんまり思い詰めちゃダメよ。人間には成長期が必ずあって、その時が来たら自然と強くなっていくから。その前に負けないでね、零春くん」

 無言のまま、零春は布団の中で頷いた。その胸の内には、ゴッ太郎への復讐の念が燃えていた。負けた上に、まるで歯牙にもかけないように扱われたなど――死よりも酷い屈辱だ。こんな悔しさは二度と感じるものか! 強い覚悟を胸に、零春はリベンジを誓った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

令嬢の名門女学校で、パンツを初めて履くことになりました

フルーツパフェ
大衆娯楽
 とある事件を受けて、財閥のご令嬢が数多く通う女学校で校則が改訂された。  曰く、全校生徒はパンツを履くこと。  生徒の安全を確保するための善意で制定されたこの校則だが、学校側の意図に反して事態は思わぬ方向に?  史実上の事件を元に描かれた近代歴史小説。

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

女子高生は卒業間近の先輩に告白する。全裸で。

矢木羽研
恋愛
図書委員の女子高生(小柄ちっぱい眼鏡)が、卒業間近の先輩男子に告白します。全裸で。 女の子が裸になるだけの話。それ以上の行為はありません。 取って付けたようなバレンタインネタあり。 カクヨムでも同内容で公開しています。

性的イジメ

ポコたん
BL
この小説は性行為・同性愛・SM・イジメ的要素が含まれます。理解のある方のみこの先にお進みください。 作品説明:いじめの性的部分を取り上げて現代風にアレンジして作成。 全二話 毎週日曜日正午にUPされます。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

人形の中の人の憂鬱

ジャン・幸田
キャラ文芸
 等身大人形が動く時、中の人がいるはずだ! でも、いないとされる。いうだけ野暮であるから。そんな中の人に関するオムニバス物語である。 【アルバイト】昭和時代末期、それほど知られていなかった美少女着ぐるみヒロインショーをめぐる物語。 【少女人形店員】父親の思い付きで着ぐるみ美少女マスクを着けて営業させられる少女の運命は?

[恥辱]りみの強制おむつ生活

rei
大衆娯楽
中学三年生になる主人公倉持りみが集会中にお漏らしをしてしまい、おむつを当てられる。 保健室の先生におむつを当ててもらうようにお願い、クラスメイトの前でおむつ着用宣言、お漏らしで小学一年生へ落第など恥辱にあふれた作品です。

処理中です...