上 下
8 / 68

第1話⑦ 熟年のサンドバッグ

しおりを挟む
「言い訳? いいわ。言ってみなさい」
「その、ですね。遅れそうで、急いでまして……それで走ってたんすよ。そしたら信号無視されて、その挙げ句、目の前で爆発されまして……」
「あなた、そんな下手な言い訳をするってことは……わたしを怒らせたいのかしら」

 御鈴波は怒っている。さっきよりも苛烈に、火が出んばかりに怒っている。ゴッ太郎もそんなつもりはなかったのだ、今朝の情景を上手に説明したかったのだ。しかし怒っている御鈴波の前では余計に口下手になってしまうのであった。

「いや、もう怒ってるもん御鈴波ァ……」

 困り果てて半ば弱音のように吐いた一言に、御鈴波ははっとしたように口を抑えて、反論した。

「怒ってないわ!」
「怒ってるじゃァ~~~ンそれェ~~~!」
「……そんなことはいいの! 何があったのか、きちんと説明なさい!」
「いや、それが、ですね。今朝、実は命を救われちゃったんですよ……トラックにぶつかられそうになったんですけど……俺とトラックの間に、もうひとりの転校生が割って入ってくれて。それでなんとか一命とりとめって感じでして……」

 ゴッ太郎の説明に、御鈴波は眉間を顰めた。

「あなた、それ、本気で言ってるの?」

「本気も本気っていうか、その転校生が、『勘解由小路丁子』なんだよ、御鈴波――」
「……!」

 御鈴波の内心に波乱が広がっていることは、ゴッ太郎にもわかった。そして何度かうまく言葉にできない言葉を口の中で噛み潰した彼女は、ゴッ太郎の頬に手のひらをひた、とくっつけてまっすぐと彼を見た。

「あなた、彼女をやれる?」
「精神的にやれるかやれないか、で言えばやれるッスよ。でも、問題はトラックの直撃すら防いじまうような巨大な彼女を俺が物理的にやれるのか――? そこが焦点かな、って」
「そうね――でも、ゴッ太郎。じゃあ、やりなさい。方法はあなたに任せるわ。できるでしょ。わたしの許嫁いいなずけなら、それくらい」

 『許嫁』。その言葉にゴッ太郎はいつも身震いする。いつか、御鈴波が自分のものになる。彼女は綺麗だ。生まれてから色んな人や色んなものを見てきたけれど、その中でも御鈴波が一番キレイだ。いつか自分は御鈴波に所有され、所有する。
 御鈴波はゴッ太郎に『自分を所有するだけに足りるほどの強さ』を求めているのだ。そのためには、『強く在ること』を怠ってはいけない。だからこそ、御鈴波は常に自分を試している。そして、ゴッ太郎もまた、御鈴波の要求に応えていた。

「勿論です、御鈴波お嬢様」
「その返事でいいのよ」

 ゴッ太郎の頭を引き寄せた御鈴波は、彼の頬に優しく頬ずりした。それが彼女からの強い命令であることも、ゴッ太郎はわかっている。

「じゃあ、ご飯作るね。何が良い?」
「肉じゃがか、春巻きか、麻婆茄子か、唐揚げか、それか――ぜんざい」

 指折り数えてメニューを読み上げたゴッ太郎に、御鈴波は怪訝そうな顔をする。

「ぜんざい……まあ、今度作ってあげるわ。今日はその中だと、肉じゃがでいい?」
「うん、嬉しい、いつもありがと!」
「ふん……上海を呼んできて。お手伝いさせるから」
「は~い」

 御鈴波の怒りは収まったらしい。ぐずる上海を抱えたゴッ太郎の脳内には、明日へのプランが浮かび始めていた。勘解由小路丁子の放課後は既にブッキングしている。やはり問題は――彼女のブッ飛んだ能力にある。脳裏に過る、崩壊していく大型トラック、そして、無傷で立ち尽くす黒髪の彼女。

 ……さて、アレをやるには、どうしたものか。

「いただきます!」
「いただきます」
「いただきます」

 三人は机に向かい合って、食事を始めた。食べ盛りの上海は必死に背を伸ばして机の上の食物に手を伸ばし、それを御鈴波が注意する。ぷりぷりと怒りながら上海は御鈴波に従い、いっぱいに頬張って食べていく。

「ゴッ太郎、食べないの?」
「あ、いいや。食べるよ」
「いただき! ゴッ太郎が遅いのが悪いもんね」
「おい、上海、俺はいいけど怒るぞ、御鈴波が」
「怒ってないわ!」
「もう怒ってるじゃん!」
「上海、ちゃんと一人分計算して作ってるんだから人のものを取っちゃだめ。あなた、もう路地裏育ちじゃないのよ」

 う、と唸った上海は渋々奪ったじゃがいもを皿の上に戻して、バツの悪そうな顔をする。

「だって、前までそうだったんだもん!」

 ぴょんと椅子から飛び降りて、上海は部屋に戻ってしまった。

「……ごめん、御鈴波。後で言っとく」
「いいの。あの子だってその内わかってくるでしょう」
「それならいいんだけどなあ」
「さて、わたしもそろそろ帰るわ。ごちそうさま」
「そうか、駅まで送る」
「すぐそこだから気にしないで」
「駄目だ。いくら明るくなったって言っても、神殿町はやっぱり危ない。一緒に行くよ」
「じゃあ、送ってもらおうかしら」

 マンションを出て、ほんの二、三分。生温い夜風が耳の下を通り抜けていく。ジリジリと鳴る電灯は何度もしばたたいて、二人の陰をストロボのように映し出していた。

「御鈴波、『マータ』ってなにか知ってるか?」
「『マータ』? 知らない言葉ね。それがなにかあった?」
「実はさ、言いそびれてたんだけど――っていうかそこまで脅威じゃなかったから気にしてなかったんだけど、学内で襲われたんだ。俺のことも知ってたみたいでさ。今朝のトラック激突も、なんか仕組まれてたことらしいぜ。そいつ曰く」

 御鈴波の顔色が変わる。なぜそれを先に言わなかったの、というような批難を込めた眼差しだ。

「……上海には、あんまり聞かせたくなくてな。アイツ、こういうの聞くと嗅ぎ回っちまう癖があるから」
「『マータ』……なんでしょうね。こっちで情報を探っておくわ。それに学内にゴッ太郎と同じような力を持っている人がいるなんて知らなかった。ゴッ太郎の話を全部信じるなら――都合三人、学内に能力を持っている人間がいることになる。いや、もしかしたら」

「――もっと居るかもな」
「そう考えるのが、自然ね」

 眼の前には、既に改札があった。

「じゃあ、おやすみ。ゴッ太郎。気をつけて」
「そっちこそ。なんかあったらすぐ連絡してくれ。いつでも駆けつける」
「うん。信頼してるわ」

 二人は改札前で別れた。ゴッ太郎はいつも通りの帰路に着く。その背後の物陰にあった小さな足音には、気が付かなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合系サキュバス達に一目惚れされた

釧路太郎
キャラ文芸
名門零楼館高校はもともと女子高であったのだが、様々な要因で共学になって数年が経つ。 文武両道を掲げる零楼館高校はスポーツ分野だけではなく進学実績も全国レベルで見ても上位に食い込んでいるのであった。 そんな零楼館高校の歴史において今まで誰一人として選ばれたことのない“特別指名推薦”に選ばれたのが工藤珠希なのである。 工藤珠希は身長こそ平均を超えていたが、運動や学力はいたって平均クラスであり性格の良さはあるものの特筆すべき才能も無いように見られていた。 むしろ、彼女の幼馴染である工藤太郎は様々な部活の助っ人として活躍し、中学生でありながら様々な競技のプロ団体からスカウトが来るほどであった。更に、学力面においても優秀であり国内のみならず海外への進学も不可能ではないと言われるほどであった。 “特別指名推薦”の話が学校に来た時は誰もが相手を間違えているのではないかと疑ったほどであったが、零楼館高校関係者は工藤珠希で間違いないという。 工藤珠希と工藤太郎は血縁関係はなく、複雑な家庭環境であった工藤太郎が幼いころに両親を亡くしたこともあって彼は工藤家の養子として迎えられていた。 兄妹同然に育った二人ではあったが、お互いが相手の事を守ろうとする良き関係であり、恋人ではないがそれ以上に信頼しあっている。二人の関係性は苗字が同じという事もあって夫婦と揶揄されることも多々あったのだ。 工藤太郎は県外にあるスポーツ名門校からの推薦も来ていてほぼ内定していたのだが、工藤珠希が零楼館高校に入学することを決めたことを受けて彼も零楼館高校を受験することとなった。 スポーツ分野でも名をはせている零楼館高校に工藤太郎が入学すること自体は何の違和感もないのだが、本来入学する予定であった高校関係者は落胆の声をあげていたのだ。だが、彼の出自も相まって彼の意志を否定する者は誰もいなかったのである。 二人が入学する零楼館高校には外に出ていない秘密があるのだ。 零楼館高校に通う生徒のみならず、教員職員運営者の多くがサキュバスでありそのサキュバスも一般的に知られているサキュバスと違い女性を対象とした変異種なのである。 かつては“秘密の花園”と呼ばれた零楼館女子高等学校もそういった意味を持っていたのだった。 ちなみに、工藤珠希は工藤太郎の事を好きなのだが、それは誰にも言えない秘密なのである。 この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルアッププラス」「ノベルバ」「ノベルピア」にも掲載しております。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活

XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。

押しが強いよ先輩女神

神野オキナ
キャラ文芸
チビデブの「僕」は妙に押しの強い先輩に気に入られている。何もかも完璧な彼女に引け目を感じつつ、好きな映画や漫画の話が出来る日々を気に入っていたが、唐突に彼女が「君が好きだ」と告白してきた。「なんで僕なんかと?」と引いてしまう「僕」だが、先輩はグイグイと押してくる。オマケに自分が「女神」だと言い出した。

AIアイドル活動日誌

ジャン・幸田
キャラ文芸
 AIアイドル「めかぎゃるず」はレトロフューチャーなデザインの女の子型ロボットで構成されたアイドルグループである。だからメンバーは全てカスタマーされた機械人形である!  そういう設定であったが、実際は「中の人」が存在した。その「中の人」にされたある少女の体験談である。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

化想操術師の日常

茶野森かのこ
キャラ文芸
たった一つの線で、世界が変わる。 化想操術師という仕事がある。 一般的には知られていないが、化想は誰にでも起きる可能性のある現象で、悲しみや苦しみが心に抱えきれなくなった時、人は無意識の内に化想と呼ばれるものを体の外に生み出してしまう。それは、空間や物や生き物と、その人の心を占めるものである為、様々だ。 化想操術師とは、頭の中に思い描いたものを、その指先を通して、現実に生み出す事が出来る力を持つ人達の事。本来なら無意識でしか出せない化想を、意識的に操る事が出来た。 クズミ化想社は、そんな化想に苦しむ人々に寄り添い、救う仕事をしている。 社長である九頭見志乃歩は、自身も化想を扱いながら、化想患者限定でカウンセラーをしている。 社員は自身を含めて四名。 九頭見野雪という少年は、化想を生み出す能力に長けていた。志乃歩の養子に入っている。 常に無表情であるが、それは感情を失わせるような過去があったからだ。それでも、志乃歩との出会いによって、その心はいつも誰かに寄り添おうとしている、優しい少年だ。 他に、志乃歩の秘書でもある黒兎、口は悪いが料理の腕前はピカイチの姫子、野雪が生み出した巨大な犬の化想のシロ。彼らは、山の中にある洋館で、賑やかに共同生活を送っていた。 その洋館に、新たな住人が加わった。 記憶を失った少女、たま子。化想が扱える彼女は、記憶が戻るまでの間、野雪達と共に過ごす事となった。 だが、記憶を失くしたたま子には、ある目的があった。 たま子はクズミ化想社の一人として、志乃歩や野雪と共に、化想を出してしまった人々の様々な思いに触れていく。 壊れた友情で海に閉じこもる少年、自分への後悔に復讐に走る女性、絵を描く度に化想を出してしまう少年。 化想操術の古い歴史を持つ、阿木之亥という家の人々、重ねた野雪の過去、初めて出来た好きなもの、焦がれた自由、犠牲にしても守らなきゃいけないもの。 野雪とたま子、化想を取り巻く彼らのお話です。

処理中です...