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第74話 露
しおりを挟む「リア……リア。君が……いないから、見えないから。見失って、しまっていた。俺が、レイカを守るんだったな――なんで、なんで、忘れてしまっていたのだろう」
止まった世界が崩壊の罅を生み出して連結した輪となって時間が雪解け水のように流れ始める。
止まった時が終わる。
誰も動かない。カリナさえも。
それが決定的な意味を残して時間は動き始めた。
レイカの腕がカリナを抱き留める。あまりに無力な細い腕に抱かれるがままに、呻く声とともに大きな力は失われた。
その姿は、人だった。
「お父さん。愛してますから、お願いですから。どこにも行かないでください。殺すなんてやだ。もういやなの。遠くに行かないで。もっと、私の知ってるお父さんに戻って」
「レイ、カ。すまない。俺は、どうすれば、いいのか。わからなくて――」
「一緒に、生きましょう」
レイカの額がカリナの額にこつりと合わさった。
「その為に、来たんですから。だから、戻って、お母さんを助けに行きましょう。そしたら、きっとお父さんはもう一度笑えます。全部、取り戻せるはずです。その為の時の欠片は、今このために揃ったんですから」
狂気が、消えていた。
場に満ちていたのは穏やかな時間だった。
ピリピリとした雰囲気も気が付けば融けてしまったように消えている。
そんな地上を滑るように歩む足音が二つあった。
悠里は膝を折ってカリナに目線を合わせた。
敵意はない、それだけを伝えるに十分な仕草だったろう。
緩やかに目線を上げたカリナに、悠里はペンダントを差し出した。
「これ、あなたにとっては大切なものだったのね。返さないと」
「……もう一度、これを手にすることが出来るとは、思わなかった……ありがとう、ありがとう……すまなかった、本当に、すまなかった」
瞼をめいっぱい引き絞って、カリナは泣いていた。
手の中にペンダントの無機質な手触りが戻ってきた瞬間、自らを縛り続けた執着が手を離していったのだ。
暖かい光だった。
ペンダントはただ誰に乞われたわけでもなく、星空を映しだした。
夜空の深淵を端まで映し出す光が、カリナの闇から護るように引き剥がしていった。
思い出を語るように、ただあったことを思い出させるために、脚色もなく、ただ忘れてしまった時間だけを取り戻させた。
もう一度、カリナは強くレイカを抱きしめると、その瞳は夜空を捉えて光を取り戻した。
「できるかな。カリナさん時を遡ることが」
悠里は訊いた。愛した人の望みを叶える為に。
「――やってみよう。全てを覆すために、それが必要なら。それが俺にできる、妻とレイカへの贖罪になるなら」
カリナは頷く。妻と娘の未来の為に。
「お父さん。私も、手伝わせてください。一緒に、お母さんを助けに行くんです」
レイカは抱きしめる。二度とこの暖かさを失わないために。
「決まりだな。行こう。全員の願いを叶える為に」
しづるは拳を握り込んだ、二度とこの好機を手放さないために。
その瞬間に、夜空が割れるような衝撃と嘶きのような轟音が一体を貫いた。
「なんだ――!?」
全員が一方向を見た。
「アレは、墜ちてくるぞ! すぐそこだ」
「やばいじゃん!」
「しーちゃん、伏せろーーーーーーーーーッ!!!!!!!!!!!!!!」
地響き、衝撃、飆――まるでこの世の終わりを迎えたような天変地異に大地から草木が剥がれていく。
何が起こったのかを考証する暇もない。暴力的な自然現象がただ大地を飲み込んでいく。
「悠里、動くな――お前が一番軽いんだから! うわっ」
絶望的な一瞬だった。
衝撃波の高い高い波がそこに壁を作り出してせり出してきていた。
カリナはレイカを抱きしめて吹きすさぶ暴風に耐えながら、爆心地を見て呟いた。
「一旦逃げる。手荒になるぞ」
「え?」
言葉の次の瞬間、世界が真っ二つに割れるような感触が知覚を擦った。
だが言うまでもなくそれは時間停止であって、その用法が攻撃以外にもあることをしづるは察していた。
知覚が現実のチャンネルに合った瞬間のことだった。そこは豊かな水を湛えた湖の湖畔であった。
三人は驚き、一人はその額を拭って息をついていた。
「っここは……」
「移動、したのかカリナさん」
「はぁ、は……ああ。星が墜ちた。もう終わりだ。この場所は。ここまで衝撃で破壊される前に術を行う、急いで準備する」
しづるは西の山の向こう側に大きな火柱と深く紫に霞んだ形容しがたい飛翔物が飛び上がっているのが見えて眉根を顰めた。
「あとどれくらい持つんだ?」
カリナは逡巡してから口を開いた。
「恐らく十五分、ここに移動したのは緊急時用のキャンプとしてここを拵えていたからだ。丘の上部に作った術本体は壊れてしまっているから大規模なことはできないが、ペンダントがあれば制限付きで過去に飛ぶくらいは容易だろう」
「制限?」
「ああ、ここにいる人間が全員飛ぶなら制限時間は一時間あるかないか。妻が殺されるのを止めるなら湖の決壊は最低限止める必要がある」
「遡った先で一時間、か……」
しづるは顎に手を当てる。
「そして先に聞いておきたいことがある。どうやってお前達はここに飛んできた。何を使って星空を再現した」
「はいはい! それ私の脳みそです!」
「!?」
余りの直球に、思わずしづると礼香は吹き出した。
「お、おい。もうちょっと詳しく説明しないとわかんないだろ悠里」
「私が雪で意志を失って記憶だけが露出してた? みたいでそれから参照にしてカリナさんの術に干渉して飛んだみたい」
「……なるほど。高度なことをする。だができるだけ早く終わらせた方が良い」
カリナは手を進めながらそう口にした。
「今この術は――ユウリと言ったか。君の脳や魂をいわば回路のようにして使っている。普段は全く使わない回路を急に高負荷の状態で使用すれば脳や魂の方が持たない。今だって間違いなく相当な負荷が掛かっている。長時間酷使し続ければ、最悪現実と精神が乖離しきって廃人になる可能性がある。君の意識レベルを下げて負荷を軽減することもできる、気休め程度だが。君が良ければそうするべきかもしれない」
悠里の瞳がぐりぐりと輝いて、俯いてから不機嫌そうに正面を向き直した。
「連れてって。カリナさん、あなただけが戻ってやりたいことがあるワケじゃないの。それにおじさんの部隊はあなたたちを殺しに向かったんじゃない。だから私たちにだってやるべきことがある」
「……悠里がそう言うなら俺には言うことないよ」
しづるはややあってそれを承認した。時間がない。
「何かあっても恨むなよ」
「お父さん、お手伝い、します! とにかく急ぎましょう」
「……十五分だ。恐らくそれまでくらいは保つだろう……これが、本当に最後になる」
「ああ」
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