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第72話 静寂

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「カリナ、お前がいてくれてよかった。そうでなければ、ここまで辿り着くことはなかっただろう。お前がぼくを押し上げた。お前と、その娘の勝ちだ」

 感慨はなかった。ただ、起こるべくして起こった終わり。
 一木は死体に一瞥も懸けなかった。勝者としての情けだった。
 もどるの横たわる場所へと辿り着くと、小さくなったその身体を抱き留めた。
 もどるは儚げに微笑むと、一木を労うようにいつも通りの言葉を紡ごうとして、唇がその形に動いたが声は掠れていた。
 ただもどるは、ある役目の為に永らえていた。
 一木の永遠を終わらせる最期の為に。

「もどる……待たせてごめん」
「イチ、くん。心配しないで。だいじょうぶ。ちょっとだけ、このままおわるのは、さみしいから。お話、しよ」
「うん。しよう。なんの話をしようか」

 恐らく、もう目は見えていないだろう。

「うんとね、イチくん。私のこと、好き?」
「とっても。とっても好きだ」
「うん、嬉しい。わたしもね、好きだった。いずくちゃんに取られちゃったけど。私の方が好きだった」
「……そうか」
「ちょっとだけね、いずくちゃんがいなくなった時、イチくんが私に振り向いてくれるかもって思ったの」

 二人の間に沈黙が降りた。
 それか、沈黙ではなかったかもしれない。
 ただ小さくて聞こえなかったのか、ぼやけてしまって聞こえなかっただけかもしれない。
 それでも小さな屋根裏部屋でひそひそと隠れながら話すみたいに、子供の頃と同じに二人は話していた。
 たわいもない話だった。最後に相応しくないくらい、今まで何度も話したことを話した。
 ある時、満足したようにもどるは口を噤んだ。

「ごめんね、イチくん。でも、もうすぐイチくんはいずくちゃんの場所に帰っちゃうから。寂しくって」

 もどるの瞳に涙が零れて、その涙を一木が拭った。
 
「お願いしてもいいかい。これからのことを」
「うん。でもお願いがあるの」
「なんだい」
「指切り。私の左手、薬指と。して」
「うん。いいよ」
「ありがとう、イチくん。あなたにあえて、私の人生、幸せだった」
「僕もだ。もどる。君がいなければ生きられなかった」
「嘘つき」
「本当だよ」
「えい……そんな嘘つきには、魔法を解いてやるんだから☆」
「……お願い、するよ」

 一木の額に手を当てたもどるは、何度か摩るように手のひらを額で動かして小さな図形を描き、呪文めいた言葉を紡いだ。
 摩る手が動く度に、一木の爪は、鱗は解けるように剥がれ落ちていく。
 戦いで傷付いた身体の再生が止まっていく。
 傷は疵に、痛みは生に、無限は有限に、バケモノはただの人間に戻っていく。
 もどるに課された最後の役目は、不死の呪いを解くことだった。
 人は最後は摂理に導かれ、死を受け容れて死んでいく。
 篠沢家の作り上げた呪い、不死の解き方、それは一木の身体によって完成させられた。
 そして、一木が人に戻った頃、もどるの息は止まっていた。
 瞼を閉じて微笑む愛しい姿を抱いて一木は声を上げて泣いた。
 
 少年は、呻きながら叫んだ。
 いやだ、死なないでくれ。
 かつて妹を失った時のように誰よりもみっともなく泣いた。
 だが一つ違ったのは、死への望みはなかったこと。
 そこに未来を見ていたことだった。
 一頻り泣き腫らした後、かつての少年は空を見上げて走り出した。

 たった一人、残った人間は走った。

 空がうねる。
 星が乱れていく。
 予想されていたことが起こっていた。
 カリナが死亡したことによって術式に崩壊が起こり始めていた。
 悠里やしづる、そして礼香を保護するためには術式を正常に戻さねばならない。
 広場まで走り抜けて、カリナの術式を探り当てると、ありったけの知識を総動員させて、星空を護った。
 彼らが間に合うように、祈りを天に捧げながら。
 亡くなっていったものたちの為に。
 ゆっくりと近付き始めている、青い夜明けの焔の為に。 



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