月影の砂

鷹岩 良帝

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1 動き出す光と伏す竜

1-27話 伏竜

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 光月暦一〇〇〇年 十一月 

 エクリプスの特殊諜報部隊が各地に散らばってから一カ月ほどが過ぎた。
 父親から与えられた簡単な雑務をこなしていると、第五特殊諜報部隊長のアルガープが作戦本部室に訪れた。その右手には金属の筒らしきものが握られている。

「クドラ様、アクティール殿より書状が届いております」
「ああ、ご苦労」ルーインが目の前に広がっている書状の束から目を離した。

 アルガープから、金の王冠の上に鷲が止まっている細工の入った金属筒を受け取る。十センチほどの長さのある小さな宝石がちりばめられている筒に取り付けられている取っ手を引くと、文字の書かれた羊皮紙が引き出されて現れた。その中には小さな写真も入っていた。

『本日、国王から一人の少年の世話役を任されました。その少年の名は、ルーセント・スノーといい、数日後には城にて守護者の開放を行うことになっております。少年の守護者は、以下の通りです……』

 ルーインが裏返った小さな写真を手に取ると、それをひっくり返してその顔を見た。

「こいつは……」ルーインが写真をにらめつけるように目を細めると、指で写る少年の顔を弾いた。

 まだ幼いながらも、千年前に自分を封印した人物、最初の英雄と呼ばれる男に酷似したその顔に怒りがわき上がる。ルーインはひとまず写真を机の上に置くと、手を伸ばす書状に目を戻した。

「おのれ、ヴァン・シエルだと、……やはり動いてきたか」ルーインが雑に金属の筒を机の上に放り投げた。
「どうされましたか? アクティール殿に何か不都合でも?」

 明らかに苛立ちの表情を浮かべる主に、アルガープが恐る恐る話しかけた。
 ルーインはアルガープがいたことを思い出すと、抑えきれない本性に長く息をはいて黙す。そして、書状に書かれていたアクティールの作戦内容を思考した。

「何か問題でも起きたのであれば、すぐに対処をいたしましょう」

 ベインがずっと黙っている主に助け船をだそうと話しかける。ルーインは一度だけベインの顔を見ると、無言でアゴを動かして“見ろ”と動作で伝えた。
 ベインが書状の書かれた筒を手に取ると、何度かうなずきながらその内容を読み込んだ。ルーインが「お前の考えを聞かせよ」と助言を求める。

「そうですね、いささか強引な作戦の気がします。ですが、ここでこの少年を仕留められるなら、我らにとっては十分な追い風となるでしょう。しかし、もしこれが失敗するようであれば、アクティールが疑われる可能性は極めて高いです。そこをどう回避するか、ですが、守護者を解放したての少年がまともに戦えるとは思えません。確率としては五分、もしくはそれ以上かもしれません。であれば、危険を冒す価値はあるでしょう。仮に疑われたとしても、本来のラーゼンとしておとなしく過ごしていれば問題ないでしょう」
「そうか。ならば任せてみるか」
「それがよろしいかと思います。それに失敗したとしても、本来の目的から目をそらすことができます。言うほど悪い作戦ではないかと」

 ルーインがベインの言葉を聞くと、新たな羊皮紙を手に取ってアクティールへの指示を書きだす。そして軍師から金属の筒を受け取ると中身を入れ替えた。それをアルガープへと手渡す。

「聞いていたな、これをすぐにあいつに飛ばせ」
「かしこまりました」アルガープが部屋を出ていく。
「ベインよ、この作戦は成功すると思うか?」
「確率は高いかと思いますが、正直に言えば答えるのが難しいですね。まぁ、この少年がただの少年であれば、なんの問題もないでしょう」
「でなければ?」
「我々の最大の障壁になるかと」ベインの真剣なまなざしがルーインに返る。その言葉を受けて「そうか」と皇子が短く答える。

 二人がいる部屋には沈黙が流れた――。


 次の日、ルーインは修練場で剣術を習っていた。

「クドラ様、刀を持つときは右手を前に、腕と手首を一直線にするように持ってください。柄に腕を乗せるような感じですわ。腕から刀までの力の線がまっすぐになるようなイメージです」
「こうか?」ルーインが言われるがままに刀を握る。
「ええ、上出来ですわ。それから刀を振り上げるときは、力で振りかぶるのではなくて、肩から腕全体を引き上げるように上げてください。振り下ろすときは、その逆でしてよ」
「なるほどな。普通に振り上げるよりは、力を使わなくて楽だな」ルーインが何度かその場で素振りをする。

「そうですね。肩から腕全体で上げる方が、すばやく無駄な動きもなくスッと上げられると思いますわ。力を入れる、リキむということは、動きに負荷をかけてブレーキをかけているのと同じこと、負荷をかけるのは物や相手に触れる一瞬だけで十分です。以外かと思うかもしれませんが、力をかけっぱなしにするよりは、こちらの方が速度も威力もけた違いに強いんですのよ。それから足の動かし方ですが、基本的には軸足にほとんどの体重をかけて、もう片方の足は滑らせるだけの方が、相手の反射神経をごまかして一瞬の隙を先制することが可能でしてよ。イメージ的には軸足に八割、動かす足の方が二割ほどの割合でしょうか。あとは、動くときに身体の上下のゆれをなくして、前後左右どの動きでも水平移動のような動きができれば完璧ですわ」

「厄介だな」ルーインが目を閉じて、いま言われたことを頭の中で繰り返す。

「最初から全部を同時に行うのではなくて、一つずつに分けて習得した方が早いですわよ。刀を振るならそれだけを、身体を動かすなら歩法のみを、最後に合わせてゆっくり動きを確認して動かしていけば、クドラ様ならすぐに覚えられますわ。型の練習はそのあとにでも行えば効率もよろしくてよ」

 さきほどから皇子に剣術を教えているのは、エクリプスの中で唯一の女性である第三特殊部隊長のグルヴェリカ・ロックローズである。百六十五センチほどの身長に付随する、引き締められた無駄な脂肪のないすらっとしたしなやかな身体に、金色の髪を胸まで伸ばしていた。
 グルヴェリカがさらに助言を与えていく。

「それから、刀にはそれぞれの場所によって用途があるんですのよ」
「用途? 適当に当てればいいのではないのか?」

「もちろんそれでも斬れますが、剣での戦いは一瞬の判断の積み重ねです。一秒にも満たない時間を制したものが生き残ることができるんですわ。仮にクドラ様が刀の中心部分で斬ろうとした場合、その分だけ深く踏み込まなければなりません。先端で斬ろうとした場合とでは、踏み込む深さの分だけ時間のロスが発生してしまいますわ。このちょっとの差が生死を分ける場合があるんでしてよ。なので、斬るときは先端の二十センチほどまでの部分で、受けるときは力のこめられる根元で、中間地点は受けた刀をさばく場所と覚えておけばいいんじゃないかしら。これが絶対ってわけではありませんが、根元で受けたら中心部分で相手の武器をさばいて、最後に先端部分で斬る。こんなイメージかしらね」

「よく考えられたものだな。それに、お前の説明はわかりやすくていい」
「光栄ですわ」グルヴェリカが左手を胸に軽く頭を下げた。

 この後もルーインはグルヴェリカに基礎的な部分を教わっていく。訓練もきりのいいところまで来たとき、ふいにルーインが刃に手を添えた。

「それにしても、この刀というやつはずいぶんと細身だが、すぐに折れたりはしないのか?」
「ぱっと見は心もとなそうにも見えるかもしれませんが、これでいてずいぶんと丈夫なんでしてよ。ただし、どんなものにも弱点はあります。この刀でいえば刃の反対側、背中側の棟の部分、峰と言った方がわかりやすいかしら? ここは衝撃に弱く、強くたたかれたり、たたきつけてしまえば簡単に折れてしまいますわ。そこだけは注意が必要ですね。普通に使う分なら気にする必要もありませんが」

 クルヴェリカの言葉に、ルーインがふたたび刀に視線を落とす。

「そうか。見た感じだと、ここの部分が一番、厚みがあって丈夫そうに見えるんだが、意外だな」
「世の中、丈夫そうに見えるものほど弱かったりするものでしてよ」
「覚えておこう。ところで、お前のようになれば我でも強くなれるのか?」
「もちろんです。クドラ様は武勇ではせた陛下の子供ですから、きっと才能は受け継いでいますわ。これでも私は十年以上も修練を積んでいますから、すぐに私のようにとはいかないでしょうが、少しずつ覚えていけばよろしいのですわ」
「そうか、早くお前に勝てるように我もがんばらなければな」
「その意気ですわ」


 ルーインがアクティールから書状を受け取ってから、半月ほどが経過した。
 ルーインは暖炉の熱で熱くなりすぎた身体を冷まそうと、雪が積もるテラスに赴いた。
 見上げる空は雲で埋め尽くされていて、どこまでも闇が支配している。はるか遠くまで視線を張り巡らせようとも、輝く星空は見られなかった。

 レフィアータ帝国の皇族が暮らす城は、二千メートル級の山の頂上に築城されていて、いつもは強い風が吹き抜けているか、ふぶいているかのどちらかであった。しかし、この日は珍しくも穏やかな風がルーインの顔をなでていた。

「アクティールの作戦はそろそろだな。名前はたしか……、ルーセントといったか」

 ルーインは白くはき出す自分の息を見ながら、書状と一緒に添えられていた写真の顔を思い出していた。

「忌々しい顔だ。我を封印し、ヴァンのやつを扱っていたやつと同じ顔とはな。あの白猫とクソ女神どもめ! どこまで行っても我の邪魔をしよって」

 ルーインが千年前に戦った女神たちのことを思い返していると、ひときわ強い風が身体を巻き込んで吹き抜けていった。
 その風が通り過ぎた瞬間、ルーインが北西の方角から強大な魔力の反応を感知する。その発生源でもある空の一点を見つめる古代の邪悪なる竜王は、どこか楽しそうに口をゆがめてつぶやいた。

「そうか……、我に立ちはだかるか」

 それは千年前、ルーインが封印される前に放たれて極限まで追い込まれた魔法であった。

「守護者を解放したばかりのはずだが、それであれを放つか。どうやら、ただの少年ではなかったようだな」

 ルーインがきびすを返して部屋へと戻る。そこにベインが来たと使用人が伝えに来た。
 すぐに通された若き軍師の顔には焦燥が浮かんでいた。

「クドラ様、たった今、アンゲルヴェルクの方から尋常ではない魔力を感知いたしました。アクティールのこともあります。すぐに調べさせましょう」

 険しい表情でまくしたてるベインに、ルーインが片手を上げて制止した。

「落ち着け、あいつの作戦にやつは大して関わりがない。そんなに急ぐ必要はあるまい。あいつの世話した少年が、ただの少年ではなかっただけだ」

 ルーインの言葉に、さすがのベインも驚いて動きを止める。

「まさか! 守護者を解放したてで、あれほどの魔力を使った魔法が撃てるわけがありません。やはり何かの間違いでは?」
「我がウソを言っている、とでもいいたいのか? あれを使えるのはこの世において一人しか存在しない」
「しかし、いえ。それでは、まさかこれほどまでとは……」

 混乱しているようにも見えるベインに、ルーインがその若者の腕を軽くたたいた。

「すぐに何かが起こるわけではない。気にするな。ただし、これ以上目立つことは許さん、あいつにはおとなしくしていろ、と伝えておけ」

 ベインはルーインの言葉を聞いた後でも険しい表情を崩さなかった。それでも気丈に「かしこまりました」と答えると部屋を出ていった。

 一人部屋に残ったルーインは、室内から魔力の反応があった方向を眺めている。外の天気はいつの間にか、ふぶきへと変わっていた。

「どうだ、クソ女神ども。今回は楽しめたか? これはほんのあいさつ代わりだ。せいぜいつかの間の平和を楽しんでおけ」

 これ以降、クドラ・レフィアータ改め邪竜王ルーインが表舞台に立つことはなかった。
 十年後、第二十四代レフィアータ帝国皇帝、ククーラ・レフィアータが崩御するまでは。
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