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1 動き出す光と伏す竜
1-26話 邪竜王、兵法を学ぶ
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使用人がクドラに扮するルーインの元へと近づく。
「クドラ様、アクティール様とベイン様がお越しになられました」
「そうか、通せ」
二人がルーインの座るソファーへと促される。別の使用人が飲み物を置くと、ルーインは使用人を手で払うようにして退出させた。
ルーインがカップを手に取り口をつけると、そのまま背もたれに身体を預けて二人に顔を向ける。
「ここにお前たちを呼んだのは、アクティールの特殊技能でもある“コピー”をとある人物に使いたいためだ」
「ここに呼ばれるということは、そいつはずいぶんと厄介な相手、ということで?」言いながらアクティールがカップに手を伸ばす。
「そうだ。だが、その前にお前のその能力がどこまで及ぶのかを知りたい」
新しい主の言葉にアクティールが目を輝かせると、その顔が自慢げなものに変わった。
「クドラ様、この能力を聞いたらおどろきますよ。コピーと聞いただけでは軽く感じますが、これは使用した人物の記憶、行動、言語、身体的特徴など、まるで生き写したかのように再現できます。相手が誰であろうと疑われることはないでしょう」
予想した通りの青年の言葉を聞いて、ルーインがほくそ笑む。
「我の予想通りだったな。お前の守護者はイーガルといったか?」
「その通りです」
「あのペテン師め、こんなところで役に立つとはな」ルーインが飲み物を飲もうと、カップに口を近づけながらボソッとつぶやいた。
そのむかし、ルーインがまだ月にいたころに、女神の眷属として高い地位にいたルーインに取り入ろうと、しつこくまとわりついてくる男がいた。それがイーガルという男だった。
とある事件をきっかけに、ルーインが女神を恨んで復讐をせんとしていたころ、人手が欲しかったルーインが彼を引き込んで計画をもらしてしまう。しかしイーガルは、このころにはすでに女神に出世をちらつかせられて降っていた。イーガルは機を見て側近に変装すると、謀反の証拠となるものを奪って女神に渡してしまう。その後も二重スパイとして忍んでいたイーガルだったが、金銭に困っていた折にルーインを脅迫するとあっけなく始末されてしまった。結局はこれらがきっかけでルーインが追い込まれてしまうのだが、過去を思い出していたルーインの何気ないつぶやきにアクティールが「ペテン師?」と反応した。
「あぁ、なんでもない。気にするな」ルーインがはぐらかすと同時に笑みを浮かべた。
「それでクドラ様、アクティールに変装をさせたい相手というのは?」ここで今まで黙っていたベインが話の続きを催促した。
「そうだな、その男の名前はラーゼン・シルウェアーという」
ルーインがテーブルに伏せていた資料を二人の前に滑らせる。アクティールが最初にその紙をつかんだ。
「え~と、ラーゼン・シルウェアー……。近衛騎士団の団長の息子ですか、たしかに厄介ですね。本人もまた近衛騎士とは」
「そいつに成り変わって潜入しろ」
「しかし、なぜこの男なのです? もっと都合のよさそうなのでもよろしいのでは?」アクティールがそう言って、手に持つ紙を隣にいるベインへと渡した。
「そいつの父親は近衛騎士の団長だ。その息子となれば、そこらの木っ端どもよりは城の中を自由に歩けるだろう。それに、肝心のクリスタルは王と近衛の管轄だ。それでいて、あの国は強大で精強だ。長いこと、この国の障害となっている。長い年月をかけて取り込み手なずけていけば、情報を得るにしても、行動を起こすにしても都合がいいと思わんか?」
アクティールが、手に持っていたカップをテーブルに置いてニヤリと笑む。
「なるほど、たしかにクドラ様の言うとおりです。しかし、ラーゼン自身も近衛騎士です。団長の息子ともなれば腕の方も立つでしょう。俺では到底、敵いませんよ。コピーをする前に、この首に別れを告げる方が早くないですか?」アクティールが、名残惜しそうに自分の首に手を添えた。
「そこでベイン、お前の知恵を借りたい。どうにかしてそいつをおびき出し、アクティールに変装させることはできないか?」
ルーインの目が、アクティールからベインに向く。若き軍師が凝視していた資料から目を離すと、主の言葉にルーインの方を見た。
「何パターンかを考えてはみましたが、どうもこれだけの情報ではしっくりくるものがありません。ひと月ほどいただければ情報を探らせて実行できるかと思いますが」
「そうか、期間はお前に任せる。アクティールはベインと連携して事に当たれ。急ぐわけではないから慎重に動け」
二人がうなずいて「わかりました」と返答した。
「それから、成り済ましたあとの連絡には鷹を使え。けっして人を介したやり取りはするな。それと、証拠となりえるものはすぐにでも処分をしろ、いいな」ルーインがさらに警戒せよと伝える。
「慎重すぎません? そこまでやる必要がありますか?」
軽い調子で答えるアクティールに、過去の経験で痛い思いをしているルーインの目が細まる。
「いつも何かが明るみに出るときは油断したときか、取るに足らない、ささいなことが原因だ。その首を大事にしたいなら、いつも万全を尽くせ。注意をするのは一秒で済むが、被害は生涯つきまとうぞ」
ルーインは慎重さに欠ける青年に、これは遊びではない、とクギを刺す。アクティールは、ソファーの背もたれに身体を預けると、目を閉じて息をはきだした。
「わかりました。すべての処理はおまかせください。抜かりなく進めます」
「それでいい。それに、これはお前にとっても悪いことではない。もしもこの作戦が成功したときには、お前にいい席を用意してある。我が皇帝になったときにな」
真剣な目を返すアクティールに、満足げに笑みを返すルーイン。引き締めるだけではなく、緩めることも忘れない。皇子の最後の言葉にアクティールの表情が明るくなる。
「そういうことは早く言ってくださいよ、次期皇帝。このアクティール・クラウン、必ずや期待に添えて見せましょう」
満面な笑みのアクティールが立ち上がると、左手を胸に、右手を軽く広げて頭を下げる。おどける青年に、ベインが左右に首を振って立ち上がった。
ルーインがベインを見る。
「ベイン、お前にも期待している。最初の作戦がうまくいかなければ意味がない。これがうまくいけば、お前にも好きな席を用意しておこう」
「お任せください。必ず成し遂げて見せます」
ベインが控えめに答えると、その肩にアクティールの腕がのしかかった。
「堅いぜ、ベイン先生。“俺たち”の出世の第一歩がかかってるんだからな。眉間にシワなんて寄せてないで、もっと気楽にいこうぜ。そうだ! ベイン先生、今日は俺のおごりだ、飯でも食いに行こうぜ」
調子のよすぎる道化師に「あいつを選んだのは、失敗だったか?」とルーインの悩みが増えると同時に息をはいた。
用件が片付くと、アクティールとベインの二人が部屋を出ていく。陽気な若者と、まじめな若者を見送ると、ぬるくなったカップに口をつける。
「これで一番の憂いは消え去った。あとはじっくり待つだけか。封印さえ解ければ、こんなに面倒なことをすることもないんだがな。しかし、久しぶりの人の身も、これはこれで悪くない。しばらくはこのゲームを楽しむとしよう」
ルーインがテラスへと足を運ぶ。手すりに両手をつけると世界を見渡すように景色を眺めた。
自身の力によって絶望に支配された世界を描くように――。
一週間後、ルーインの訓練が始まる。見た目は十歳の子供であり、次期皇帝に一番近い存在である。朝は剣術や戦闘訓練、午後には座学が中心となっていた。
今はベインに兵法の教えを受けていた。
「クドラ様、兵法において大事なことは、相手の判断を間違わせる、ということです。相手が間違えばこちらが勝つ。逆にこちらが間違えば相手が勝ちます。古来より間違いが多いのが人という生き物です」
「なるほどな、たしかに面倒くさい生き物よ」
「それゆえに面白くもあるのですがね。そして大事なことがもう一つあります。それは兵法を原則どおりに使わない、ということです。型どおりに使っていては、相手に答えを見せているのと同じこと、裏をかかれて終わりです。型どおりに使うと思わせておいて、別のものを使う。先ほど言った、間違わせるというのに通じることでもあります」
「なあ、ベインよ。お前の言うことももっともだがな、兵法なるものはそんなに重要か? 力でだいたいのことは何とかなるであろう」ルーインが頬づえをついて興味なさそうに反論する。
ルーインがまだ月にいたころ、復讐に駆られていた日々に、力押しでなんとかしようとしていた。当時は失敗したとはいえ、あと少しのところまで追い込んだのも、また事実であった。それゆえにベインの言うことに否定的であった。
「クドラ様、それはあくまでも圧倒的な人数差や地の利、互いの力量差などがある場合に限り有効となりましょう。ですが、相手と同等、もしくはそれ以下の時には被害を多くするばかりで得策とは言えません。戦というものは、軍を動かす前からすでに勝敗を争っているものなのです」
ベインは興味をなくしかけている皇子を見ると、興味を持たせるように話を進めていく。
「軍を動かす前からだと? そんなものは戦ってみなければわからぬであろう」ルーインがベインの思惑通りに話に乗っかってくる。
「結果としては、クドラ様の言葉に間違いはありません。ですが、勝つためには順序があるのです。一に距離を測り、二に量を知る。そして、三に数を知り、四に彼我を計る。そうして最後に勝ちを知るのです。戦う前にこれで勝てなければ、とても優位には立てません。勝つのは難しいでしょう」
「そういうものか。それで、それぞれにはどんな意味があるのだ?」
「はい、まず始めに地形を含めて出陣場所を決めます。行軍進路、布陣先に自軍にとって都合のいい場所を選びます。このときに、相手よりも早くたどり着けるように距離を測ります。ここで遠近、広狭を知ることで、派兵する人数を知ることができます。それらが分れば、今度は必要な兵糧や資材などを計ることができるようになります。そして、それらで決めたことを相手と比べることで優劣を知ることができます。もしも相手がすでに出陣しているのであれば、その兵数や物量を比べることで、どちらが勝っているのかを知ることができるでしょう。これは天秤に乗せる分銅と同じことで、軽いもので重いものを持ち上げることはできないのです。このあとにも、進軍の方法や注意すべきことが山ほどあります。ここでも失敗をするのなら、劣勢に陥り勝利が危うくなることでしょう。開戦となったときにも気をつけることはあります。戦は国で一番の一大事業です。やたらに兵を使えば国が疲弊して傾くだけです。ゆえに軍事行動は最終手段であって、最上の策は戦わずして勝つことにあるのです。普段であれば、軍事力の誇示や政治、外交を駆使して相手を弱めて勝敗を決するのです。しかし、こちらについてはアイル様の分野ですので、私からは控えさせていただきます」
ルーインは、軍師の言うことはもっともだ、と一つ一つの説明に首を振ってうなずいていた。
ベインはまだ教えたいこともあったが、一度に詰め込んで覚えられるものではない、と方向性を変えて「ではクドラ様、ここで少し試してみましょう」と生まれ出した興味をさらに刺激していく。
ベインが紙とペンを用意すると、その紙に図形を描きだす。三角形を描くように丸を三カ所に。そして、左下の丸の中に一を、反対側の丸には二を書く。そして両方の頂点にある丸の中に三の数字を書いた。
「では始めましょう。ここに“一、二、三”と三国があります。一の国は強大で精鋭ぞろいです。反対に三の国は弱小国です。そして二の国は三の国よりは精強ですが、一の国には足りません。ある日、一の国が三の国に侵攻して包囲をしました。三の国は耐え切れずに二の国に援軍を求めて来ました。ではクドラ様、あなたは二の国を統治しています。この場合、クドラ様ならどうしますか?」
「……簡単であろう。どちらの国も一の国には劣るとはいえ、二カ国であたればた易いであろう。精鋭をそろえて三の国へ向かえばよい」
ベインが予想通りの答えが返ってきてうなずく。
「たしかに、多くの人がそう考えるでしょう。ですが、戦争とは川の流れと同じです。激流には、どうあっても近づけず、むやみに手を出せば被害は想像を超えるでしょう。ですが、いかに激流と言えども、その流れを分散させてしまえば、力は弱まりどうとでもできます。これは戦でも同じこと、強大な敵には勢力を分断して疲弊させればいいのです」
「なれば、お前ならなんとする?」
「私であれば、三の国には向かわずに、一の国へ行って直接攻めます。そうすれば、必ず一の国は包囲を解いて我が部隊に向けて進軍してきましょう。実際には、三の国からの挟撃を回避するためにそれなりの兵は残すでしょうが」
「おもしろい、続けよ」続きが気になるルーインが、確認を取ろうとしたベインを遮って続きを促した。
「かしこまりました。まず、一の国が戻ろうとするのは、自国に大した兵が残っていないからです。国盗りというのは、相手が弱小であっても手は抜けません。それほど城を落とすということは難しいことなのです。そこで、我が軍は地の利を得て待ち構えます。そして、急ぎ戻った疲弊している一の国の軍を休む暇を与えずに攻撃します。強行軍ともなれば先に騎馬が到着して、遅れて歩兵が着きます。疲労も態勢も整えることも難しいでしょう。そして、無事に部隊を撃破できた時には、そのまま一の国を攻めればいいのです。こうすればこちらには国が手に入り、三の国からは貢物が送られてくることでしょう。そして国政が安定したのちに三の国を落とせば、天下統一です」
ベインの話に、ルーインが感心する。
「大したものだな。これであれば三の国も助けられるうえに、我らには新たに国が手に入る。見事だな、兵法も捨てたものではないな」
「はい。ですから、これからじっくりと学んでいきましょう」
「それもいいがな。お前の言うとおりにしていれば学ぶ必要はないのではないか?」
「クドラ様、それは違います。私も常に正解が引けるわけではありません。それに、複数の案が出たときに決めるのはクドラ様、あなたです。そのときになってわからないでは、勝てる戦も落としてしまいます」
「お前の言うとおりだ。続けよう」
ルーインがベインの言葉に納得する。自分に足りなかったのは、この思慮深さであったか、と身を引き締めてベインに向き合う。その日からルーインは、水を吸収するスポンジのごとく知識を吸収していった。
そのむかし、正面からぶつかることしか知らずに、女神たちにいいように転がされて追い詰められた邪悪なる竜はもう存在しなかった。
「クドラ様、アクティール様とベイン様がお越しになられました」
「そうか、通せ」
二人がルーインの座るソファーへと促される。別の使用人が飲み物を置くと、ルーインは使用人を手で払うようにして退出させた。
ルーインがカップを手に取り口をつけると、そのまま背もたれに身体を預けて二人に顔を向ける。
「ここにお前たちを呼んだのは、アクティールの特殊技能でもある“コピー”をとある人物に使いたいためだ」
「ここに呼ばれるということは、そいつはずいぶんと厄介な相手、ということで?」言いながらアクティールがカップに手を伸ばす。
「そうだ。だが、その前にお前のその能力がどこまで及ぶのかを知りたい」
新しい主の言葉にアクティールが目を輝かせると、その顔が自慢げなものに変わった。
「クドラ様、この能力を聞いたらおどろきますよ。コピーと聞いただけでは軽く感じますが、これは使用した人物の記憶、行動、言語、身体的特徴など、まるで生き写したかのように再現できます。相手が誰であろうと疑われることはないでしょう」
予想した通りの青年の言葉を聞いて、ルーインがほくそ笑む。
「我の予想通りだったな。お前の守護者はイーガルといったか?」
「その通りです」
「あのペテン師め、こんなところで役に立つとはな」ルーインが飲み物を飲もうと、カップに口を近づけながらボソッとつぶやいた。
そのむかし、ルーインがまだ月にいたころに、女神の眷属として高い地位にいたルーインに取り入ろうと、しつこくまとわりついてくる男がいた。それがイーガルという男だった。
とある事件をきっかけに、ルーインが女神を恨んで復讐をせんとしていたころ、人手が欲しかったルーインが彼を引き込んで計画をもらしてしまう。しかしイーガルは、このころにはすでに女神に出世をちらつかせられて降っていた。イーガルは機を見て側近に変装すると、謀反の証拠となるものを奪って女神に渡してしまう。その後も二重スパイとして忍んでいたイーガルだったが、金銭に困っていた折にルーインを脅迫するとあっけなく始末されてしまった。結局はこれらがきっかけでルーインが追い込まれてしまうのだが、過去を思い出していたルーインの何気ないつぶやきにアクティールが「ペテン師?」と反応した。
「あぁ、なんでもない。気にするな」ルーインがはぐらかすと同時に笑みを浮かべた。
「それでクドラ様、アクティールに変装をさせたい相手というのは?」ここで今まで黙っていたベインが話の続きを催促した。
「そうだな、その男の名前はラーゼン・シルウェアーという」
ルーインがテーブルに伏せていた資料を二人の前に滑らせる。アクティールが最初にその紙をつかんだ。
「え~と、ラーゼン・シルウェアー……。近衛騎士団の団長の息子ですか、たしかに厄介ですね。本人もまた近衛騎士とは」
「そいつに成り変わって潜入しろ」
「しかし、なぜこの男なのです? もっと都合のよさそうなのでもよろしいのでは?」アクティールがそう言って、手に持つ紙を隣にいるベインへと渡した。
「そいつの父親は近衛騎士の団長だ。その息子となれば、そこらの木っ端どもよりは城の中を自由に歩けるだろう。それに、肝心のクリスタルは王と近衛の管轄だ。それでいて、あの国は強大で精強だ。長いこと、この国の障害となっている。長い年月をかけて取り込み手なずけていけば、情報を得るにしても、行動を起こすにしても都合がいいと思わんか?」
アクティールが、手に持っていたカップをテーブルに置いてニヤリと笑む。
「なるほど、たしかにクドラ様の言うとおりです。しかし、ラーゼン自身も近衛騎士です。団長の息子ともなれば腕の方も立つでしょう。俺では到底、敵いませんよ。コピーをする前に、この首に別れを告げる方が早くないですか?」アクティールが、名残惜しそうに自分の首に手を添えた。
「そこでベイン、お前の知恵を借りたい。どうにかしてそいつをおびき出し、アクティールに変装させることはできないか?」
ルーインの目が、アクティールからベインに向く。若き軍師が凝視していた資料から目を離すと、主の言葉にルーインの方を見た。
「何パターンかを考えてはみましたが、どうもこれだけの情報ではしっくりくるものがありません。ひと月ほどいただければ情報を探らせて実行できるかと思いますが」
「そうか、期間はお前に任せる。アクティールはベインと連携して事に当たれ。急ぐわけではないから慎重に動け」
二人がうなずいて「わかりました」と返答した。
「それから、成り済ましたあとの連絡には鷹を使え。けっして人を介したやり取りはするな。それと、証拠となりえるものはすぐにでも処分をしろ、いいな」ルーインがさらに警戒せよと伝える。
「慎重すぎません? そこまでやる必要がありますか?」
軽い調子で答えるアクティールに、過去の経験で痛い思いをしているルーインの目が細まる。
「いつも何かが明るみに出るときは油断したときか、取るに足らない、ささいなことが原因だ。その首を大事にしたいなら、いつも万全を尽くせ。注意をするのは一秒で済むが、被害は生涯つきまとうぞ」
ルーインは慎重さに欠ける青年に、これは遊びではない、とクギを刺す。アクティールは、ソファーの背もたれに身体を預けると、目を閉じて息をはきだした。
「わかりました。すべての処理はおまかせください。抜かりなく進めます」
「それでいい。それに、これはお前にとっても悪いことではない。もしもこの作戦が成功したときには、お前にいい席を用意してある。我が皇帝になったときにな」
真剣な目を返すアクティールに、満足げに笑みを返すルーイン。引き締めるだけではなく、緩めることも忘れない。皇子の最後の言葉にアクティールの表情が明るくなる。
「そういうことは早く言ってくださいよ、次期皇帝。このアクティール・クラウン、必ずや期待に添えて見せましょう」
満面な笑みのアクティールが立ち上がると、左手を胸に、右手を軽く広げて頭を下げる。おどける青年に、ベインが左右に首を振って立ち上がった。
ルーインがベインを見る。
「ベイン、お前にも期待している。最初の作戦がうまくいかなければ意味がない。これがうまくいけば、お前にも好きな席を用意しておこう」
「お任せください。必ず成し遂げて見せます」
ベインが控えめに答えると、その肩にアクティールの腕がのしかかった。
「堅いぜ、ベイン先生。“俺たち”の出世の第一歩がかかってるんだからな。眉間にシワなんて寄せてないで、もっと気楽にいこうぜ。そうだ! ベイン先生、今日は俺のおごりだ、飯でも食いに行こうぜ」
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「クドラ様、兵法において大事なことは、相手の判断を間違わせる、ということです。相手が間違えばこちらが勝つ。逆にこちらが間違えば相手が勝ちます。古来より間違いが多いのが人という生き物です」
「なるほどな、たしかに面倒くさい生き物よ」
「それゆえに面白くもあるのですがね。そして大事なことがもう一つあります。それは兵法を原則どおりに使わない、ということです。型どおりに使っていては、相手に答えを見せているのと同じこと、裏をかかれて終わりです。型どおりに使うと思わせておいて、別のものを使う。先ほど言った、間違わせるというのに通じることでもあります」
「なあ、ベインよ。お前の言うことももっともだがな、兵法なるものはそんなに重要か? 力でだいたいのことは何とかなるであろう」ルーインが頬づえをついて興味なさそうに反論する。
ルーインがまだ月にいたころ、復讐に駆られていた日々に、力押しでなんとかしようとしていた。当時は失敗したとはいえ、あと少しのところまで追い込んだのも、また事実であった。それゆえにベインの言うことに否定的であった。
「クドラ様、それはあくまでも圧倒的な人数差や地の利、互いの力量差などがある場合に限り有効となりましょう。ですが、相手と同等、もしくはそれ以下の時には被害を多くするばかりで得策とは言えません。戦というものは、軍を動かす前からすでに勝敗を争っているものなのです」
ベインは興味をなくしかけている皇子を見ると、興味を持たせるように話を進めていく。
「軍を動かす前からだと? そんなものは戦ってみなければわからぬであろう」ルーインがベインの思惑通りに話に乗っかってくる。
「結果としては、クドラ様の言葉に間違いはありません。ですが、勝つためには順序があるのです。一に距離を測り、二に量を知る。そして、三に数を知り、四に彼我を計る。そうして最後に勝ちを知るのです。戦う前にこれで勝てなければ、とても優位には立てません。勝つのは難しいでしょう」
「そういうものか。それで、それぞれにはどんな意味があるのだ?」
「はい、まず始めに地形を含めて出陣場所を決めます。行軍進路、布陣先に自軍にとって都合のいい場所を選びます。このときに、相手よりも早くたどり着けるように距離を測ります。ここで遠近、広狭を知ることで、派兵する人数を知ることができます。それらが分れば、今度は必要な兵糧や資材などを計ることができるようになります。そして、それらで決めたことを相手と比べることで優劣を知ることができます。もしも相手がすでに出陣しているのであれば、その兵数や物量を比べることで、どちらが勝っているのかを知ることができるでしょう。これは天秤に乗せる分銅と同じことで、軽いもので重いものを持ち上げることはできないのです。このあとにも、進軍の方法や注意すべきことが山ほどあります。ここでも失敗をするのなら、劣勢に陥り勝利が危うくなることでしょう。開戦となったときにも気をつけることはあります。戦は国で一番の一大事業です。やたらに兵を使えば国が疲弊して傾くだけです。ゆえに軍事行動は最終手段であって、最上の策は戦わずして勝つことにあるのです。普段であれば、軍事力の誇示や政治、外交を駆使して相手を弱めて勝敗を決するのです。しかし、こちらについてはアイル様の分野ですので、私からは控えさせていただきます」
ルーインは、軍師の言うことはもっともだ、と一つ一つの説明に首を振ってうなずいていた。
ベインはまだ教えたいこともあったが、一度に詰め込んで覚えられるものではない、と方向性を変えて「ではクドラ様、ここで少し試してみましょう」と生まれ出した興味をさらに刺激していく。
ベインが紙とペンを用意すると、その紙に図形を描きだす。三角形を描くように丸を三カ所に。そして、左下の丸の中に一を、反対側の丸には二を書く。そして両方の頂点にある丸の中に三の数字を書いた。
「では始めましょう。ここに“一、二、三”と三国があります。一の国は強大で精鋭ぞろいです。反対に三の国は弱小国です。そして二の国は三の国よりは精強ですが、一の国には足りません。ある日、一の国が三の国に侵攻して包囲をしました。三の国は耐え切れずに二の国に援軍を求めて来ました。ではクドラ様、あなたは二の国を統治しています。この場合、クドラ様ならどうしますか?」
「……簡単であろう。どちらの国も一の国には劣るとはいえ、二カ国であたればた易いであろう。精鋭をそろえて三の国へ向かえばよい」
ベインが予想通りの答えが返ってきてうなずく。
「たしかに、多くの人がそう考えるでしょう。ですが、戦争とは川の流れと同じです。激流には、どうあっても近づけず、むやみに手を出せば被害は想像を超えるでしょう。ですが、いかに激流と言えども、その流れを分散させてしまえば、力は弱まりどうとでもできます。これは戦でも同じこと、強大な敵には勢力を分断して疲弊させればいいのです」
「なれば、お前ならなんとする?」
「私であれば、三の国には向かわずに、一の国へ行って直接攻めます。そうすれば、必ず一の国は包囲を解いて我が部隊に向けて進軍してきましょう。実際には、三の国からの挟撃を回避するためにそれなりの兵は残すでしょうが」
「おもしろい、続けよ」続きが気になるルーインが、確認を取ろうとしたベインを遮って続きを促した。
「かしこまりました。まず、一の国が戻ろうとするのは、自国に大した兵が残っていないからです。国盗りというのは、相手が弱小であっても手は抜けません。それほど城を落とすということは難しいことなのです。そこで、我が軍は地の利を得て待ち構えます。そして、急ぎ戻った疲弊している一の国の軍を休む暇を与えずに攻撃します。強行軍ともなれば先に騎馬が到着して、遅れて歩兵が着きます。疲労も態勢も整えることも難しいでしょう。そして、無事に部隊を撃破できた時には、そのまま一の国を攻めればいいのです。こうすればこちらには国が手に入り、三の国からは貢物が送られてくることでしょう。そして国政が安定したのちに三の国を落とせば、天下統一です」
ベインの話に、ルーインが感心する。
「大したものだな。これであれば三の国も助けられるうえに、我らには新たに国が手に入る。見事だな、兵法も捨てたものではないな」
「はい。ですから、これからじっくりと学んでいきましょう」
「それもいいがな。お前の言うとおりにしていれば学ぶ必要はないのではないか?」
「クドラ様、それは違います。私も常に正解が引けるわけではありません。それに、複数の案が出たときに決めるのはクドラ様、あなたです。そのときになってわからないでは、勝てる戦も落としてしまいます」
「お前の言うとおりだ。続けよう」
ルーインがベインの言葉に納得する。自分に足りなかったのは、この思慮深さであったか、と身を引き締めてベインに向き合う。その日からルーインは、水を吸収するスポンジのごとく知識を吸収していった。
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