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1 動き出す光と伏す竜
1-15話 デート?
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「なるほど。それで最近は吹っ切れた顔をしているのだな」
バーチェルは、屋敷から戻った翌日にルーセントが女神と会っていた時のことを、穏やかになった表情で話す息子から聞いていた。
「はい、ずいぶんと楽になりました。前みたいに、恐怖で動けなくなることも減りましたから。まだ、斬られそうだと思うと怖いですけど」
「まあ、恐怖というのは誰にでも付きまとう。まずは何が原因で怖くなるのかを探すことだ。前にも言ったが、“死生を忘れ、生きることを知り、死ぬことを知ること”これを心掛けよ。そして、己を忘れて他を助けよ。誰かのために動けば、恐怖になどかまっている暇などない。少しは高みに近づくやもしれぬぞ」
「わかりました。心に刻んでおきます」
ルーセントの、そのりりしい顔つきが頼もしくも清々しく見えた。
その姿を見たバーチェルは、ずっと重石として背負い続けていた己の罪悪感をも、息子が消し去っていったように感じた。救われたのは、お前だけではないぞ、と心の中で感謝していた。
しかしながら、成長途中の息子に師として、親として教えることはまだ多い。当分は隠居ができないな、とバーチェルが思う。ひとつずつ成長していく息子の姿をうれしそうに見ていたが、くぎを刺すことも忘れなかった。
「だがな、決して調子には乗るではないぞ。技術だけでは真理はつかめん。感じ取れるだけではまだ足りぬ。だからと言って、知識だけでは身を滅ぼすであろう。初めに武があり、その中で知が生まれる。知が武の中にあってこそ表裏一体となりえるのだ。どちらが欠けても成しえない。究極とは果てしなく遠いものだ。だからと言って、満足してはそこで止まってしまうだろう。しっかりな」
目を輝かせて深くうなずくルーセント。バーチェルも答えるように息子の肩をたたいた。
「さて、少し早いが昼ごはんにでもするか。午後はフェリシア様と会うのだろ?」
「はい! 楽しみです」
「そうか、フェリシア様はかわいいからな。楽しみであろう」
心の底から楽しそうにうなずくルーセントに、老獪なる性根がバーチェルの口を動かした。
「な、なに言ってるんですか! そんなんじゃないですよ!」ルーセントが瞬時に顔を赤く染める。出てきた言葉とは裏腹に、慌てて身ぶりも混ぜて抵抗したが、そのままムっとした顔でそっぽを向いてしまった。
バーチェルは、カッカッカと笑いながら、拗ねた息子をなだめて昼食へと出かけていった。
フェリシアは、十三時にルーセントと教会に行くための服を選んでいた。
「今日は何を着ていこうかなぁ?」フェリシアが軽く鼻歌を歌いながらクローゼットの服を探っていた。
そこに、うしろで控えていた侍女が、ほほ笑ましい笑みを浮かべて隣に立った。
「ルーセント様は平民の方です。あまり派手なものは控えた方がよろしいかと思います」
「そうかしら?」
「ええ、こちらの服などはいかがですか?」
侍女が選んだのは、水色ストライプのワンピースだった。それをフェリシアに渡すと、続いて裾がひざ下まで伸びる黄色いロングカーディガンを取り出した。
「この組み合わせなら落ち着きもあって、清涼感と爽やかさが出ると思いますよ」
フェリシアは、侍女が選んだ服を気に入ったようで、ワンピースとロングカーディガンを鏡の前で何度か合わせていた。
「そう? じゃあ、これにしようかな。靴はどれにしたらいいかしら?」
「そうですね。この前、購入されたベージュのショートブーツなんかはどうですか? 大人っぽくていいかと思いますよ。あとは、白のバッグがあれば完璧ですね」
大部分のことが決まって、フェリシアと侍女があれやこれやと話していると、扉をたたく音が部屋に響いた。
侍女が対応するために扉を開ける。そこには、ベーテスが立っていた。
「お嬢さま、そろそろ出発しませんと、ルーセント様を待たせてしまいますよ」
フェリシアがおどろいて壁時計を見た。
数字を示す針に猶予は残されてはいなかった。
「もうこんな時間? すぐに行くから馬車で待っていて」
慌てるフェリシアに、ベーテスは「かしこまりました」と一礼して去っていった。
それから十分近くがたって、玄関にフェリシアが現れた。
馬車はフェリシアを乗せて、いつもより速く橋の検問所へと進んでいった。
時計の針は、すでに十三時を示している。ルーセントは、すでに橋の前で待っていた。
時計の長針が十の数字を示す。それから五分がたって、フェリシアの馬車が現れた。
「おまたせ、待たせちゃった?」フェリシアは、申し訳なさに眉を下げて不安げな顔になった。
「ううん、そんなことないよ。その服、似合ってるね」
ルーセントが多少の遅れを気にする風でもなく答えると、自然と服装を褒めた。
「ふふ、かわいいでしょ? この靴なんて、この前買ってもらったばかりなのよ。今日が、履くの初めてなの」
自身の格好を褒められたフェリシアは、少しうれしそうにくるくると回って披露する。そして、ルーセントの手を取って教会まで案内しようとフェリシアが歩き出したのだが、なぜか教会とは反対方向に歩き出してしまった。
不思議に思ったルーセントがフェリシアを呼び止める。
「あれ? 教会って反対の方向じゃないの?」
「……こっちよ、ルーセント。早く行きましょう」
ルーセントの指摘に顔を赤らめるフェリシア。何回か周囲を確認すると、何事もなかったように颯爽と教会に向かって歩いて行く。ルーセントは、足早に去っていくフェリシアの背中を慌てて追いかけていった。
教会は、広い商業区の中にある。そのために二人は、ペットショップや雑貨屋など、寄り道しながら向かっていった。
ルーセントは都会の街中を歩き続けていたが、自分の町にいた露天商の人たちがいないことに首をひねった。
「そういえば、王都って露店がないね。ヒールガーデンだったら、噴水広場で行商の人たちが店を開いているのに」
「ん~、それは取り締まりが厳しいからかな。見た目に悪いからって、ここだと王家の許可証がないと、お店が出せないのよ」
「そうなんだ。あれも、いろいろ珍しいのがあって楽しいのにな」
「へぇ、今まであった中で、一番珍しいものって何があったの?」
「え~っとねぇ、風精霊の靴にエアボール、精霊女王の耳飾りなんていうのがあったね」
「へぇ、全部聞いたことがない物ばっかりね。どんな効果があるの?」
「たしか、靴は疲労をなくしてくれるみたいで、旅人専用って感じかな。エアボールの方は、ビンの中に液体が入っていて、それを飲むと水の中でも呼吸ができるみたいで、水中散歩ができるみたい。耳飾りの方は、身に着けているとオートマッピングをしてくれて、頭の中で地図が見られるらしいよ。だけど、どれもすごく高くて普通の人は簡単に買えないよ」
フェリシアは、ルーセントの口から出てくる夢のようなアイテムの説明の数々に、目を輝かせていた。ところが、耳飾りの話になったとたんに、その目に炎が宿った。
「え! なにそれ、ほしい! いくらで売っていたの? まだあるかな?」
必死な顔でルーセントに詰め寄るフェリシア。その勢いに呑まれた少年の顔が引きつる。
「え、えっと、たしか、三百二十万リーフだったかな。一般人じゃ、とてもじゃないけど買えないよ。だからまだあるんじゃないかな。それに、だいたいあの人はたまにしか来ないから」
値段を聞いてフェリシアが顔をしかめた。
「高いわね。でもお父様なら、ホコリをはらうより簡単ね」
「そ、れは、すごいね」
ルーセントは、伯爵の屋敷を思い出していた。玄関に入ってすぐにあったツボや絵画、その調度品の数々、あれを一個でも売ったら買えるのかな、と何やら考え込んでいる様子の少女の横顔を見つめていた。
「あ! ごめんなさい。早く行きましょ」
フェリシアは、先ほどよりも明るい表情で教会まで歩いて行った。
商業区の一角、二人は目の前に立ち誇る大きな建物を見上げていた。街中を散策しながら来たせいで、予定よりは少し遅れてしまったが、無事になんとかたどり着いた。
ルーセントが見上げる先には、広い敷地にそびえ立つ鉛筆のような形の高い塔が、中央にある建物を挟んでいる。外観には、見るものを魅了するような緻密な彫刻が施されていた。
ルーセントがその光景に見とれていると「ここが、アーティファー教会よ」と、フェリシアが一言だけ添えた。続いて「早く中に入りましょう。中はもっとすごいわよ」と、ルーセントの腕をつかんでいった。
二人が踏み入れた教会の中は、まるで宝石をちりばめたかのようにきらびやかだった。
教会のすべての窓には、色鮮やかで色とりどりのステンドグラスがはめ込まれている。差し込む光が、いろいろな色に神々しくも室内を染め上げていた。
白い石柱や壁には、金の彫刻が施されていて、見上げる天井には透き通るような青色の塗料が塗られていた。そこには、おとぎ話にちなんだ色鮮やかな絵画も描かれていて、見る者を魅了していた。
そして、教会の最奥にある祭壇の奥には、祈りをささげている大きな女神像が室内を優しく見下ろしている。その慈愛に満ちた顔の像のすぐ横には、五人の英雄を模した彫像が置かれていた。天井に空いた八角形の三つの天窓からは、光が差し込んで女神と英雄を淡く照らしていた。その神々しい光景に誰もが目を奪われる。
「すごい……」ルーセントもその光景に圧倒されていた一人だった。
「ふふ、きれいでしょ。私の一番のお気に入りの場所なのよ。ルーセント、先に司祭様のところに行きましょう」
フェリシアのうしろを歩くルーセントは、きょろきょろと天井や壁などに目を移しながらも祭壇まで歩いて行った。
「こんにちは、司祭様。今日もお手伝いに来ました」
「これはフェリシア様、ようこそお越しくださいました」司祭がフェリシアに返事を返すと、その視線はすぐに隣にいる少年へと向けられた。「失礼ですが、こちらの方はどなたですかな?」再び視線がフェリシアへと戻る。
「彼は友達のルーセントよ。女神様の像が見たいからって一緒に来たの」
「そうでしたか。それは女神様もお喜びになることでしょう。ゆっくりと見ていってください」司祭のにこやかな笑顔がルーセントに向けられた。
「ありがとうございます」受けるルーセントも笑顔で返した。
「じゃあ、ルーセント。私は隣にある治療院でお手伝いをしてくるから、何かあったら来てね」
「わかった、ありがとう」
手を振るフェリシアが治療院の方へと消えていった。
ルーセントはフェリシアのうしろ姿を見送ると、近くにあった長いイスに座る。そして、目の前にある女神の像を見上げた。
「う~ん、ヒールガーデンの女神さまもいいけど、こっちの女神さまの像もいいな」
そっとつぶやいたルーセントの言葉に、司祭が反応した。
「おや、あなたはヒールガーデンからいらしたのですか?」
「はい、守護者の鑑定のために来ました」
「それは遠いところから、ようこそおいでくださいました。ここで守護者の鑑定というと、上級守護者をお持ちなのですね」
“最上級”は機密事項になっている。そのために、正直に答えられないルーセントが心苦しそうにうなずく。しかし、司祭はそんなことには気づかずに会話を続けた。
「守護者様は女神様の恩恵、きっとあなたは女神様に愛されているのでしょうね」
「司祭様も上級なのですか?」
「いえいえ、私は中級です。なので、上級をお持ちのあなたたちが、私はうらやましいですよ」司祭は嫉妬にも似た気持ちを抑えられずに、どこか寂しげに答えた。
「大丈夫ですよ。こんなに女神さまに尽くしているんですから、きっと僕たちよりも愛されていますよ」
ルーセントの思ったままに出てきた言葉に、司祭の顔が和らいだ。
「ありがとうございます。あなたは優しい子ですね」
司祭は、この人の痛みがわかる純粋な心と優しさを持つ少年だからこそ、女神様は上級の守護者をお与えになったのだな、と嫉妬の感情を抑えられなかったやましい自分を恥じた。
「いえいえ」と照れたようにはにかむ少年に、司祭が笑みを戻すと、その顔が急に真剣な表情へと変わった。
「ときにルーセント様。最近、身近で気になることはございませんか?」
「気になること、ですか?」何のことを聞かれているのか分からなかったルーセントが首をかしげる。
「はい。誰かに見られているだとか、近しいところで騒ぎに巻き込まれたとか、そういったことはありませんでしたか?」
銀髪の少年が、なにかあったかな、と思い出そうと金色の瞳をゆがませる。しかし、出てきた答えは「何もないですよ」の一言だった。この言葉に、司祭の顔が一段と思い悩むように変化した。
「そうですか。何もなければいいのですが、じつは私が持つ守護者の特殊能力には、見た人の近しい未来が色で表現されるのです。それを見る限りだと、どうもフェリシア様とルーセント様には、災いの色がまとわりついているのです。行動次第で回避できることもありますが、いかんせん未来での出来事ゆえに、どうなるかは、その時にならなければわかりません。どうかお気を付けください」
この少年を失いたくない、と心から思う司祭が、どうか無事でありますように、と心の中で女神に祈った。
そんな司祭の忠告を受けて「わかりました。気を付けます」と、屈託のない笑顔を司祭に返した。
十五時を少し過ぎたころ、手伝いを終わらせてきたフェリシアが戻ってきた。
「お待たせ、ずっと女神様の像を見ていたの?」
「うん、司祭様と話しながら見てたよ」
「いやはや、申し訳ありませんでしたな。女神様にかかわる話となると、どうにも止まらないものでして」司祭が後頭部に手を当ててフェリシアに頭を下げた。
ルーセントは「いえ、知らないことがいっぱいあって面白かったですよ」と笑顔を崩さなかった。
「楽しめたならいいわ。じゃあルーセント、そろそろ行きましょう。まだ時間もあるし、カフェでも寄っていかない?」
話し疲れているであろうルーセントを気づかって、フェリシアが休憩しようと誘う。
「いいね。ノドが渇いていたからちょうどいいや」
「ふふ、おすすめの場所があるの。そこに行きましょう」
歩き出す二人に、司祭が「お二人ともお気を付けください」と頭を下げて見送った。
二人がやってきたカフェは、この国では珍しく木材だけを使って建てられていた。
細長い店内に、植物に囲まれている入り口には、メニューの書かれたボードが置かれていた。
店に入ると、右側に長めのカウンターがある。そこの部分だけ天井が低くなっていて、小さい埋め込み式のシーリングライトがうっすらと照らしていた。
窓際には四つのテーブルが並んでいる。大きなガラス窓からは暖かい太陽の光が入り込んでいた。
ルーセントとフェリシアの二人は、店の中央にある靴箱のような細長い棚をよけて、窓際のテーブルへと座った。さっそくメニューを眺めるフェリシアに、ルーセントは店の真ん中にある、太い柱に取り付けられていた大きな黒板に目を移した。そこには、おすすめのメニューが書かれていた。二人は水とおしぼりを持ってきた店員に注文を伝えると、それぞれの街のことを話していた。
バーチェルは、屋敷から戻った翌日にルーセントが女神と会っていた時のことを、穏やかになった表情で話す息子から聞いていた。
「はい、ずいぶんと楽になりました。前みたいに、恐怖で動けなくなることも減りましたから。まだ、斬られそうだと思うと怖いですけど」
「まあ、恐怖というのは誰にでも付きまとう。まずは何が原因で怖くなるのかを探すことだ。前にも言ったが、“死生を忘れ、生きることを知り、死ぬことを知ること”これを心掛けよ。そして、己を忘れて他を助けよ。誰かのために動けば、恐怖になどかまっている暇などない。少しは高みに近づくやもしれぬぞ」
「わかりました。心に刻んでおきます」
ルーセントの、そのりりしい顔つきが頼もしくも清々しく見えた。
その姿を見たバーチェルは、ずっと重石として背負い続けていた己の罪悪感をも、息子が消し去っていったように感じた。救われたのは、お前だけではないぞ、と心の中で感謝していた。
しかしながら、成長途中の息子に師として、親として教えることはまだ多い。当分は隠居ができないな、とバーチェルが思う。ひとつずつ成長していく息子の姿をうれしそうに見ていたが、くぎを刺すことも忘れなかった。
「だがな、決して調子には乗るではないぞ。技術だけでは真理はつかめん。感じ取れるだけではまだ足りぬ。だからと言って、知識だけでは身を滅ぼすであろう。初めに武があり、その中で知が生まれる。知が武の中にあってこそ表裏一体となりえるのだ。どちらが欠けても成しえない。究極とは果てしなく遠いものだ。だからと言って、満足してはそこで止まってしまうだろう。しっかりな」
目を輝かせて深くうなずくルーセント。バーチェルも答えるように息子の肩をたたいた。
「さて、少し早いが昼ごはんにでもするか。午後はフェリシア様と会うのだろ?」
「はい! 楽しみです」
「そうか、フェリシア様はかわいいからな。楽しみであろう」
心の底から楽しそうにうなずくルーセントに、老獪なる性根がバーチェルの口を動かした。
「な、なに言ってるんですか! そんなんじゃないですよ!」ルーセントが瞬時に顔を赤く染める。出てきた言葉とは裏腹に、慌てて身ぶりも混ぜて抵抗したが、そのままムっとした顔でそっぽを向いてしまった。
バーチェルは、カッカッカと笑いながら、拗ねた息子をなだめて昼食へと出かけていった。
フェリシアは、十三時にルーセントと教会に行くための服を選んでいた。
「今日は何を着ていこうかなぁ?」フェリシアが軽く鼻歌を歌いながらクローゼットの服を探っていた。
そこに、うしろで控えていた侍女が、ほほ笑ましい笑みを浮かべて隣に立った。
「ルーセント様は平民の方です。あまり派手なものは控えた方がよろしいかと思います」
「そうかしら?」
「ええ、こちらの服などはいかがですか?」
侍女が選んだのは、水色ストライプのワンピースだった。それをフェリシアに渡すと、続いて裾がひざ下まで伸びる黄色いロングカーディガンを取り出した。
「この組み合わせなら落ち着きもあって、清涼感と爽やかさが出ると思いますよ」
フェリシアは、侍女が選んだ服を気に入ったようで、ワンピースとロングカーディガンを鏡の前で何度か合わせていた。
「そう? じゃあ、これにしようかな。靴はどれにしたらいいかしら?」
「そうですね。この前、購入されたベージュのショートブーツなんかはどうですか? 大人っぽくていいかと思いますよ。あとは、白のバッグがあれば完璧ですね」
大部分のことが決まって、フェリシアと侍女があれやこれやと話していると、扉をたたく音が部屋に響いた。
侍女が対応するために扉を開ける。そこには、ベーテスが立っていた。
「お嬢さま、そろそろ出発しませんと、ルーセント様を待たせてしまいますよ」
フェリシアがおどろいて壁時計を見た。
数字を示す針に猶予は残されてはいなかった。
「もうこんな時間? すぐに行くから馬車で待っていて」
慌てるフェリシアに、ベーテスは「かしこまりました」と一礼して去っていった。
それから十分近くがたって、玄関にフェリシアが現れた。
馬車はフェリシアを乗せて、いつもより速く橋の検問所へと進んでいった。
時計の針は、すでに十三時を示している。ルーセントは、すでに橋の前で待っていた。
時計の長針が十の数字を示す。それから五分がたって、フェリシアの馬車が現れた。
「おまたせ、待たせちゃった?」フェリシアは、申し訳なさに眉を下げて不安げな顔になった。
「ううん、そんなことないよ。その服、似合ってるね」
ルーセントが多少の遅れを気にする風でもなく答えると、自然と服装を褒めた。
「ふふ、かわいいでしょ? この靴なんて、この前買ってもらったばかりなのよ。今日が、履くの初めてなの」
自身の格好を褒められたフェリシアは、少しうれしそうにくるくると回って披露する。そして、ルーセントの手を取って教会まで案内しようとフェリシアが歩き出したのだが、なぜか教会とは反対方向に歩き出してしまった。
不思議に思ったルーセントがフェリシアを呼び止める。
「あれ? 教会って反対の方向じゃないの?」
「……こっちよ、ルーセント。早く行きましょう」
ルーセントの指摘に顔を赤らめるフェリシア。何回か周囲を確認すると、何事もなかったように颯爽と教会に向かって歩いて行く。ルーセントは、足早に去っていくフェリシアの背中を慌てて追いかけていった。
教会は、広い商業区の中にある。そのために二人は、ペットショップや雑貨屋など、寄り道しながら向かっていった。
ルーセントは都会の街中を歩き続けていたが、自分の町にいた露天商の人たちがいないことに首をひねった。
「そういえば、王都って露店がないね。ヒールガーデンだったら、噴水広場で行商の人たちが店を開いているのに」
「ん~、それは取り締まりが厳しいからかな。見た目に悪いからって、ここだと王家の許可証がないと、お店が出せないのよ」
「そうなんだ。あれも、いろいろ珍しいのがあって楽しいのにな」
「へぇ、今まであった中で、一番珍しいものって何があったの?」
「え~っとねぇ、風精霊の靴にエアボール、精霊女王の耳飾りなんていうのがあったね」
「へぇ、全部聞いたことがない物ばっかりね。どんな効果があるの?」
「たしか、靴は疲労をなくしてくれるみたいで、旅人専用って感じかな。エアボールの方は、ビンの中に液体が入っていて、それを飲むと水の中でも呼吸ができるみたいで、水中散歩ができるみたい。耳飾りの方は、身に着けているとオートマッピングをしてくれて、頭の中で地図が見られるらしいよ。だけど、どれもすごく高くて普通の人は簡単に買えないよ」
フェリシアは、ルーセントの口から出てくる夢のようなアイテムの説明の数々に、目を輝かせていた。ところが、耳飾りの話になったとたんに、その目に炎が宿った。
「え! なにそれ、ほしい! いくらで売っていたの? まだあるかな?」
必死な顔でルーセントに詰め寄るフェリシア。その勢いに呑まれた少年の顔が引きつる。
「え、えっと、たしか、三百二十万リーフだったかな。一般人じゃ、とてもじゃないけど買えないよ。だからまだあるんじゃないかな。それに、だいたいあの人はたまにしか来ないから」
値段を聞いてフェリシアが顔をしかめた。
「高いわね。でもお父様なら、ホコリをはらうより簡単ね」
「そ、れは、すごいね」
ルーセントは、伯爵の屋敷を思い出していた。玄関に入ってすぐにあったツボや絵画、その調度品の数々、あれを一個でも売ったら買えるのかな、と何やら考え込んでいる様子の少女の横顔を見つめていた。
「あ! ごめんなさい。早く行きましょ」
フェリシアは、先ほどよりも明るい表情で教会まで歩いて行った。
商業区の一角、二人は目の前に立ち誇る大きな建物を見上げていた。街中を散策しながら来たせいで、予定よりは少し遅れてしまったが、無事になんとかたどり着いた。
ルーセントが見上げる先には、広い敷地にそびえ立つ鉛筆のような形の高い塔が、中央にある建物を挟んでいる。外観には、見るものを魅了するような緻密な彫刻が施されていた。
ルーセントがその光景に見とれていると「ここが、アーティファー教会よ」と、フェリシアが一言だけ添えた。続いて「早く中に入りましょう。中はもっとすごいわよ」と、ルーセントの腕をつかんでいった。
二人が踏み入れた教会の中は、まるで宝石をちりばめたかのようにきらびやかだった。
教会のすべての窓には、色鮮やかで色とりどりのステンドグラスがはめ込まれている。差し込む光が、いろいろな色に神々しくも室内を染め上げていた。
白い石柱や壁には、金の彫刻が施されていて、見上げる天井には透き通るような青色の塗料が塗られていた。そこには、おとぎ話にちなんだ色鮮やかな絵画も描かれていて、見る者を魅了していた。
そして、教会の最奥にある祭壇の奥には、祈りをささげている大きな女神像が室内を優しく見下ろしている。その慈愛に満ちた顔の像のすぐ横には、五人の英雄を模した彫像が置かれていた。天井に空いた八角形の三つの天窓からは、光が差し込んで女神と英雄を淡く照らしていた。その神々しい光景に誰もが目を奪われる。
「すごい……」ルーセントもその光景に圧倒されていた一人だった。
「ふふ、きれいでしょ。私の一番のお気に入りの場所なのよ。ルーセント、先に司祭様のところに行きましょう」
フェリシアのうしろを歩くルーセントは、きょろきょろと天井や壁などに目を移しながらも祭壇まで歩いて行った。
「こんにちは、司祭様。今日もお手伝いに来ました」
「これはフェリシア様、ようこそお越しくださいました」司祭がフェリシアに返事を返すと、その視線はすぐに隣にいる少年へと向けられた。「失礼ですが、こちらの方はどなたですかな?」再び視線がフェリシアへと戻る。
「彼は友達のルーセントよ。女神様の像が見たいからって一緒に来たの」
「そうでしたか。それは女神様もお喜びになることでしょう。ゆっくりと見ていってください」司祭のにこやかな笑顔がルーセントに向けられた。
「ありがとうございます」受けるルーセントも笑顔で返した。
「じゃあ、ルーセント。私は隣にある治療院でお手伝いをしてくるから、何かあったら来てね」
「わかった、ありがとう」
手を振るフェリシアが治療院の方へと消えていった。
ルーセントはフェリシアのうしろ姿を見送ると、近くにあった長いイスに座る。そして、目の前にある女神の像を見上げた。
「う~ん、ヒールガーデンの女神さまもいいけど、こっちの女神さまの像もいいな」
そっとつぶやいたルーセントの言葉に、司祭が反応した。
「おや、あなたはヒールガーデンからいらしたのですか?」
「はい、守護者の鑑定のために来ました」
「それは遠いところから、ようこそおいでくださいました。ここで守護者の鑑定というと、上級守護者をお持ちなのですね」
“最上級”は機密事項になっている。そのために、正直に答えられないルーセントが心苦しそうにうなずく。しかし、司祭はそんなことには気づかずに会話を続けた。
「守護者様は女神様の恩恵、きっとあなたは女神様に愛されているのでしょうね」
「司祭様も上級なのですか?」
「いえいえ、私は中級です。なので、上級をお持ちのあなたたちが、私はうらやましいですよ」司祭は嫉妬にも似た気持ちを抑えられずに、どこか寂しげに答えた。
「大丈夫ですよ。こんなに女神さまに尽くしているんですから、きっと僕たちよりも愛されていますよ」
ルーセントの思ったままに出てきた言葉に、司祭の顔が和らいだ。
「ありがとうございます。あなたは優しい子ですね」
司祭は、この人の痛みがわかる純粋な心と優しさを持つ少年だからこそ、女神様は上級の守護者をお与えになったのだな、と嫉妬の感情を抑えられなかったやましい自分を恥じた。
「いえいえ」と照れたようにはにかむ少年に、司祭が笑みを戻すと、その顔が急に真剣な表情へと変わった。
「ときにルーセント様。最近、身近で気になることはございませんか?」
「気になること、ですか?」何のことを聞かれているのか分からなかったルーセントが首をかしげる。
「はい。誰かに見られているだとか、近しいところで騒ぎに巻き込まれたとか、そういったことはありませんでしたか?」
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「そうですか。何もなければいいのですが、じつは私が持つ守護者の特殊能力には、見た人の近しい未来が色で表現されるのです。それを見る限りだと、どうもフェリシア様とルーセント様には、災いの色がまとわりついているのです。行動次第で回避できることもありますが、いかんせん未来での出来事ゆえに、どうなるかは、その時にならなければわかりません。どうかお気を付けください」
この少年を失いたくない、と心から思う司祭が、どうか無事でありますように、と心の中で女神に祈った。
そんな司祭の忠告を受けて「わかりました。気を付けます」と、屈託のない笑顔を司祭に返した。
十五時を少し過ぎたころ、手伝いを終わらせてきたフェリシアが戻ってきた。
「お待たせ、ずっと女神様の像を見ていたの?」
「うん、司祭様と話しながら見てたよ」
「いやはや、申し訳ありませんでしたな。女神様にかかわる話となると、どうにも止まらないものでして」司祭が後頭部に手を当ててフェリシアに頭を下げた。
ルーセントは「いえ、知らないことがいっぱいあって面白かったですよ」と笑顔を崩さなかった。
「楽しめたならいいわ。じゃあルーセント、そろそろ行きましょう。まだ時間もあるし、カフェでも寄っていかない?」
話し疲れているであろうルーセントを気づかって、フェリシアが休憩しようと誘う。
「いいね。ノドが渇いていたからちょうどいいや」
「ふふ、おすすめの場所があるの。そこに行きましょう」
歩き出す二人に、司祭が「お二人ともお気を付けください」と頭を下げて見送った。
二人がやってきたカフェは、この国では珍しく木材だけを使って建てられていた。
細長い店内に、植物に囲まれている入り口には、メニューの書かれたボードが置かれていた。
店に入ると、右側に長めのカウンターがある。そこの部分だけ天井が低くなっていて、小さい埋め込み式のシーリングライトがうっすらと照らしていた。
窓際には四つのテーブルが並んでいる。大きなガラス窓からは暖かい太陽の光が入り込んでいた。
ルーセントとフェリシアの二人は、店の中央にある靴箱のような細長い棚をよけて、窓際のテーブルへと座った。さっそくメニューを眺めるフェリシアに、ルーセントは店の真ん中にある、太い柱に取り付けられていた大きな黒板に目を移した。そこには、おすすめのメニューが書かれていた。二人は水とおしぼりを持ってきた店員に注文を伝えると、それぞれの街のことを話していた。
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