14 / 134
1 動き出す光と伏す竜
1-14話 晩餐
しおりを挟む
ルーセントが座ると背もたれが頭よりも高い豪華なイス、目の前にあるテーブルは二十人ほどが座れそうなほどに大きくて細長かった。さらにその上には、金でできた燭台と薄く色のついたグラスが置かれていた。食堂の中はそれだけではなくて、壁には大きな絵画が何点も飾られている。ほかには、大きなガラス製のシャンデリア三点が煌々と柔らかい光を降りそそいで明るく照らしていた。
テーブルは伯爵を頂点に、その左側には夫人とフェリシアが、その対面にバーチェルとルーセントが座っていた。
五人がテーブルに着いてすぐに食事が運ばれてくる。色づくグラスには飲み物が光に反射して揺らめいていた。
すべての準備が整うと、伯爵がグラスをもって立ち上がる。
「今日は最高の食材を使って作らせた。存分に堪能してほしい。ゲストの二人はマナーなど気にせずに食べてくれ」
全員がグラスを持ち上げると、伯爵の後にグラスを口につけて晩餐が始まった。
それぞれが前に広がる彩り鮮やかな料理に手を伸ばしていく。ワインを飲んでいた伯爵がバーチェルに顔を向ける。
「ところで、バーチェルもルーセントも刀を使うのだな。いまではそんなに珍しくはないが、たしか東にある島国が発祥であったか」
「はい。一応はそうなっておりますな。実際には、どこかの民族の者たちが各地に散らばって広まったと聞いたことがあります」
「そうだったか。やはり形状が違えばこっちの剣術とは違うのであろうな」
「その通りです。刀は基本的には両手で扱います。さらに刀は斬ることに特化したもの、受けるよりは一瞬の隙をついて相手を戦闘不能にする。そんな技が多いですかな」
伯爵が手にしていたグラスを開けるとテーブルに置いた。そばに仕える執事がすぐにグラスにワインを注ぐ。
「それは興味深いな。今度、時間があるときに手合わせなどいかがであろうか」伯爵はそのまま嬉々とした表情でバーチェルとの会話を楽しむ。受けるバーチェルは「こんな老いぼれでよろしいなら、いくらでもお相手させていただきます」と右手を胸に当てて頭を下げた。
笑みを浮かべる伯爵が、ふたたびワインに手を伸ばす。
「謙遜するではない。そのたたずまいを見れば、かなりの腕前であることは容易にわかる。剣を合わせるのが楽しみだな」
「光栄にございます」伯爵からの賛辞に、バーチャルは笑顔で返した。
二人の会話を聞いて、フェリシアがそのクリクリとした紅樺色の瞳をキラキラと輝かせていた。
「ルーセントも刀を使うなら、同じ剣術を使うのね」
「うん。父上から毎日、教わっているよ。でも、いつも負けっぱなしで、勝ったことがないんだ」ルーセントは、少しだけ悲しそうに笑った。
「まだまだ子供だもん、これからよ。大人になったらすぐに勝てるかもしれないわよ」
ルーセントが照れた顔で「うん」と答えると、バーチェルが「これはワシも油断できんな」とルーセントに追い打ちをかけた。困惑するルーセントに、バーチェルが続ける。
「とは言えど、たしかに今のお前では、ワシに勝つのは難しい。だがな、お前はまだまだこれからだ。今はとにかく技術を身に着けることだ。よいか、決して守護者の力にだけに頼ってはならない。生身の技術があってこその守護者だからな」
「ああ、まったくその通りだ。私の騎士団の連中にも聞かせてやりたいな。守護者の力を競うばかりで一向に成長せん」伯爵がバーチェルの言葉に納得して、部屋の護衛に立っている兵士を見た。兵士は、気まずそうに下を向いてしまった。そこに夫人であるアシュリーが「あなた、こんなところで話す内容ではありませんよ」と、兵士をかばってくぎを刺した。
「それもそうだな」と伯爵が笑う。会話が一区切りしたところで、みんなが料理に手を伸ばした。それぞれの目の前に置かれた皿、まるで夜空を切り取ったかのような紺色の皿に好きな料理を乗せていく。ルーセントがアドグラッド豚のローストを堪能し終えると「そういえば、教会ってどこにあるの?」とフェリシアに話題を振った。
「あそこは東エリアの商業区の中にあるわよ。あ、そうだ。せっかくだし、あした一緒に教会に行こうよ」
「いいの?」
「大丈夫ですよね、お父様」断られるとは思ってはいないフェリシアが、満面な笑みで父親を見た。
「ああ、かまわないよ。娘を頼むぞ、ルーセント」二人の会話をほほ笑ましく眺めていた伯爵が、フェリシアの問いかけにうなずいた。
ルーセントは、伯爵から“頼む”と言われて緊張した面持ちで「は、はい。お任せください」と答えた。
そのあとも雑談を交えながら食事は続いて行った。一時間近くがたったころ、伯爵が人払いを行った。
出ていく使用人と護衛にいた兵士、部屋の中には伯爵の家族とバーチェル親子だけになった。庶民の親子は、なにごとか、と突然の出来事に部屋の中を、伯爵の顔をじっと見ていた。
伯爵があらためて真剣な顔でゆっくりと口を開く
「ルーセント、一つ確認しておきたいのだが、守護者を解放するときに、お前も女神様にあったのか?」
「えっ! なんで知ってるんですか?」自分しか知らないはずの事実に、ルーセントの顔はおどろきに染まった。
「やっぱり会っていたか。だが、そんなに驚くことの程ではない。フェリシアも最上級となれば、当然ながら会っている」この言葉に、ルーセントが目を見開いたまま、本当に、と確認するようにフェリシアの方を見た。フェリシアが無言のまま、笑みを浮かべてうなずいた。
すると、今まで何も知らなかったバーチェルが不機嫌な顔でルーセントに顔を向けた。
「そんなことがあったのか? なぜ言わなかった」
「すみません、父上。解放が終わった時に言おうとしたのですが、いろいろな人に会うことになってしまって、伝える機会を失くしてしまいました」
「あの時は我々も悪かった。許してやってくれ」二人のやり取りに伯爵がすかさずにフォローに入る。伯爵の前だということを忘れていたバーチェル、せき払いをすると「ま、仕方ないか。悪かったな」と息子に謝った。
「それでだ、女神様とはどんな話をしたのだ?」伯爵がワインの入ったグラスを回しながら話を戻す。その言葉に、ルーセントが「はい」と答える。そして、女神との会話を思い出しながら伝えていった。
「……そうか、女神様の力を書き換えるほどの力か。千年前の封印というと、五大国にある“封印のクリスタル”のことだろうな。絶望の本体、それ自体はメルト大陸にあるとのうわさだが、あそこはマグマの河が大陸中を張り巡らしているうえに、エンペラー種の魔物が何匹もいて上陸すらできん。いまだに何の動きもないところを見ると平気だとは思うが、女神様は絶望がどんな存在で、誰を乗っ取ったか言っていたか?」
伯爵がテーブルの上で両手を組むと、国家だけではなく世界の危機に眉間にシワを寄せた。
ルーセントが女神との会話をさらに思い出す。
「誰を乗っ取ったかは教えてはもらえませんでしたが、別れる最後に、絶望のことを邪竜王ルーインと言っていました。それから絶望は、禁呪を使って圧倒的な力を得たとも言っていました。流れ出る血からは何十、何百と魔物が生まれてきて、無尽蔵にある魔力のおかげでダメージがほとんど入らずに不死身に近いとも。さらには、この世に存在するほぼすべての魔法を扱うそうです」
「邪竜王ルーインか、たしかに絶望以外に当てはまる言葉が見つからんな。しかし、そんな相手にいくら最上級の守護者があるとは言えど、対処できるものなのか?」
当然ともいえる伯爵の疑問に、ルーセントがうなずく。
「女神様が言うには、二つの方法があります。ひとつは最初の英雄の人たちがしたように封印をすることです。五人の最上級守護者が持つ封印魔法で再び封じれば押さえ込めるみたいです。もうひとつは、ルーインの魂の消滅です。僕が持つ守護者の召喚魔法で魂ごと消し去ることができるみたいです」
ルーセントの口から出てきた、かすかな希望の光に、伯爵の眉間のシワがさらに深くなった。
「封印と守護者の覚醒が必要か。現実的なのは、封印だな。五人と言ったな、ほかの者たちがどこにいるかは言っていたのか?」
伯爵の問いかけに、ルーセントの顔が困った顔で笑みを浮かべた。
「言っていたといえば、言っていたのですが……。女神様が言うには、“グラッセという芸術家が作った作品があるところ”に行けば会えるそうです」
あまりにも大ざっぱな女神の説明に伯爵の顔が困ったように片眉が上がった。そして、ため息とともに首を左右に振った。
「世界が危ういというのに、ずいぶんと適当な助言だな。グラッセなど数百年前の人物だぞ。いまも残っているとは限らないだろうに。たしか、彼の者も晩年には世界中を旅して行方不明になっているのだったな。いったいどれだけの作品があると思っているのだ。超常の存在の考えることは理解できんな」
さすがの伯爵も困惑の顔を隠せなかった。ため息を漏らすと、残っていたワインを飲みほす。続けて伯爵が口を開いた。
「まぁ、こうなっては仕方がないか。残りの三人についてはこちらでも調べておこう。グラッセの作品というと、ヒールガーデンでは、おとぎ話の大噴水であったな」
「はい、おっきな噴水です」
「そうか、王都で目立ったものといえば、アーティファー教会にある女神と英雄の像か。となれば、おとぎ話に関連した大掛かりな作品ということになるな。いったいどれだけの数があると思っているのか……。それに、ルーインの所在も不明とは、今すぐどうこうできる問題ではないな」
伯爵の言葉を最後に食堂が静まり返る。その沈黙を破ったのはバーチェルであった。
「それにしても、そんなでたらめの存在を倒す大役がルーセントとは……、いったいなぜでしょうか。最上級守護者とは、まるで絶望を倒すためだけに存在しているようでありますな」バーチェルがため息とともに、視線を手に持つグラスに落とした。
「バーチェル様のおっしゃる通りですよ。私が女神様から聞いたのは、最上級守護者というのは、月でルーインと戦った女神様の眷属の方々なのだそうです。そして、その眷属の方々が、仕える主を決めるそうなのです」フェリシアが気落ちしているバーチェルの問いに答えた。
「なるほどな、息子は守護者に選ばれたというわけか。もっと楽な人生を歩んでほしかったのだがな」ため息をはくバーチェルが力のない声で答えた。
二人の会話を聞いていた伯爵もバーチェルに同意してうなずく。
「それは私も思うところではあるが、こうなってはどうにもなるまい。それに、選ばれずとも、絶望がいる限りはたどる未来は同じことだ。なれば、自分で切り開く方がいくらかはマシであろう。力になってやろうではないか」伯爵の言葉に、バーチェルが弱々しく「そうですな」と答えた。
すっかり夜に差し掛かった時計を見て「今日はこれくらいにしておこう。急に誘ってしまって悪かったな」と、伯爵の笑みとともに晩餐が終わりを告げる。
バーチェルが立ち上がると「いえ、こんなごちそうは、次はいつ食べられるかわかりません。それに、貴重なお話も聞くことができました。本日はお誘いいただきましてありがとうございました」と、感謝の言葉とともに頭を下げた。
「何かあったら、私が力になろう。困ったことがあったら、私を頼るといい」
「ありがとうございます」
バーチェルが答えるとともに全員が立ち上がった。伯爵とバーチェルが握手を交わす。
伯爵が執事を呼び込むと、ゲストの二人を馬車へと案内させる。ルーセントが部屋を出ようとしたとき、フェリシアが引き止めた。
「あ、ルーセント。明日の十三時に橋の検問所の前で待っててね。一緒に教会に行くんだからね」
「うん、わかった。また明日」
うれしそうな表情を浮かべる二人、お互いに手を挙げて別れた。
伯爵が書斎に戻って一息ついた。
誰もいないはずの部屋から「失礼します」と声が響く。いつからいたのか、部屋の片隅から黒っぽいフードをかぶった男が一人、伯爵の近くでひざまずいた。
「旦那様、少しお耳に入れておきたいことがございます」
「何かあったのか?」伯爵がイスに座って背もたれに寄りかかる。
「どうやら、ルーセント様に密偵が一人、付いているようです」
この言葉に、伯爵が身を乗り出す。
「どこのものだ」
「おそらくは国王様の密偵かと」
「陛下だと?」男の報告に、伯爵が机の上で手を組んだ。
「おそらくは護衛かと思われますが、いかがいたしましょうか?」
目を閉じて思案する伯爵は、考えをまとめると男に指示を出す。
「明日ルーセントは、フェリシアと教会へ行くことになっている。密偵を増やして護衛につけ。そして、もし何かあったときには、相手の密偵を殺してでも二人を助け出せ。最悪、ルーセントだけでも必ず生かして助けよ。いいな」
男は、自分の娘よりも庶民であるルーセントを最優先にしろ、という言葉に納得がいかなかった。とっさに「お嬢様より、あの少年を優先させるのですか? なぜそこまで……」と口答えをしてしまった。
その瞬間、伯爵の鋭い怒気をはらんだ視線が男を射抜いた。
「だまれ! お前の知る必要のないことだ。必ず守り通せ、いいな」
伯爵の押しつぶされるような威圧感に、男は「か、かしこまりました」と顔を青ざめた。
そして、伯爵がもう一つの指示を出す。
「それと、人と金はいくら使ってもかまわん。世界中でグラッセの作品がどこにあるか調べよ。絶望と希望の光、おとぎ話に関連したものだけでいい」
「かしこまりました」男がそう答えると、すっと影に紛れて消えていった。
伯爵がイスから立ち上がって窓の外を見る。
「ルーセントも苦労が尽きぬな。十歳の身には荷が重いだろうに」
夜空を見上げる伯爵は、ルーセントに同情するようにつぶやいた。
テーブルは伯爵を頂点に、その左側には夫人とフェリシアが、その対面にバーチェルとルーセントが座っていた。
五人がテーブルに着いてすぐに食事が運ばれてくる。色づくグラスには飲み物が光に反射して揺らめいていた。
すべての準備が整うと、伯爵がグラスをもって立ち上がる。
「今日は最高の食材を使って作らせた。存分に堪能してほしい。ゲストの二人はマナーなど気にせずに食べてくれ」
全員がグラスを持ち上げると、伯爵の後にグラスを口につけて晩餐が始まった。
それぞれが前に広がる彩り鮮やかな料理に手を伸ばしていく。ワインを飲んでいた伯爵がバーチェルに顔を向ける。
「ところで、バーチェルもルーセントも刀を使うのだな。いまではそんなに珍しくはないが、たしか東にある島国が発祥であったか」
「はい。一応はそうなっておりますな。実際には、どこかの民族の者たちが各地に散らばって広まったと聞いたことがあります」
「そうだったか。やはり形状が違えばこっちの剣術とは違うのであろうな」
「その通りです。刀は基本的には両手で扱います。さらに刀は斬ることに特化したもの、受けるよりは一瞬の隙をついて相手を戦闘不能にする。そんな技が多いですかな」
伯爵が手にしていたグラスを開けるとテーブルに置いた。そばに仕える執事がすぐにグラスにワインを注ぐ。
「それは興味深いな。今度、時間があるときに手合わせなどいかがであろうか」伯爵はそのまま嬉々とした表情でバーチェルとの会話を楽しむ。受けるバーチェルは「こんな老いぼれでよろしいなら、いくらでもお相手させていただきます」と右手を胸に当てて頭を下げた。
笑みを浮かべる伯爵が、ふたたびワインに手を伸ばす。
「謙遜するではない。そのたたずまいを見れば、かなりの腕前であることは容易にわかる。剣を合わせるのが楽しみだな」
「光栄にございます」伯爵からの賛辞に、バーチャルは笑顔で返した。
二人の会話を聞いて、フェリシアがそのクリクリとした紅樺色の瞳をキラキラと輝かせていた。
「ルーセントも刀を使うなら、同じ剣術を使うのね」
「うん。父上から毎日、教わっているよ。でも、いつも負けっぱなしで、勝ったことがないんだ」ルーセントは、少しだけ悲しそうに笑った。
「まだまだ子供だもん、これからよ。大人になったらすぐに勝てるかもしれないわよ」
ルーセントが照れた顔で「うん」と答えると、バーチェルが「これはワシも油断できんな」とルーセントに追い打ちをかけた。困惑するルーセントに、バーチェルが続ける。
「とは言えど、たしかに今のお前では、ワシに勝つのは難しい。だがな、お前はまだまだこれからだ。今はとにかく技術を身に着けることだ。よいか、決して守護者の力にだけに頼ってはならない。生身の技術があってこその守護者だからな」
「ああ、まったくその通りだ。私の騎士団の連中にも聞かせてやりたいな。守護者の力を競うばかりで一向に成長せん」伯爵がバーチェルの言葉に納得して、部屋の護衛に立っている兵士を見た。兵士は、気まずそうに下を向いてしまった。そこに夫人であるアシュリーが「あなた、こんなところで話す内容ではありませんよ」と、兵士をかばってくぎを刺した。
「それもそうだな」と伯爵が笑う。会話が一区切りしたところで、みんなが料理に手を伸ばした。それぞれの目の前に置かれた皿、まるで夜空を切り取ったかのような紺色の皿に好きな料理を乗せていく。ルーセントがアドグラッド豚のローストを堪能し終えると「そういえば、教会ってどこにあるの?」とフェリシアに話題を振った。
「あそこは東エリアの商業区の中にあるわよ。あ、そうだ。せっかくだし、あした一緒に教会に行こうよ」
「いいの?」
「大丈夫ですよね、お父様」断られるとは思ってはいないフェリシアが、満面な笑みで父親を見た。
「ああ、かまわないよ。娘を頼むぞ、ルーセント」二人の会話をほほ笑ましく眺めていた伯爵が、フェリシアの問いかけにうなずいた。
ルーセントは、伯爵から“頼む”と言われて緊張した面持ちで「は、はい。お任せください」と答えた。
そのあとも雑談を交えながら食事は続いて行った。一時間近くがたったころ、伯爵が人払いを行った。
出ていく使用人と護衛にいた兵士、部屋の中には伯爵の家族とバーチェル親子だけになった。庶民の親子は、なにごとか、と突然の出来事に部屋の中を、伯爵の顔をじっと見ていた。
伯爵があらためて真剣な顔でゆっくりと口を開く
「ルーセント、一つ確認しておきたいのだが、守護者を解放するときに、お前も女神様にあったのか?」
「えっ! なんで知ってるんですか?」自分しか知らないはずの事実に、ルーセントの顔はおどろきに染まった。
「やっぱり会っていたか。だが、そんなに驚くことの程ではない。フェリシアも最上級となれば、当然ながら会っている」この言葉に、ルーセントが目を見開いたまま、本当に、と確認するようにフェリシアの方を見た。フェリシアが無言のまま、笑みを浮かべてうなずいた。
すると、今まで何も知らなかったバーチェルが不機嫌な顔でルーセントに顔を向けた。
「そんなことがあったのか? なぜ言わなかった」
「すみません、父上。解放が終わった時に言おうとしたのですが、いろいろな人に会うことになってしまって、伝える機会を失くしてしまいました」
「あの時は我々も悪かった。許してやってくれ」二人のやり取りに伯爵がすかさずにフォローに入る。伯爵の前だということを忘れていたバーチェル、せき払いをすると「ま、仕方ないか。悪かったな」と息子に謝った。
「それでだ、女神様とはどんな話をしたのだ?」伯爵がワインの入ったグラスを回しながら話を戻す。その言葉に、ルーセントが「はい」と答える。そして、女神との会話を思い出しながら伝えていった。
「……そうか、女神様の力を書き換えるほどの力か。千年前の封印というと、五大国にある“封印のクリスタル”のことだろうな。絶望の本体、それ自体はメルト大陸にあるとのうわさだが、あそこはマグマの河が大陸中を張り巡らしているうえに、エンペラー種の魔物が何匹もいて上陸すらできん。いまだに何の動きもないところを見ると平気だとは思うが、女神様は絶望がどんな存在で、誰を乗っ取ったか言っていたか?」
伯爵がテーブルの上で両手を組むと、国家だけではなく世界の危機に眉間にシワを寄せた。
ルーセントが女神との会話をさらに思い出す。
「誰を乗っ取ったかは教えてはもらえませんでしたが、別れる最後に、絶望のことを邪竜王ルーインと言っていました。それから絶望は、禁呪を使って圧倒的な力を得たとも言っていました。流れ出る血からは何十、何百と魔物が生まれてきて、無尽蔵にある魔力のおかげでダメージがほとんど入らずに不死身に近いとも。さらには、この世に存在するほぼすべての魔法を扱うそうです」
「邪竜王ルーインか、たしかに絶望以外に当てはまる言葉が見つからんな。しかし、そんな相手にいくら最上級の守護者があるとは言えど、対処できるものなのか?」
当然ともいえる伯爵の疑問に、ルーセントがうなずく。
「女神様が言うには、二つの方法があります。ひとつは最初の英雄の人たちがしたように封印をすることです。五人の最上級守護者が持つ封印魔法で再び封じれば押さえ込めるみたいです。もうひとつは、ルーインの魂の消滅です。僕が持つ守護者の召喚魔法で魂ごと消し去ることができるみたいです」
ルーセントの口から出てきた、かすかな希望の光に、伯爵の眉間のシワがさらに深くなった。
「封印と守護者の覚醒が必要か。現実的なのは、封印だな。五人と言ったな、ほかの者たちがどこにいるかは言っていたのか?」
伯爵の問いかけに、ルーセントの顔が困った顔で笑みを浮かべた。
「言っていたといえば、言っていたのですが……。女神様が言うには、“グラッセという芸術家が作った作品があるところ”に行けば会えるそうです」
あまりにも大ざっぱな女神の説明に伯爵の顔が困ったように片眉が上がった。そして、ため息とともに首を左右に振った。
「世界が危ういというのに、ずいぶんと適当な助言だな。グラッセなど数百年前の人物だぞ。いまも残っているとは限らないだろうに。たしか、彼の者も晩年には世界中を旅して行方不明になっているのだったな。いったいどれだけの作品があると思っているのだ。超常の存在の考えることは理解できんな」
さすがの伯爵も困惑の顔を隠せなかった。ため息を漏らすと、残っていたワインを飲みほす。続けて伯爵が口を開いた。
「まぁ、こうなっては仕方がないか。残りの三人についてはこちらでも調べておこう。グラッセの作品というと、ヒールガーデンでは、おとぎ話の大噴水であったな」
「はい、おっきな噴水です」
「そうか、王都で目立ったものといえば、アーティファー教会にある女神と英雄の像か。となれば、おとぎ話に関連した大掛かりな作品ということになるな。いったいどれだけの数があると思っているのか……。それに、ルーインの所在も不明とは、今すぐどうこうできる問題ではないな」
伯爵の言葉を最後に食堂が静まり返る。その沈黙を破ったのはバーチェルであった。
「それにしても、そんなでたらめの存在を倒す大役がルーセントとは……、いったいなぜでしょうか。最上級守護者とは、まるで絶望を倒すためだけに存在しているようでありますな」バーチェルがため息とともに、視線を手に持つグラスに落とした。
「バーチェル様のおっしゃる通りですよ。私が女神様から聞いたのは、最上級守護者というのは、月でルーインと戦った女神様の眷属の方々なのだそうです。そして、その眷属の方々が、仕える主を決めるそうなのです」フェリシアが気落ちしているバーチェルの問いに答えた。
「なるほどな、息子は守護者に選ばれたというわけか。もっと楽な人生を歩んでほしかったのだがな」ため息をはくバーチェルが力のない声で答えた。
二人の会話を聞いていた伯爵もバーチェルに同意してうなずく。
「それは私も思うところではあるが、こうなってはどうにもなるまい。それに、選ばれずとも、絶望がいる限りはたどる未来は同じことだ。なれば、自分で切り開く方がいくらかはマシであろう。力になってやろうではないか」伯爵の言葉に、バーチェルが弱々しく「そうですな」と答えた。
すっかり夜に差し掛かった時計を見て「今日はこれくらいにしておこう。急に誘ってしまって悪かったな」と、伯爵の笑みとともに晩餐が終わりを告げる。
バーチェルが立ち上がると「いえ、こんなごちそうは、次はいつ食べられるかわかりません。それに、貴重なお話も聞くことができました。本日はお誘いいただきましてありがとうございました」と、感謝の言葉とともに頭を下げた。
「何かあったら、私が力になろう。困ったことがあったら、私を頼るといい」
「ありがとうございます」
バーチェルが答えるとともに全員が立ち上がった。伯爵とバーチェルが握手を交わす。
伯爵が執事を呼び込むと、ゲストの二人を馬車へと案内させる。ルーセントが部屋を出ようとしたとき、フェリシアが引き止めた。
「あ、ルーセント。明日の十三時に橋の検問所の前で待っててね。一緒に教会に行くんだからね」
「うん、わかった。また明日」
うれしそうな表情を浮かべる二人、お互いに手を挙げて別れた。
伯爵が書斎に戻って一息ついた。
誰もいないはずの部屋から「失礼します」と声が響く。いつからいたのか、部屋の片隅から黒っぽいフードをかぶった男が一人、伯爵の近くでひざまずいた。
「旦那様、少しお耳に入れておきたいことがございます」
「何かあったのか?」伯爵がイスに座って背もたれに寄りかかる。
「どうやら、ルーセント様に密偵が一人、付いているようです」
この言葉に、伯爵が身を乗り出す。
「どこのものだ」
「おそらくは国王様の密偵かと」
「陛下だと?」男の報告に、伯爵が机の上で手を組んだ。
「おそらくは護衛かと思われますが、いかがいたしましょうか?」
目を閉じて思案する伯爵は、考えをまとめると男に指示を出す。
「明日ルーセントは、フェリシアと教会へ行くことになっている。密偵を増やして護衛につけ。そして、もし何かあったときには、相手の密偵を殺してでも二人を助け出せ。最悪、ルーセントだけでも必ず生かして助けよ。いいな」
男は、自分の娘よりも庶民であるルーセントを最優先にしろ、という言葉に納得がいかなかった。とっさに「お嬢様より、あの少年を優先させるのですか? なぜそこまで……」と口答えをしてしまった。
その瞬間、伯爵の鋭い怒気をはらんだ視線が男を射抜いた。
「だまれ! お前の知る必要のないことだ。必ず守り通せ、いいな」
伯爵の押しつぶされるような威圧感に、男は「か、かしこまりました」と顔を青ざめた。
そして、伯爵がもう一つの指示を出す。
「それと、人と金はいくら使ってもかまわん。世界中でグラッセの作品がどこにあるか調べよ。絶望と希望の光、おとぎ話に関連したものだけでいい」
「かしこまりました」男がそう答えると、すっと影に紛れて消えていった。
伯爵がイスから立ち上がって窓の外を見る。
「ルーセントも苦労が尽きぬな。十歳の身には荷が重いだろうに」
夜空を見上げる伯爵は、ルーセントに同情するようにつぶやいた。
0
お気に入りに追加
68
あなたにおすすめの小説
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
コンバット
サクラ近衛将監
ファンタジー
藤堂 忍は、10歳の頃に難病に指定されているALS(amyotrophic lateral sclerosis:筋萎縮性側索硬化症)を発症した。
ALSは発症してから平均3年半で死に至るが、遅いケースでは10年以上にわたり闘病する場合もある。
忍は、不屈の闘志で最後まで運命に抗った。
担当医師の見立てでは、精々5年以内という余命期間を大幅に延長し、12年間の壮絶な闘病生活の果てについに力尽きて亡くなった。
その陰で家族の献身的な助力があったことは間違いないが、何よりも忍自身の生きようとする意志の力が大いに働いていたのである。
その超人的な精神の強靭さゆえに忍の生き様は、天上界の神々の心も揺り動かしていた。
かくして天上界でも類稀な神々の総意に依り、忍の魂は異なる世界への転生という形で蘇ることが許されたのである。
この物語は、地球世界に生を受けながらも、その生を満喫できないまま死に至った一人の若い女性の魂が、神々の助力により異世界で新たな生を受け、神々の加護を受けつつ新たな人生を歩む姿を描いたものである。
しかしながら、神々の意向とは裏腹に、転生した魂は、新たな闘いの場に身を投じることになった。
この物語は「カクヨム様」にも同時投稿します。
一応不定期なのですが、土曜の午後8時に投稿するよう努力いたします。
政略より愛を選んだ結婚。~後悔は十年後にやってきた。~
つくも茄子
恋愛
幼い頃からの婚約者であった侯爵令嬢との婚約を解消して、学生時代からの恋人と結婚した王太子殿下。
政略よりも愛を選んだ生活は思っていたのとは違っていた。「お幸せに」と微笑んだ元婚約者。結婚によって去っていた側近達。愛する妻の妃教育がままならない中での出産。世継ぎの王子の誕生を望んだものの産まれたのは王女だった。妻に瓜二つの娘は可愛い。無邪気な娘は欲望のままに動く。断罪の時、全てが明らかになった。王太子の思い描いていた未来は元から無かったものだった。後悔は続く。どこから間違っていたのか。
他サイトにも公開中。
特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった
なるとし
ファンタジー
鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。
特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。
武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。
だけど、その母と娘二人は、
とおおおおんでもないヤンデレだった……
第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
旦那の真実の愛の相手がやってきた。今まで邪魔をしてしまっていた妻はお祝いにリボンもおつけします
暖夢 由
恋愛
「キュリール様、私カダール様と心から愛し合っておりますの。
いつ子を身ごもってもおかしくはありません。いえ、お腹には既に育っているかもしれません。
子を身ごもってからでは遅いのです。
あんな素晴らしい男性、キュリール様が手放せないのも頷けますが、カダール様のことを想うならどうか潔く身を引いてカダール様の幸せを願ってあげてください」
伯爵家にいきなりやってきた女(ナリッタ)はそういった。
女は小説を読むかのように旦那とのなれそめから今までの話を話した。
妻であるキュリールは彼女の存在を今日まで知らなかった。
だから恥じた。
「こんなにもあの人のことを愛してくださる方がいるのにそれを阻んでいたなんて私はなんて野暮なのかしら。
本当に恥ずかしい…
私は潔く身を引くことにしますわ………」
そう言って女がサインした書類を神殿にもっていくことにする。
「私もあなたたちの真実の愛の前には敵いそうもないもの。
私は急ぎ神殿にこの書類を持っていくわ。
手続きが終わり次第、あの人にあなたの元へ向かうように伝えるわ。
そうだわ、私からお祝いとしていくつか宝石をプレゼントさせて頂きたいの。リボンもお付けしていいかしら。可愛らしいあなたととてもよく合うと思うの」
こうして一つの夫婦の姿が形を変えていく。
---------------------------------------------
※架空のお話です。
※設定が甘い部分があるかと思います。「仕方ないなぁ」とお赦しくださいませ。
※現実世界とは異なりますのでご理解ください。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
箱庭から始まる俺の地獄(ヘル) ~今日から地獄生物の飼育員ってマジっすか!?~
白那 又太
ファンタジー
とあるアパートの一室に住む安楽 喜一郎は仕事に忙殺されるあまり、癒しを求めてペットを購入した。ところがそのペットの様子がどうもおかしい。
日々成長していくペットに少し違和感を感じながらも(比較的)平和な毎日を過ごしていた喜一郎。
ところがある日その平和は地獄からの使者、魔王デボラ様によって粉々に打ち砕かれるのであった。
目指すは地獄の楽園ってなんじゃそりゃ!
大したスキルも無い! チートも無い! あるのは理不尽と不条理だけ!
箱庭から始まる俺の地獄(ヘル)どうぞお楽しみください。
【本作は小説家になろう様、カクヨム様でも同時更新中です】
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる