12 / 134
1 動き出す光と伏す竜
1-12話 王との謁見と
しおりを挟む
ルーセントが見上げる天井は、白と灰色が混ざる床まで十メートル近くもあって、その部屋の中には、百人が余裕で入れるほどの広さがあった。
ラーゼン、バーチェル、ルーセントの三人が立っている場所には、最初の英雄を模した四人の像が見守るように来訪者を囲っていた。
三人が今いる場所は天霊の間と呼ばれる部屋であった。
ここは、朝議や他国の使者と会うときに使わる場所。部屋の中央奥にある十段の階段を上がったところには、最初の英雄の一人でもあり、この国の建国者でもある“スティグ・レイオールド”の像が来訪者を射抜く。この国の威厳を示すかのように地面に突き刺す刀に両手を置いて立ち誇っていた。その像の前には、きらびやかな装飾が施されている横になっても眠れそうなほどの大きな玉座と、豪華で頑丈そうなテーブルがあった。
初めて訪れる場所にルーセントが部屋の中を見渡す。金の装飾が入った柱と柱の間には、大きなガラス窓があって、太い光の筋が部屋を照らしていた。
この天霊の間には三人だけではなく、柱ごとに槍を手にした近衛騎士が護衛に立っている。それだけではなく、ルーセントたちのうしろには、アンゲルヴェルク王国の爵位を持つ貴族全員が集まっていた。
さらに玉座のある階段の下には、王の身辺警護を担当する光禄勲、城門や城内外の巡察、警備を担当する衛尉を兼任する近衛騎士の団長と、その下に着く副団長が置物のように動くこともなく待機していた。
「陛下がお見えになられたら、私の行動をまねてください。会話は陛下に話しかけられたときのみ、でお願いします」なかなか来ない国王に、ラーゼンがうしろを向いて平民である二人に助言を与えた。
「わかりました」最初にルーセントが、そのあとに「わかった」とバーチェルが答えた。
物音がひとつもない空間に、親子の緊張が高まっていく。そこに「国王陛下のお越しです」と、天霊の間に兵士の低い声が響いた。
玉座の横手にある大扉が開く。そこに豪奢な衣を身にまとって歩く威風堂々とした男が現れた。それと同時に、近衛騎士以外の全員が片膝を地面につけて跪礼を行った。
バーチェル、ルーセントも遅れてまねをする。
王が玉座に座ると「楽にせよ」と伝える。一同が「感謝いたします」と立ち上がった。
ルーセントが初めて国王を見る。国のトップになる人は、全員が太っていると思いこんでいた少年は、その身分に似合わない鍛え抜かれた身体におどろいていた。
玉座に座るバーチェルより若そうに見える人物の横には、白髪の老人が控えていた。
国王がラーゼンを見る。
「待たせたな。そこの少年が最上級守護者の所有者か」
ラーゼンが「はっ!」と答える。そして、数歩だけ前に出ると少年に手を伸ばした。
「こちらにいる少年が、陛下もご存じのように、最上級守護者を持つ“ルーセント・スノー”です。その隣にいるのが、父親の“バーチェル・スノー”にございます」
ラーゼンからの紹介を受けて、国王が「そうか」と短い返事を返す。そのまま視線をルーセントへと向けた。
「今日は大儀であった。鑑定結果を見たが、おどろくほどの能力であったな。ルーセントには、王立の訓練学校でその能力を存分に磨いてもらおう。余もそなたには期待している。バーチェルも、よくぞここまで育てたな。あとで褒美を取らせよう」
「ありがたき幸せ、陛下に最大限の感謝を申し上げます」バーチェルがひざまずいて答えた。
引きつり気味の顔をしている老人の言葉に王がうなずく。
「これからのことについては、横にいる太常のバルセルから聞くとよい。それにしても、余の代で最上級守護者が現れようとは、なんとめでたいことか」
「本当にめでたいですな。王国の歴史では、初代国王であったスティグ・レイオールド様以外では一人もおりませんでしたからな。これも、天下にあまねく陛下のご威光のおかげかと」
上機嫌な国王に同調して話すこの男が、国王の紹介にあった九卿の一人、二品官の文官である王の祭典や儀式を担当する太常のバルセルであった。このバルセルも英雄の卵の誕生に心から喜んでいた。
「まったくだ。これで戯言をほざくレフィアータを追い払うこともできよう。ルーセントには、国士としての活躍を期待している」
王の言葉に、緊張で顔をこわばらせている少年は、なんとか絞り出した言葉で「精進します」と返した。銀色の髪をした少年の言葉に、国王が「あぁ」と何か思い出したように声を出す。
「わかっているであろうが、この事実は国家の最上の機密となる。よって、これ以降に口外した者は貴族であろうと死罪とする」
王の威圧を帯びた言葉に、その場にいた全員が頭を下げて「かしこまりました」と声をそろえた。国王が玉座から立ち上がると「皆の者、今日は大儀であった」と、それだけを伝えて部屋を出ていった。
ルーセントとバーチェルは、太常バルセルとともに執務室にいた。
バルセルが二人に背を向けて机の上で紙を束ねている。
「今日はご苦労であったな。それでは今後の予定だが、今は光月暦の一〇〇〇年の十一月であるから、えぇ、二年後の……光月暦一〇〇三年の三月か。王都にある、王立べラム訓練学校に通ってもらう。ここは全寮制になっておるから、入学期間に必ず入寮するように。授業料や寮の使用料については国で払う故、気にしなくともよい。それから、ルーセントには特別に生活費に関しては困らない程度ではあるが、国から補助金が支給される。もし、それでも足りなければ自分でなんとかせよ。それと、陛下も言っておられたが、今回のことは国家機密となる。その首が恋しいのなら、決して口外するではないぞ」
バルセルの説明が終わると、入学の手続きのために何種類かの書類をバーチェルが受け取る。ひとつずつ、ルーセントと確認しながらサインをしていく。すべての処理を終えたところで白髪の高貴な老人が「伝言をことづかっておる」と二人に顔を向けた。
「この後に、エアハート卿がなにか話があるそうだ。ラーゼンにもすでに伝えてあるゆえ、やつに聞くとよいだろう。六百年も続く大貴族だ、失礼のないようにな」バルセルが鋭い視線で念を押す。
「すみません、エアハート卿とはどんな方なのですか?」
ルーセントは、この国で三本の指に入る大貴族のことを知らなかった。今度はどんな脅威が迫っているのか、とバルセルの言葉を待った。
「ん? 知らぬのか? メストヴォード伯の名くらいは聞いたことがあるだろう。メストヴォード伯爵領、領主アマデウス・エアハート、それがエアハート卿だ。私でも到底頭の上がらぬお方だ。もう一度だけ言うが、失礼のないようにな」
再び念を押されるルーセント、想像すらできないほどの権力者だと知ると、この日一番の不安に刈られた。
隣にいるバーチェルも嫌そうな顔を隠しきれずにいる。無理やりに引き出した笑顔も盛大に引きつっていた。
バルセルは、青い顔をしている親子に目もくれずに、書類の不備がないかを淡々と確認していく。
「問題はなさそうだな。今日はご苦労であった。本日はこれで終わりとなる。ゆっくり休まれよ」
いまだに引きつる笑顔の親子が、バルセルに頭を下げて退室していった。
二人はメストヴォード伯爵に会うために、ラーゼンと廊下を歩いていた。
「ラーゼンさん、メストヴォード伯爵とはどんな人なんですか?」ルーセントが探るように、再び恐る恐る聞く。
「そうですね」とラーゼンが考え込む。少しの後に、歩きながら顔だけをルーセントに向けた。
「伯爵は、陛下直轄領の南側の海に面した伯爵領を統治する方です。海から侵攻してくるレフィアータ帝国を何度も撃退して、王国の盾ともいわれています。忠義に厚く、国に対して不正を働く者、害する者には容赦がありません。それこそ冷酷無比といってもいいほどです。ですが、それ以外では温厚で優しい方ですよ」
ルーセントがそれだけを聞くと、最後の言葉にホッとする。
応接室の前、ラーゼンがノックをして声をかける。その声に反応して中から「入れ」と低音の心地よい声が返ってきた。
ラーゼンが扉を開き入室する。
「失礼いたします。伯爵、ルーセント様とバーチェル様をお連れいたしました」
伯爵は自分が座っているソファーの対面に手を伸ばす。
ルーセントがそこに座ると、城のすべてが珍しいのか豪華な部屋の中をきょろきょろと見回していた。壁の一角は本棚で埋まっている。その横の壁には大きな絵画が三点飾られていた。窓際のサイドボードには高級品であろう調度品の数々が飾られていた。
ラーゼンが扉の横に待機する。
紅茶を運ぶ使用人が出ていくと、伯爵が一口、カップに口をつけた。
「急に呼び出して悪かったな。別に大した用事ではないが、私の娘もルーセントと同じ年でな、訓練学校に通うことになった。どうせなら紹介しておこうと思っているのだが、そなたたちは、ここにいつまでいるのだ?」
伯爵からの質問に「あと五日ほどです」とバーチェルが答えた。
「そうか、それなら問題はないな。明日にでも私の屋敷に招待しよう。午後になったら馬車を送る。一緒に食事でもしようじゃないか」伯爵の顔には笑みが浮かんでいた。
そんな伯爵にラーゼンが近づいてくる。
「横から申し訳ありません。招待をするのは構わないと思いますが、迎えの馬車は移動馬車を利用したほうがよろしいかと思います」
伯爵は、突然会話に割り込んだ若き騎士に一瞬だけ苛立った顔をするが、少し考えこんで「なるほどな」と納得する。
「平民相手に我が家の馬車を寄こしたとなれば、余計な勘を働かせるやつもいるかもしれんな」
「おそらくは。入城門にさえ入ってしまえば問題はないかと思いますが、ほかの貴族の目もあります。目立ったことは控えた方がよろしいかと」
「であるか。それならば、お前の言う通りに移動馬車を使うことにしよう。宿はウヌアクラーソンであったな」
「ええ、間違いありません。そこの最上階です」
ラーゼンが下がると、会話の終わりを感じ取って扉に手をかける。
「それでは、明日の夕方六時に使いを送る。一緒に私の屋敷に来るがよい」
「わかりました。それでは明日、よろしくお願いします」バーチェルが頭を下げて返答した。
伯爵が「時間を取らせて悪かったな」と立ち去る。バーチェルとルーセントがそのうしろ姿を見送った。
三人が無事に城を出ると、入城門まで戻ってきていた。
ラーゼンが馬車から降りて二人を見送る。
「今日はお疲れさまでした。慣れないことの連続で疲れたでしょう。宿でゆっくりお休みください」
すべての任務が終わって生き返ったように明るい笑顔が戻るバーチェル親子の二人、その父親がラーゼンに頭を下げた。
「いや~、今日はラーゼン殿のおかげで助かったわい」
「いえ、こちらこそ申し訳ありませんでした。移動馬車が到着していますので、そちらでお帰りください。それでは、私はこれで失礼します」ラーゼンが深々と頭を下げる。
バーチェル、ルーセントの二人も慌てて頭を下げた。
離れていくラーゼンの馬車を見送る親子二人、バーチェルが両腕を空に伸ばす。
「今日は特に疲れたな。もう何もする気が起きんわい」
「まったくですね。ご飯はどうしましょうか?」
「そうだな、適当にそこらの食堂にでも寄って帰るか」
「やっぱり、庶民が一番ですね」
「まったくだな」バーチェルが肩をもみながら答えた。
二人は待機する移動馬車に乗り込むと、宿の方へと帰っていった。
城に戻ってきたラーゼンに一人の兵士が駆け寄る。
「ラーゼン、陛下が寝室に来るように、とのことだ」
考え込むラーゼン、同僚に「わかった」と答えると寝室に急いだ。国王の寝室の前まで来ると、侍女に用件を伝えて中に入っていく。
「陛下、ただいま戻りました」
「おお、戻ったか。二人の様子はどうであった」
「相当にお疲れのようでした」
「まぁ、無理もないか。ところで、計画の方はどうなっておる」
国王が二人しかいない静かな部屋で、声の大きさを落とす。
「順調です。相手もすでに手配済みです。万が一のことも考えて、陛下よりお借りした密偵もつけております。何かあった時でも安全でしょう」ラーゼンも呼応するようにささやいた。
「そうか、ならば問題はないな。最初に聞いたときは稚拙だとも思ったが、相手はしょせん子供だ。このぐらいがちょうどよいかもしれんな」
ラーゼンが不敵な笑みを浮かべる。
「危機を助け出されたのが、陛下のお力とわかれば、必ずや忠義をもって陛下に仕えることでしょう」
国王がルーセントの鑑定結果の紙を取り出して眺める。
「こんなデタラメな能力を持ったものを、他国や貴族どもに渡すわけにはいかんからな」
国王の言葉に、ラーゼンが耳打ちする。
「それに関して、ひとつだけ陛下に報告があります」
「どうした?」国王が眉間にシワを寄せる。
「メストヴォード伯爵が、二人を呼び止めて食事に誘っております。娘を紹介したい、とのことでしたが……」
ラーゼンの報告に、国王が目を閉じる。
「そうか……、だがまぁ、あやつなら問題はなかろう。こんなことであやつを敵に回してもつまらん」
「よろしいのですか? 念のために密偵をつけさせましょうか?」
「やめておけ。送ったところですぐにバレるだけだ。意味がない」
「了解しました」
用件を伝え終えた二人、国王が「あとは任せたぞ」というと、ラーゼンが「お任せください」と一礼して出ていった。
ラーゼン、バーチェル、ルーセントの三人が立っている場所には、最初の英雄を模した四人の像が見守るように来訪者を囲っていた。
三人が今いる場所は天霊の間と呼ばれる部屋であった。
ここは、朝議や他国の使者と会うときに使わる場所。部屋の中央奥にある十段の階段を上がったところには、最初の英雄の一人でもあり、この国の建国者でもある“スティグ・レイオールド”の像が来訪者を射抜く。この国の威厳を示すかのように地面に突き刺す刀に両手を置いて立ち誇っていた。その像の前には、きらびやかな装飾が施されている横になっても眠れそうなほどの大きな玉座と、豪華で頑丈そうなテーブルがあった。
初めて訪れる場所にルーセントが部屋の中を見渡す。金の装飾が入った柱と柱の間には、大きなガラス窓があって、太い光の筋が部屋を照らしていた。
この天霊の間には三人だけではなく、柱ごとに槍を手にした近衛騎士が護衛に立っている。それだけではなく、ルーセントたちのうしろには、アンゲルヴェルク王国の爵位を持つ貴族全員が集まっていた。
さらに玉座のある階段の下には、王の身辺警護を担当する光禄勲、城門や城内外の巡察、警備を担当する衛尉を兼任する近衛騎士の団長と、その下に着く副団長が置物のように動くこともなく待機していた。
「陛下がお見えになられたら、私の行動をまねてください。会話は陛下に話しかけられたときのみ、でお願いします」なかなか来ない国王に、ラーゼンがうしろを向いて平民である二人に助言を与えた。
「わかりました」最初にルーセントが、そのあとに「わかった」とバーチェルが答えた。
物音がひとつもない空間に、親子の緊張が高まっていく。そこに「国王陛下のお越しです」と、天霊の間に兵士の低い声が響いた。
玉座の横手にある大扉が開く。そこに豪奢な衣を身にまとって歩く威風堂々とした男が現れた。それと同時に、近衛騎士以外の全員が片膝を地面につけて跪礼を行った。
バーチェル、ルーセントも遅れてまねをする。
王が玉座に座ると「楽にせよ」と伝える。一同が「感謝いたします」と立ち上がった。
ルーセントが初めて国王を見る。国のトップになる人は、全員が太っていると思いこんでいた少年は、その身分に似合わない鍛え抜かれた身体におどろいていた。
玉座に座るバーチェルより若そうに見える人物の横には、白髪の老人が控えていた。
国王がラーゼンを見る。
「待たせたな。そこの少年が最上級守護者の所有者か」
ラーゼンが「はっ!」と答える。そして、数歩だけ前に出ると少年に手を伸ばした。
「こちらにいる少年が、陛下もご存じのように、最上級守護者を持つ“ルーセント・スノー”です。その隣にいるのが、父親の“バーチェル・スノー”にございます」
ラーゼンからの紹介を受けて、国王が「そうか」と短い返事を返す。そのまま視線をルーセントへと向けた。
「今日は大儀であった。鑑定結果を見たが、おどろくほどの能力であったな。ルーセントには、王立の訓練学校でその能力を存分に磨いてもらおう。余もそなたには期待している。バーチェルも、よくぞここまで育てたな。あとで褒美を取らせよう」
「ありがたき幸せ、陛下に最大限の感謝を申し上げます」バーチェルがひざまずいて答えた。
引きつり気味の顔をしている老人の言葉に王がうなずく。
「これからのことについては、横にいる太常のバルセルから聞くとよい。それにしても、余の代で最上級守護者が現れようとは、なんとめでたいことか」
「本当にめでたいですな。王国の歴史では、初代国王であったスティグ・レイオールド様以外では一人もおりませんでしたからな。これも、天下にあまねく陛下のご威光のおかげかと」
上機嫌な国王に同調して話すこの男が、国王の紹介にあった九卿の一人、二品官の文官である王の祭典や儀式を担当する太常のバルセルであった。このバルセルも英雄の卵の誕生に心から喜んでいた。
「まったくだ。これで戯言をほざくレフィアータを追い払うこともできよう。ルーセントには、国士としての活躍を期待している」
王の言葉に、緊張で顔をこわばらせている少年は、なんとか絞り出した言葉で「精進します」と返した。銀色の髪をした少年の言葉に、国王が「あぁ」と何か思い出したように声を出す。
「わかっているであろうが、この事実は国家の最上の機密となる。よって、これ以降に口外した者は貴族であろうと死罪とする」
王の威圧を帯びた言葉に、その場にいた全員が頭を下げて「かしこまりました」と声をそろえた。国王が玉座から立ち上がると「皆の者、今日は大儀であった」と、それだけを伝えて部屋を出ていった。
ルーセントとバーチェルは、太常バルセルとともに執務室にいた。
バルセルが二人に背を向けて机の上で紙を束ねている。
「今日はご苦労であったな。それでは今後の予定だが、今は光月暦の一〇〇〇年の十一月であるから、えぇ、二年後の……光月暦一〇〇三年の三月か。王都にある、王立べラム訓練学校に通ってもらう。ここは全寮制になっておるから、入学期間に必ず入寮するように。授業料や寮の使用料については国で払う故、気にしなくともよい。それから、ルーセントには特別に生活費に関しては困らない程度ではあるが、国から補助金が支給される。もし、それでも足りなければ自分でなんとかせよ。それと、陛下も言っておられたが、今回のことは国家機密となる。その首が恋しいのなら、決して口外するではないぞ」
バルセルの説明が終わると、入学の手続きのために何種類かの書類をバーチェルが受け取る。ひとつずつ、ルーセントと確認しながらサインをしていく。すべての処理を終えたところで白髪の高貴な老人が「伝言をことづかっておる」と二人に顔を向けた。
「この後に、エアハート卿がなにか話があるそうだ。ラーゼンにもすでに伝えてあるゆえ、やつに聞くとよいだろう。六百年も続く大貴族だ、失礼のないようにな」バルセルが鋭い視線で念を押す。
「すみません、エアハート卿とはどんな方なのですか?」
ルーセントは、この国で三本の指に入る大貴族のことを知らなかった。今度はどんな脅威が迫っているのか、とバルセルの言葉を待った。
「ん? 知らぬのか? メストヴォード伯の名くらいは聞いたことがあるだろう。メストヴォード伯爵領、領主アマデウス・エアハート、それがエアハート卿だ。私でも到底頭の上がらぬお方だ。もう一度だけ言うが、失礼のないようにな」
再び念を押されるルーセント、想像すらできないほどの権力者だと知ると、この日一番の不安に刈られた。
隣にいるバーチェルも嫌そうな顔を隠しきれずにいる。無理やりに引き出した笑顔も盛大に引きつっていた。
バルセルは、青い顔をしている親子に目もくれずに、書類の不備がないかを淡々と確認していく。
「問題はなさそうだな。今日はご苦労であった。本日はこれで終わりとなる。ゆっくり休まれよ」
いまだに引きつる笑顔の親子が、バルセルに頭を下げて退室していった。
二人はメストヴォード伯爵に会うために、ラーゼンと廊下を歩いていた。
「ラーゼンさん、メストヴォード伯爵とはどんな人なんですか?」ルーセントが探るように、再び恐る恐る聞く。
「そうですね」とラーゼンが考え込む。少しの後に、歩きながら顔だけをルーセントに向けた。
「伯爵は、陛下直轄領の南側の海に面した伯爵領を統治する方です。海から侵攻してくるレフィアータ帝国を何度も撃退して、王国の盾ともいわれています。忠義に厚く、国に対して不正を働く者、害する者には容赦がありません。それこそ冷酷無比といってもいいほどです。ですが、それ以外では温厚で優しい方ですよ」
ルーセントがそれだけを聞くと、最後の言葉にホッとする。
応接室の前、ラーゼンがノックをして声をかける。その声に反応して中から「入れ」と低音の心地よい声が返ってきた。
ラーゼンが扉を開き入室する。
「失礼いたします。伯爵、ルーセント様とバーチェル様をお連れいたしました」
伯爵は自分が座っているソファーの対面に手を伸ばす。
ルーセントがそこに座ると、城のすべてが珍しいのか豪華な部屋の中をきょろきょろと見回していた。壁の一角は本棚で埋まっている。その横の壁には大きな絵画が三点飾られていた。窓際のサイドボードには高級品であろう調度品の数々が飾られていた。
ラーゼンが扉の横に待機する。
紅茶を運ぶ使用人が出ていくと、伯爵が一口、カップに口をつけた。
「急に呼び出して悪かったな。別に大した用事ではないが、私の娘もルーセントと同じ年でな、訓練学校に通うことになった。どうせなら紹介しておこうと思っているのだが、そなたたちは、ここにいつまでいるのだ?」
伯爵からの質問に「あと五日ほどです」とバーチェルが答えた。
「そうか、それなら問題はないな。明日にでも私の屋敷に招待しよう。午後になったら馬車を送る。一緒に食事でもしようじゃないか」伯爵の顔には笑みが浮かんでいた。
そんな伯爵にラーゼンが近づいてくる。
「横から申し訳ありません。招待をするのは構わないと思いますが、迎えの馬車は移動馬車を利用したほうがよろしいかと思います」
伯爵は、突然会話に割り込んだ若き騎士に一瞬だけ苛立った顔をするが、少し考えこんで「なるほどな」と納得する。
「平民相手に我が家の馬車を寄こしたとなれば、余計な勘を働かせるやつもいるかもしれんな」
「おそらくは。入城門にさえ入ってしまえば問題はないかと思いますが、ほかの貴族の目もあります。目立ったことは控えた方がよろしいかと」
「であるか。それならば、お前の言う通りに移動馬車を使うことにしよう。宿はウヌアクラーソンであったな」
「ええ、間違いありません。そこの最上階です」
ラーゼンが下がると、会話の終わりを感じ取って扉に手をかける。
「それでは、明日の夕方六時に使いを送る。一緒に私の屋敷に来るがよい」
「わかりました。それでは明日、よろしくお願いします」バーチェルが頭を下げて返答した。
伯爵が「時間を取らせて悪かったな」と立ち去る。バーチェルとルーセントがそのうしろ姿を見送った。
三人が無事に城を出ると、入城門まで戻ってきていた。
ラーゼンが馬車から降りて二人を見送る。
「今日はお疲れさまでした。慣れないことの連続で疲れたでしょう。宿でゆっくりお休みください」
すべての任務が終わって生き返ったように明るい笑顔が戻るバーチェル親子の二人、その父親がラーゼンに頭を下げた。
「いや~、今日はラーゼン殿のおかげで助かったわい」
「いえ、こちらこそ申し訳ありませんでした。移動馬車が到着していますので、そちらでお帰りください。それでは、私はこれで失礼します」ラーゼンが深々と頭を下げる。
バーチェル、ルーセントの二人も慌てて頭を下げた。
離れていくラーゼンの馬車を見送る親子二人、バーチェルが両腕を空に伸ばす。
「今日は特に疲れたな。もう何もする気が起きんわい」
「まったくですね。ご飯はどうしましょうか?」
「そうだな、適当にそこらの食堂にでも寄って帰るか」
「やっぱり、庶民が一番ですね」
「まったくだな」バーチェルが肩をもみながら答えた。
二人は待機する移動馬車に乗り込むと、宿の方へと帰っていった。
城に戻ってきたラーゼンに一人の兵士が駆け寄る。
「ラーゼン、陛下が寝室に来るように、とのことだ」
考え込むラーゼン、同僚に「わかった」と答えると寝室に急いだ。国王の寝室の前まで来ると、侍女に用件を伝えて中に入っていく。
「陛下、ただいま戻りました」
「おお、戻ったか。二人の様子はどうであった」
「相当にお疲れのようでした」
「まぁ、無理もないか。ところで、計画の方はどうなっておる」
国王が二人しかいない静かな部屋で、声の大きさを落とす。
「順調です。相手もすでに手配済みです。万が一のことも考えて、陛下よりお借りした密偵もつけております。何かあった時でも安全でしょう」ラーゼンも呼応するようにささやいた。
「そうか、ならば問題はないな。最初に聞いたときは稚拙だとも思ったが、相手はしょせん子供だ。このぐらいがちょうどよいかもしれんな」
ラーゼンが不敵な笑みを浮かべる。
「危機を助け出されたのが、陛下のお力とわかれば、必ずや忠義をもって陛下に仕えることでしょう」
国王がルーセントの鑑定結果の紙を取り出して眺める。
「こんなデタラメな能力を持ったものを、他国や貴族どもに渡すわけにはいかんからな」
国王の言葉に、ラーゼンが耳打ちする。
「それに関して、ひとつだけ陛下に報告があります」
「どうした?」国王が眉間にシワを寄せる。
「メストヴォード伯爵が、二人を呼び止めて食事に誘っております。娘を紹介したい、とのことでしたが……」
ラーゼンの報告に、国王が目を閉じる。
「そうか……、だがまぁ、あやつなら問題はなかろう。こんなことであやつを敵に回してもつまらん」
「よろしいのですか? 念のために密偵をつけさせましょうか?」
「やめておけ。送ったところですぐにバレるだけだ。意味がない」
「了解しました」
用件を伝え終えた二人、国王が「あとは任せたぞ」というと、ラーゼンが「お任せください」と一礼して出ていった。
0
お気に入りに追加
68
あなたにおすすめの小説
【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる
三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。
こんなはずじゃなかった!
異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。
珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に!
やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活!
右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり!
アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
かつて最弱だった魔獣4匹は、最強の頂きまで上り詰めたので同窓会をするようです。
カモミール
ファンタジー
「最強になったらまた会おう」
かつて親友だったスライム、蜘蛛、鳥、ドラゴン、
4匹は最弱ランクのモンスターは、
強さを求めて別々に旅に出る。
そして13年後、
最強になり、魔獣四王と恐れられるようになった彼女ら
は再び集う。
しかし、それは世界中の人々にとって脅威だった。
世間は4匹が好き勝手楽しむ度に
世界の危機と勘違いをしてしまうようで・・・?
*不定期更新です。
*スピンオフ(完結済み)
ヴァイロン家の少女が探す夢の続き~名家から追放された天才女騎士が最強の冒険者を目指すまでの物語~
掲載中です。
私はもう必要ないらしいので、国を護る秘術を解くことにした〜気づいた頃には、もう遅いですよ?〜
AK
ファンタジー
ランドロール公爵家は、数百年前に王国を大地震の脅威から護った『要の巫女』の子孫として王国に名を残している。
そして15歳になったリシア・ランドロールも一族の慣しに従って『要の巫女』の座を受け継ぐこととなる。
さらに王太子がリシアを婚約者に選んだことで二人は婚約を結ぶことが決定した。
しかし本物の巫女としての力を持っていたのは初代のみで、それ以降はただ形式上の祈りを捧げる名ばかりの巫女ばかりであった。
それ故に時代とともにランドロール公爵家を敬う者は減っていき、遂に王太子アストラはリシアとの婚約破棄を宣言すると共にランドロール家の爵位を剥奪する事を決定してしまう。
だが彼らは知らなかった。リシアこそが初代『要の巫女』の生まれ変わりであり、これから王国で発生する大地震を予兆し鎮めていたと言う事実を。
そして「もう私は必要ないんですよね?」と、そっと術を解き、リシアは国を後にする決意をするのだった。
※小説家になろう・カクヨムにも同タイトルで投稿しています。
悠久の機甲歩兵
竹氏
ファンタジー
文明が崩壊してから800年。文化や技術がリセットされた世界に、その理由を知っている人間は居なくなっていた。 彼はその世界で目覚めた。綻びだらけの太古の文明の記憶と機甲歩兵マキナを操る技術を持って。 文明が崩壊し変わり果てた世界で彼は生きる。今は放浪者として。
※現在毎日更新中
落ちこぼれの貴族、現地の人達を味方に付けて頑張ります!
ユーリ
ファンタジー
気が付くと見知らぬ部屋にいた。
最初は、何が起こっているのか、状況を把握する事が出来なかった。
でも、鏡に映った自分の姿を見た時、この世界で生きてきた、リュカとしての記憶を思い出した。
記憶を思い出したはいいが、状況はよくなかった。なぜなら、貴族では失敗した人がいない、召喚の儀を失敗してしまった後だったからだ!
貴族としては、落ちこぼれの烙印を押されても、5歳の子供をいきなり屋敷の外に追い出したりしないだろう。しかも、両親共に、過保護だからそこは大丈夫だと思う……。
でも、両親を独占して甘やかされて、勉強もさぼる事が多かったため、兄様との関係はいいとは言えない!!
このままでは、兄様が家督を継いだ後、屋敷から追い出されるかもしれない!
何とか兄様との関係を改善して、追い出されないよう、追い出されてもいいように勉強して力を付けるしかない!
だけど、勉強さぼっていたせいで、一般常識さえも知らない事が多かった……。
それに、勉強と兄様との関係修復を目指して頑張っても、兄様との距離がなかなか縮まらない!!
それでも、今日も関係修復頑張ります!!
5/9から小説になろうでも掲載中
『王家の面汚し』と呼ばれ帝国へ売られた王女ですが、普通に歓迎されました……
Ryo-k
ファンタジー
王宮で開かれた側妃主催のパーティーで婚約破棄を告げられたのは、アシュリー・クローネ第一王女。
優秀と言われているラビニア・クローネ第二王女と常に比較され続け、彼女は貴族たちからは『王家の面汚し』と呼ばれ疎まれていた。
そんな彼女は、帝国との交易の条件として、帝国に送られることになる。
しかしこの時は誰も予想していなかった。
この出来事が、王国の滅亡へのカウントダウンの始まりであることを……
アシュリーが帝国で、秘められていた才能を開花するのを……
※この作品は「小説家になろう」でも掲載しています。
王が気づいたのはあれから十年後
基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。
妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。
仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。
側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。
王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。
王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。
新たな国王の誕生だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる