月影の砂

鷹岩 良帝

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1 動き出す光と伏す竜

1-11話 守護者解放 魂の審判者ヴァンシエル

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 鑑定部屋の前にある前室に入ると、三人の使用人が出迎える。クリーム色の細長い部屋の中央には白い両開き扉があった。さらにその横、左を向けば待合室に通じる茶色の一枚扉があった。
 先頭に立つラーゼンが二人に振り向く。

「それでは、バーチェル様はこちらの待機部屋でお待ちください。ルーセント様は、このまま私と一緒に奥の部屋までお願いします」

 若き騎士の言葉の終わりとともに使用人が動き出した。


 鑑定部屋のなか、ラーゼンは入り口に控えていた。少年は部屋の奥を目指して歩いていく。そこには水晶が置かれたテーブルと鑑定士が待機していた。
 緊張がにじむルーセントの心臓が早く鼓動する。不安と緊張と少しだけの楽しみが混ざりあって、うれしそうでもあり、困惑したような顔で鑑定士の前に立った。

「ルーセント様、本日はようこそお越しくださいました。早速ですが、鑑定の方を始めさせていただきます。この水晶に左手で触れてください」鑑定士が頭を下げた後、にこやかに言う。

 ルーセントは、言われるがままに水晶に触れた。
 鑑定士の目の前に、ヒールガーデンと同じ鑑定結果が表示される。本当に“最上級”と表示されている文字に、壮年の鑑定士の眼がおどろきに見開く。結果を紙に転写させると、入り口で待つラーゼンのもとに渡しに行った。

 内容を確認するラーゼン、書かれた情報にうなずくと、国王に報告するために部屋を出ていった。
 しばらくしてラーゼンが戻ってくる。

「陛下の許可が出た。すぐに守護者の解放を行うように」
「かしこまりました」鑑定士が返事とともに頭を下げる。そのままルーセントを見ると「それではルーセント様、今度はあちらにある魔法陣の真ん中にお立ちください」と促した。

 部屋の中央、そこに魔法陣が描かれていた。フェリシアが立ったその場所に、今度はルーセントが立つ。鑑定士が両手をルーセントに向けた。

「我らは求む。この世の光にして万物の希望、女神の眷属(けんぞく)にして守護の神、古(いにしえ)の盟約によって、ここに顕現せよ」

 詠唱が終わると同時に、魔法陣から白く輝く光が天井まで昇った。その光に合わせて、ルーセントの左手にある文様が黄色く輝いた。光が一瞬で部屋を染め上げる。あまりのまぶしさにルーセントは光が収まるまで目を閉じた。


 ――目を開くと、ルーセントはいつか見た森と草原がある場所に立っていた。

「待っていましたよ、ルーセント」

 ぼんやりとした顔で立つ少年に声をかけたのは、どこか見覚えのある桜色の髪に、青い衣をまとった女性であった。一つだけ違うのは、初めて会った時とは違って、その身体は透けてはいなかった。

「ここは、……めがみ、さま?」

 前に立つ女性の身体がほんのりと光った。

「そうです。前に一度だけ会っていますが、もう思い出せますね」

 女神シャーレンの言葉で、今まで忘れていた記憶があふれ出す。

「はい、絶望……、を倒してほしいってことでしたよね」

 ルーセントの言葉に、シャーレンがうなずきながらほほ笑んだ。そして、数歩だけ近づくと右手を胸に添えた。

「もし、彼の者の討伐に失敗すれば、必ず人類は滅亡の運命をたどるでしょう。勝手に巻き込んで申し訳ありませんが、よろしくお願いします」

 女神の金色の瞳に映る、うつむき加減の少年は不安を隠せないのか、下唇をかんでいた。

「本当に僕にできるのでしょうか? そんな大事なこと」少年が弱々しい瞳でシャーレンを見る。
「大丈夫です。あなたにはそれだけの力が備わっています。もちろん、目的を果たす途中には、いろいろな困難があるとは思いますが、特別な力を有するあなたならきっと……」

 特別な力がある、という女神の言葉に反発するように、ルーセントは首を横に振る。

「僕にそんな力があるなんて、信じられません」

 いつもバーチェルとの鍛錬で負けてばかりの自分、斬られそうと思うだけで怖くて動けなくなってしまう。それだけではなく、自分のせいで母親を死なせてしまった、そんな負い目につぶされそうになっている少年には、女神の言葉は軽すぎた。
 いつまでたっても弱々しいルーセントの様子に女神が策を講じる。

「どうやら、あなたの心の中で重石となっているものがあるようですね。まずはそれをどうにかしましょう」
「え? どうして……」

 女神がルーセントの言葉を待たずに両手を重ねると、目を閉じて静かに祈った。
 シャーレンを中心に風が吹き抜ける。その風が視界の奥にまで駆け巡ると、七色に光る光の珠が、空から螺旋らせんを描いてゆっくりと降りてきた。

 光がルーセントの前に落ちると二人の男女へと変わる。
 ルーセントは、おどろきのあまりに固まっていた。

 その姿を見て、やっとのことで絞り出した声が「おか、あさん?」と空気を震わせた。
 記憶の片隅にあるルーセント唯一の記憶。そして、もう一度だけ会いたいと、幾千、幾万と願った女性がそこに立っていた。
 目の前の女性は、記憶の中と同じ銀色の髪に、金の瞳をもつルーセントの母、ニアであった。そのニアが自分の息子を見て、やさしくほほ笑んだ。

「会いたかったわよ、ルーセント。ずいぶんと大きくなったわね。それに、こんなにたくましく育って、やっぱりあの人にお願いしてよかったわ」

 ルーセントの眼からは、自然と涙がこぼれ落ちていた。
 会いたくても会えなかった存在に、ルーセントが泣きながら抱きつく。たった三年しか一緒にいてあげられなかった母親は、誰よりも愛おしそうに、その小さな身体を優しく抱きしめた。

 ニアの隣に立つ男、父親のディグノも穏やかな口調で「元気そうだな」と息子の頭をなでた。続けて「悪かったな。助けてやれずに、つらい思いをさせちまって。それにしても、いい男になったじゃないか。顔がニアに似てくれたおかげだな」

 父親の言葉に、ルーセントがにこやかに見つめる。ニアもディグノを見た。

「あら? 私はあなたに似ていると思うわよ」
「お、そうか? じゃあ、二人のいいところを取ったんだな。もうけたな」

 ニアとディグノが楽しそうにお互いの顔を見る。そんな二人の顔を見て、ルーセントが自然と笑みを見せるが、急に顔を下に向けてしまった。それを見たディグノが首をかしげる。

「どうした? 急にしょんぼりして」

 父親の言葉に、ルーセントが無言で頭を左右に振る。そして、いまにも泣きそうな顔で母の顔を見上げた。

「お母さん、ごめん。僕のせいで、お母さんが……」ルーセントは言い終わる前に涙を流した。

 ニアがまたもやルーセントをやさしく抱きしめた。

「そんなこと気にしてたの? 母親が自分の子供を守るのは当然でしょ。ルーセントが元気に過ごしてくれているだけで十分よ。それに、私を助けようとしてくれたんでしょ。それだけで私はうれしかったわよ」
「でも……」

 まだ責任を感じて謝ろうとしているルーセントに、今度はディグノが割って入ってきた。

「三歳の子供ができることなんて、たかが知れてるよ。お前が責任を感じることなんて、何もない。だいたい、元はといえば、俺が助けてやれなかったのが悪いんだからな」そういってルーセントの背中を軽くたたいた。

 ニアがその言葉を聞いて、意地の悪い笑みを浮かべる。

「そうね。あなたが倒せていれば、いまも三人でずっと一緒にいられたのにね? だから悪いのはディグノであって、ルーセントじゃないのよ」
「……言い返せないのがつらいところだな。でもね、ニアさん、職人風情が盗賊を倒すとか、結構ハードルが高いんだぞ。いっぱいいたしな。それに……」

 ディグノが何かを言おうとしたが、両手を上げて「降参」と無理に笑顔を作った。その様子にニアがクスッと笑う。

「ふふ、冗談よ。あなたは十分かっこよかったわよ。まぁ、ほとんど見てなかったけどね」

 少しの間、二人がお互いに顔を見つめあう。そして、ほぼ同時に最愛の息子に視線を注いだ。先に口を開くのはディグノだった。

「まぁ、結果は残念だったけど、俺たちは別に後悔なんてしていないし、お前を恨んでもいない。それに、考えようによっては、この状態も悪くないぞ。なんて言ったって若いままずっと二人でいられるからな。結構もうけたもんだろう? これはこれで悪くない」
「そうね。それに、またいつか三人で一緒に過ごせる日が来るわよ。でもね、あなたはゆっくりこっちに来なさい」
「そうだぞ。お前には大事な役目があるんだからな。過去の出来事に、いつまでも縛られるな。そんな情けないやつに育てた覚えはないぞ。まぁ、三年間だけだったけどな」

 二人がひと通り伝えたかったことを伝えると、今までとは違って真剣な表情へと変わった。
 今度はニアが最初に口を開く。

「それでも、もしあなたが自分を許せないままでいるのなら、今度は助けてあげなさい。あなたを知る人のために、そして大事な人のためにね」
「ああ、男なら自分の納得いくまで精いっぱい走り回ってこい。失敗したって気にするな。でもな、男なら一度決めたことは最後まで貫け」ディグノがこぶしでルーセントの胸を軽くたたいた。
「ふふ、また三人で過ごせるときが楽しみね。いってらっしゃい、ルーセント」

 ニアが優しいほほ笑みをルーセントに贈った。両親の言葉に覚悟を決めたルーセントは、その表情をりりしいものへと変える。

「うん、ありがとう。お父さん、お母さん。行ってきます」

 晴れやかな顔に戻ったルーセントが女神に向き合う。

「女神様、ありがとうございました。僕、がんばります」

 頭を下げるルーセントにシャーレンが強くうなずく。

「どんな結果になろうとも、最後まであきらめないことです。過去は変えられませんが、未来の自分を変えるのは、今の自分しかありません。あの二人に誇れるように生きなさい」

 無言でうなずくルーセントの顔は、過去の英雄を思わせるものであった。月の女神が優しくほほ笑むと、最後にルーセントに願う。

「もう時間がありません、頼みましたよ。必ずや絶望の野望を打ち砕いてください」
「はい、任せてください。必ず倒して見せます」

 ルーセントが清々しい顔で伝えると、その視界が暗くなっていった――。


 ルーセントが目を開けると、魔法陣から立ち昇っていた光が消えていた。ふと見下ろす手首の文様。それはいつの間にか、黒から黄色に変わっていた。
 きょろきょろと周囲を見渡すルーセントに、鑑定士が慌てて近づいてきた。

「ルーセント様! ご無事ですか? 普段ならあんなに強い光も、その光もこんなに長く続くことはありません。もし、どこか身体に不調を感じるなら教えてください。すぐに太医たいいをお呼びします」

 ルーセントが身体の状態を確認していると、ラーゼンも心配して声をかけてくる。

「ルーセント様、何ともありませんか?」

 ルーセントが「大丈夫です。問題ありません」と答えると、安心したのか二人の肩の力は抜けていた。
「あんなに強い光を見たのは初めてです。もし今後、具合が悪くなるようなことがあれば、遠慮なくおっしゃってください」ラーゼンがなおも小さい身体を心配して背中に手を添える。

 ルーセントがもう一度だけ礼を述べると、全員が鑑定部屋を退出していった。
 守護者の開放を無事に終えて、一同がバーチェルのもとへと戻ってきた。

「そうか、無事で何よりだ」と、いきさつを聞いてほっとしているバーチェルが「この後はたしか……」と言いよどんだ。そこにラーゼンが進路を封鎖するように立つ。
「この後は陛下との謁見です。それではご案内しますので、ついてきてください」と、満面の笑みで答えた。

 明るい表情のラーゼンとは逆に、バーチェル親子の顔は深海の底より沈んでいた。

「本当に大丈夫なのでしょうか? 不安しかないんですけど」ルーセントは魂の抜けたような顔でラーゼンに問う。バーチェルもそれに続いて「このまま帰るわけにはいかんのか?」とうんざりした顔をしていた。
「そんなことをしたら、私の首が飛びますよ。ここまで来たら覚悟を決めていきましょう。本当に大丈夫ですから」

 困惑したラーゼンの顔を見た二人は、世話になった青年の首を飛ばすまい、と渋々青年のうしろをついて行った。
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