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1 動き出す光と伏す竜
1-2話 ルーセント・スノー
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光月暦 一〇〇〇年 十月
世界中で起きた地震から五年が過ぎた。
世界に君臨する五大国の一つに、ポセタ大陸の西を統治するアンゲルヴェルク王国という国がある。その王都から遠く西へ行った場所に『ヒールガーデン』という町があった。
この町にひとつだけある道場からは、何度も木をたたくような音が辺りに響いていた。
その音は、二人の老人と少年が剣術の練習で木刀を打ち合う音だった。
微動だにすることもなく木刀を構えている老人、ここの道場主であるバーチェル・スノーが、白い色が多くなった黒髪をときおり吹き抜ける風に揺らしていた。とても老人とは思えないほどの鍛え抜かれた体格のせいか、それとも醸し出す圧倒的な風格のせいか、その身体を目の前の少年に大きく見せていた。
対する少年は、ときおり覇気に気圧されて、にらみつける目が泳いでいる。銀髪の短い髪をうしろに流して、輝く金色の瞳を目の前の老人に向けていた。
少年の名はルーセント・スノーという。バーチェルの息子であった。
この少年もまた父親と同じように木刀を持って向かい合っていた。
ルーセントとバーチェルの戦いは、一日も途切れることなく少年の負けが続いている。自分が子供とはいえ一度も勝てないというのは気が済まない。そう思う少年の、どこか優しげでありながらも、意志の強そうなまなざしが父親を射抜く。
今年で十歳になるルーセントは、今日は負けないぞ、と逸る気持ちを落ち着かせるために軽く息をはいた。
「準備はよいか? ルーセント」
「はい」
お互いに木刀を合わせると一歩離れる。
二人の間を静寂が包み込んだ。そこに風が吹き抜ける。
向かい合う二人の服が、髪の毛がふわりと揺れる。その暖かい風に乗って、庭の木から千切れた木の葉が道場の床にそっと落ちると、ルーセントが動いた。
「せい!」
「はっ」
ルーセントが右手だけで木刀を右に切り上げると、バーチェルも合わせるように、ほぼ同時に同じ動作を繰り出した。
二本の木刀がぶつかり道場に乾いた音を響かせる。
ルーセントがしびれる右手に力を入れなおすと、はじかれた勢いそのままに木刀を身体の左に流した。そのまま手元で縦に回転させながら両手で持ち直すと、白黒の頭を狙った。
「てい!」
「ほっ」
受けるバーチェルは相手に動きを合わせつつも、自身の木刀の先端に左手を添えた。そのまま頭を狙う一撃を左から右へ被せるように押さえ込んだ。そして左足を踏み込むと突きの姿勢をとった。
父親の反撃を警戒したルーセントは、瞬時にうしろへと下がる。それでも止まらない老練なる一撃は、床板を軋ませて間合いを瞬時に詰めた。
向かい来る空間を切り裂かんばかりの突進に、受ける少年の金色の瞳が委縮する。
「はっ」
「くっ!」
銀髪が激しく揺れてさらにもう一歩、見えない壁のように押し寄せる威圧感に屈してうしろへと下がった。しかしルーセントは、迫る恐怖を打ち破らんと木刀を振り下ろす。
道場に再び乾いた音が響いた。
一瞬だけ動きが止まる二人。
今度はルーセントが反撃に転じる。左足を大きく踏み出すと同時に、大きく円を描くように木刀を振り上げ打ち下ろした。
バーチェルは右足を軸に左足を下げつつも、寝かせた木刀の切先に左手を添える。そのまま頭上まで持ち上げながら襲い来る攻撃を受け止めた。
胴ががら空きとなったルーセントは、あせりとともに強引に木刀を押し下げる。そして、そのまま滑り込ませて首を狙った。
ところが、バーチェルはすでに左足をもう一歩下げていて、上半身をひねりながら木刀の軌道を反らしていた。
空振りに終わった少年の攻撃は、バーチェルが自身の木刀の切先を起こすと、お互いの身体の正面で押し付ける形となった。
「まだまだこれからだ。行くぞ、ルーセント」
いがみ合う二人、先に動いたバーチェルが木刀を強く押し込んで息子を後方へと下げる。そして、バランスを崩して大きく下がるルーセントを追った。
一気に詰まる二人の間合いに、寸分のズレすら許さない卓越した技術を振るう老剣士は、自身の木刀をルーセントの木刀にあてがった。そして手を狙って滑らせる。
ルーセントは自分の手に向かってくる木刀にあせりつつも切先を下に、柄を軽く持ち上げてこの攻撃を防いだ。今度はお返しとばかりにルーセントも同じように手を狙うが、バーチェルも同じ動作を繰り出して防がれてしまった。
お互いが前後に動きながら同じ動作を二回続ける。
しびれを切らしたルーセントが仕切りなおそうと大きく下がる。再びお互いの間に空間が生まれた。
その隙を見逃さずバーチェルが瞬時に踏み込むと同時に、頭をめがけて木刀を振り下ろした。
ルーセントは迫りくる木刀を見て、何かを恐れるように一瞬だけひるんでしまった。
「遅い!」
「ぐっ」
反応が遅れたルーセントは、片膝をつきながら寸前のところで木刀の先端に左手を添えると、頭の上で何とか受け止めた。
しかし、これだけではバーチェルの勢いは止まらない。息子を押しつぶそうとするかのように、木刀ごとルーセントをへし斬る勢いで強く押し込んだ。
今にもつぶされそうな力強さに、耐えるルーセントの顔が苦痛にゆがむ。腕はとうに限界を迎えていて小刻みに震えていた。
顔から一筋の汗がしたたり落ちる。
しかし、苦しさがにじむ金色の瞳には、父親のがら空きとなった胴をとらえていた。その苦渋に満ちた顔に自然と笑みがこぼれる。今日こそは勝てる、と震える腕に力がこもった。
誘いこまれているとは知らないルーセントは、その様子を見てほほ笑んでいるバーチェルに気づくこともなく、その目には父親の腹部しか映っていなかった。
すべての思考を放棄した少年は、片膝をついた状態から負けたくない一心で押し込まれる木刀を自身の左へと滑らせ落とす。そして、前方に飛び跳ねるように大きく踏み込んだ。
ルーセントの木刀が左から右へと抜ける。
しかし、右手だけで持つバーチェルの木刀は、すでに息子の首を狙っていた。
「せいっ!」
二人の声がほぼ同時に道場に響くと、その動きが止まった。
ルーセントの木刀はギリギリのところで避けられ、あと一歩届かずに空を切った。
反対にバーチェルの木刀は、ルーセントの首で寸止めされていた。
稽古を終えたバーチェルは道着の上衣を脱ぎながら、道場の隅に置いてあったタオルを拾い上げる。そして流れる汗をぬぐいながら悔しそうな顔のルーセントに近づいていった。
「まだまだだな。踏み込みも甘く振りも遅い。最後の一太刀は勝ったと思うから油断が生まれる。そしてなにより恐れるな。死ぬことで生きる道も見つかろうて」
「ん? 父上はボケてしまったのですか? 死んでしまったら生きることなんてできないですよ」
ルーセントがバーチェルからの注意と助言を聞くも、最後の言葉が理解できずにいた。
そして今日も負けた、とその悔しさからか、少しムッとした表情で皮肉交じりに返した。
受けるバーチェルは「まだボケてはおらんわ! この戯けが! ……少しは頭を使わんか」と、大人げなく反応するのであった。
そして、首を左右にあきれた顔で短絡的な息子を諭すように話し始めた。
「よいかルーセント、刀で相手を倒そうと思ったらどうする?」
「それは相手に近づいて斬るしかありません」
ルーセントは淡々と、さも当然というように答える。
バーチェルが予想通りの答えにうなずく。
「そうだ、刀で相手を倒そうと思えば近づくしかない。だが相手に近づくということは、相手の間合いに入る。つまりは相手に斬られに行く、殺されに行く、ということだ。そこで死ぬこと、斬られることを恐れ戸惑えば、必ず反応が遅れる。その一瞬が命取りとなるのだ。だから死ぬことを恐れず、恐怖をなくせば、その一瞬を制することもできよう。ゆえに、死ぬことで生きる道も見つかる、ということだ。わかったか?」
ルーセントは「なるほど」と納得したようにうなずくが、新たな疑問に「ん~」と、眉をひそめてうなる。
「では父上、恐怖をなくすにはどうすればいいのですか?」と首をかしげた。
「そうだな」と、今度はバーチェルが腕を組んで天井を見上げる。しかし、数瞬の間に考えをまとめると息子に顔を向けた。
「相手と対峙(たいじ)した時の恐怖の多くは痛みに対してであるが、最終的には“死ぬ”というところにたどり着く。ではどうすればよいか」
ルーセントは、時々自分でもわからないくらいの恐怖に襲われることがある。これのせいで負けているに違いない、と幼いながらに考えるも、その恐怖は自分ではどうすることもできないでいた。そんなせいか、ついに解決方法がわかるぞ、と今まで以上に真剣なまなざしを父親に向けた。
バーチェルは成長しようとする息子にほほ笑み告げる。
「それは忘れることだ。死生を忘れて初めて死生を真に知ることができる。そして極致へとたどり着けるのだ」
ルーセントはあっけにとられて無言で瞬きを繰り返す。長年の悩みがやっと解決すると思っていたのに、その言葉の意味がなにひとつ分からなかったからだ。
小さな少年は、父上はやっぱりどこか壊れてしまったのではないか、と思考する。
ルーセントは、何回も頭の中で言われた言葉を繰り返す。しかし、どれだけ繰り返しても理解ができない。ついには眉間にシワを寄せて悩む少年。そんな息子の姿が面白かったのか、バーチェルが「ははは」と笑い声をあげた。
「まずは生きることを知り、死ぬことを知ることだ。そのあとは死生に執着するな」
ますますわからない、とルーセントが再びうなった。どれだけ聞いてもバーチェルの言うことが理解できない。考えてもわからないなら聞いた方が早いと「なにをすれば、それをできるようになるのですか?」と問いかけた。
答えるバーチェルは「一朝一夕でできるものではないが、瞑想の時にでも死ぬことだ。斬られ、燃やされ、溺れるでも何でもよい。まずは死に慣れることから始めよ」と告げて「簡単にはできぬ。生涯悩め」と道場を立ち去って行った。
アンゲルヴェルク王国 ヒールガーデン。
この町は王都から馬車でおよそ六日、三百キロメートルほど西へ行った沿岸部のところにある。
温和な気候で年間を通しての気温差は少ない。夏は二十八度、冬は十五度ほどにしかならない。そのために快適に一年が過ごせる。
そんな気候もあってか、観光地として国内外からの人気も高い町であった。
また、ヒールガーデンは海にも隣接しているため漁業も盛んである。町の周辺には大河から何本にも分かれる支流が流れ込んでいて、肥沃な大地にも恵まれている。そのために農業も栄えている。特産品として夜行草という、夜になると光の珠を漂わせる花が人気の人口二千人ほどの町である。
ルーセントは現実味のない『死に慣れろ』というバーチェルの言葉がいまだに理解できずにいた。わからないものを悩んでいても仕方がない、と気分転換をするために中央広場へとやってきた。途中に雑貨屋でもらったガイドブックを手にしている。
中央広場には、三百年前の領主が町の象徴となるものが欲しい、と私財を投じて稀代の名工グラッセに依頼して『絶望と希望の光』という、最初の英雄と絶望のおとぎ話をモチーフにした大噴水が建てられている。
円状に広がる大きな広場には、緩やかにうねる六本の通路がある。それが各通りへと広がっていて、それぞれ商業区や居住区につながっていた。
建物はどれも石材で造られていて、二階部分には黒い木の板が打ち付けられている。並ぶ建物は隙間もなく連なっていた。
さらに広場の片隅には、ガーデンテラスのような場所に料理を提供する屋台が設置されている。近くには濃い茶色の木でできたテーブルセットが置かれていて、店員は忙しそうに料理を運んでいた。それとは対照的に、談笑しながら料理を口にするお客は、噴水を見ながら優雅な時間を過ごしていた。
この広場はルーセントのお気に入りの場所でもある。ここの屋台で買った串焼きを食べながら行き交う人々を眺めるのが最近の流行りになっていた。
ルーセントは大噴水の近くにある木製のベンチに腰を掛けると、ガイドブックのページをペラペラとめくり始めた。
「え~と、たしか本に噴水のことが書いてあった気がするな。いつも見に来るけど、詳しいことは何も知らないんだよね」
太陽の光に銀髪を輝かせている少年は、手に握る塩と黒コショウが振りかけられた串焼きをかじりながら本を読み始めた――。
『噴水の一段目には、水をためる半径五メートル、深さが一メートルほどのドーナツ型の堀がある。その中央には、二段目の杯の形をした土台部分を囲うように、苦悩と苦痛に満ちあふれた表情で座り込む人々の彫刻が刻まれている』
『二段目の杯の部分は三メートルほどの高さがあり、浅い器の外周部分にも緻密な彫刻が施されている。その八角形にかたどられている角の一つ一つには、足首まで伸ばした髪と、背丈ほどもある翼を生やした全長六十センチの天使の像が置かれている。
さらにその器の中央には、髪を腰まで伸ばした高さ三メートルの女神さまの彫刻が鎮座している。まるで生きているかのような憂いを秘めたその表情が、見る者すべてを魅了してやまない。その女神さまは、月をモチーフにしている三段目の少しくぼんだ器を掲げている』
『そして、その三段目の器の中央には、一メートルの高さがある紺色の石柱が置かれている。さらにその上には、高さが二メートルほどの円すい形の乳白色の石がある。この乳白色の石は夜になると淡く白い光を放つが、この光る石はいまだに何の石が使われているのか分かってはいない。 紺色の石柱には、周辺の魔力を吸収して水を作り出す貴重な水流石が使用されていて、これが生み出す大量の水は、器のフチに開けられた十四個の穴を通して、二段目の器に落ちている』
『そして一段目の堀を囲うように、もう一つの二メートル幅の堀がある。この堀の中には、竜が水をはき出す四十センチの像が置かれていて、竜は二重の円を描くように互い違いに並べられている。内側の竜は二段目の器に、外側の竜は一段目の堀に水をはき出して循環させる。ここには花壇もあって、夜になると夜光草が光の珠を漂わせて幻想的な光景を作り出す。カップルには、一番人気のスポットとして静かににぎわいを見せている』
『稀代の名工グラッセが作り上げたこの大噴水は、驚くべきことに一つの巨岩からできている。しかし、この岩はどこからどうやって持ってきたのか、何の岩からできているのかは現在でも分かってはいない』
ガイドブックの噴水の説明を読み終えたルーセントは「長いな。この噴水を文字にするとこうなるのか」と感想をもらした。少し疲れた表情で噴水に視線を移すと制作者のグラッセをうらやんだ。
「グラッセって、たしか最上級持ちの芸術家だったよな。いいなぁ、最上級の守護者か。僕も最上級の守護者が出てこないかな? 十歳になったし、そろそろ文様が出てきてもいいんだけどなぁ」
ぼやくルーセントに反応するように淡く光り出す噴水の乳白色の石。ルーセントはそのことに気づきもせずに早く出てこい、と何もない左手首をなでた。そして、バーチェルに教わった守護者のことを思い出していた。
世界中で起きた地震から五年が過ぎた。
世界に君臨する五大国の一つに、ポセタ大陸の西を統治するアンゲルヴェルク王国という国がある。その王都から遠く西へ行った場所に『ヒールガーデン』という町があった。
この町にひとつだけある道場からは、何度も木をたたくような音が辺りに響いていた。
その音は、二人の老人と少年が剣術の練習で木刀を打ち合う音だった。
微動だにすることもなく木刀を構えている老人、ここの道場主であるバーチェル・スノーが、白い色が多くなった黒髪をときおり吹き抜ける風に揺らしていた。とても老人とは思えないほどの鍛え抜かれた体格のせいか、それとも醸し出す圧倒的な風格のせいか、その身体を目の前の少年に大きく見せていた。
対する少年は、ときおり覇気に気圧されて、にらみつける目が泳いでいる。銀髪の短い髪をうしろに流して、輝く金色の瞳を目の前の老人に向けていた。
少年の名はルーセント・スノーという。バーチェルの息子であった。
この少年もまた父親と同じように木刀を持って向かい合っていた。
ルーセントとバーチェルの戦いは、一日も途切れることなく少年の負けが続いている。自分が子供とはいえ一度も勝てないというのは気が済まない。そう思う少年の、どこか優しげでありながらも、意志の強そうなまなざしが父親を射抜く。
今年で十歳になるルーセントは、今日は負けないぞ、と逸る気持ちを落ち着かせるために軽く息をはいた。
「準備はよいか? ルーセント」
「はい」
お互いに木刀を合わせると一歩離れる。
二人の間を静寂が包み込んだ。そこに風が吹き抜ける。
向かい合う二人の服が、髪の毛がふわりと揺れる。その暖かい風に乗って、庭の木から千切れた木の葉が道場の床にそっと落ちると、ルーセントが動いた。
「せい!」
「はっ」
ルーセントが右手だけで木刀を右に切り上げると、バーチェルも合わせるように、ほぼ同時に同じ動作を繰り出した。
二本の木刀がぶつかり道場に乾いた音を響かせる。
ルーセントがしびれる右手に力を入れなおすと、はじかれた勢いそのままに木刀を身体の左に流した。そのまま手元で縦に回転させながら両手で持ち直すと、白黒の頭を狙った。
「てい!」
「ほっ」
受けるバーチェルは相手に動きを合わせつつも、自身の木刀の先端に左手を添えた。そのまま頭を狙う一撃を左から右へ被せるように押さえ込んだ。そして左足を踏み込むと突きの姿勢をとった。
父親の反撃を警戒したルーセントは、瞬時にうしろへと下がる。それでも止まらない老練なる一撃は、床板を軋ませて間合いを瞬時に詰めた。
向かい来る空間を切り裂かんばかりの突進に、受ける少年の金色の瞳が委縮する。
「はっ」
「くっ!」
銀髪が激しく揺れてさらにもう一歩、見えない壁のように押し寄せる威圧感に屈してうしろへと下がった。しかしルーセントは、迫る恐怖を打ち破らんと木刀を振り下ろす。
道場に再び乾いた音が響いた。
一瞬だけ動きが止まる二人。
今度はルーセントが反撃に転じる。左足を大きく踏み出すと同時に、大きく円を描くように木刀を振り上げ打ち下ろした。
バーチェルは右足を軸に左足を下げつつも、寝かせた木刀の切先に左手を添える。そのまま頭上まで持ち上げながら襲い来る攻撃を受け止めた。
胴ががら空きとなったルーセントは、あせりとともに強引に木刀を押し下げる。そして、そのまま滑り込ませて首を狙った。
ところが、バーチェルはすでに左足をもう一歩下げていて、上半身をひねりながら木刀の軌道を反らしていた。
空振りに終わった少年の攻撃は、バーチェルが自身の木刀の切先を起こすと、お互いの身体の正面で押し付ける形となった。
「まだまだこれからだ。行くぞ、ルーセント」
いがみ合う二人、先に動いたバーチェルが木刀を強く押し込んで息子を後方へと下げる。そして、バランスを崩して大きく下がるルーセントを追った。
一気に詰まる二人の間合いに、寸分のズレすら許さない卓越した技術を振るう老剣士は、自身の木刀をルーセントの木刀にあてがった。そして手を狙って滑らせる。
ルーセントは自分の手に向かってくる木刀にあせりつつも切先を下に、柄を軽く持ち上げてこの攻撃を防いだ。今度はお返しとばかりにルーセントも同じように手を狙うが、バーチェルも同じ動作を繰り出して防がれてしまった。
お互いが前後に動きながら同じ動作を二回続ける。
しびれを切らしたルーセントが仕切りなおそうと大きく下がる。再びお互いの間に空間が生まれた。
その隙を見逃さずバーチェルが瞬時に踏み込むと同時に、頭をめがけて木刀を振り下ろした。
ルーセントは迫りくる木刀を見て、何かを恐れるように一瞬だけひるんでしまった。
「遅い!」
「ぐっ」
反応が遅れたルーセントは、片膝をつきながら寸前のところで木刀の先端に左手を添えると、頭の上で何とか受け止めた。
しかし、これだけではバーチェルの勢いは止まらない。息子を押しつぶそうとするかのように、木刀ごとルーセントをへし斬る勢いで強く押し込んだ。
今にもつぶされそうな力強さに、耐えるルーセントの顔が苦痛にゆがむ。腕はとうに限界を迎えていて小刻みに震えていた。
顔から一筋の汗がしたたり落ちる。
しかし、苦しさがにじむ金色の瞳には、父親のがら空きとなった胴をとらえていた。その苦渋に満ちた顔に自然と笑みがこぼれる。今日こそは勝てる、と震える腕に力がこもった。
誘いこまれているとは知らないルーセントは、その様子を見てほほ笑んでいるバーチェルに気づくこともなく、その目には父親の腹部しか映っていなかった。
すべての思考を放棄した少年は、片膝をついた状態から負けたくない一心で押し込まれる木刀を自身の左へと滑らせ落とす。そして、前方に飛び跳ねるように大きく踏み込んだ。
ルーセントの木刀が左から右へと抜ける。
しかし、右手だけで持つバーチェルの木刀は、すでに息子の首を狙っていた。
「せいっ!」
二人の声がほぼ同時に道場に響くと、その動きが止まった。
ルーセントの木刀はギリギリのところで避けられ、あと一歩届かずに空を切った。
反対にバーチェルの木刀は、ルーセントの首で寸止めされていた。
稽古を終えたバーチェルは道着の上衣を脱ぎながら、道場の隅に置いてあったタオルを拾い上げる。そして流れる汗をぬぐいながら悔しそうな顔のルーセントに近づいていった。
「まだまだだな。踏み込みも甘く振りも遅い。最後の一太刀は勝ったと思うから油断が生まれる。そしてなにより恐れるな。死ぬことで生きる道も見つかろうて」
「ん? 父上はボケてしまったのですか? 死んでしまったら生きることなんてできないですよ」
ルーセントがバーチェルからの注意と助言を聞くも、最後の言葉が理解できずにいた。
そして今日も負けた、とその悔しさからか、少しムッとした表情で皮肉交じりに返した。
受けるバーチェルは「まだボケてはおらんわ! この戯けが! ……少しは頭を使わんか」と、大人げなく反応するのであった。
そして、首を左右にあきれた顔で短絡的な息子を諭すように話し始めた。
「よいかルーセント、刀で相手を倒そうと思ったらどうする?」
「それは相手に近づいて斬るしかありません」
ルーセントは淡々と、さも当然というように答える。
バーチェルが予想通りの答えにうなずく。
「そうだ、刀で相手を倒そうと思えば近づくしかない。だが相手に近づくということは、相手の間合いに入る。つまりは相手に斬られに行く、殺されに行く、ということだ。そこで死ぬこと、斬られることを恐れ戸惑えば、必ず反応が遅れる。その一瞬が命取りとなるのだ。だから死ぬことを恐れず、恐怖をなくせば、その一瞬を制することもできよう。ゆえに、死ぬことで生きる道も見つかる、ということだ。わかったか?」
ルーセントは「なるほど」と納得したようにうなずくが、新たな疑問に「ん~」と、眉をひそめてうなる。
「では父上、恐怖をなくすにはどうすればいいのですか?」と首をかしげた。
「そうだな」と、今度はバーチェルが腕を組んで天井を見上げる。しかし、数瞬の間に考えをまとめると息子に顔を向けた。
「相手と対峙(たいじ)した時の恐怖の多くは痛みに対してであるが、最終的には“死ぬ”というところにたどり着く。ではどうすればよいか」
ルーセントは、時々自分でもわからないくらいの恐怖に襲われることがある。これのせいで負けているに違いない、と幼いながらに考えるも、その恐怖は自分ではどうすることもできないでいた。そんなせいか、ついに解決方法がわかるぞ、と今まで以上に真剣なまなざしを父親に向けた。
バーチェルは成長しようとする息子にほほ笑み告げる。
「それは忘れることだ。死生を忘れて初めて死生を真に知ることができる。そして極致へとたどり着けるのだ」
ルーセントはあっけにとられて無言で瞬きを繰り返す。長年の悩みがやっと解決すると思っていたのに、その言葉の意味がなにひとつ分からなかったからだ。
小さな少年は、父上はやっぱりどこか壊れてしまったのではないか、と思考する。
ルーセントは、何回も頭の中で言われた言葉を繰り返す。しかし、どれだけ繰り返しても理解ができない。ついには眉間にシワを寄せて悩む少年。そんな息子の姿が面白かったのか、バーチェルが「ははは」と笑い声をあげた。
「まずは生きることを知り、死ぬことを知ることだ。そのあとは死生に執着するな」
ますますわからない、とルーセントが再びうなった。どれだけ聞いてもバーチェルの言うことが理解できない。考えてもわからないなら聞いた方が早いと「なにをすれば、それをできるようになるのですか?」と問いかけた。
答えるバーチェルは「一朝一夕でできるものではないが、瞑想の時にでも死ぬことだ。斬られ、燃やされ、溺れるでも何でもよい。まずは死に慣れることから始めよ」と告げて「簡単にはできぬ。生涯悩め」と道場を立ち去って行った。
アンゲルヴェルク王国 ヒールガーデン。
この町は王都から馬車でおよそ六日、三百キロメートルほど西へ行った沿岸部のところにある。
温和な気候で年間を通しての気温差は少ない。夏は二十八度、冬は十五度ほどにしかならない。そのために快適に一年が過ごせる。
そんな気候もあってか、観光地として国内外からの人気も高い町であった。
また、ヒールガーデンは海にも隣接しているため漁業も盛んである。町の周辺には大河から何本にも分かれる支流が流れ込んでいて、肥沃な大地にも恵まれている。そのために農業も栄えている。特産品として夜行草という、夜になると光の珠を漂わせる花が人気の人口二千人ほどの町である。
ルーセントは現実味のない『死に慣れろ』というバーチェルの言葉がいまだに理解できずにいた。わからないものを悩んでいても仕方がない、と気分転換をするために中央広場へとやってきた。途中に雑貨屋でもらったガイドブックを手にしている。
中央広場には、三百年前の領主が町の象徴となるものが欲しい、と私財を投じて稀代の名工グラッセに依頼して『絶望と希望の光』という、最初の英雄と絶望のおとぎ話をモチーフにした大噴水が建てられている。
円状に広がる大きな広場には、緩やかにうねる六本の通路がある。それが各通りへと広がっていて、それぞれ商業区や居住区につながっていた。
建物はどれも石材で造られていて、二階部分には黒い木の板が打ち付けられている。並ぶ建物は隙間もなく連なっていた。
さらに広場の片隅には、ガーデンテラスのような場所に料理を提供する屋台が設置されている。近くには濃い茶色の木でできたテーブルセットが置かれていて、店員は忙しそうに料理を運んでいた。それとは対照的に、談笑しながら料理を口にするお客は、噴水を見ながら優雅な時間を過ごしていた。
この広場はルーセントのお気に入りの場所でもある。ここの屋台で買った串焼きを食べながら行き交う人々を眺めるのが最近の流行りになっていた。
ルーセントは大噴水の近くにある木製のベンチに腰を掛けると、ガイドブックのページをペラペラとめくり始めた。
「え~と、たしか本に噴水のことが書いてあった気がするな。いつも見に来るけど、詳しいことは何も知らないんだよね」
太陽の光に銀髪を輝かせている少年は、手に握る塩と黒コショウが振りかけられた串焼きをかじりながら本を読み始めた――。
『噴水の一段目には、水をためる半径五メートル、深さが一メートルほどのドーナツ型の堀がある。その中央には、二段目の杯の形をした土台部分を囲うように、苦悩と苦痛に満ちあふれた表情で座り込む人々の彫刻が刻まれている』
『二段目の杯の部分は三メートルほどの高さがあり、浅い器の外周部分にも緻密な彫刻が施されている。その八角形にかたどられている角の一つ一つには、足首まで伸ばした髪と、背丈ほどもある翼を生やした全長六十センチの天使の像が置かれている。
さらにその器の中央には、髪を腰まで伸ばした高さ三メートルの女神さまの彫刻が鎮座している。まるで生きているかのような憂いを秘めたその表情が、見る者すべてを魅了してやまない。その女神さまは、月をモチーフにしている三段目の少しくぼんだ器を掲げている』
『そして、その三段目の器の中央には、一メートルの高さがある紺色の石柱が置かれている。さらにその上には、高さが二メートルほどの円すい形の乳白色の石がある。この乳白色の石は夜になると淡く白い光を放つが、この光る石はいまだに何の石が使われているのか分かってはいない。 紺色の石柱には、周辺の魔力を吸収して水を作り出す貴重な水流石が使用されていて、これが生み出す大量の水は、器のフチに開けられた十四個の穴を通して、二段目の器に落ちている』
『そして一段目の堀を囲うように、もう一つの二メートル幅の堀がある。この堀の中には、竜が水をはき出す四十センチの像が置かれていて、竜は二重の円を描くように互い違いに並べられている。内側の竜は二段目の器に、外側の竜は一段目の堀に水をはき出して循環させる。ここには花壇もあって、夜になると夜光草が光の珠を漂わせて幻想的な光景を作り出す。カップルには、一番人気のスポットとして静かににぎわいを見せている』
『稀代の名工グラッセが作り上げたこの大噴水は、驚くべきことに一つの巨岩からできている。しかし、この岩はどこからどうやって持ってきたのか、何の岩からできているのかは現在でも分かってはいない』
ガイドブックの噴水の説明を読み終えたルーセントは「長いな。この噴水を文字にするとこうなるのか」と感想をもらした。少し疲れた表情で噴水に視線を移すと制作者のグラッセをうらやんだ。
「グラッセって、たしか最上級持ちの芸術家だったよな。いいなぁ、最上級の守護者か。僕も最上級の守護者が出てこないかな? 十歳になったし、そろそろ文様が出てきてもいいんだけどなぁ」
ぼやくルーセントに反応するように淡く光り出す噴水の乳白色の石。ルーセントはそのことに気づきもせずに早く出てこい、と何もない左手首をなでた。そして、バーチェルに教わった守護者のことを思い出していた。
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