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5 それぞれの時間
5-2話 途絶えたスラープ村1
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ルーセントが訓練学校の卒業式を控えた数日前、ベロ・ランブロア近郊にあるディフィニクスの軍営内にて、巡回する兵士たちを見ながらウォルビスが兄の幕舎へと向かっていた。入り口に立つ二人の衛兵から十歩の距離でウォルビスが止まる。
「兄貴はいるか?」
「少々お待ちください」
一人の衛兵が幕舎へと入っていくと、すぐに戻ってきた。
「お会いになるそうです。お入りください」
「そうか、ご苦労さん」
中に入るウォルビスを、ディフィニクスがいる机とそこから左右に置かれた六脚のイスたちが出迎えた。
筆を手にしていたディフィニクスが顔をあげる。
「北でなにか動きでもあったのか?」
「いや、おとなしいぞ。たまには世間話でもと思ってな」ウォルビスがそう言って、一番近くのイスへと座った。
「そうか。だがこんな生活では、たいした世間話もないだろう」
「だったら、ルーセントのことはどうだ? 今だとそろそろ卒業式の頃合いだろ?」
「もうそんな時期か。それにしても、よく無事で今まで生きていてくれた」
「本当だよ。俺はとっくに死んじまったと思ってたからな」
弟の言葉に、ディフィニクスがあきれて首を左右に振った。
「バカを言うな、ルーセントに死なれたら困る。俺たちの村は、あの一族を守るためだけに存在していたんだぞ」
「そのわりには、ここの街を落とすときに死地にたたき込んでたじゃないか。うまくいったからよかったものの、万が一が起きたらどうするつもりだったんだ?」
「うまくいったなら、それがすべてだろう。おまえは今までの勝った戦を“うまくいったからよかった”で済ませるのか?」
「いや、それは……。だけど全滅する可能性だってゼロではなかっただろ?」
「そのために、レイラの部隊のやつらには全員に信号弾を渡していた。無理なときは打ち上げろ、とな」
「でも、城門は閉じたままだろ? どうやって助けにいくつもりだったんだ?」
「そんなものは、召喚を使って門なり壁なりを崩せばいい。まあ、町の半分は灰になるかもしれんが」
今度はウォルビスが、ディフィニクスの言葉に両手を広げて「勘弁してくれよ」と大げさに返した。
さらに身ぶりを交えてウォルビスが続ける。
「上級で召喚を使えるやつなんて、少ししかいないんだぞ。あの状況で召喚なんて使っちまったら、どうやって対処するんだよ。向こうだって使えるやつは一人か二人はいるだろ。大体、兄貴の召喚が一番の抑止力になるんだぞ」
「あの状態であれば、逃げることを優先する。仕掛けては来ないさ。それに、さっさと終わらせる必要もあったからな」
「そういや、何でそんなに急いでたんだ?」
「ベロ・ランブロアに着く少し前に、何羽かの鷹が飛んでいったのを見た。北の連中に援軍を要請したんだろう。あのまま長引けば、向こうの援軍に囲まれて負けていたのはこっちだ」
「だからって無茶しすぎだろ。あいつを試したのか?」
「それだけではないが、主な目的のひとつだな。将軍には、必要な五徳がある」
「ああ、耳の痛い話になりそうだな」ウォルビスが耳をほじる動作をする。
「おまえにはそうだろうな。ちょうどいい機会だ、もう一度その頭にたたき込んでおけ」
「出てっていいか?」ウォルビスが顔をしかめて、心底逃げ出したい気持ちで兄を見た。
「まず一に正誤を正しく判断する智、二に言動に表裏のない信、三に思いやりと優しさの仁、四に何事にも動じることなく怖れない勇、五に犯すべからざる厳、将軍であれば、この五徳を必ず備えなければならない」
「うん、三つはいけるか」
ウォルビスが人差し指から指の腹を押さえて自分に当てはまる項目を数えていった。
「ギリギリだな。だから日頃から言ってるだ……」
「はいはい、わかったわかった。心に深く刻み込んでおきます、前将軍サマ」
兄から浴びせられる忠告に、弟はうんざりするとともに話を断ち切った。そして、ごまかすように話題を変える。
「ところで、もうすぐニアさんの命日じゃなかったか? 今年も墓参りにいくのか?」
「ああ、もちろんだ。忘れることはない、が今年は遅れそうだな」兄が真剣なまなざしで弟に返した。
「ルーセントは知ってるのか? ニアさんの墓がある場所」
「いや、知らないだろう。いつ行っても俺の形跡しかないからな」
「だったら五徳がどうとか言う前に、あいつに母親の墓を教えてやる方が先じゃないのか? かわいそうだろ、実の息子なのに母親の墓の場所さえ知らないなんて」
「……それはそうだが、どこであいつとの関係を陛下に知られるかわからん。いまだに俺は陛下に警戒をされているからな。俺とつながりがあると知られない方が都合がいいだろう」
「陛下もいつまで疑うんだ?兄貴がレフィアータから脱走できたのは、向こうと取引をしたって思われてるんだろ? それを払拭するために無理難題を何度も解決してきたし、陛下に結婚を押し付けられてニアさんを諦めたんじゃないか。本当だったら、あいつは兄貴の息子だったかっ……!」
ウォルビスの言葉を、ディフィニクスが最後まで聞くことはなかった。
ディフィニクスは湯飲みとして使っていた陶器の器を弟に向かって投げる。ウォルビスがそれを顔の前でつかむと、自分の座るイスの横に備え付けられた小さなテーブルに置いた。そこにディフィニクスが弟を鋭くにらみつけた。
「余計なことを言うな」
「はいはい」ウォルビスが両手をあげて“降参”と示した。
そこに衛兵が入ってくる。
「失礼します。前将軍にお会いしたいと、ガンツというものがお越しです」
「おお、来たか。すぐに通せ」
驚いた顔で兄を見るウォルビスが「ここまで呼んだのか? あのおっかねぇおっちゃんを」と聞いた。
笑顔で弟を見るディフィニクスは「すぐに確認したいことがあってな」と返した。
しばらくして不機嫌な顔をしたガンツが幕舎内にやって来る。
「こんなところまで呼び出しおって、貴様と違って暇ではないんだぞ」
「忙しさはお互いさまだろ。これでも寝る暇を削って仕事してるんだぞ」
「知ったことか」そう言って、ガンツが雑に近くのイスへと座る。
「で、ガンツよ。ルーセントに気づいたのはいつだ?」
ガンツはディフィニクスからの呼び出しの書状を何度も無視していた。だが、何回目かの書状に書かれていた“ルーセント”の名前を見て、わざわざこの軍営まで訪れたのだった。ルーセントが訓練学校にいる以上は、いつかは知られるだろう、と観念して話し出す。
「……あいつが四歳かそこらだろうな。あの男が俺の店に連れて来た」
「あの男とは、養父であるバーチェルとか言うやつだな。何者だ?」
「ふん、よく調べたものだな。あいつは、もともとレフィアータ帝国の人間だった。それが追われてこの国へと来たらしい」
「なにか罪でも犯したのか?」
「いや、おまえも知っているだろう、あの国に闘技場があることを」
「ああ、らしいな。で、それがその男となんの関係がある?」
前将軍の質問に答える前に、ガンツがイスに座り直すと「ここは客人にお茶のひとつも出せんのか?」と近くのテーブルを人差し指でたたいた。
それを聞いてウォルビスが立ち上がる。そして、ディフィニクスの近くにある温められている茶瓶を手に取ると、空いた陶器の器にお茶を注いでガンツのテーブルに置いた。
「これで満足か? で、闘技場がどうした?」
「やつはそこで数年の間に渡って頂点を取り続けた。だが、あれは民衆のための見せ物と言うのは表向きで、優秀な将軍を見つける場でもある」
「それがなんで追われることになる? 逃亡兵なのか?」
「やつは中級守護者でありながら勝ち続けた。そして当時の皇帝から剣聖の称号をもらったのにも関わらず、仕官を断った。向こうからすれば、そんな優秀な人物が他の国に渡る前に処分したかったのだろう。もちろん、皇帝の機嫌を損ねたのもあるだろうがな」
「そうか、思い出したぞ。俺が捕虜とした捕らわれていたときに看守が話していたな。皇帝の顔に泥を塗って逃げたやつがいると。そうか、その男がルーセントの父親か」
ディフィニクスはルーセントが産まれる六年前、レフィアータ帝国との大きな戦が起きた際に、捕虜として捕らわれていた時期がある。数々の拷問と尋問に屈することもなく耐えていたときに“バーチェルという剣聖の称号をもらった凄腕が、仕官を蹴って逃げ出した”と看守が雑談をしていたのを聞いていた。
ガンツが自分の話を先回りして答えるディフィニクスに対して眉間にシワを寄せる。
「……いったい、おまえはどこまで知っている?」
「村が襲われたあの日、ルーセントはそのバーチェルという男に助けられてヒールガーデンへと移った。それにおまえが気づいて、いつからか国の依頼と名誉を捨てて小さな町に逃げ出したくらいだな」
ガンツがディフィニクスの口から“逃げ出した”と聞いて、怒りのこもった視線を前将軍へと送る。ディフィニクスもガンツをにらみつけると「なぜ知らせなかった。村の掟は知っているだろう」と一触即発の雰囲気を漂わせた。
「兄貴はいるか?」
「少々お待ちください」
一人の衛兵が幕舎へと入っていくと、すぐに戻ってきた。
「お会いになるそうです。お入りください」
「そうか、ご苦労さん」
中に入るウォルビスを、ディフィニクスがいる机とそこから左右に置かれた六脚のイスたちが出迎えた。
筆を手にしていたディフィニクスが顔をあげる。
「北でなにか動きでもあったのか?」
「いや、おとなしいぞ。たまには世間話でもと思ってな」ウォルビスがそう言って、一番近くのイスへと座った。
「そうか。だがこんな生活では、たいした世間話もないだろう」
「だったら、ルーセントのことはどうだ? 今だとそろそろ卒業式の頃合いだろ?」
「もうそんな時期か。それにしても、よく無事で今まで生きていてくれた」
「本当だよ。俺はとっくに死んじまったと思ってたからな」
弟の言葉に、ディフィニクスがあきれて首を左右に振った。
「バカを言うな、ルーセントに死なれたら困る。俺たちの村は、あの一族を守るためだけに存在していたんだぞ」
「そのわりには、ここの街を落とすときに死地にたたき込んでたじゃないか。うまくいったからよかったものの、万が一が起きたらどうするつもりだったんだ?」
「うまくいったなら、それがすべてだろう。おまえは今までの勝った戦を“うまくいったからよかった”で済ませるのか?」
「いや、それは……。だけど全滅する可能性だってゼロではなかっただろ?」
「そのために、レイラの部隊のやつらには全員に信号弾を渡していた。無理なときは打ち上げろ、とな」
「でも、城門は閉じたままだろ? どうやって助けにいくつもりだったんだ?」
「そんなものは、召喚を使って門なり壁なりを崩せばいい。まあ、町の半分は灰になるかもしれんが」
今度はウォルビスが、ディフィニクスの言葉に両手を広げて「勘弁してくれよ」と大げさに返した。
さらに身ぶりを交えてウォルビスが続ける。
「上級で召喚を使えるやつなんて、少ししかいないんだぞ。あの状況で召喚なんて使っちまったら、どうやって対処するんだよ。向こうだって使えるやつは一人か二人はいるだろ。大体、兄貴の召喚が一番の抑止力になるんだぞ」
「あの状態であれば、逃げることを優先する。仕掛けては来ないさ。それに、さっさと終わらせる必要もあったからな」
「そういや、何でそんなに急いでたんだ?」
「ベロ・ランブロアに着く少し前に、何羽かの鷹が飛んでいったのを見た。北の連中に援軍を要請したんだろう。あのまま長引けば、向こうの援軍に囲まれて負けていたのはこっちだ」
「だからって無茶しすぎだろ。あいつを試したのか?」
「それだけではないが、主な目的のひとつだな。将軍には、必要な五徳がある」
「ああ、耳の痛い話になりそうだな」ウォルビスが耳をほじる動作をする。
「おまえにはそうだろうな。ちょうどいい機会だ、もう一度その頭にたたき込んでおけ」
「出てっていいか?」ウォルビスが顔をしかめて、心底逃げ出したい気持ちで兄を見た。
「まず一に正誤を正しく判断する智、二に言動に表裏のない信、三に思いやりと優しさの仁、四に何事にも動じることなく怖れない勇、五に犯すべからざる厳、将軍であれば、この五徳を必ず備えなければならない」
「うん、三つはいけるか」
ウォルビスが人差し指から指の腹を押さえて自分に当てはまる項目を数えていった。
「ギリギリだな。だから日頃から言ってるだ……」
「はいはい、わかったわかった。心に深く刻み込んでおきます、前将軍サマ」
兄から浴びせられる忠告に、弟はうんざりするとともに話を断ち切った。そして、ごまかすように話題を変える。
「ところで、もうすぐニアさんの命日じゃなかったか? 今年も墓参りにいくのか?」
「ああ、もちろんだ。忘れることはない、が今年は遅れそうだな」兄が真剣なまなざしで弟に返した。
「ルーセントは知ってるのか? ニアさんの墓がある場所」
「いや、知らないだろう。いつ行っても俺の形跡しかないからな」
「だったら五徳がどうとか言う前に、あいつに母親の墓を教えてやる方が先じゃないのか? かわいそうだろ、実の息子なのに母親の墓の場所さえ知らないなんて」
「……それはそうだが、どこであいつとの関係を陛下に知られるかわからん。いまだに俺は陛下に警戒をされているからな。俺とつながりがあると知られない方が都合がいいだろう」
「陛下もいつまで疑うんだ?兄貴がレフィアータから脱走できたのは、向こうと取引をしたって思われてるんだろ? それを払拭するために無理難題を何度も解決してきたし、陛下に結婚を押し付けられてニアさんを諦めたんじゃないか。本当だったら、あいつは兄貴の息子だったかっ……!」
ウォルビスの言葉を、ディフィニクスが最後まで聞くことはなかった。
ディフィニクスは湯飲みとして使っていた陶器の器を弟に向かって投げる。ウォルビスがそれを顔の前でつかむと、自分の座るイスの横に備え付けられた小さなテーブルに置いた。そこにディフィニクスが弟を鋭くにらみつけた。
「余計なことを言うな」
「はいはい」ウォルビスが両手をあげて“降参”と示した。
そこに衛兵が入ってくる。
「失礼します。前将軍にお会いしたいと、ガンツというものがお越しです」
「おお、来たか。すぐに通せ」
驚いた顔で兄を見るウォルビスが「ここまで呼んだのか? あのおっかねぇおっちゃんを」と聞いた。
笑顔で弟を見るディフィニクスは「すぐに確認したいことがあってな」と返した。
しばらくして不機嫌な顔をしたガンツが幕舎内にやって来る。
「こんなところまで呼び出しおって、貴様と違って暇ではないんだぞ」
「忙しさはお互いさまだろ。これでも寝る暇を削って仕事してるんだぞ」
「知ったことか」そう言って、ガンツが雑に近くのイスへと座る。
「で、ガンツよ。ルーセントに気づいたのはいつだ?」
ガンツはディフィニクスからの呼び出しの書状を何度も無視していた。だが、何回目かの書状に書かれていた“ルーセント”の名前を見て、わざわざこの軍営まで訪れたのだった。ルーセントが訓練学校にいる以上は、いつかは知られるだろう、と観念して話し出す。
「……あいつが四歳かそこらだろうな。あの男が俺の店に連れて来た」
「あの男とは、養父であるバーチェルとか言うやつだな。何者だ?」
「ふん、よく調べたものだな。あいつは、もともとレフィアータ帝国の人間だった。それが追われてこの国へと来たらしい」
「なにか罪でも犯したのか?」
「いや、おまえも知っているだろう、あの国に闘技場があることを」
「ああ、らしいな。で、それがその男となんの関係がある?」
前将軍の質問に答える前に、ガンツがイスに座り直すと「ここは客人にお茶のひとつも出せんのか?」と近くのテーブルを人差し指でたたいた。
それを聞いてウォルビスが立ち上がる。そして、ディフィニクスの近くにある温められている茶瓶を手に取ると、空いた陶器の器にお茶を注いでガンツのテーブルに置いた。
「これで満足か? で、闘技場がどうした?」
「やつはそこで数年の間に渡って頂点を取り続けた。だが、あれは民衆のための見せ物と言うのは表向きで、優秀な将軍を見つける場でもある」
「それがなんで追われることになる? 逃亡兵なのか?」
「やつは中級守護者でありながら勝ち続けた。そして当時の皇帝から剣聖の称号をもらったのにも関わらず、仕官を断った。向こうからすれば、そんな優秀な人物が他の国に渡る前に処分したかったのだろう。もちろん、皇帝の機嫌を損ねたのもあるだろうがな」
「そうか、思い出したぞ。俺が捕虜とした捕らわれていたときに看守が話していたな。皇帝の顔に泥を塗って逃げたやつがいると。そうか、その男がルーセントの父親か」
ディフィニクスはルーセントが産まれる六年前、レフィアータ帝国との大きな戦が起きた際に、捕虜として捕らわれていた時期がある。数々の拷問と尋問に屈することもなく耐えていたときに“バーチェルという剣聖の称号をもらった凄腕が、仕官を蹴って逃げ出した”と看守が雑談をしていたのを聞いていた。
ガンツが自分の話を先回りして答えるディフィニクスに対して眉間にシワを寄せる。
「……いったい、おまえはどこまで知っている?」
「村が襲われたあの日、ルーセントはそのバーチェルという男に助けられてヒールガーデンへと移った。それにおまえが気づいて、いつからか国の依頼と名誉を捨てて小さな町に逃げ出したくらいだな」
ガンツがディフィニクスの口から“逃げ出した”と聞いて、怒りのこもった視線を前将軍へと送る。ディフィニクスもガンツをにらみつけると「なぜ知らせなかった。村の掟は知っているだろう」と一触即発の雰囲気を漂わせた。
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