月影の砂

鷹岩 良帝

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2 王立べラム訓練学校 中等部

2-18話 地獄の行軍2

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 騒がしかった現場も落ち着きを取り戻す。負傷した生徒は神聖科の治療を受けて全員が無事に復帰していた。
 周囲の警戒と状況確認のために少しの休憩を挟むと集団は再び行軍を開始した。
 昼を少し過ぎた頃、パンパスグラスの草原を抜けて丘陵地帯の丘の上で昼食も兼ねた休憩となった。
 荷物を投げ出し地面に寝転ぶパックスは、横に座るルーセントに疲れきった顔を向ける。

「あぁ疲れた。今どれくらい歩いたんだ?」
「さっき教官が十キロちょっとって言ってたよ」
「まじかよ、まだ全然進んでねぇじゃん。聞かなきゃよかった」

 まだ五十キロメートルもの距離が残っている。その現実にパックスが両手で顔を覆った。
 ルーセントはきゅうちゃんにナッツを与えると、自身はバックパックから携帯食料を取り出してかじりだした。
 十センチメートルそこそこの短い棒状の味気のない食べ物。パサパサとした塩気の強い食料をかみ砕いて飲み込むと、水筒を取り出し胃の中に流し込んだ。
 この食料は水を吸収すると胃の中で徐々にふくらんでいき、必要な熱量ならびに栄養と満腹感だけは得られる作りになっていた。
 ルーセントは、それをすぐに食べ終えるとバックパックを枕に横になる。見上げる空には透き通るような濃い青が広がっていた。そこにたなびく白い雲が風に吹かれてゆっくりと流れていた。優しく頬をなでる涼しい風が行軍の熱気を奪い去っていく。目をつむるルーセントが眠りに落ちようとしていたとき、全員の耳に教官の大声が響いた。

「出発するぞ! さっさと起きろお前ら!」
「あ~、くそ! 休憩が短けぇーんだよ」

 ぼやくパックスの声がむなしく響く横で、眠気にぼんやりとした顔で起き上がるルーセント。ほんの四十分ほどの休憩を終えて再び行軍を開始する。

 二時間近くを歩いて王国領内を東西と南に分かれて流れる大河コロント河にたどり着いた。
 王都のおよそ二十キロメートル東を東南に向かって流れるコロント河には、石材で作られた大きな橋が架かっている。ルーセントたちはその橋を渡ってさらに東へと向かって行った。
 しばらく歩くと、視界の前方すべてが森林地帯に支配される。その右側には半分まで草木が生える岩山があった。
 先頭を歩く教官が森へ足を踏み入れると、急に走り出す。

「全員、遅れずについてこい!」

 教官の移動には一貫性がなく、蛇行しながら悪路に向かってひたすら走っていく。
 きゅうちゃんは自分のホームに目を輝かせて、ルーセントの肩から離れて木々の間を駆け抜ける。
 ルーセントはベシジャウドの森暮らしで慣れているせいか問題なく教官の後に付いていけたが、他の者たちはズルズルと引き離されていった。
 天然の障害物には倒れた樹木、ぬかるんだ地面に柔らかい腐葉土、他には木の根などが絡みついて機動力と体力を大きく奪っていく。その上、集団から離れればオオカミやサル、鳥類や大型昆虫などの魔物の襲撃に合うことになりさらに引き離される。

 基本は分隊行動になっているためソロではぐれることはないので、よほどのことがなければ危機的状況に陥ることは少ない。
 それでも、大怪我を負うこともある。
 ルーセントの目の前に現れた『ジュラミーベア』のような凶暴な魔物が現れた場合などは、特に。

 立ちはだかるジュラミーベアの身体は、灰色の体毛に包まれて、はち切れんばかりの筋肉の塊を身に付けていた。
 熊の魔物はルーセントたちを視界に捉えると、地面が震えるほどの咆哮ほうこうを放つ。
 立ち上がったときの体長は三メートル近くにもなり、前肢の一撃はそこらの樹木なら簡単に薙ぎ倒す。
 大声で吼え続けるジュラミーベアに対してルーセントたちは武器を抜いて構えた。

「教官の行く先には魔物ばかりですね」
「人を疫病神みたいに言うんじゃねぇよ。気を付けろよ、見かけによらず無駄に早いからな。ルーセント以外のやつは距離を取って魔法で援護しろ。絶対に近づくなよ」

 教官の言葉に、なんとか引き離されずに着いてきたルーセントの分隊の四人は、ゆっくりとあとずさって距離を取った。

「いいかルーセント、こいつは魔法も組み込んで攻撃してくる。普通の間合いで戦うと殺られるぞ。間合いを見誤るなよ」
「分かりました。きゅうちゃん、フェリシアの所に行って呼んできてもらえる?」
「きゅう!」

 ルーセントが木の上にいたきゅうちゃんに指示を出すと、小さな身体が反応し高速で駆け出して離れていった。
 ルーセントは刃をジュラミーベアに向けたまま目を離すことなく教官と作戦を練る。

「教官、どうしましょうか? 僕が先に出ますか?」
「待て待て、不用意に突っ込むなといってるだろう。正直に言えば、このまま逃げたいところだが、見逃しちゃくれそうにねぇからな。……そうだ、ルーセント。俺の隣に来い。壁を作れ」

 教官はルーセントに指示を与えた後に視線をそのままに顔を横に向けた。四人の生徒に指示がでる。

「お前らは俺らのうしろに隠れるように並べ。最初に俺とルーセントが左右に分かれてあいつに向かう。前が空いたらジュラミーベアに向けて魔法を放て。距離には気を付けろ。ルーセントは右に行け、俺は左に行く。挟み込んだらお互いに右にずれてあいつを斬る。いいな」

 生徒たちが「分かりました」と答えて、ルーセントがうなずく。
 分隊の四人がゆっくりとルーセントと教官のうしろに並ぶ。二人並びで二列に分かれて前列がしゃがみ込んだ。
 教官がカウントを取る。

「五、四、三、二、一、放て!」

 教官とルーセントは一のタイミングで左右に回り込むように動く。
 同時に教官の命令で四人の生徒が魔法を放った。
 魔物は前衛の二人に気を取られて放たれた魔法に反応できずに教官の思惑通りに被弾する。
 怒り狂ったように大声で雄たけびをあげるジュラミーベア。
 左右に分かれたルーセントと教官は、魔物を中心に向き合う形となった。魔法で動きを止められていた瞬間を見逃さずにほぼ同時に二人が動き出した。お互いが右にずれて斬り付ける。
 しかし、二人の刃がジュラミーベアの身体を斬り裂こうとした瞬間、咆哮とともに小規模な二つの竜巻が発生して吹き飛ばされてしまった。

「がはぁっ!」
「うがっ!」

 教官は運悪く背中から木に衝突して地面に倒れ伏した。ルーセントは運良く木に接触することなく、間接的なダメージを回避した。
 ルーセントがジュラミーベアに視線を移すと、灰色の魔物は魔法攻撃を受けたはずにも関わらず無傷で立っていた。

「そんな! あれだけの魔法を受けて傷ひとつないのか? ぐっ!」

 立ち上がろうとしたルーセントは、身体に走る痛みに膝をついた。視線を下げて己の身体を確認する。鎧に守られた場所以外の所々が切り裂かれていて血が流れていた。

「くそっ、あれ一発でこれか、直撃は避けたはずなのに」

 ルーセントはホルダーから回復用ポーションを取り出すと二本を飲み干した。

「あと三本か、一発でも当たったら終わりだな。それにしても、あいつ強すぎるぞ」

 ジュラミーベアは二足歩行から四足歩行に切り替える。そのまま警戒しつつもゆったりとした足取りで、魔法を放った四人に向かっていった。

「おい、何してんだ! 早く逃げろ!」

 ルーセントは動かない自分の仲間に叫ぶが、四人は恐怖に怯えて腰を抜かしていて動けずにいた。
 ルーセントは仲間の逃げる時間を稼ごうと、とっさに四足歩行の魔物に向かって轟音をたてる火炎の槍を放った。
 射出された炎の槍が高速で飛翔していく。どんどん近づく魔法にジュラミーベアが立ち上がると、はたき落とそうと前肢を動かした。振り下ろす前肢と魔法が衝突した瞬間、炎の槍は霧状に変わり消失してしまった。

「くそ! なんだよ、こいつは。……だったらこれでどうだ!」

 意地になるルーセントは、今度は空に右腕を掲げる。そこに生み出された炎の槍は、先ほどの倍近くの大きさと長さがあった。その色は赤から青へと変わっていた。
 轟音をたてて射出される蒼炎の槍が、ジュラミーベアへと向かっていく。
 先ほどと同じようにはたき落とそうと前肢を上げる魔物。しかし、あと数メートルというところで炎の槍は五個に分裂した。それらは互いに交差して不規則な動きで魔物の横を通り過ぎると空へと上がっていった。
 ルーセントの精密な魔力コントロールで、およそ上空七メートルほどの距離で四散すると、最初の一撃が上空から襲う。ジュラミーベアがそれに気を取られ油断した瞬間、残りの四本の槍が前後左右からほぼ同時に襲った。
 対処に遅れてすべての魔法をその身に受ける魔物は、痛みと襲いくる熱により暴れる。刺さる魔法の槍を描き消そうと両方の前肢を振り回した。
 その瞬間、魔法の槍が炎へと変わって巨体に燃え移った。すべてを燃やし尽くすように、青い炎がジュラミーベアの身体を包み込む。

「グオガアアアアアアアアア」

 ジュラミーベアはもがき苦しみ、吠えながらも炎を消そうとさらに暴れる。
 そこへ、きゅうちゃんに呼ばれたフェリシアが現れた。

「ルーセント! 大丈夫?」
「僕は平気だから、教官を先に見てあげて」

 ルーセントが指差す先には、血を流し呼吸をする上下運動以外には動かない教官がいた。
 フェリシアが教官の身体を触診すると、誰が触っても分かるほどに背骨が折れていた。
 フェリシアはすぐに回復魔法を使うと、青白い光が教官を包み込む。
 ひときわ強く輝くと、教官が動けるまでに回復する。

「……悪いな、もう大丈夫だ。あとはポーションでなんとかなる。それにしても、大した回復魔法だな。一瞬で治ったぞ」

 教官はポーションを飲みながら、身体の調子を確かめるように手足を動かす。
 フェリシアは自分が最上級守護者を持っている、とは言えずにごまかしていると、遅れていた生徒たちが集まりだした。
 教官はすぐに「近寄るな!」と指示を出す。
 何があったのか、と状況を確認するため武器を構えながら遅れてやってきた教官たちが集まった。

「一体何があった? ずっと戦闘音が聞こえてたが?」
「ああ、あいつのせいだ」ルーセントの教官が、アゴでジュラミーベアを示す。
「あれは……、ジュラミーベアか? これだけ人数がいて苦戦するような相手か?」
「俺もそう思ったんだがな、どうやら強化種のようだ。それも飛びっきりのやつだ」
「おいおい、聞いてないぞ。下見はしたんだろ?」
「当たり前だ、あんなのがいるところにあいつらを連れてなんて来られるか」

 炎が消えたジュラミーベアは気絶しているのか、呼吸はしているが動く気配がない。教官たちは魔物から目を離さず会話を続ける。

「どうする、今のうちに逃げるか? さすがに強化種は無理があるだろ」
「生徒がまだ全員集まっていないだろ。無理だ」
「戦うしかないか、とりあえず今いる生徒だけで陣形を組ませるぞ」
「ああそれと、各隊に神聖科の回復魔法を使えるやつを何人か付けるように言ってくれ。無理はさせるなよ」

 教官が散らばると、それぞれに指示が飛ぶ。
 ルーセントも、最前線で盾持ちの生徒のうしろで身構えていた。


『さっさと立てよ。強いんだろ?』

 生徒が陣形を整えているなか、一人外れて木陰から様子をのぞいている人物がいた。木々の間から漏れる人影は、倒れている魔物に念じるように指示を出していた。
 褐色の肌に黒髪の少年、ティベリウスであった。
 少年の声に、ジュラミーベアの身体が動き出す。
 ルーインが作り出した魔力血石を埋め込まれた魔物がルーセントを視界に捉えると、目を赤く光らせ空に向かって咆哮をあげた。
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